閑話:泡沫の生と未来に紡ぐ死
――わかっている。
これは、夢だ。
すでに、「彼」は死んだ。
ここでは誰も彼のことは知らず、そして向こう側でもまた、彼のことなど日常の中で忘れ去られていることだろう。
つまり――彼は世界から消滅し、存在していないのだ。
……そうであるのにもかかわらず、今でも俺がこんな夢を見てしまうのは、やはり彼が、「俺」という存在を形作るに辺り、核となっているからだろう。
――俺だけは、彼のことを忘れてはならない。
彼が生きた証を、この胸に刻んで生き続けるのだ。
* * *
別に、死にたいなどと考えたことは、一度もなかった。
両親は普通におり、それなりに友人もおり、若者らしく貧乏ではあったが生活が出来ない程という訳でもなく、ただ日々を暮らしていくには十分な糧を得て生きていた。
地球の裏側では、紛争、内紛、テロ、病気、様々な不当な理由で人が死んでおり、その彼らと比べれば、死の危険がない自分は幸福な存在だったのだろう。
ただ――わからなかった。
自身の、生きる意味が。
自身の、生きる価値が。
元々、自分が自己中心的に生きている人間であるとは、理解していた。
だからこそだろう。
自分は世界にただ一人きりで、これだけの数の人間がいてなお、孤独だという意識を根強く感じていたのは。
そう、一人だった。
広大な世界は驚く程狭く、そして全てが色褪せていた。
繰り返される変わらない日常に、吐きそうだった。
どうすればそこから逃げ出せるのかもわからず、もがき方すらわからない。
自分が何を望み、どうしたいのかもあやふやなままで、生きる目的というものを皆目持っていなかった。
皆、そうなのだろうか。
モノクロの世界を、そうだと割り切って生きているのだろうか。
それならば世界は――何て、残酷なのか。
彼は、そんな思いを抱いたまま、どうしようもないくだらない理由で死んでいった。
何も為さず、何の意味もなく、生の最後までを路傍の石として――。
* * *
「――キ――ユキ」
何か、温かいものを頬に感じる。
温かく、凍えた精神を解きほぐしていくような、そんな温もりに導かれるようにして、俺はゆっくりと目蓋を開く。
「…………ん」
部屋の明かりと共に、一番初めに俺の視界に映ったのは――何故か、慈愛に満ちた表情を浮かべている、レフィ。
いつの間にか俺の膝上に乗っており、片手を俺の背中に回し、もう片方の手を俺の頭に乗せ、まるで赤子をあやすようにして撫でている。
「安心せい、ユキ。儂は、ここにいるぞ」
そう言って彼女は、俺の身体をキュッと抱き締めた。
「…………あ……? な、何だよ、レフィ」
「ぬ? ……あぁ、起きたか」
と、彼女は少し身体を離し、間近から俺の顔を覗き込む。
「……その、気分はどうじゃ?」
「別に、普通――」
その言葉途中で俺は、ふと頬に感じる、違和感の存在に気が付く。
指を這わせてみると――指先に触れる、液体の感触。
……どうやら俺は、玉座にもたれ掛かってうたた寝している間に、泣いていたらしい。
この、ガラにもなくこちらを気遣った様子で顔を覗き込んで来るレフィから察するに……もしかすると、俺はうなされでもしていたのかもしれない。
恥ずかしい。
ガキでもあるまいに、うなされて泣いて、そしてあやされるとは。
「……悪い、大丈夫だ。ちょっと、疲れてたのかもな」
「……そうか。ならば良い。精々養生することじゃ。お主に倒れられたら、敵わんからの。飯の確保がちとばかし大変になる」
「理由は飯かよ」
「カカ、大事じゃろう?」
フッと笑みを浮かべてレフィは、俺の膝上から降りようとし――だが、その前に俺は彼女の腕を掴み、離れていくのを引き留める。
少し驚いたらしく、目を丸くしてこちらを見るレフィ。
俺もまた、驚きながら彼女の顔を見返す。
わざとじゃない。
何故か、咄嗟に身体が動いてしまったのだ。
「? どうした?」
「あ、え、えっと、その……」
意図したことではないので、しどろもどろになる俺。
レフィは、そんな俺の様子をまじまじと見詰めると、ふと驚きの表情を緩め――何を思ったのか、再びトンと俺の膝上に乗っかり、こちらに身体を預けて来る。
先程は向かい合わせだったが、今度は俺の方に背中を向けた状態だ。
「……ふむ。実はつい先程まで童女どもに付き合わさせられておったから、儂も少々疲れておっての。どれ、ちょうど良い椅子があるから、ここで休ませてもらおうかの?」
「……そうか。なら、まあ……休むのが、いいかもな」
「そうじゃろう? じゃからお主は、そこで大人しく椅子になっておるがよい」
下から見上げるような形でこちらを向き、銀髪の少女はニヤリと笑みを浮かべた。
密着した彼女から感じる香りと温もりが、どうも不安定気味らしい俺の精神を落ち着ける。
俺は……漠然とした不安を掻き消すために、そんな彼女の身体を、キュッと後ろから抱き締める。
レフィの感触。
全身に伝わる、俺はここにいるのだという、確かな証拠。
「……レフィ」
「うむ?」
「……ありがとな」
「さて? 礼を言われる筋合いは無いと思うがな」
そう言って彼女は、愉快そうに笑ったのだった。
――わかっている。
前世の彼の生には、結局意味はなかった。
何かを世界に刻むこともなく、自身の遺伝子すら残さず死んでいったのだから。
だが――彼の死は、死した後にその意味を成した。
何の因果か、はたまた完全な偶然なのか、死して途切れた彼の生は、その後に先を紡がれ、新たな物語として始まったのだ。
新たな物語は、驚く程の色取りと精彩に溢れ、一日一日に生きる目的を感じることが出来る。
彼女らと共に生を歩むのだという、目的だ。
ここにいる誰も、彼のことは知らない。
皆が知っているのは「魔王ユキ」であって、前世にいた一人の青年のことではない。
だからこそ俺は、俺だけは、彼の思いを忘れずにこの世界を生きていくのだ。
――今度、墓でも作ってやるか。
――ヤツの生きた確かな証ぐらい、こっちにも残しておいてやろう。
「……なぁ、レフィ」
「何じゃ?」
「今まで、詳しくお前に言ったことはなかったんだがな。実は俺、一度死んでいるんだ」
「ほう? 確かに、今まで詳しく聞いたことはなかったが。あまり、自らのことを話そうとしないお主が、どういう心境の変化かの?」
「あぁ……ちょっとな。ま、気分というヤツだ」
「カカ、そうか、気分か。――ならば、お主の話を、聞かせてくれるか?」
……そうだな、じゃあ、何から話そうか。
まずは……地球の話でも、してやるか?
「よし、まず俺の本来の出身の、地球の話をしよう。お前も知ってるだろうが、俺はこっちの世界の生まれじゃなくて――」




