激昂
お ま た せ。
あぁ……どうにか間に合ったか。
「何だぁ?ボロボロじゃねーか、お前。全く、勇者が聞いて呆れるな」
「う、うるさいなぁ。これでも僕、結構頑張ったんだからね?」
肩で荒く息をしながら、そうやって拗ねたように言う勇者の少女。
見ると、その身体の至る所から血が流れ出ており、肩と脇腹に未だ矢が刺さったまま。
服などはあちこちが破れ、血と泥でボロボロになっており、髪もひどく薄汚れていて、彼女がどれだけの苦戦を強いられていたのか、ということが一目で窺える有り様だ。
実際、MPは限りなく0に近い数値で、HPなどはすでに100を切っている。
――執事のじーさんとの一戦後、一応その日の全ての試合が終わっていた俺はすぐさま闘技場を抜け出して飛び上がり、ハロリアから渡された通信玉の示す方向へ向かって、ジェットエンジン状態のエンでかっ飛んで行った。
エンは魔力が切れてしまっていたので、気流の操作も炎の操作も全て俺がやっていたのだが、非常に出力調整が難しく、何度墜落しそうになったことか。
ただまあ、そんな多少の苦労はあったが、一時間もせずに目的地に到着。
やはり、ジェットエンジン状態は、マッハとまでは行かずとも相当なスピードがあるようだ。
そして……通信玉の示す先で俺を待っていたのは、戦地からの難民という言葉がピッタリと来る翼人族達の集団と、目尻を赤くして、非常に焦った様子で俺に「ネルを助けて!!お願い!!」と懇願してくる、以前酒場で出会ったことのある宮廷魔術師ちゃん。
冷静な少女だと思っていた彼女がそうして取り乱した様子を見せていることに、そんなにマズい状況なのかと俺も焦りながら大急ぎで上空に上がって、マップで周辺情報を取得。
そこに映った集団の反応と、微かな喧噪が聞こえて来ていたこの場所へと文字通りぶっ飛んで来たのだが……マズい状況という予想は、当たりだったようだ。
勇者の少女の周りを取り囲んでいるのは、俺も何度か対峙したことのある、黒尽くめの恰好の者達。
特殊部隊みたいなもんだろうに、突然の事態に唖然とした様子で、アホ面を晒している。
と、張り詰めていた緊張が解けたのだろう。
突然身体がフラリと揺れ、そのまま前のめりに倒れ始めるネル。
「おっと。……ったく、もっと早く呼べってんだ」
「あー、その……ごめんなさい。実は、貰った魔導具、壊しちゃって……」
俺の腕の中で、ちょっとバツが悪そうにそう言うネル。
「あ?そうなの?じゃあ何で俺を呼べたんだ?」
「多分……ロニアが、修復してくれたんだと思う。あの子、そういうの得意なんだ」
ロニアってのは、あの宮廷魔術師ちゃんだったな。
なるほど、彼女にはそんな得意技能があったのか。
「だっ、誰だ貴様は――」
「うっせぇ。黙ってろ」
ようやく状況を把握し始めたらしく、騒ぎ声を上げる黒尽くめの一人に俺はそう吐き捨てると同時、周囲に高速水流の壁を作り出し、敵が侵入出来ないようにしておく。
「よし、ネル。回復させてやるが、先に矢を抜く。大分痛いだろうが、ちょっと我慢しろ」
上級ポーションならぬエリクサーは傷を完全に癒すが、体内に異物が残ったままだとその上から傷を修復してしまうからな。
「うん……わかった」
ネルの身体に刺さったままの矢は二本。
……確か、矢って無理に引き抜こうとすると、先っぽが折れ、矢じりが体内に残ってしまう危険があったはず。
幸い、彼女の身体に刺さっている矢は全て貫通して、矢じりが外に見えている。これならわざわざ刺さったところの反対側に穴を開ける必要もないだろう。
