ギロル氏族《3》
「そうか……ユキ殿、本当にすまない。ウチの娘がこれだけ恩になっていたというのに、俺は……」
胡坐の状態のまま、拳を握った両腕を地面に付き、低く頭を下げるリューの親父に、俺は肩を竦めて答える。
「気にすんな。もう終わった話だ」
「その度量の深さ、言葉も無い。娘の命の恩人であるのにもかかわらず、我らは勘違いという愚かさの極みで襲い掛かったのだ。本来なら怒り狂われてもおかしくないだろう。……それもこれも、この馬鹿娘のせいでッ!」
「ふげっ――」
所在なさげに父親の隣に座っていたリューが、脳天に拳骨を落とされ、そんな間抜けな声を漏らす。
「う、うぅ……と、父さま、痛いっす……」
痛そうに頭部を押さえるリューに、怒鳴るリューの親父。
「黙れッ、馬鹿娘が!!どれだけの者に迷惑を掛けたと思っている!!幸い死者は出なかったが、一つ間違えばそういう者達もいたのかもしれないのだぞ!!」
「そ、それは確かに、本当に申し訳ないと思っているし、心配してくれた皆には感謝の思いしか無いっすけど……で、でも元はと言えば、ウチが何度嫌だと言っても、父さまが無理やり結婚の話を進ませようとするからじゃないっすか!!」
「むっ、何が気に入らぬと言うのだ!!ライノートは良い男だろう!!」
「結婚自体がまっぴらだと言ってるんす!!というか、そもそもどれだけ歳が離れていると思ってるんすか!!十歳ぐらい差があるっすよ!?」
「それだけしっかりした男だ!!腕っぷしもあるし、頼りになる、将来有望な若者だろう!!」
「本気で言ってるんすか!?あの自尊心丸出しの男を!?」
唐突に始まった親子喧嘩に、俺は苦笑いを浮かべながら声を掛ける。
「あー、おい、とりあえず落ち着け。後ろのヤツらが困ってんぞ」
二人の後ろで、何とも言え無さそうな顔でこちらの様子を眺めているウォーウルフの者達の方を、俺は顎で示す。
――ここは、客人が来た時に使用している、城の裏手にあるいつもの旅館だ。
大広間のような一室で、俺と対面するようにリュー親子が座り、その後ろに彼らの一族が控えている。
と言っても、ここにはギロル氏族の中で相応の発言力を持っているらしいヤツらだけがおり、その他のヤツらは別の部屋で待機している。
今更だが、この旅館、マジで作ってよかった。
完全に調子に乗った結果の産物だったのだが、正直ここまでこの施設を使用することになるとは思っていなかった。
――と、そんな若干現実逃避気味なことを俺が考えている傍らで、さらに言い争いはヒートアップしていく。
「第一、よく腕っぷしがあるなんて言えるっすね!!手加減したご主人に、全員手も足も出ずボコボコにされたくせに!!」
「あ、ちょ、ちょっと、リューさん、それに関しては……」
「ぐっ……」
図星を突かれた、といった様子で、表情を歪める族長。
「……確かに、ユキ殿は大したお方だ。だが、それとこれとは話が別だろう!!」
「何が別なんすか!!」
「別のはずだ!!何故なら、ユキ殿はお前の恋人でも婚約者でも何でもないだろう!!」
「っ……!」
と、今度はリューの方が、痛いところを突かれた、といった様子で表情を歪める。
……あの、君達、とりあえず俺を槍玉に挙げるの、やめてもらえますかね。
「とにかく、俺達と帰るぞ! これ以上迷惑は掛けられんし、里に残った者達も心配しているのだ!」
「嫌っす!!ウチは、ここに残りたい!!ここに残って、皆と一緒に暮らすって決めてるんす!!」
「子供のような駄々をこねるんじゃない!!」
「駄々をこねている訳じゃないっす!!これは、ウチが決めた、ウチの人生っす!!」
「…………ハァ」
とにかくこのままだと、収まりがつきそうにないので、俺は溜め息を吐き出してから、先程よりも強い口調で言葉を放つ。
「――オイ、そこらでやめろ。喧嘩するために遥々ここまで来たんじゃないだろ」
「ッ…………あぁ。確かに、そうだ。申し訳ない、お見苦しいところをお見せした」
すると、リューの親父は流石に無作法だったとでも思ったらしく、小さくこちらに頭を下げ、居住まいを正す。
「リューも、あんまり吠えるな。契機はどうあれ、今回はお前が全面的に悪いんだぞ」
「う…………す、すみませんっす」
