血の味とはいったい何味か
「――ん、おいしかった! ありがと、おにいちゃん!」
「おう、お粗末様」
口端から血を垂らし、ニコッと笑みを浮かべるイルーナの頭を、ワシャワシャと撫でる。
「……最初見た時は大分ビックリしたけれど、そう言えばここにいる皆って、人間じゃないんだもんね」
俺がイルーナに血をあげる一部始終を見ていたネルが、苦笑混じりの表情を浮かべてそう言う。
「あぁ、まあ、確かにイルーナは一番人間に近い見た目をしてるもんな。……俺も、どちらかと言うと人間に見えるか?」
「うん、珍しいけど、そういう髪に眼の人もいるからね。翼を出さなかったら、人間だよ」
クスッと笑ってそう言ってから、彼女は感慨深そうな様子で周囲へと顔を向ける。
彼女の視線の先にあるのは、我が家の面々の姿。
俺が魔界に行ったおみやげで買って来た本を読むレイラに、オセロの対戦をしているレフィとリュー。
その隣で、興味深そうに対戦の様子を見ているのは、エン。
対戦の順番待ちでもしているのかもしれない。
「それにしても、不思議だよねぇ……ここにいる皆って、レイスの子達以外、同じ種族はいなかったよね?」
「……そう言えばそうだな。レイとルイとローのアイツらも、三人で一人みたいなもんだし」
彼女らは、同時に召喚したしな。
まさしく三位一体だ。
「フフ、これだけバラバラの種族の子達が揃っているのも、相当珍しいんじゃないかな。というか、他にはないよ、きっと。人間は結構排他的なところがあるから、他種族にはあんまり寛容的じゃないしね」
「お前ぐらい呑気なら、人間ももっと楽しく生きられるだろうにな」
「あ、ひどいなぁ、その言い草!」
「誉め言葉さ」
わかりやすく頬を膨らませてみせるネルに、俺は笑いながら肩を竦めた。
――と、ネルと会話を交わしていると、ちょんちょんと俺の服の端を引っ張られる。
「あるじ、あるじ」
顔を向けると、そこにいたのは、シィ。
滑舌は大分良くなっており、現在では多少舌っ足らずなぐらいだ。
「お、どうした、シィ」
「シィも、あるじのち、ちょっとのンデみたい!」
ちって……あ、血か。
……え? 血?
「な、何だ、急に。そんなの飲んでも美味しくないぞ?」
「ううん、だって、イルーナがおいしいって! あるじのち、おいしいんだよネ?」
そう言ってシィがイルーナの方に顔を向けると、イルーナは元気良くコクリと頷く。
「うん!!もう、さいっこうだよ!しゅわしゅわジュースよりおいしいんだから!!」
彼女の言う『しゅわしゅわジュース』とは、炭酸飲料のことだ。
時々出してやると、物凄く喜ぶのだが……そうか。イルーナからすると、炭酸飲料よりは俺の血の方が美味しいのか。
……そうは言っても、比較対象が炭酸飲料だと、嬉しく思っていいのかどうかちょっとわからんな。
「ま、まあ、いいけどよ。じゃあイルーナ、場所変わってあげてくれるか?」
「わかった!」
そうして俺の膝上から降りたイルーナに変わって、今度はシィが俺の膝上に乗る。
「ありがと、あるじ。それじゃあ、いただクね?」
「おうよ。美味しくないだろうがな」
そして、彼女は俺の首筋に顔を埋め、未だ血の流れ続けるイルーナの牙の痕へと口を付ける。
ひんやりとした、心地良い感触。
見ると、シィの身体が半透明であるため、俺の血の赤色が彼女の体内へと入り込み、彼女の身体の水色と混ざり合う様子がよくわかる。
……何と言うか……どことなく、官能的な光景だ。
血を吸われるのは、一年イルーナに吸われ続けて流石にもう慣れたと思っていたのだが……俺の血が、直に彼女の身体の一部となる様子がわかるから、そう思うのだろうか。
――やがて、ひとしきり飲んで満足したらしく、俺の首筋から顔を上げるシィ。
「……ん! おいしかッた! みつぼしレストランなみ!」
「いや、三ツ星レストラン行ったことないだろ」
全く……ヘンな知識ばっかり覚えちゃって。
誰だ、そんないらんことを教えているのは。
……あ、俺か。
「というか、ホントにそう思ってるのか? 俺に遠慮してそう言ってるんじゃないか?」
「ううん、ほんとだよ! しゅわしゅわジュースもおいしいケど……でも、あるじのちも、おいシかった!」
「でしょー?」
シィの同意を得られたイルーナが、ちょっと得意げな表情でうんうんと首を縦に振る。
……まあ、満足していただけたなら、それでいいけども。
「……ね、おにーさん。ぼ、僕も、ちょっとだけおにーさんの血、飲んでみてもいいかな」
「は、はぁ? な、何だよ、お前まで」
