集落にて《1》
板張りの、どこか道場のような趣のある部屋。
奥行は広く、数十人が部屋にいてもあまり狭さを感じられない程の広さがある。
「――貴方達は、今は中立を保っていると聞いています。味方をしろとは言いません。僕達は、このままずっと中立でいていただくことを貴方達に求めます」
その部屋の中心に座っているのは、勇者であるネルと、宮廷魔術師のロニア。
彼女らは今、変装を解き、『人間』としてそこに座っている。
そして――二人の周囲を囲うように、部屋の壁に沿って座っているのは、背中から鳥のような翼を生やし、嘴と鋭い眼の、猛禽類を思わせる頭部を持つ者達。
「ほう、弱小の種族である人間如きが、我々に指図すると?」
翼の生えた者達――『翼人族』の集団の中で、ネル達の正面に座り、一回り身体の大きい男がジロリと彼女らの方を睨み、威圧するような声で言葉を発する。
それに対し、しかしネルは気圧されることもなく、毅然とした態度で口を開く。
「魔族という種は、強者に従う種族であると聞いています」
「如何にも。己より強者を相手には、それ相応の敬意を払う。まあ、その者が強者足る態度を示している間は、だがな」
「では、従っていただきましょう。――僕の方が、貴方達よりも、強い」
彼女は、ただ淡々と、そう言い放った。
「小娘がッ!我々を愚弄するかッ!!」
周囲を囲む翼人族の青年の一人が、たまらずといった様子で立ち上がって声を荒らげ、槍の穂先が剣になっている薙刀のような武器を彼女らへと向ける。
それに呼応し、別の翼人族の者達も武器を構えたのを見て、ネルの隣に佇むロニアが瞬時に杖を掲げ、何時でも魔法を放てるようにと魔力を練り上げる。
一触即発の、ともすれば爆発してしまいそうな緊張感。
だが、それでもネルは、ただ自身の正面に座る男――翼人族の頭領であるその男を、まるで焦りを感じさせぬ表情で見据え、微動だにしない。
「大した自信だな。ここにいる我々全てを敵に回しても、勝てると思っているのか?」
「僕も、少なからずダメージは食らうでしょう。脚が吹き飛び、腕も無くなるかもしれません。――ですが、最後に立っているのは、僕です」
「貴様ッ、まだ言うかッ!!」
怒声を上げる翼人族の青年の方をチラリと見てから、ネルはさらに言葉を続ける。
「……それに、そうでないのだとしても、貴方は僕の提案に頷くはずだ」
ネルの言葉に、ピクリと反応を示す頭領の男。
「……ほう?どういうことだ?」
「翼人族である貴方達は、決闘を重んじる種族だそうですね?であるならば、僕が貴方に決闘を申し込むと言えば、他の人達は手出ししないはずだ」
「……フン、確かにそうだな。その場合、他の者達は黙って決闘を見届けることになるだろう」
「そうして決闘を行った場合、仮に僕が負けるのだとしても、少なくとも貴方が生死の境目を彷徨わなければならなくなるぐらいには、ダメージを与えるつもりだ。そして、それだけのことが出来る実力が僕にあると、貴方は理解している」
「…………」
まるで見定めるようにして、目の前の少女へとその鋭い眼を向ける翼人族の頭領。
「トップである貴方が負けるか、もしくは生死を彷徨う程のケガを負うことになれば、貴方達翼人族において、大なり小なり混乱が起きることは確実でしょう。この情勢が不安定な時期に、そんな、僕と生きるか死ぬかを掛けた死闘を行いますか?それよりは、ただ僕の提案に頷き、今までと同じく中立を保った方が絶対に良いはずだ」
彼女の言葉に、翼人族の頭領はしばし目を閉じて黙考する。
部屋内部に漂う、静寂と緊迫。
ジッと、ネルは正面の男を見据えて動かない。
やがて、翼人族の頭領は徐に目を開いたかと思うと――ニヤリと笑みを浮かべ、言った。
「……フン、まあいいだろう。お前のその度胸を買ってやる。お前達を我らの同胞と見なし、今後とも我ら翼人族は中立を保つ。元より、中立の立場を崩すつもりは無かったしな。――だが、勘違いをするな。あくまで我らが同胞と見なすのは、お前とその仲間のみだ」
「えぇ、それで結構です。ありがとうございます」
頭領のその言葉に、ネルはホッと安堵の息を吐き出し、小さく微笑みを浮かべた。
「なっ、頭領!?正気ですか!?」
ネル達へと食って掛かった青年が、信じられないといった表情で自身の頭へと声を荒らげるが、翼人族の頭領はジロリとその青年を睨み付ける。
「黙れ!俺の決定だ。これ以上何か文句があるか?」
「グッ……いえ、何もありません」
頭領の喝に気圧され、翼人族の青年は小さく頭を下げ押し黙る。
「皆も聞け!この者らに手を出すことは固く禁じ、これからは我らの同胞として見なす!相違あるまいな!?」
『ハッ!』
周囲の者達が頭を下げ、指示に従う姿勢を見せたことに、頭領は満足そうにコクリと頷いた。
「――そうだ、お前達。今日はこの近辺に泊まるつもりか?」
「はい、そのつもりです」
「では、旅亭を一つ貸してやる。晩に宴をやるから、それまで休んでいるんだな」
「助かります。頭領さん、ありがとうございます」
そう言って、ペコリと頭を下げるネル。
「フン、気にするな。強者に対し、それ相応の態度を示しただけだ。――案内!この者達と隣の部屋で待機している仲間を、外の旅亭に連れて行ってやれ」
