保護者
『ただいまー』
「……ただいま」
「あっ、おかエりー!」
「おかえりなさいっす!」
ダンジョンに帰ると、すぐに気付いたシィが、家事を手伝っていたのか洗濯物を持ったままこちらにトトト、と駆け寄り、彼女の近くで洗濯物を畳んでいたらしいリューが声をあげる。
レイス娘達も居間に来ていたようで、ふわふわと俺達の周囲を飛び――。
「――って、あれ、イルーナは?」
いつもなら、帰ると真っ先に飛び掛かってくるのだが……ここにシィとレイス娘達がいる以上、一人で外に遊びに行ったってこともないだろうし。
と、そう言うとちょっと心配そうな顔を浮かべるシィ。
「あのネ、イルーナ、あそんでたら、かわでころんじゃったノ」
かわ……川か。
以前、草原エリアに俺が作ったヤツだな。
「む……怪我は?」
レフィの問い掛けに、今度はリューが口を開く。
「それは掠り傷くらいだったようなので、シィちゃんが『ヒール』の魔法で治したそうなんすけどね。ただ、水を浴びて身体を冷やしたせいで、ちょっと体調崩しちゃったようで……今は旅館の方っす」
「あー……なるほどな」
――どうも、イルーナが風邪を引いてしまったようだ。
* * *
「ポーションは……使っちゃダメなのか」
一緒に病人食を作っているレイラにそう問い掛けると、彼女はふるふると首を横に振る。
「えぇ、重い病気ならば服用しても構わないと思いますが、今回のイルーナちゃんは軽めの風邪ですので、自己治癒の方がよろしいかとー。あまり、病気でポーションばかりを服用していると身体が弱くなるという記録が残っていますのでー」
そんなに学のある方じゃないが、その理由はわかる。
恐らく、子供の頃からポーションばっか使って治していると、身体に免疫が出来ないのだろう。
「なるほどな……んで、風邪を引いたのは、昨日だって?」
「そうですね、恐らく一昨日の夜から熱があったのだと思われますが、風邪だとわかったのは昨日ですー。――魔王様、おかゆが出来ましたので、イルーナちゃんに持って行ってあげてくださいねー」
「おぉ、美味そうだ」
レイラがお玉でお椀によそったのは、ネギとたまご、小さめの肉団子で出来たおかゆ。
「レイラがいてくれると、ホント助かるな……そう難しい料理でもないのに、すげー美味そうだ」
「フフ、皆美味しそうに食べてくれるので、作るのにも気合が入るんですよー。一つお聞きしたいのですが、魔王様がお作りになっているのは……ジュース、ですかー?」
「あぁ。風邪の時はこっちの方がいいんだ」
塩とレモン汁、砂糖で作った簡単なスポーツ飲料水を、あったかいくらいの温度に温め、水筒に入れる。
「ほほー……後で、その理由をお教えしていただいてもー?」
「後でな」
相変わらずなレイラに苦笑を溢して俺は、水筒を小脇に抱えレイラがよそったお椀を盆にのせると、キッチンを出て真・玉座の間の外へと繋がる扉へと向かう。
イルーナは今、旅館の方で寝ているそうなので、扉を操作して行き先をそちらに変更し、中へと入る。
そして、入ってすぐにある障子戸を開け――中にいたのは布団に横になっているイルーナと、先に様子を見てくれていたレフィ。
我が嫁さんは音に反応し、こちらに顔を向ける。
「イルーナは……」
「うむ、今は寝ておる」
小声で答えるレフィの隣に座り、水筒とお椀を載せた盆を畳の上に置く。
彼女の額に手を当ててみると……確かに少し熱があるな。
ただ、レイラが言っていた通り、重いものではなさそうだ。
これなら、恐らく数日もしない内に治るだろう。
イルーナの熱を測っていると、我が嫁さんがポツリと呟く。
「風邪か……儂は、生まれてこの方風邪というものを引いたことがない。やはり、辛いのか?」
「それなりにな。喉が痛くなったり鼻水で呼吸がし辛くなったり、頭痛がしたりあったかくしているのに寒気がしたり。起きているのが辛いから眠りたいのに、あまりの身体のダルさのせいでずっと寝付けなかったりとかもあるな」
「そ、そんなに酷いものなのか? ポーションを使ってやったらいかんのか?」
「ま、今回のはそんなに熱も高くないから、イルーナもそう辛い思いはしていないと思うぞ。ちょっとダルいくらいじゃないか?」
「そ、そうか……」