シィの様子に感化されたのか、そんなことを言い出すネルに思わず怪訝な声を発すると、自分でもおかしなことを言っている自覚はあるのか、彼女は若干もじもじしながら言葉を返す。
「や、その……や、やっぱり気になるじゃない? イルーナちゃんもシィちゃんもこうやって言うからにはさ。本当に美味しいのかなって」
「ただの血だって」
「もしかしたら、そうじゃないのかもよ? おにーさん魔王なんだし」
いや、魔王は関係ないと思うが。
「だから、ほら……そう、調査! 調査のため、僕はおにーさんの血を所望します!」
「調査て。……まあ、いいけどさ」
思わず苦笑を浮かべていると、シィがネルに向かってにこにこの笑みを向ける。
「わかった、なら、次はネルおねえちゃんにかわっテあげる!」
「ん、ありがと、シィちゃん」
ニコッとシィに微笑んでから、ネルはシィと入れ替わるように胡坐を掻いた俺の膝上に乗っかり、俺の首筋に顔を埋める。
自然と正面から抱き合う形になるため、俺の背中にキュッと腕が回され、そしてサラサラの髪が頬をくすぐる。
幼女組とは違い、華奢だがしっかりと女性らしい身体の感触と温もりが、肌を通して直に感じられる。
そして――ペロペロと首筋を這う、彼女の小さな舌。
ゾク、と背筋を走る、言いようのない快感。
――クッ……こ、これは、イルーナやシィの時よりマズいぞ。
かなり、クるものがある。
迸る情動のままに、このまま押し倒してしまいたいという欲求が、沸々と湧き上がる。
……いや、一応、まだ正式にはそういう関係にはなっていないが、夫婦を見据えた相手である以上、そういうことを致してもいいのか?
…………いやいやいや、駄目だ。何を血迷っているんだ、俺は。
ここには幼女組もいるのだ。そんな、不健全なものは決して見せられない。
そうして一人、内心で葛藤を繰り広げながら俺は、己の内の欲求に負けてしまう前に、ネルへ言葉を掛ける。
「ネ、ネル、も、もういいだろう? 調査は十分したろ?」
「うん……でもなんか、こうしてるとおにーさんの匂いに包まれて……気持ち良い」
な、なんてことを言いやがる、この娘は。
天然か。
天然の小悪魔か。
俺が今、どんな心の内か知らないからこそ、そんなことが言えるのだ。
「ま、全く……お前、俺が紳士の中の紳士じゃなかったら、今頃襲われてるぜ?」
意識して、冗談めかしてそう言った俺に――しかし、彼女は。
「……その、おにーさんだったら、まあ……いいよ?」
俺の耳元で。
甘い声色で、そう囁いた。
…………えっ。
ちょっと、えっ、待って。
何、その甘い声は。
何、その潤んだ瞳は。
いいの?
いいのか?
俺は、己の中の情動を解放してしまっていいのか?
いつの間にか、ネルは俺の血を舐めるのをやめ、正面から俺の顔を覗き込む。
――交差する、俺の瞳と彼女の潤んだ瞳。
その頬は赤く、息は荒い。
しばし見つめ合ってから、やがてネルは徐に瞳を閉じると、淡いピンク色の唇を俺に近付ける。
俺は、まるで吸い込まれるようにして、彼女の唇へと顔を寄せて行き――。
「――――ウッホン!!」
――特大の咳払いに俺達はハッと我に返り、その声が聞こえて来た方向へと、二人同時にガバッと顔を向ける。
「……そういうことをするな、とは言わん」
そこにいたのは――腕を組んでジト目をこちらに向ける、レフィ。
そしてその後ろに、同じようなポーズを取っているリューとエン。
「元はと言えば、お主らを焚きつけたのは儂であるし、今後番となる以上、まあ、そういうことをする日もあるじゃろう。夫婦とはそういうものじゃ」
「「…………」」
何にも言えず、無言でいる俺達を見下ろしたまま、彼女は言葉を続ける。
「じゃがな。それを、こんな白昼堂々と行うのはどうかと思うのじゃが……お主らはその辺り、どう思うかの? せめて、場所を選ぶべきだとは思わぬか?」
「「お、仰る通りです……」」
「うむ。ならば以後、気を付けるように」
そう言い残して最後、レフィは後ろのお供二人を連れて、将棋盤の方へと戻って行った。
「…………なぁ、ネル」
「う、うん? な、何かな?」
「結局、俺の血は何味だった?」
「あっ、ご、ごめん、わかんない。おにーさんの匂いを嗅ぐのに夢中――じゃなくて! その、やっぱり僕は人間だから、血の味の美味しさはちょっとわかんなかった」
「……お前もやっぱり、ウチの住人だな」
「え? どういう意味さ、それ?」
――やっぱりどこか、ちょっとずれている、ということさ。
気恥ずかしさからか、未だ顔を真っ赤に染めたままながらも、不思議そうに首を傾げるネルに、俺は誤魔化すように笑って言葉をはぐらかしたのだった。