後始末《2》
……仮面を付けておいてよかった。
「……へぇ、面白いことを言うな、アンタ」
「これでも私は、一国の軍を預かる立場なのでね。それなりに情報が集まって来るのだ。まず、君が一番初めに確認されたのは、レイローのところの街で、だったな」
イルーナが攫われた時のことか。
「次に確認されたのも、その街で。他国の間諜の暗躍をほぼ単独で撃破。三番目の目撃情報は、貴殿の『仮面』という呼び名が広く知られるようになった、王都危機。勇者ネルの手引きで教会に協力し、陛下と王女殿下を救出、魔族の暗躍を明るみにし、内乱寸前の混乱を止める。その後魔界でも、詳細はわからないが、何かしら活躍していたようだ。闘技大会には参加していたようだな」
……すごいな、このじーさん。素直に感心してしまった。
こっちの国でのことならばまだしも、俺が魔界に行った時のことも知っていやがるとは。末恐ろしい限りだ。
ネルの仲間達数人とは会っていたから、そこから情報を得たのかもしれないが……。
「あぁ、先に言っておくが、君が魔王であるということをバラすつもりはないから、安心することだ。派閥争いどころではなくなる。大義名分を掲げた他国がこぞって侵攻して来ることになるだろう」
そりゃ、魔王は生物全ての敵、みたいな扱いされてるからな。
確かに、そんなのと協力しているとバレたら、国の中だけではなく国の外も大荒れになるだろう。
「些かやり方に強引な面はあるが……君がこのアーリシア王国と懇意にしている間は、非常時も安心出来るだろう。もしこの国が、外部からの侵略などで危機に陥れば、勇者は戦力として確実に投入される。そして、彼女の恋人である君は、彼女を手助けするためにこの国へ訪れる。今、こうして君が、彼女のためにこの場にいるようにな」
その通りだ。
ネルがこの国で勇者を続ける以上、何か危険があれば、俺は再びこの国にやって来るだろう。
まあ、そうじゃなくとも国王や、街領主のおっさん――レイローには、色々世話になった。王女ちゃんのことも、親戚の子供、ぐらいには思っている。
彼らが何かしらの危機に陥った場合も、助けようとは考えているのだ。
「……仮に俺が魔王だとして、そんなヤツが国の内部に入り込んでいることを、危険だとは思わないのか?」
「無論、そうも思う。魔王とは得体の知れぬ存在。だから、アルゴスが君と勇者を排除しようと画策していたのも、特に口を挟まなかったのだ。アルゴスは権力志向の強い男だが、しかし有能だ。君や勇者程の実力者を排除出来るならば、それはそれで使える男となるだろう、とな」
……なるほど。
どっちに転んでも、構わなかったと。
「つまりアンタは、アルゴスが企てた、俺とネルを排除するためにこの国の街一つを魔物に襲わせる計画も知っていて、特に止めることもしなかったと? 街一つ消えてなくなろうが、国のためになるならば構わないと」
「そうだ」
老貴族は、誤魔化すことなく、頷いた。
「ただ、勘違いしてほしくないのだが、魔物程度を君達が撃退出来ないとは思っていなかった。それで君達がやられ、街に多大な被害が出るようならば、この国を守ることなど土台からして不可能。街を守り切ることが出来るならば、その実力を当てに出来る。どちらの結果に転ぼうが、今後の指針が立てられる」
まあ、被害ゼロは流石に想定外だったがね、と言って肩を竦める老貴族。
「全く、彼女も大したものだ。女という武器を使って、魔王を篭絡するとは。これで、もう少し扱い易くなれば、国の道具としてッ――」
その言葉途中で俺は、ダンと老貴族の座る執務机の上に飛び乗ると、その首を片手で締め上げ、『王者の威圧』スキルを発動しながら、机に立つ俺の目線まで持ち上げる。
「次、ネルを物扱いしたら、縊り殺すぞ」
俺が首を締めあげているため、途切れ途切れの掠れ声で、冷や汗を流しながら、しかし老貴族はあくまで穏やかな口調で、口を開く。
「これは、失礼、した。謝罪、しよう」
「……チッ。試しやがったな」
手を放し、俺はフンと鼻を鳴らして、再びドカリとソファに腰を下ろす。
あからさまに挑発染みたことを言いやがって。良い根性してやがる。
「コホッ、コホッ……君が本当に勇者を愛しているのだと知れて、私としては安心だな」
微笑みすら浮かべ、そう言う老貴族。
俺、コイツ、嫌いだ。
「ったく……そこまでしてアンタは、この国を守りたいと?」
「そうだな。君とて同じだろう。何かを守るためならば、手段は問わない。何があっても、何をしても。私はその対象が、この国であるというだけだ」
「…………」
……コイツと同類だと認めるの癪だが……言っていることは、よくわかる。
俺は『魔王ユキの世界』を守るが、コイツは『軍務大臣ジェイマの世界』を守る。そういうことなのだろう。
