魔王の嫁達
「ただいまー」
「帰ったぞ」
洞窟に設置された扉の先を真・玉座の間に変更してから、俺はレフィと共に中へと入り――。
「「お帰りなさい、ダーリンっ!」」
――語尾にハートが付きそうな口調で、リューとネルが何かよくわからないポーズを取りながら、こちらに向かって投げキッスをしていた。
「…………ふー、腹減ったわ。レイラ、晩飯は何だー?」
「今日のお夕飯は、ドリアにしましたー」
「お、ドリアか。いいな、美味そうだ」
「ちょ、ちょっと、無視しないでほしいっす!!」
キッチンにいるレイラのところへ行こうとする俺を見て、リューが慌てて前に回り込み、俺の肩を押し留める。
「何か感想は! 感想はないんすか! 可愛い可愛いお嫁さんが、こうして旦那様のために悩殺ポーズをしているんすよ!」
「いや……ちょっと見ていられなくて」
「つまり、それだけウチらの悩殺ポーズにグッと来ちゃったってことっすね?」
痛々しくて見ていられない、という意味です。
チラリと視線を向けると、ネルの方は恥ずかしさに耐えられなくなったようで、耳まで真っ赤にしてしゃがみ込み、両手で顔を隠していた。
あの様子からすると、恐らくリューに乗せられたのだろう。
お前、さっき投げキッスをしていた時も、もう大分恥ずかしそうな顔をしていたもんな。
「……というかお前、そんなのどこで覚えたんだ」
「ご主人がイルーナちゃん達と遊んでいるのを見てたっす。イルーナちゃん達に同じことを言われて、ご主人ニヤニヤしてたから、きっと嬉しいかなって思って」
「……色々言いたいことはあるが、その物言いだと俺が幼女に気持ち悪いことを言わせて喜ぶ、幼女好きのド変態みたいに聞こえるからやめろ」
「え……?」
「おう、何だその、心底驚いた、みたいな顔は」
ただのおままごとだ、おままごと。
イルーナ達と遊んでいた時に、ちょっと教えてやっただけで。
……確かに少し、ニヤニヤしていたかもしれないが、幼女に「お帰りなさい、ダーリンっ!」なんて言われたら、どんな健常者であっても、思わず「グフッ」と変な声が漏れてしまうはずだ。
なので、決して俺がアブノーマルな性癖を持っているなどという事実はありません。
と、リューと話している内に少し立ち直って来たらしく、しゃがんだままのネルが、顔を上げて俺達の方を見上げる。
「うぅっ……やっぱり、僕達がやってもただただ変な空気になるだけだったじゃないか、リュー! おにーさんはちっちゃい子好きの特殊性癖の人だから、こういうのは上手く行かないって!」
「いやいやいや、何言ってんすか、ネル。ご主人は照れ隠ししているだけで、本当はアレ、内心でニヤニヤしていること間違いなしっすよ。イルーナちゃん達の時は、その内心のニヤニヤが隠せなくなるだけで」
「とりあえずお前らにもう一度言っておくが、俺が特殊性癖であるということを前提みたいに話すのはやめろ」
が、その俺の言葉を聞き入れられた様子はなく、二人の会話にレフィが横から口を挟む。
「リュー……お主、浮かれとるのぉ」
「そりゃあ、ウチももうお嫁さんっすから! 本当の意味でご主人がウチのご主人となった訳ですし、やっぱりたくさん旦那様を喜ばせてあげないと!」
にへへ、と照れたような笑みを浮かべながら、そう言うリュー。
なんかちょっと悔しいが、可愛い。
――彼女の扱いは、嫁になった後も、大して変わっていない。
今まで通りメイドの一人として、メイド服を着て、レイラと一緒に家事を手伝ってもらっている。
変わったところと言えば、『メイドと主人』から、『嫁と旦那』という関係に変わったぐらいか。
その関係の変化が影響したのか、最近リューは彼女の中にあるらしい嫁像に従って、俺を喜ばそうとしてくるようになった。
どうも、以前から『お嫁さん』というものに憧れていた乙女チックな一面があったらしく、実際に嫁となった今、色々と妄想していたそれらを実践しているらしい。
中々、可愛いところのあるヤツだが……まあ、こうしてちょっと、ズレているところがあるのは否めない事実だろう。
お願いされると、中々断れないネルには災難だったな。
後で、忘れた頃にでもからかってやろう。
「ね、レフィ様もやりましょう! ご主人を悩殺するっす!」
「え、い、いや……儂は遠慮しておく」
