舞踏会《2》
「勇者殿。私は、エルメレーア=ファヴォランジェ=ロートニスと申します。以後、お見知りおきを」
「モーブデ=スヨ=ポートアイと申します。同じくお見知りおきを」
「お初にお目にかかる、ナマエヲ=カンガエールノ=メンドーという者だ。教会とは懇意にさせていただいている」
「ご挨拶ありがとうございます、皆様。ぼ――私は今代勇者を務めさせていただいております、ネルと申します」
一瞬、いつものクセで「僕」と言ってしまいそうになりながら、しかしすぐに取り繕って挨拶する。
勇者として教育を受けて来たため、一通りの挨拶ぐらいは出来るが、やはり普段からしていることではないのであまり慣れない。
ふとした拍子に、いつもの口調が口から出てしまいそうになる。揚げ足取りでも不用意に言質を与えると危険となる今、十分に気を付けた方がいいだろう。
「いや、それにしてもお美しい。勇者殿がこんな美しいとは存じませんでした」
「えぇ、まるで聖女の如き輝きと美しさを持っていらっしゃいます」
「皆様の視線を釘付けにしておりますな」
「ありがとうございます、皆様にお褒め頂き、光栄でございます」
客観的に見て、相当美青年だと思われる貴族の子弟達に囲まれ、口々に紡がれる美辞麗句に対し、ただ形だけの笑顔を浮かべて応対する。
――全く、心に響かない。
不思議な気分だ。
まるで幼い頃に聞いた童話のお姫様のような待遇を受け、顔立ちの良い男達に囲まれているのにもかかわらず、ここまで何にも感じないとは。
恐らくは、真に心の籠った言葉を、眼差しを送って来る彼に対して、自身の眼前にいる者達から、一切それらを感じないからだろう。
彼以外の男性に、空虚な言葉をいくら並べ立てられても、ちやほやされたとしても、何も嬉しくないし、何も感じることがない。
むしろ、それだけ自分があの人のことが大好きで、あの人の言葉に心を響かされていたのだということが相対的にわかり、少しだけ嬉しい気分ですらある。
彼が、ドレスを着ている自分のことを褒めてくれた時、慣れずに毎回顔が赤くなってしまうのも、その言葉が本心だとわかるからだろう。
彼の周りに、彼のことを慕う者達が集うのも、外面ではなくこちらの瞳の奥までを見詰めて来るような、あの眼差しが理由なのではないだろうか。
一つ一つの言葉に彼の心が乗り、裏表もなく本心で接して来る、あの在り方に惹かれるのだ。
――まあ、そのせいで皆、振り回されるんだろうけどね。
誰も見ていないところで、小さくクスリと笑ってから、再び表情に仮面の笑顔を張り付けて貴族達の相手を続ける。
「フン、平民の小娘が」
「あれだけ騒ぎを大きくしておいて、よく抜け抜けと顔を見せられたものだ」
中にはそんな、悪意の籠った囁きも聞こえて来るが、それらもまた今の自身にとっては心を揺るがす漣にすらならない。
トン、と自身の肩に手を触れると、そこに確かに感じる、一つの感触。
「? 勇者殿、如何されましたか?」
「いえ……何分このような服装を着慣れていないものですので、少し肩が凝ってしまいまして」
「あぁ、確かに慣れぬ内は、どこか不調を来したりするものですな。ですが勇者殿、そのお美しい姿をなさる機会が増えれば、自然と慣れて行くものです。そして私ならば、その勇者殿のお美しい姿を、もっと多くの者に披露することも出来る。どうです、私のところに来ていただければ、今よりももっと華やかな暮らしを約束致しましょう」
「ぬっ、貴殿、抜け駆けは卑怯だぞ! それならば勇者殿、もし仮に私のところに嫁に来ていただければ、第二婦人としての立場をお約束させてもらおう。きっと、貴殿も気に入るはずだ」
「皆様の素敵なお誘い、嬉しい限りです」
いやいや私が、私のところに、などと家自慢を始める貴族子弟達に対し、誰が君達みたいな上から目線の成金自慢のところにお嫁に行くか、と内心で考えながら、決して言質を取らせないようニコッと微笑み曖昧な言葉を紡ぐ。
見えはしないが……この肩の上には今、彼が予め用意した『眼』が乗っている。
『耳』もまた数個この会場内に放っているそうで、こちらの全ての様子を離れた場所からも監視しているはずだ。
そうやって、近くにいない今現在も、彼が見て、守ってくれているとわかるからこそ、自分でも驚く程冷静でいることが出来ている。
……いや、糾弾の声が、思っていた以上に少ないというのも、その理由の一因であるかもしれない。
わざとこちらに聞こえるようにしているのか、コソコソと囁かれる陰口は確かに近くから聞こえて来るものの、それこそ表立って糾弾されることも覚悟していたのに、どういう訳か耳に入るのは妬み嫉みばかり。
彼と陛下の話だと、相当逆境になるとのことだったし、状況からして自分でも強い風当たりを受けるだろうと予想していただけに、正直なところ拍子抜けの気分だ。
何か裏があるのかもと、警戒を強めておいた方が良いかもしれない。
……ただまあ、今の状況は、言わば嵐の前の静けさだ。
どうせ、彼が来てしまえば、この場は確実に荒れるのだ。
貴族社会だろうが何だろうがお構いなしで、そしてこの場にいるのが敵ばかりであると考えているらしい彼のことを思えば、事が穏便に済むはずがない。
ならば自分は、ムダに気張らず、彼が来るまで周囲の敵と思われる者達に対し、事前の策通り牽制でも行っておくのがいいだろう。