俺の表情を見て、理解が及んだことをわかったらしい。コクリと頷いてから、再び老貴族は口を開く。
「さて……私の真意をわかってもらったところで、一つ取引といこう」
「あ? 取引だ?」
「恐らく私は、処罰されずに終わる。軍務大臣の職は剥奪されるだろうが、それだけだ。私を処罰すると、更なる内乱が起こる可能性があるからね。だが愛情の深い君は、恋人を危険に晒した私を、許さない。私を殺すかもしれない。だが、私はまだ殺される訳にはいかない。故の、取引だ。君にも悪い話ではないので、聞いてもらえないだろうか」
「……いいだろう。聞こうか」
もう、このじーさんに敵う気がしなくなって来た俺は、一つ溜め息を吐いて、そう答える。
「君が勇者を愛し、守るのであれば、君がいない間勇者をこの国の『悪意』から守ってやろう。民衆や、貴族などからだ。そうなれば、もう今回のようなことは一切無くなる」
「よく言うぜ。アンタが今回の事態を引き起こしたんだろうが」
「否定はせんがね。お陰で、ある程度国内における『膿』も排除出来た」
……心情的に、思うところがないと言えば嘘になるが、確かに悪い話じゃない。
この老人には、シンパが多い。
コイツが黒と言えば黒になるし、悪評を垂れ流すのを止めろと言えば、止まるのだろう。
そのことは、国王がこのじーさんを強く警戒している様子からしても、よくわかる。
教会は鎮火に動き出しているそうだが、しかし未だ彼女に対する悪評が立ち上るこの国に、彼女だけ残して帰るのは非常に心残りだったのだが……このじーさんがそれを鎮火すると言うのならば、安心出来る。
俺が魔境の森に帰っている間、このじーさんがネルの『陰の庇護者』となるならば、それはもう絶大な効果を発揮することだろう。
……コイツ自体を、俺が信用出来ないという問題は残るがな。
「……アンタは、俺を味方に引き入れて利用しようってのか。この国の者でもない、しかも人間でもない、魔王を」
「国家にとって必要ならば。戦力として必要となるのは、数ではなく質。どれだけ軍の規模を大きくしたところで、圧倒的な個に簡単に滅ぼされる。この国が勇者を見出すのも、そこに理由がある。政情の安定しない今のこの国には、少しでも強大な力を持った個が必要なのだ」
「俺は戦争には参加しねぇぞ。そんなことがこの国で起こったら、ネルを連れてダンジョンに帰る」
「無論、こちらから戦争を仕掛けることはしないだろう。陛下はその辺り慎重なお方だ。だが、現在の政情ならば、他国から侵略される可能性は十分に存在する。果たして、この国が戦火に呑まれる時、彼女は黙って君に連れられ、何もせずに傍観すると思うか?」
……しないだろうな。
アイツは優しいヤツだ。もし仮に母国で戦争が起こったら、真っ先に矢面に立とうとするだろう。
そうして彼女が決意を固めた時、やはり俺もまた、この国へやって来るのだ。
「まあ、そんな戦争が起こらぬように、この国の者達が動いている。仮に勃発しても、そこらの小国との戦争ならば勇者を投入することなく圧殺出来る。大国相手は、そもそもお互いが大打撃を食らうと理解しているから余程の事情が無ければ戦争にはなり得ない。ただ、可能性が皆無とも言えないのが現在の世界情勢なのだがな。そんな事態にまで至れば、勇者がどうこう以前に、君とて何かしらの形で巻き込まれるのではないかな?」
老貴族の言葉に、俺はしばし黙ってから、ポツリと口を開く。
「……俺は、アンタが嫌いだ。今すぐこの場でぶち殺してやりたい」
「フフ、そうか。だが、そうせぬということは、理性の部分でこの取引が有用だと認めているのだろう?」
忌々しいことに、ニコニコとしているようにすら見える老貴族に、俺は舌打ちを漏らし、言葉を続ける。
「……約束を違ったら、アンタを殺す。そしてこの国が下手にネルを利用しようとしたら、俺の全身全霊を掛けてこの国を滅ぼす。わかってんだろーな」
「あぁ、わかっている。この国を、自らの手で滅亡させることにならんよう、肝に銘じるとしよう」
「是非ともそうしてくれ。――いいだろう、アンタの提案を呑むとしよう。ネルのことは、何があっても俺が必ず守る。アンタは、どっかのバカがネルに手を出さないよう、風評面から彼女を守る。これでいいな」
「取引成立だな。この老人に安堵を与えてくれて、ありがたく思うよ」
「その口、一度縫い合わせてやりたいところだ」
そう言って俺は、ソファを立ち上がった。
「ふむ、お帰りになるか。それではな、魔王ユキ君。話が出来てよかったよ。君がこれからも活躍することを願っている」
「そりゃどうも。どうかアンタに不幸が降りかかりますように」
最後にそう吐き捨て、俺は隠密スキルを発動して、部屋を出て行ったのだった――。