ネルを地面に寝かせた俺は、彼女に刺さったままの矢の矢羽根を折り、そして「行くぞ!」と声を掛け――その矢じりの方を、一気に引き抜いた。
ブシュ、と血が爆ぜ、俺の顔に飛び掛かる。
「いグっ……フフ、おにーさん、また、変装の仮面?髪の色も、レフィみたいだし」
痛みからか、顔から脂汗を玉のように流しながらも、気丈に笑ってそう言うネル。
「あぁ。カッコいいだろ?仮面なら予備あるから、欲しかったら一枚やろうか」
「……それじゃあ、もらっちゃおうかな」
「お、何だ、王都ん時は断ったくせによ」
そう言いながら俺は、もう一本同じ処置で、彼女の身体から矢を引き抜く。
「んぎっ……うん、ちょっと、カッコよくて、欲しくなっちゃった」
「ほう、成長したな、ネル。いいだろう、ならばくれてやる」
ニヤリと笑ってそう言った俺は、アイテムボックスから予備で作っておいた仮面と、そして上級ポーションを取り出し、仮面の方を彼女の身体の上に置く。
「ほら、やるよ。持っとけ。――ネル、ポーション飲ませるぞ。ゆっくりでいい、しっかりと全部飲め」
彼女の頭の裏に手を回し、少女を再び腕の中に抱いて少しだけ首を起こさせてから、その口元にキュポンと栓を抜いたポーションを近付ける。
「んむっ……んむ……」
効果は、すぐに現れる。
ネルの身体中にあった傷が瞬く間にどんどんと塞がって行き、やがて数秒もせずに少女の綺麗な柔肌が姿を現す。
同時に、彼女のHPが見る見る内に回復していく様子を見て、フゥ、と俺は、思わず安堵から小さく息を吐き出していた。
「さ、これで大丈夫だ」
「ホント?じゃあ、僕も、まだ戦え――あいてっ」
「バカ言え。ポーションは傷を治すだけで体力までは回復しねーんだ」
少女のでこにピンと軽くデコピンを打ち、馬鹿なことを言うネルを黙らせる。
「それに、まだ身体中怠いだろ?だから……そうだな、後は寝てろ。残りは全部、俺が何とかしてやるから。あのクソどもも、お前の仲間達も、どうにかしとくからよ」
肩を竦め、俺は彼女が安心出来るように、冗談めかしてそう言葉をかける。
「……うん。わかった。ありが、と、おにー、さん……だい……す……」
……やはり、ネルは相当無理をしていたようだ。
何かを言いかけたまま、カクっと途中で彼女の身体から力が抜け、数秒もせずに寝息を立て始める。
「…………」
俺は、もう一度虚空の裂け目を開いて、その中から俺用のつもりだったダンジョン帰還装置であるネックレスを取り出すと、彼女の首に巻いて魔力を込め、内包されている魔術回路を起動する。
すると、俺の腕の中で彼女の姿が見る見る内に薄くなっていき――やがて、この場から完全にいなくなった。
きっと今頃は、ダンジョンの真・玉座の間に転送されているだろう。
……起きたら多分驚くだろうし、色々アイツとしても不都合があるだろうが……まあ、知らん。
こんだけ頑張ったんだ。ちょっとぐらい休んだって、誰も文句は言わないだろうさ。
「……エン、悪い。少しだけ、アイテムボックスの中にいてくれ」
『……ん』
俺の意思を悟って、ただ何も言わず、頷いてくれるエン。
……良い子だ。ありがとうな。
そして、エンを虚空の裂け目の中に仕舞い込んだ俺は、膝を突いて立ち上がり、ス、と手を横に払って周囲の高速水流で構成された水壁を消し去る。
――その向こう側に現れる、完全警戒でこちらに向かって武器を構えている、黒尽くめの者達。
「貴様ッ、何者だ!?我らを邪魔立てしたこと、決して許されぬことであると思え!!女をどこへやった!?」
「…………」
俺は、ソイツの問いには答えず、ただ無言で。