ホッと安堵したように息を吐き出すレフィを、微笑ましく思いながら俺は、言葉を続ける。
「レフィ、先に戻って、飯を食っててくれていいぞ。俺もちょっと様子見て、イルーナに飯食わせたらそっち行くから」
「む、わかった。お主の分は後で温め直してやるから、しっかりイルーナの面倒を見てやれ」
「あぁ、サンキュー」
そうしてレフィが真・玉座の間に戻っていくのを尻目に、俺は金髪幼女の肩を優しく揺する。
「イルーナ」
「……んぅ……」
ゆっくりと、瞼を開くイルーナ。
「あれ……おにいちゃん? 夢かな……」
少しぼんやりとした表情で、いつもより掠れた声でそう言うイルーナ。
「ハハ、夢じゃないぞ。さっき帰ったんだ。川で転んで、風邪引いちゃったんだって?」
「そうなの。きれいな石を探してたら、どぼーん、て」
「あの川は浅いし流れも緩やかだから、遊ぶのは構わないが、次からは気を付けないとな。頭とか打ったら大変だぞ?」
「ん……ごめんなさい」
「わかったならよろしい。――ほら、イルーナ、ご飯だ。食べられるか?」
「おにいちゃん、食べさせてー」
「しょうがないな」
もぞもぞと上半身を起こしながら、いつもより甘えてくるイルーナに、俺は笑ってお椀を手に取った。
――それからしばし、彼女に食べさせていると、何だかすっごい嬉しそうにニコニコするイルーナ。
「えへへ……」
「? どうした?」
「あのね、わたし、とっても嬉しいの。みんなが、心配してくれて」
「そりゃあ、心配するさ。大事な家族だからな」
「うん……あのね、それが嬉しいの。シィはね、心配そうにいっぱいヒールしてくれて。レイスの子達は自分たちは風邪が移らないから、たいくつしないようにって何度もこっちに来てくれて」
「へぇ、そうだったのか」
確かに、レイス娘達に風邪が移ることはないだろうな。
肉体がないんだし。
……というか、やっぱりイルーナは彼女らとも意思疎通出来ているのか。
俺は、あの三姉妹がダンジョンモンスターだからこそ、ある程度その意思を理解することが出来るが……。
「それでね、レイラおねえちゃんは病気の時のお料理作ってくれたり、身体を拭いたりお着替え手伝ってくれたり、お世話してくれて。リューおねえちゃんは、レイラおねえちゃんの代わりに家事を全部やってて。そうやって、みんなが色々してくれて、嬉しくて、ありがとうって気持ちでいっぱいになるの」
「そっか……それなら、早く風邪を治して元気になって、そのありがとうの気持ちをお返ししないとな」
「うん! いっぱいお返しする!」
にへっと幸せそうに笑ってから、イルーナは言葉を続ける。
「でもね、これは、全部おにいちゃんのおかげなの」
「? 俺のおかげ?」
コクリと、彼女は頷く。
「おにいちゃんがね、みんなを大事に思ってくれてるからなんだよ。みんなのためにって毎日いっぱい頑張ってくれるから、みんながここにいて、とっても居心地が良くて、他の誰かにも優しくしようって思えるの。だから――おにいちゃんも、いっぱいいっぱいありがとう」
「――――」
不意に、グッと胸にこみ上げるものを感じた俺は、誤魔化すように彼女の頭をポンポンと撫でる。
手の平から伝わる、少し高い体温。
彼女の、命。
俺は……この子らの保護者として――親代わりとして、日々を過ごしてきたつもりだった。
子供なんか育てたことがなく、自分自身人に物を教えられる程上等な人物だとも思っておらず、だがそれでも自分は大人だからと、今まで『立派な保護者』ヅラをしてきた。
別に、それで変に気負っていた訳じゃないし、何か困ったことがあればレフィや他の誰かに相談し、皆に頼りながら日々を過ごしてきた訳だが……俺は、それなりに親代わりをやれていたということだろうか。
死んだイルーナの両親にも、胸を張ることが出来るだろうか。
「……? おにいちゃん、どうかした?」
「――何でもないさ」
――イルーナが、ぼんやりとしている時で良かった。
俺は、声が震えないように注意しながら、意図して声音を明るいものに変え、口を開いた。
「さ、食べたら寝ろよ。イルーナには早く元気になってもらわんと、一緒に遊べないからな!」
「ん、いっぱい遊ぶ!」
イルーナは、一寸の曇りもない笑顔で俺を見上げた。