そんなことを考えていたネルは、その余裕のある堂々とした所作が他者からは気品があるように見え、彼女自身の美貌も相まって、政治を抜きに良い意味で人目を惹き付けており、相対的に批判が減っているのだということに気が付いていなかった。
「ネル殿、楽しんでおられるか?」
その声に振り返ると、いつの間にかそこに立っていたのは、国王レイド=グローリオ=アーリシア。
ネルの回りに群がっていた貴族の子弟達が、察して身を引いて行き、国王と彼女の二人だけとなる。
「陛下! この度はお招きいただき、ありがとうございます。私のような者までお呼びいただいたこと、陛下の御心の広さに感服するばかりです」
「そう畏まらずともよい、ネル殿はこの国のために戦っているのだ。にもかかわらず除け者にしてしまっては、器の狭量さを笑われてしまうだろう」
この舞踏会のため事前に散々打合せをしているのだが、そんなことはおくびにも出さず、しれっと互いにそう言葉を交わす。
国のために戦う勇者を非難するならば、なんと器が小さいことか、と言外に含ませ、敵対派閥のネルに対する非難を牽制するさまは、国王もまた中々に強かであると言えるだろう。
「それにしても、人気ではないか。今の様子を恋人に見られれば、嫉妬されてしまうのではないか?」
「フフ、そうですね。おにーさ――彼は少し子供らしいところがありますので、きっと拗ねてしまうでしょうね」
国のトップである国王、そして国の防衛の要であると言える勇者、注目を集める二人であるため、周囲の者達も自然とその会話に耳を傾けていたのだが、交わされる内容に小さくざわめきが起こる。
「勇者殿の恋人……? では、あの噂は本当だったのか」
「……例の、仮面の英雄が勇者殿と婚約関係にあるという話か」
「しかし、認められるのか? 勇者はこの国の防衛の要だぞ? 先代勇者も、結局最後まで伴侶は取らなかったではないか」
「勇者を辞めるからこその話なのでは? 現在の情勢を考えると、護国を成すには代替わりも視野にいれた方がよいだろう。あぁ、そういう意味での婚約も考えられるな」
「確かに。聞けば、仮面の英雄もまた相当な実力者だという。勇者殿と仮面の英雄が子を成すならば、その子にも期待が持てよう」
「その噂の仮面の英雄は、どこにいるのだ? 衛兵達から、この城で寝泊まりしているという噂を聞いているが……」
「立場自体は勇者殿の従者という話だし、会場には来ていないのではないですか?」
舞踏会の会場にいる、多くの注目が自分達に集まっていることを見て取った国王は、大きく声を張り上げた。
「皆の者!」
瞬間、喧噪がサァ、と引いて行く。
「何やらありもせぬ噂が流れているようなので、皆を安心させるとしよう。ネル殿は、勇者を辞めなどしない!」
その国王の宣言に、再びざわめき起こる。
実際のところ、ネルの所属組織は教会であり、そのため彼女を解雇するかどうかは教会が決定権を握っている訳だが、にもかかわらず国王がこう宣言するということは、ほぼ王命に近い。
そこに含まれた意図を言葉にするならば、「俺がそう言ってんだから、教会は勇者を解雇させたりするなよ? そんなことをすれば……わかっているな?」といったところだ。
王都危機以降教会が国の内政に深く入り込んでいるため、国王から一方的に教会へ言うことを聞かせることは出来ないのが現状だが、それでもなお強く宣言することで、国王の意思が非常に固いということを示している。
「彼女は護国の要。実力も確かで、何より先代勇者であるレミーロ殿も認めた、大きなポテンシャルを秘めた者。どうも、そんな彼女を実力不足で糾弾しようとする声があるようだが……それは、この国の防衛力を少しでも削ぎ落そうとする売国行為と判断してよいだろうと考えている。まあ、まさかそんな愚かな者がこの場にいるとは思わんがな」
と、国王の言葉に続く声。
「全くですな、陛下。世人とは隔絶された実力を持つ勇者殿をして、実力不足など恥ずかしげもなく言い放つ阿呆は、流石にこの場にはいないでしょう」
「えぇ、同感です。もしそんな者がいるならば、間諜の疑いを掛けても良いぐらいだ」
「おぉ、貴殿らもそう言ってくれるか」
すかさず国王に同意の声を上げたのは、辺境の街領主レイロー=ルルービアと、予め国王が根回しをしておいた、元老院議長ジョージ=ヴァイヴェラ=アボットである。
元老院議長ジョージは、元老院が諮問機関であるという性質上中立の立場を貫いているが、元々現国王レイドとは交友期間が長く、そして今回の勇者に対する強い風当たりの不自然さに疑問を抱いている者であったため、勇者を擁護する側として国王に協力していた。
その彼らの擁護の声に、他の貴族達もまた、内心でどう考えていようがそれを表には出さず、尤もらしい表情を浮かべ、その通りだなんだと同意の声を上げる。
どうにか一芝居が上手く済んだようで、内心で国王が安堵した――その時。
「――お言葉ですが、国王様」
ズイ、と一歩前に現れ、慇懃に礼をする、一人の男。
「確かにネル殿は、それはもう私達とは比べ物にならない実力を有しているのでしょう。しかしだからといって何の手も打たず、このままネル殿を勇者に据え置くというのは、護国を考えても怠慢なのではないでしょうか?」
――来た。
ネルと国王は、チラリと互いに目配せをしてから、まるで戦地にいるかのような心構えで、男と向き合った。