決意
その光景を前に俺は、ポツリと言葉を溢す。
「……こりゃあ、確かにいい目印だな」
俺の視界の先に広がるのは、死屍累々とした惨状――ではなく、道いっぱいに転がる、酔い潰れた数多の兵士達や町人達の姿。
……いや、惨状で合ってるか。
ウーウーと苦悶の表情でうめき声をあげ、まるでゾンビのように地面を這っている様子は、事情を知らない者が見れば、まさしく地獄絵図にも見えることだろう。
と言ってもまあ、辺り一帯にアルコールの臭いが漂っているので、そんな勘違いをする者はまずいないだろうが。
昨夜の騒ぎの様子が、一目でわかる有様だ。
兵士などは今回の襲撃でほぼ出番がなかったため、パワーが有り余っていたのだろうか。
俺は、周囲に転がる死体――死んでないが――を踏みつけないよう跨いで進んでいき、この惨状を生み出した大元らしい、酒場だと思われるそこそこデカい建物の中を覗き込む。
「……お、ビンゴ。やっぱここが酒場か」
「いらっしゃい、けど悪いが、今日はもう当分店を開けないんだ。ご覧の有様でね」
中に入って来た俺を見て、片付けを行っていた店員らしい男がそう声を掛けて来る。
「あぁ、いや、ちょっと身内を回収しに来ただけだから気にしないでくれ。……アンタも大変だな」
「ハハ、まあ、これが商売なんでね。それに、お客さんがこうしてたくさん来てくれるのは、店側としてはありがたい限りさ」
「そうかい」
商魂逞しいこって。
会話もそこそこに俺は、外と同じく死屍累々としている店内を見渡し、少女の姿を探す。
「えー、ネルさんは……あそこか」
周囲に酔い潰れた男達が無数に転がる中、腕を枕にして机に突っ伏しているネルの下まで向かい、俺はその肩を揺すった。
「ネルさーん、お迎えにあがりましたよー」
「……んぅ…………おにーさん……?」
目をくしくしと擦りながら、ゆっくりと身体を起こすネル。
「ほら、帰るぞ。休むなら宿でな」
「……えへへぇ、おにーしゃぁん……」
まだ酔っているのか、それとも寝ぼけているのか、ネルはそう言って俺の体にもたれかかり、グリグリと顔を俺の胸の辺りに擦り付けて来る。
……この様子だと、両方だな。
「はいはい、おにーさんですよ。……ったく、どれだけ飲んだんだ」
「んー……いっぱい。……ごめんね、おにーさん。おにーさんがまだ、動いている時に僕らけぇ」
「気にすんな、そんなことにグチグチ言う程、タマが小さいつもりはねぇさ」
「んぅ、優しいね、おにーさんは」
やはりまだ酒気が抜けていないらしく、若干舌が回っていない上に言っていることが少し変なネルに肩を貸し、彼女を立たせる。
「ねぇ、おにーさん」
「あん?」
「おんぶ!」
「……お前、ホントにどんだけ飲んだんだ」
「いっぱい!」
俺は苦笑を溢し、彼女の前でしゃがむ。
背中に温もりのある重みが乗りかかり、きゅっと首元に腕が回されたのを感じてから俺は、その場を立ちあがった。
全く、これだから酔っ払いは。いいぞもっとやれ。
「うーん……おにーさんのいい匂い!」
「……あの、恥ずかしいのでそういうことは思っても口に出さないでいてくれますか」
「無理!」
無理かぁ、そっかぁ。
言動が何だか幼くなっているネルをおんぶしたまま店を出て、俺達の泊まっている宿に向かって歩き出す。
「……ね、おにーさん」
しばし、そのまま無言で足を進めていると、ふとネルが口を開く。
「おう」
「僕ね、色々考えたんだ。『勇者』っていう仕事のこと」
「……おう」
耳元で紡がれる言葉を聞いて、ただ俺は相槌だけを返す。
「やっぱり勇者っていうのは、大変な仕事なんだなって。ただ弱いだけで、人に嫌なことを言われちゃうし、嫌なことをされちゃう。僕が何を思っても、事実とは全然違う噂が広まってても、力が無ければ何も出来ないんだって。……勇者が弱いことは、罪なんだって」
「…………」
「でもね、それでも僕は、勇者でいたいんだ。誰のためでもなく、僕のために。どんなに嫌われても、僕はやっぱりこの国のことが好きで、この国の勇者として生きていきたいんだ」
「……そっか。この国が好きか」
この国の者に後ろ指を指され、貴族どもから政争のための捨て駒にされそうになっても。
それでも――この国が好きだと。