――そうして、出入り口で待機していた案内の者に連れられ、ネルとロニアは部屋を退出していった。
その二人の背中を忌々しそうに睨み付ける視線に、ネルは気が付いていたが、しかし人の悪意に疎い彼女は、完全に納得してもらうにはまだ時間が掛かるだろうから仕方がないと考え、そのことを重く捉えはしなかった。
* * *
「あ~……疲れたぁ。もう、すっごい緊張しちゃったよ……」
ボフッ、と通された部屋のベッドに寝転がり、深々と息を吐き出すネル。
「お疲れ様、ネルちゃんにロニアちゃん。その様子だと、話し合いは上手く行ったのね?」
ネルとロニアと共に、翼人族の治める領域へと来ていた彼女らの仲間の一人――メキナが、そう二人に問い掛ける。
メキナはアーリシア王国出身のネルとロニアとは違い、その友好国である『ゲルマニ協商連合』出身である。
今回魔界へ派遣された者達には、一番の大国であるアーリシア王国の者を中核としても、彼女のように友好関係にある近隣国出身の者や、どこの国にも属さず、しかし戦乱を回避するために協力体制を取っている者が数名混ざっているのだ。
そんな十人十色の彼らだが、しかし一つだけ共通しているのは――人界において、非常に強力な力を持っているということ。
それは何も武力だけに限った話ではなく、例えば諜報や並外れた知識など、それぞれがそれぞれの分野で修めた技の、言わばエキスパート達が揃っている。
「ネルが、上手く話を纏めたわ」
「うん、よかったよ、何とか上手く行って。これで、こっちに翼人族は手を出して来ないはず」
――彼女らがここへ来たのは、彼女らに暫定敵として判断されている『悪魔族』の者達が、戦争を起こすためなのかどうかは定かでないが、自身の派閥を広げるため至る所から熱心に仲間を募っており、その中に翼人族の勧誘も含まれていたためだ。
魔界で一定の勢力を持っている翼人族は、魔界における二大派閥の争いに対し理由はわからないものの今まで中立を保って来ており、仮にこの均衡が崩れてしまうと、引き起こされる未来として真っ先に考えられるのは――戦争である。
一度魔界で戦争が起こってしまえば、その余波が人界にまで及ぶことは想像に難くなく、今まで以上に激しい魔族と人間の血みどろの戦いが発生するだろうことは目に見えている。
それを未然に防ぐためには、魔界における中立組織を少しでも増やし、二大派閥の対立の小規模化が必要となるのだ。
まあ、そうして中立の組織を増やしたところで、変化は微々たるものであるかもしれないが……敵の味方を減らし、逆に少しでも自分達の味方を増やすのは、戦略における基本中の基本。
上手くいけば、長らく続いている魔族と人間の泥沼の争いも、鎮静化させることが出来るかもしれない。
そんな、祖国における戦争の火種を潰すという一つの意思の下に、彼女らは一丸となって行動していた。
「それにしても、慣れないことはするもんじゃないね。魔族って、強い人が偉いみたいな風潮らしいから、結構強気で行ってみたんだけど……やっぱ僕、そういうの苦手」
ゴロゴロとベッドの上を転がってそう言う友人に、ロニアはフフッと笑う。
「そうね。相手を煽るの、とても下手だった。あの翼人族のトップの男が、理性的で助かった」
「ウッ、ホントにね。僕、多分彼ら相手だったら勝てるだろうとは思うけど……でも実際に戦ったら、ギリギリの戦闘になっちゃってたと思う。回避出来て良かった」
「あら、やっぱりその頭領は、そんなに強そうだったの?」
二人の会話を聞いて、メキナがそう問い掛ける。
「うん、僕じゃギリギリ。レミーロさんだったら、普通に勝てると思うけど……」
「あぁ……あのおじいちゃんは、もうやめちゃったけど、オリハルコン級冒険者の中でも不動のトップを飾っていたお方だものね。彼が手出し出来ないようなら、多分人間では誰も手出しできないでしょう」
そう言いながら、フゥ、と小さくため息を吐き出すメキナ。
「まったく、困ったものね。私も、もう少し戦闘面で力になれればいいのだけれど……」
「仕方ない。私も、戦闘ではほぼ足手まとい。それだけ、魔族と人間には実力に大きな隔たりがある」
淡々と、メキナにそう言うロニア。
彼女も、魔法の技巧とその知識においては、『勇者』などの規格外を抜いて、人界において並ぶ者がいない程の実力を持つが、しかし魔族の持つ圧倒的な魔力と魔法に対する適性には、一歩劣ってしまう。
いや、魔族と一口に言ったところで内部には様々な種族の者がいるため、その中でもロニアが優れた魔術師であるということに変わりはないのだが、しかし魔法にとりわけ適性のある種族が相手では、全く敵わなくなってしまうのだ。
それ故、彼女のような者に求められるのは、表面に立つ戦闘員の、支援要員としての役割。
元々、腕っぷしという点ではあまり期待されていないのだ。
「気にしないで、二人とも。僕に出来ないことは二人がやってくれてるしね。だから僕も、まだまだ上には上がいるけど、皆のことだけはしっかり守るから!」
ムン、と両手を握り、やる気を見せるネル。
「フフ、頼りにしてるわね、ネルちゃん」
「代わりに、ネルの出来ないことは私達がやる」
「うん、お願いね、二人とも!」
ニコッと笑って、勇者の少女はそう言った。




