勇者《2》
追撃は、苛烈だった。
残った翼人族の頭領やその配下の戦士達のおかげか、追手自体は散発的だったのだが、倒しても倒してもどこからか新たな敵が湧き出でて、追撃の止む様子がない。
彼らがどんな指令を受けているのかは定かではないが……この様子からすると、『敵対者は皆殺し』などという指令が下っていてもおかしくないだろう。
とにかく彼女らは、ただただ前進するしかなかった。
「……ネル!援軍を!」
「……仕方ない、か。ロニア、通信玉をお願い!」
若干、この危険な状況に彼を巻き込むことへの忌避感が生じるが、しかしここにいるのが自分だけでない以上、非常に身勝手な話ではあるが自身の胸を突き刺す道義心には、今しばらく蓋をするしかない。
それに、彼女らにとって望み得る援軍は、彼しかいないのだ。
最寄りの街は遠く、そこに辿り着くより先に、悪魔族の追手に追い付かれることは目に見えている。
何より――ネルの知っている彼の実力であれば、この絶望的状況でさえ、覆すことが可能だ。
事ここに至って、助けを呼ばないなどという選択肢を取る余裕は、彼女らにはどこにも無かった。
罪悪感を感じさせる表情ながらも同意を示したネルの言葉に、ロニアはコクリと頷いて、走りながら腰の巾着袋へと手を伸ばし――その時。
ヒュヒュッ、と、何かが連続で空を斬り裂き、飛翔する音。
弓矢の、飛翔する音。
危機察知スキルを習得していたロニアは、自身の身に迫る危険を事前に感知し、即座に回避行動を取る。
だが……元々、戦闘員ではない故だろうか。
完全に回避とは行かず、飛来する矢の一本が、わずかに彼女の衣服を掠る。
運命の悪戯か。悪魔の微笑みか。
それはちょうどロニアが腰に下げていた巾着袋を破り、そうして千切られた巾着袋は当然の如く重力に従って下へと落ちていき……やがて、その中身を強かに地面へと叩き付ける。
周囲に響き渡る、硬質な何かの割れる音。
「――――!」
「我が敵を穿て!『セイクリッド・アロー』!!」
ネルは即座に身体を反転させ、宙に出現させた数本の光の矢を、敵の矢が飛んで来た方向へと向けて放つ。
「彼女に続け!!敵を寄せ付けるな!!」
同時、彼女らと共に逃げている非戦闘員の護衛として付いている翼人族の戦士達も、ネルの攻撃に合わせて矢を放ち、敵の牽制に参加する。
その間に、ロニアは落ちた巾着袋を拾い上げ、すぐに退避しながらその中を覗き込んだ。
「くっ……まずい、今ので壊れた!」
「っ、赤、白、どっち!?」
「両方!」
そう答えたロニアの表情には珍しく強い焦りが浮かんでおり、自責の念からか、ギリィッ、と歯を強く食い締めている。
ネルもまた、唯一の頼みの綱が切れ、サーッと目の前が真っ暗になりそうになるが……。
「フゥ……」
――落ち着いて。こういう時に、焦っても何も上手くいかないことを、僕は知っているはずだ。
深く深呼吸し、頭を冷静にさせ、懸命に思考を続ける。
「……ロニア、修復は!?」
「……ずっと、どのような回路なのかを解析していたから、多分可能。でも、恐らく数時間は掛かる」
「……わかった。とりあえず、今は逃げよう!」
* * *
「――あら、強い子ね。おねーさん感心しちゃうわ。それじゃあ、次の方」
仲間の一人が、手馴れた手際でどんどん翼人族の子供や負傷した戦士の手当てをしている様子を一目見やってから、ネルは正面に座る一人の戦士へと話し掛けた。
「……それで、レグリスさん、敵の様子は?」
「貴殿が張った『惑いの結界』のおかげで、どうにか撒くことには成功したようだ。だが、奴らはかなりの人数を動員している。見つかるのは時間の問題だろうな」
「…‥やっぱり、向こうが諦める可能性は低い?」