グン、と先程からうるさいソイツの懐へと一歩で踏み込み、無造作にその頭部を掴むと、手加減も無しに万力の如く締め上げる。
「ッ、アガあアアぁァァッッ!!」
耳障りな、舌を引っこ抜いてやりたくなるようなうるさい悲鳴。
そのまま、頭蓋を握り潰して中身をぶち撒けてやろうかと思ったが、その前に横から一人の黒尽くめがダガーを手に突っ込んで来たので、その斬撃をヒョイと身を捻って躱してから、突っ込んで来たヤツに向かって掴んでいたソイツを投げつける。
鈍い肉の打つ音の後、地面に転げるその二人。
同時、攻撃されていると理解した周囲の残りの黒尽くめどもが一斉に弓を引き、ハリネズミになってしまいそうな数の矢が俺に向かって飛翔して来るが……それらは、一本も俺には当たらない。
瞬時に原初魔法で、自身の周囲に出現させた暴風の結界により、全てが弾かれる。
何本かは魔法で初速をブーストされており、貫通性能を上げていたようだが、俺の魔法の方が威力は上である。
その程度では、何の脅威にもなり得ないのだ。
やがて、自分達の攻撃が全く効果を為していないことがわかると、周囲の黒尽くめ共から少なからず動揺の気配が生じ始める。
――存外俺は、アイツが気に入っていたらしい。
この、胸の内を荒れ狂う、全身が焼け爛れてしまいそうになる程の、激情。
いつかのイルーナが攫われた時と同じぐらいには今、腸が煮えくり返っており、全てを滅ぼしてやりたいようなどうしようもない衝動が脳内を支配し、全身を突き動かそうとしている。
――俺は、自分勝手な人間だ。
自分勝手で自分本位で、どうしようもなく自己中心的な男だ。そう言う意味ではまさに魔王的であると言える。
無償の善意なんてものは根っから信じていないし、博愛主義なぞクソッタレと思っているし、聖人ヅラして周囲に手を差し伸べようとするヤツなんて率直に気持ち悪いとさえ感じてしまう。
また、俺がダンジョンの面々と共に暮らしているのも、レフィと契りを交わしたことも、究極的にはただただ、俺のためだけにしていることであると、臆面もなく言い放つことも出来る。
だが――だからこそ。
俺は、自分の周りにあるものは絶対に穢されたくないと、自分の世界を踏みにじられたくないと、常々そう思っている訳だが……いつの間にか彼女もまた、俺の中で自分の周りにあるものの一つに数えられていたようだ。
「お前らは、苦しんで死ね」
そう、言葉を吐き捨てた俺は、アイテムボックスからソレ――一本の短剣を取り出すと、その中に組み込まれている魔術回路へ多大な魔力を流し込んでいく。
数秒もせずに必要魔力が充填され、魔術回路が起動を果たしたところで、周囲に俺を殺せと喚き散らしている、先程投げ捨てた男の足元へ向かってその短剣を投擲。
それが、地面に突き刺さるのを確認する前に俺は、背中の翼を羽ばたかせ、空へと高く飛び上がった。
男は、俺の行動が理解出来ず、怒気も露わに歪めていた表情を一瞬だけ怪訝そうなものに変え――。
「――!?!?何だこれは!?何だこれはぁッ!?」
突如、絶叫。
急に男は、見えない何かに向かって恐怖し始め、地面をのたうち回り、手足を乱雑に振り回して苦しみ始める。
その気狂い染みた様相は、しかしソイツだけに限らず、突然のソイツの狂態を見て呆気に取られていた周囲の黒尽くめ達にも瞬く間に感染していき……そして、同じようにして狂ったように苦しみ始めた。
「あがっ、ァガががギっ、あがガガがが」
「い、痛いッ!!痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!!」
「み、見るな!!俺を見るなぁぁぁッッ!!」