「うん、好き! あ、おにーさんのことも好きだよ! 大好き。おにーさん達と一緒に、あのお城で毎日を過ごせたら、どんなに楽しくて、幸せなんだろうって思う。出来ることなら、ずっとおにーさんと一緒にいたい。おにーさんと、人生を共にしたい。……でも、ごめんね」
「俺達のダンジョンじゃあ、勇者として活動出来ないから、暮らせない?」
「うん。それは、僕の矜持が許せない。なけなしの勇者としてのプライドが、今のままおにーさんのとこに行くのは、許さないんだ。せめて……せめて、この国が安定して、僕なんかいなくても大丈夫っていうところを見てからじゃないと、おにーさんのところへは行けないんだ」
「……矜持か」
それを言われたら……俺は、何も口を挟めないなぁ。
「おにーさん」
「うん?」
「すっごく勝手なことを言っているのはわかっているんだけれど……こんな僕とでも、おにーさんは関係を結んでくれる? 僕と……おにーさんのところでは過ごせないけど、それでも僕と、夫婦の契りを結んでくれる?」
少しだけ声を震わせ、恐々と問い掛けて来るネルに――俺は。
ネルを支えていた両腕を解き、彼女を背中から落とした。
ドシンと地面に尻餅をつくネル。
「いてっ、ちょ、ちょっと、何するのさ!」
「このバカチンめ」
「あいてっ」
後ろを振り返り、抗議してくるネルの額に、パシッと軽くデコピンを食らわす。
「全く、舐められたもんだ。俺が、たかがそんなことで、お前を諦めると思うか? 俺は魔王だぞ?」
「……ううん、思わない。そうだね、おにーさん魔王だもんね」
「そうだ。魔王ってのは、欲深だから魔王なんだ。ちょっとやそっとじゃほしいものを諦めねぇし、それに俺は適当な男だからな! 住んでるところが違うってぐらい、何にも気にしやしねぇ。――だからさ、ネル」
そう言って俺は、尻餅をついたままの彼女に向かって、片腕を伸ばす。
「俺の方が聞こう。今後、日々を一緒に過ごせなくても、進む道が違うのであっても――」
気恥ずかしい内心を押し隠し、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「――それでも。俺の隣に立って、さ。この先を、俺と生きてくれるか?」
ネルは、少しだけ口を噤むと。
ジワリと目頭に涙を滲ませ、ゆっくりと首を縦に振り。
「……はい」
小さく頷いて、俺の手を取った。
俺はニヤリと笑みを浮かべ、彼女の手をグイと引っ張り、自身の方に引き寄せながら立ち上がらせる。
俺の腕の中に収まる、少女の華奢な身体。
「とは言ってもまあ、ウチには俺達の隣に立って生きてくれているヤツらが結構いるからさ。騒がしくて敵わんだろうが……そこだけはちょっと、我慢してくれよ?」
「……フフ、うん、そうだね。いいよ、僕、騒がしいの好きだから。むしろ、そっちの方がいいかも」
「そうか、なら良かった。安心だ。――ったく、お前はホントに臆病なヤツだな。酔ったフリなんかしてよ。俺がお前を手放す訳ないだろうが」
その俺の言葉に、ネルは一瞬にしてかぁっと顔を真っ赤に染め上げる。
ボンと爆発して、湯気が出て来そうなぐらいの赤面具合だ。
「きっ、気付いてたの!?」
「まあな。寝起きはホントに酔ってたんだろうが、途中からの演技はバレバレだったぞ。口調も素に戻ってたし」
きっと、その酔ったフリというのが、臆病な彼女が本心をさらけ出すに辺り、必要なことだったのだろう。
酔っているからこそ、こんな大胆なことも言えるのだと、自分を奮い立たせるための演技だ。
「う、ううぅ、きっ、気付いたのだとしても、わざわざ口に出さなくていいじゃないか!!」
「すまん、俺、人をからかうのが好きなもんでな!」
「〜〜っ!!このっ、おにーさんのバカぁ!!アホぉ!!鬼畜魔王!!」
「おわっ、おまっ、街中で聖剣抜くなよ!?というか、前にもこんなやり取りしたな!」
振るわれる聖剣の刃を、ヒョイヒョイと躱す。
「うるさい!!おにーさんみたいな邪悪な魔王は、滅んじゃえばいいんだ!!」
「フハハハ、甘いな勇者! 悪は滅びぬ、この世というものが存在する限り、何度でも蘇るのだ!!」
「あっ、待てぇっ!!」
俺は笑って、背後から迫り来る真っ赤な顔の勇者から逃げ出した。