「うむ。ただ自分達に従わなかった者に、夜襲などという卑劣な手段で攻撃を仕掛けて来た訳だからな。我々魔族は強者に従うが、しかしそれは強者が強者足る態度を示している場合のみ。そんな強硬手段に出た理由は知らぬが、我々を逃せば悪評が広がり、奴らの勢力が弱体化する危険性があるため、追撃は止まぬだろう」
ネルの言葉に、重々しく答える翼人族の戦士、レグリス。
――彼女らは今、どうにか追手を撒くことに成功し、翼人族の集落から少し離れた位置にある朽ちた遺跡で、束の間の休息を取っていた。
周囲には風化した何かの像の足元で疲れて横たわる者や、体力を補うため、なけなしの携帯食料を皆と分け合って齧っている者などが散見しており、さながら野戦病院のような様相を為している。
だが、こんな緊急時であるにもかかわらず、やはり彼らは戦士の一族であるためか、その表情に悲壮や死地への覚悟は浮かんでいても、誰も絶望の表情は浮かべておらず、非常に秩序立って行動している。
この様子を見る限り、きっと戦時には、精強な部隊として多大な活躍をしたことだろう。
「……最寄りの街や集落は、遠いんでしたよね?」
その問いに答えたのは、レグリスとは別にもう一人、その場にいた翼人族の戦士、オリアス。
「ここから歩いて二日は掛かるな。飛んで行ったらもっと短縮出来るであろうが、しかしそうしてしまっては、すぐに捕捉されて終わりだろう」
そう、彼らは今、最大の利点である『空』を封じられている。
今の状況で飛び上がれば簡単に捕捉されてしまう上に、何より未だ周囲が暗闇のせいで、まともに飛ぶことすら困難だ。
故に、ここに逃げるまでも彼らは飛ぶことはせず、ネル達と同じくただ走ってこの場所まで辿り着いていた。
「ただまあ、向こうも我々が街を目指すことは恐らく予想しているだろうからな。仮に辿り着けたとしても、その手前辺りで待ち伏せされる可能性は非常に高い」
「……とすると、やっぱり後は、ロニア頼みになっちゃうか」
チラリと、ネルは友人の方へと視線を向ける。
その少女は今、自らの失態――いや、周囲は特段彼女の失態とは考えていないのだが、しかし非常に強く責任を感じてしまっている本人は、その全身全霊を賭し、壊れた通信玉の修復に掛かっていた。
あの様子であれば恐らく、修復自体はどうにかなるだろうが……問題は、修復完了まで時間を稼げるかどうか。
逃げ続けることになってしまえば、彼女が作業に集中出来ず、なかなか修復が進まない。
しかし逆に、一か所に留まり続けてしまうと、やがて捕捉され、苛烈な襲撃に遭うだろう可能性は目に見えている。
状況は、非常に劣勢にあった。
せめて、もう一日だけ時間を稼げれば、希望が見えて来るのだが……。
「……その、水を差すようで悪いのだが、援軍というのはアテに出来るのか?個人なのだろう……?」
怪訝そうなレグリスの言葉に、ネルはゆっくりと首を縦に振る。
「……はい。少なくとも僕は、それに全てを賭けるだけの価値があると信じています。具体的に言うと、僕の数倍の実力はまず間違いなく持っています。というか、強過ぎて未知数です」
「ほう…‥なるほど、貴殿がそれだけ言うのであれば、期待が持てますな。このような時でなければ、一度手合わせしたいぐらいだ」
「うむ。この局面を切り抜けたら、是非ともお相手してもらいたいものだ」
その彼らの言い草に、ネルが苦笑を浮かべた――その時。
「南西方向から敵部隊接近中!!十分もせず接敵します!!」
周囲警戒に出ていた戦士の一人が、慌てた様子で遺跡内へと走って戻り、迫り来る危険を警告する。
「チッ、奴ら、一時の休息も与えぬつもりか……ッ!」