シュンとした表情を浮かべるリューに、俺は小さく息を吐き出すと、その隣に座る彼女の親父へと顔を向ける。
「……んで、リューの親父さんよ。部外者ながらも、まず基本的なこちらのスタンスとして言わせてもらうが、俺はアンタらよりもリューとの付き合いの方が長いから、どちらかと言うとソイツの味方をするからな。――つまり、俺もアンタのところにリューを返すつもりはないぞ」
「……何?」
スッと鋭い眼差しをこちらに送って来るリューの親父を見据え、俺は言葉を続ける。
「一度もアンタのとこに帰ろうとしなかったリューは確かに悪かったし、俺も里帰りはさせるつもりでいたが……それだけだ。リューがこのダンジョンに残りたいって意思を示している内は、コイツを手放す気は微塵もない」
「ご、ご主人……!」
感じ入ったような表情を浮かべるリューを横目に、俺はさらに続けて口を開く。
「だって、リューは最近になってようやくメイドの仕事が身に付いてきたので。ここで手放したら、教育が全てムダになっちゃって勿体ないじゃない」
「ご、ご主人!?」
彼女は、我が魔王コーポレーションの一員となってから、まだ一年しか経っていませんので。
新入社員は、嫌でも三年は同じ会社に在籍した方が良いのです。
でないと、次の就職活動にダメージ『大』なのです。
「ご、ご主人はもう!!何でいっつも、最後にオチを準備するんすか!!」
「それは、お前がウチのダンジョンのメンツの中で、最も反応が面白い、弄りがいのある相手だからだ!」
「それ力を込めて言うセリフじゃないっすからね!?」
愕然とした表情を浮かべるリューに、俺はニヤリを笑みを浮かべてから言葉を続ける。
「ハハ、悪い悪い、冗談だからそんな顔するな。お前のことは普通に大事だよ。――けど、さっきの返すつもりがないって方は、冗談じゃない」
リューから視線を移動し、再び族長の方へと顔を向けて、そう言い放つ。
「……ほう。つまり、娘が親元に帰るという当たり前のことを、貴殿は許可しないと?」
「あぁ。リューがいなくなったら俺は寂しいし、ウチにいる他のヤツらも寂しがる。んで、リュー自身もここに残りたいって思っていることはすでに聞いている。なら、その選択肢以外を取る道理はどこにも無いな」
リューが帰りたいって言うなら、寂しくは思いつつも、彼女を家に帰しただろうが……そうではない訳だ。
ならば、俺が譲歩することは何一つとして無い。
「つか、リューもすでに成人済みなんだろ? だったら、コイツの自由意思に任せりゃいいじゃねぇか」
「それは他種族の理論だ。我々ウォーウルフの掟は違う。子供とは親が面倒を見るものであり、しかもこの娘は、未婚の娘なのだ。その嫁ぎ先や身の振り方は、親が決めるもの。成人であろうが勝手は許されんし、許すつもりも無い。故に、娘は連れ帰させてもらう」
その勝手な物言いに、若干イラッとするものがあった俺は、少しだけ嘲るような表情を浮かべると、吐き捨てるようにして言葉を放つ。
「ハッ、知らねーな。俺は魔王だ。こう言っちゃアレだがな、どこかの種族の知りもしない掟なんか、クソ食らえ、だ」
その俺の言葉に、今度はリューの親父がピク、と頬を動かす。
「……ユキ殿。貴殿には恩義があり、娘の命も我々の命も救ってくれた。だがこればかりは、いくら恩人の言と言えど、聞き入れられるものではない。……理解してくれ」
「恩になんて着なくていいぞ。俺はアンタらがリューの身内だからこそ助けたのであって、そうじゃなかったら普通に見捨ててた。自業自得ってな。それに、聞き入れなくともいい。俺は別に、提案している訳じゃない。そうする、っていう決定事項を話しているだけだ」
「…………」
黙って、こちらを睨み付けて来るリューの親父。
俺とリューの親父、どちらも視線を逸らすことなく、険悪な空気の中無言で鋭い視線を交わしていると、やがて彼は、「フー……」と重く息を吐き出し、何がしかの意思を固めたような表情で、言葉を放つ。
「……貴殿の意思は、重々に理解した。妥協する考えがないことも、よくわかった。では、こちらもまた、こちらの意思を伝えさせてもらおう」
そこで一度区切ってから、彼は、一息に言った。
「――表へ出ろ、魔王ユキ。貴様に決闘を申し込む」