ある者は自身の胸をひたすら掻き毟り、ある者は怯えたように丸く縮こまりって痙攣しているんじゃなかと勘違いする程に身体を震えさせ、ある者は自分の目玉を指でほじくり返し、ブチィ、と眼窩の奥から引き抜く。
やがて場を支配するは、悲鳴と泣き声と、意味をなさない言葉の羅列の大合唱だ。
――あの短剣は、『魔術付与』スキルのレベル10で覚えた、魔術回路『ナイトメア』が付与されているミスリル製の短剣である。
一度『ナイトメア』が起動すると、周囲の一定範囲内にいる全ての生物に対し強烈な幻覚作用を引き起こさせ、文字通りの『悪夢』を対象に見せる。
まあ、悪夢と一言で表すと簡単に聞こえるが、この場のカオスっぷりと、コイツが神の領域とさえ言われているらしいスキルレベル10で覚えられる魔術回路であるという点を勘案すれば……その幻覚の具合は、推して知るべし、だ。
また、その悪夢の燃料は攻撃対象自身が有する魔力を消費しているために、ソイツの有する魔力が枯渇するまでは地獄巡りが終わらない。
じわじわじわじわと嬲るようにして少しずつMPを減らしていき、やがて敵のMPが底を突いた時にはすでに廃人が完成しているか、途中であまりの恐怖に耐え切れず自害して死ぬか。
仮にまだ意識を保っていたとしても、魔力が切れているためまともに戦えない状況になっている訳だ。
この魔術回路を組み込んだ短剣がミスリル製であるのは、ミスリルは魔力をよく溜め込み効率良く伝導させることが可能な希少金属なのだが、非常に多量の魔力を食う『ナイトメア』を発動するには、これ以下の金属だと魔力を込める過程で武器が融解し始めてしまい、まともに発動させることが出来なかったからだ。
しかも、希少金属であるミスリルを使用しても、一度起動するとそのあまりの出力の大きさに金属が耐えられず、刀身が融解して壊れてしまい、一回こっきりでしか使えない。
ミスリル以上の金属を使用すれば多少なりとも使用可能回数は増えるようだが、それを出現させるためのDPが倍々ゲームで増えていく上に、しかも最終的には結局壊れてしまうので、コストの関係からミスリルを採用している。
非常に一個当たりのコストが高く、あまり数の用意出来ない奥の手のような攻撃手段なのだが……まあ、コイツらにくれてやるには、ちょうど良いプレゼントだろう。
と、『ナイトメア』の範囲外の上空から地上を見下ろしていた俺だったが、どうやら効果が切れ始めたようだ。
プツリと糸が切れるようにして動かなくなる者や、身体から色々な液体を垂らしてビク、ビク、と痙攣する者。
あぁ、やっとまともに動けるようになった、と心底安堵したような顔をして、自身の武器を掴んで首を掻っ切って自害する者などが続出する中で、比較的まだまともに意識を保ち、この場から逃げ出そうと地面を這っている者がいることに気が付く。
それは、最初に俺に向かって啖呵を切り、部隊へと指示を出していた敵の指揮官らしい男だ。
……へぇ、何だ。結構根性あるじゃねーか。
ちょうどいい。色々と聞きたいことがあったんだ。
彼には、もう少しだけご協力頂いて……そして、死んでもらおう。
俺は、すでに魔術回路を封じ込めた短剣が壊れていることを確認してから、ヒュッ、と自由落下気味に上空から一気に下降していき、やがて逃げようとするソイツの眼前へと勢い良く降り立った。
「ヒッ――」
短く悲鳴を溢す男を前に、ニヤァ、と。
きっと傍から見れば、非常に凶悪な顔をしているのだろうと自分でも思うような笑みを浮かべ、俺はソイツに向かって言い放った。
「よぉ、クソ野郎。どこへ行くつもりだ?散歩なら是非、俺も連れてってくれよ――」