緊迫も露わに吐き捨てるレグリスに対し、ネルが叫ぶようにして問い掛ける。
「どこか、ここ以外に逃げられる場所は!?」
「……ここから半日程進んだところに、身を隠すに最適な谷がある。だが、そこに辿り着くまでに見つかってしまっては意味がないぞ!」
「……わかりました」
その言葉にネルは、フゥ、と息を吐き出し――次の瞬間、突如として敵の来ている方向へと向かって駆け出した。
「ッ、ネル殿何を――!?」
「隔て!!『絶域の結界』ッ!!」
――刹那、彼らの間に生じる、超特大の、結界。
ネルの固有スキル、『結界魔法』。
いや……結界というよりは、壁と言った方が正しいだろう。
それは、あまりにも巨大な半透明の壁で、彼女と彼女の仲間を数キロに渡って分断する。
『ネル殿!!』
『ネル殿!?』
バン、と結界の壁を叩き、叫ぶ翼人族の戦士達。
「レグリスさん、オリアスさん、皆を頼みます!」
『しかし、それでは貴殿がッ――』
「……僕を助けたかったら、ロニアを守ってください。よろしくお願いしますね?」
少しだけ強張った笑みを浮かべ、ネルは彼らにそう言った。
『ネル!!』
『ネルちゃん!?』
と、次に慌てて壁へと寄って来る、ロニアとメキナ。
「ロニア、しっかり逃げて、修復をお願いね?じゃないと僕、死んじゃうから」
『馬鹿なことを言わないで!!早くこの結界を――』
「メキナ、彼女をお願い。あ、それと、ケガをした人もしっかり手当してあげてね?」
『……わかったわ』
『メキナ!?頷いてないで、ネルを止めて!!』
そう、ロニアが悲痛な叫びをあげると同時、ネルの背後から微かに聞こえる、足音。
「もう来たか……ッ!!行って!!早く!!」
『ロニアちゃん、早く行くわよ!!ネルちゃんのためにも、ここは早く逃げるの!!ネルちゃん、私達はまだ目的を何も達成していないわ!!任務を投げ出したら、許さないから!!』
『くっ……ネル!!絶対に死んじゃ駄目だからね!!』
『ネル殿、ご友人方は我らが命に代えても必ずやお守りいたす!!』
『ご武運を!』
その彼らの必死な言葉が、何だか少しおかしく思え、ネルの口からくすりと小さく笑みが毀れる。
そして――彼らの足音が遠ざかって行くのを聞きながら、彼女はその場で踵を返し、逆にどんどんと近付いて来ている足音の方へと身体を向ける。
「…………」
シィン、と音を発して、鞘から聖剣を引き抜く。
聖剣の煌きが、周囲を仄かに照らす。
魔力は……まだ平気。
この結界を張るのに大分使ってしまったが、半分は残っている。
それに、元々彼女の武器は剣だ。
例え魔力が尽きたとしても、この身が果てるまでは、戦うことが出来る。
やがて、明瞭になっていく足音。
数は、数十程か。いや、もっといるかもしれない。
――怖い。
足が竦む。
動悸が早くなり、バクバクとうるさいぐらいに心臓が跳ねている。
少しでも気を抜けば、膝がガクガクと震え、そのまま倒れてしまいそうになる。
本当なら、恥も外聞もなく泣き喚き、こんな場所からは一刻も早く逃げ出してしまいたいところだが――何の因果か、自分は勇者である。
彼女の憧れた勇者とは、皆を守り、皆の盾となり、その身を賭す者。
誰かのために力を揮い、悪鬼羅刹を退け、平和を齎す者。
なればこそ、彼女はここから、逃げる訳にはいかない。
まだまだ未熟者であっても、なけなしの勇者としてのプライドが、彼女にそれを許さないのだ。
そして、ネルは引き攣りそうになる表情を懸命に動かし、ニィ、と口端を釣り上げると。
「さて――ここから先は、一歩も通さないよ?」
そう、不敵に笑って、聖剣を構えたのだった。
もう一話だけ勇者ちゃんの活躍を書いてから、ユキに視点が戻ります。




