檻の中にて
――ひんやりと冷たく、硬い感触。
「…………んぅ?」
何か、いつもと違う。
いつもはもっとふかふかで、そして暖かいお布団がイルーナを包み込み、目覚めを遠ざけようとするのに……今日は不快な冷たさがイルーナのぼんやりする頭を覚まさせる。
ちょっとだけ顔を顰めてしまいながら、眼を擦って半身を持ち上げる。
そうしてピントの合わない寝ぼけ眼に入って来たのは――等間隔に並んだ鉄の棒と、立ち上がることすら出来ない天井。
一瞬で目が覚める。
と、何か違和感を感じ首元を見下ろすと、イルーナの首に首輪が嵌められ、そこから一本の太い鎖が伸びて床から出ている輪っかと繋がれている。首輪からは確かな魔力を感じられる。恐らく、魔導具なのだろう。
――イルーナは、檻の中に囚われていた。
「っ――――」
思い出した。
イルーナが遊んでいたところに、突然見知らぬ男たちが現れ、何か液体のようなものを掛けられたのだ。
その瞬間、イルーナは意識を失ってしまい……気付いた時には、ここだ。
キョロキョロと辺りを確認すると、薄暗い明かりしかない周囲にはイルーナの入れられている檻と同じものがいくつも置かれており、その中に頭から獣のような耳を生やした少女や、羊のような角を持つ魔族の少女など、色々な種族の人達が入れられている。男の人はいない。皆女の人だ。
ただ、雑多な種族の彼女らだが――一つだけ共通しているのは、幼いイルーナでもわかる程に、皆瞳に絶望と諦念が浮かんでいることか。
と、その時、半ば混乱気味に、しかしどうにか現状を確認しようと周りに視線を送っていた彼女の耳へ、カツカツと石製の床に反響する二人分の足音が届く。
「――俺達ツイてたな。絶対もう死んでると思ってたんだが」
「ホントだぜ。裏闘技場の魔物の餌にされるとこだった」
そんな会話を交わしながら、奥の方から現れたのは、二人の男。
――見覚えが、ある。
この二人組は、遊んでいたイルーナの前に現れ――そして確か、イルーナの故郷をめちゃくちゃにした男達の仲間だ。
「お目覚めか、クソガキ。ったく、散々手間かけさせやがって、よぉッ!!」
「あうっ――」
檻の向こうから顔面を殴られ、幼い彼女の身体は簡単に吹っ飛び、背後の鉄棒にガツンと後頭部を打ち付ける。
激しい鈍痛から、じんわりと涙が滲んで来る。
「おい、やめろ。気持ちはわかるが、商品価値を落としたらまたどやされちまう。どっちにしろこのガキは変態貴族行きだ。それで我慢しとけ」
「チッ……おいガキ、よぉく聞け。テメェはこれからな、ガキの身体が大好物だっていう変態貴族のおもちゃにされて、毎日毎日死んだ方がマシっていう地獄を見るハメになるんだぜ?どうよ、最高の気分だろ?」
ニヤァ、と生理的に嫌悪感が湧く笑みを浮かべる男。
その言葉にビクリと身体が震え、痛みとは別に眼の奥から涙が出て来そうになるが……しかし、ギュッと口を結んで、それに堪える。
……大丈夫。
――だって、私には、おにいちゃんがいる。
頭に浮かぶのは、一人の姿。
おにいちゃんはとっても優しくて、暖かくて、大好きな人。最初はちょっと怖がっちゃったけど……でも、全然怖い人じゃない。
あの人なら、絶対に助けに来てくれる。
それが、今のイルーナの心の支えとなる。家族を殺され、故郷を潰され、絶望しかなかった前の時とは違って、希望が持てる。
――それに、いつもはぐーたらだけど、困った時には頼りになるおねえちゃんもいる。
あの二人はすっごく強い。散々怖い怖いと聞かされてきた魔物も、あの二人だとちょちょいとやっつけてしまう。
だから――大丈夫。
「……チッ、クソガキが」
そのイルーナの反応が面白くなかったのか、男は舌打ちすると、「行くぞ」と隣のもう一人の男に声を掛け、その場を去って行った。
* * *
彼らが見えなくなったところで、イルーナはゴシゴシと眼を擦り、幼い頭を懸命に働かせる。
――でも、待っているだけではダメだ。
イルーナは知っている。後から後から湧いて来る悲しみのままに泣き叫んで待っているだけでは、誰も助けてはくれなかった。
自らが動いて、初めて助けの手を掴むチャンスが来る。
ならば今、自分に出来ること――それは、時間を稼ぐことだ。
逃げるのは無理だ。ここがどこかわからないから、どちらに逃げていいかもわからない。
それよりは彼女の慕う二人が来てくれるまで、どこかに隠れるなりなんなりして時間を稼いだ方がいい。
そう判断したイルーナは、心細い気持ちを奮い立たせるように小さな声でボソリと呟く。
「お願い、土精霊さん。力を貸して」
その瞬間――ぼわ、と少しだけ茶色を帯びた光が出現する。
それはまるで闇に溶け込むかのような淡い光だが……しかし、確かにそこに存在する。
『精霊王の加護』。
それが、イルーナの持っているユキはおろかレフィですら気付いていない、称号。
精霊王の加護:精霊王イグ=ドラジールによる加護。他者の善悪を見抜き、害意を察知することが出来る。スキル『精霊魔法』を取得。この称号と付随するスキルは他者から見ることが出来ない。
――これが、イルーナが前回逃げ出す時に助けられ、そして魔境の森の魔物に襲われながらも、どうにか生き永らえ、ユキに保護されるまで他の魔物から身を守ることが出来た手段だった。
「お願い、土精霊さん。この首輪と、檻の鍵を開けて欲しいの」
淡い光はこくりと頷くかのような動作を見せると、ヒュッとイルーナの首輪へ吸い込まれるようにして入り込み――と思った瞬間にはカチャリ、と小さく首輪の鍵の外れる音がする。
前にイルーナが逃げたことを鑑みて、次は逃げられないように首輪も魔導具にしたのだろうが――しかし、精霊にそんなことは関係ない。
精霊とは、魔力そのもの。魔力を食らい、魔力を媒介にして存在する。
故に、それを扱わせれば他生物には一歩も引けを取らない。
魔導具と言えど、動力源である魔力が無くなればそれが動くことはない。精霊にとって、魔導具の魔力を一瞬で全て吸い上げて空っけつにし、壊すことなどは朝飯前なのだ。
淡い光は中空をスライドするように動くと、次は檻自体の鍵へと入り込み、こちらもまた数瞬もまたずしてカチャリと鍵が開く。
それを確認したイルーナは、土精霊にお礼を言うと、次に闇精霊を呼び出す。
精霊は土、水、風、火の四種に加えて光、闇の合計六種がおり、それぞれに得意とする魔法の分野が異なる。
土精霊は土や鉱物、金属関連――そして闇は、他の眼を欺くような、闇に混じる魔法を得意とする。
……他の人達も、出来れば助けてあげたいけど……でも、今は無理だ。同じように皆解放してしまえば、すぐに騒ぎになってしまう。
――待っててね。おにいちゃんが助けてくれたように、わたしも、絶対に見捨てはしないから。
「……ありがと、闇精霊さん」
そうして、闇精霊の協力によりスゥっと薄暗闇の中へ消えていったイルーナのことを、気付く者は誰もいなかった。