「えー! 何でっすか! やりましょうよ、レフィ様!」
「……俺も、ちょっと見たいかもしれん」
「ぬっ、お主もか!?」
いやぁ……想像したら、レフィの悩殺ポーズは見物だなと思ってしまったので。
そうしてポーズを取っているところを、指を指して「似合ってねぇ」と爆笑したい。
「ほら、ご主人だってこう言っているんす! 挑戦してみましょうって、ご主人も絶対喜ぶっすから!」
「し、しかし……」
なおも渋った様子を見せながら、レフィは助けを求めてしゃがんだままのネルの方に顔を向ける。
「ね、ネル! お主はどうじゃ。お主もリューに乗せられた被害者として、ただ虚しくなるだけのこんなこと、やっても意味がないと思うよな?」
「……僕だって、メチャクチャ恥ずかしい思いをしたんだ。レフィも、いっぱい恥ずかしい思いをすればいいんじゃないかな」
「まさかの八つ当たり!?」
プイと顔を逸らしたネルの思わぬ裏切りに、愕然とした様子でそう溢す銀髪龍少女。
「なー、やろうぜレフィー」
「やろうぜー、レフィ様ー」
ワンピースの裾を掴み、揺するように引っ張りながらリューと共にそう言っていると、やがて俺達の対応に面倒臭くなったらしく、レフィは半ば投げやり気味の様子で口を開いた。
「ぐっ……え、ええい、わかった、やればいいんじゃろう、やれば! だから、そんな纏わりついて来るでない!」
そう言ってゴホンと咳払いを一つすると、俺達から少し距離を取るレフィ。
そして、深呼吸したかと思うと、こちらをクルッと振り返り――。
「お、お帰りなさい……だ、ダーリン!」
――ポーズと共に、投げキッスを一つ。
「グフッ」
俺は、吹き出した。
「な、何じゃ!!やはり似合わなかったんじゃろう!?全く、お主らに乗せられた儂が馬鹿じゃったわ!!」
「いや……その……」
顔を真っ赤にして拗ねるレフィを見ていられず、思わず顔を逸らす俺。
――やばい。
正直、メッチャ可愛かったです。
恥ずかしそうにしながら、上目遣いで「ダーリン」とか言う様は、すんごいグッと来ました。
投げキッスに、勝手に心臓がドクンと跳ね上がりました。
普段我が道を行く、といった感じのヤツが、弱々しい様子で頬を赤くしている……そのギャップが最高です。
ギャップ萌え、いいと思います。
「さ、流石っす、これが、正妻の実力……。ちょっと、甘く見ていたっす……」
「……ふ、ふへへ……い、今のは確かに、威力があったね。同じ女なのに、僕もグッと来ちゃった」
俺の思っていることと大体同じことを思ったらしく、戦々恐々とした様子のリューに、頬を少し赤くしながら、ちょっと危ない目でレフィのことを見ているネル。
リューはともかく、ネル……お前、もしかしてそっちの趣味もあったのか……?
――と、そうして三人でレフィの圧倒的脅威に呑まれていると、その時キッチンにいたレイラが、ひょいとこちらに顔を覗かせる。
「皆さーん、そろそろご飯ですからねー。それとリュー、私は手伝いを頼んでいたはずなのですがー?」
「ハッ、そ、そうだったっす、今行くっす! じゃ、ウチちょっと行って来るっす!」
レイラの言葉に、最初に我に返ったリューが、慌てた様子でキッチンに消えて行く。
「……もう晩ご飯か。じゃあ、僕はお城の方で遊んでいるあの子達を呼んで来るよ。――おにーさん、あの不貞腐れた様子のレフィは、おにーさんに頼んだからね」
「お、おう、わかった」
だらしなく緩んだ、あんまり人に見せちゃいけない感じの表情を取り繕い、キリッとした顔を浮かべてそう言うネル。
そのまま彼女は、慣れた手つきで外に繋がる扉を操作し、イルーナ達のことを呼びに出て行った。
……アイツも、大分ここの生活に毒されて来ているな。
良いことなのだろうが……君だけは、周囲のアホっぽさにあまり影響されず、カッコいい勇者のままでいてください。
――そして、その場に残されたのは、未だ不貞腐れた様子でプイとそっぽを向いたままのレフィと、俺。
俺は、無言で彼女の後ろまで近寄ると、その肩にポンと手を置く。
「――レフィ」
「…………何じゃ」
「メイド服を着て、さっきのもう一回やってみない?」
「断る!!」
彼女と出会い、俺が今まで聞いて来た中で、最も力の入った拒絶だった。




