実態
「ユキ……お主、そういう趣味の者じゃったか」
「何を勘違いしているのかはとてもよく理解出来るが、今はお前の相手をしている暇はないんだ」
俺は抱えて連れ帰って来た、未だ意識のない幼女を敷きっぱなしだった布団の上に横たえる。
この玉座の間なのだが、隅っこには長机と椅子、また今彼女を横たえた絨毯の上の布団など物が雑多に置かれ、現在ではもはや完全にただの生活空間と化しており、最初の荘厳さは皆無に等しい。
まあ、そこで暮らしていれば、そうもなるか。
「ぬ……?その娘っ子、ヴァンパイア族か」
「どうやらそうみたいだな」
俺の分析スキルで確認した彼女のステータスが、これだ。
名:イルーナ
種族:ヴァンパイア
クラス:無し
レベル:3
HP:17/25
MP:120/120
筋力:40
耐久:50
敏捷:46
魔力:72
器用:68
幸運:412
固有スキル:吸血
スキル:料理lv2、裁縫lv1
名はイルーナ。
ステータスはかなり低いが、子供としてはこんなものなのだろう。
スキルがなかなか家庭的だ。見たところ七、八歳ぐらいだが、恐らく親の手伝いでもしていたのだろう。
なかなかどうして偉い子じゃないか。
「これまた珍しい者を連れて来たものじゃな」
「珍しい?」
種族のことを言っているのか?
吸血鬼ぐらい普通にいるもんだと勝手に思っていたのだが、そうではないのだろうか。
「うむ。ヴァンパイア族やサキュバス族といった者どもは見目麗しい者が多く、ここ数十年で人間どもが奴隷にしようと乱獲しまくり、ほぼ絶滅寸前でな。森の子らも見目の整った者が多いが、彼奴らは一応、人間と不可侵の同盟を結んでおるからの。比べて魔の者らは完全に人類と敵対しておるから、人間どもも遠慮がないのじゃ。その娘っ子も、恐らくは奴隷狩りにでも遭って、逃げ出して来たのじゃろう」
……森の子らってのは、ダンジョン産の知識曰く、いわゆるエルフのことだな。
「…………」
わからない話ではない。
前世でも奴隷なんてものは近代まで普通に存在していた訳だし、そして近代以降も名を変えて存在している。
昨今でさえ、中東方面で起きた宗教戦争などで、人権なぞクソ食らえとツバを吐きかけるような出来事が頻発しているのだ。
戦乱の絶えないらしいこっちの世界で、そんなことがあっても不思議ではない。
だが――だからといって納得出来るかと言われたら、そんな訳がないのだが。
……人間か。
俺も元人間だった訳だし、今もまだ人間の感覚で生きている節はあるが――あんまり仲良くは、出来ないかもな。
そんなことを考えながら、彼女の肌の傷を上級ポーションの残りを振りかけて治していると、その時小さく可愛らしい声が俺の耳に届く。
「んぅ……」
「おっ、ようやく気が付いたか。どこか痛いところとかあるか?」
イルーナは最初、ボーっとした様子でこちらを眺めてから、俺の存在に気付くと同時、「ヒッ……」と小さく悲鳴を上げて後ずさる。
「あ、ちょちょ、別に取って食ったりはしねぇから、そんな怯えないでくれ」
そう言ったところで、目が覚めてみれば、知らない誰かが近くにいたら、警戒するのが当然だろう。
ましてこの子は子供だ。恐ろしさもひとしおに違いない。
……どうしたもんか。
なおも怯えた様子の彼女に、どう対応すれば、と思案していたその時。
シィ専用の寝床として出してあったクッションの上で、ずっとうたた寝していた我が愛しのペットが、今になってイルーナがいることに気が付いたらしく、こちらに近付きポンと俺の肩に乗っかって、「だあれ?」とでも言いたげにイルーナのことをまじまじと眺める。
いや、シィに眼は無いので眺めている気がする、が正しいのだが。
「わっ……」
イルーナはシィの存在に驚くと、興味を惹かれたようで、チラチラと俺とシィに視線を行ったり来たりさせる。
「……触ってみるか?」
そう言って俺は肩に乗るシィをイルーナの方へ促すと、幼女は恐る恐るといった様子で指を伸ばし、シィの身体をつつく。
シィは身体をぷるんと震わせると、彼女が遊んでくれる対象だと判断したのか、イルーナへと飛び掛かって、そのままじゃれつき始めた。
「ふぇっ?……ふふ……あはは、くすぐったい」
イルーナもまたシィの可愛さにやられてしまったのか、怯えの表情を引っ込めて、シィのぷよぷよボディを撫でながら笑う。
俺は幼女の顔にようやく笑顔が生まれたことに、ふぅ、と安堵の息を吐く。
シィのおかげで助かったな……。
「俺はユキ。ソイツはシィ。んで、後ろのアレがレフィシオスだ。君の名前は?」
「アレて、お主」
実際名前は知っているのだが、いきなり呼んでも怖がらせるだけだろうからな。会話はここから始めるべきだろう。
「イルーナ!」
シィのおかげで元気が出たのか、すっかりニコニコしながらそう名乗る幼女。可愛い。
「そうか、イルーナ。……あー、どうしてイルーナはあんな森の中にいたのか、教えてもらってもいいか?」
「えっとね、怖いにんげんに、追い掛けられてたの」
「……そうか」
レフィの予想通りだったな。
「それじゃあ、イルーナ、故郷……自分の家は、わかるか?」
そう問い掛けると、ふるふると首を横に振る。
「……おうちはもうないの。お父さんもお母さんも、近所のおじいちゃんやおばあちゃんも、みんな死んじゃったから……ヒグッ……」
「あ、待て待て、落ち着け、泣くな、大丈夫だから」
途端にぐずりだした幼女に、自分でも何が大丈夫なのかわからないが、慌ててあやし始める。
「ククク、覇龍も恐れぬお主が、女の涙にはたじたじじゃな」
「うるせ」
さも面白そうに後ろで笑うレフィに一睨みしてから、もう一度幼女に向き直る。
そして、俺は小さくため息を吐き出してから、イルーナの頭にポンと手を置いた。
「……心配すんな。ここならその怖い人間はまずやって来ねぇ。行く当てがないって言うなら、イルーナがいたいだけいてくれればいいしさ」
なんせ怖い人間より圧倒的に恐ろしい存在が俺の後ろにいるからな。
恐らくこのダンジョンは外より群を抜いて安全なはずだ。
「いいの……?」
どこか不安げな様相で、俺を見上げるイルーナ。
「あぁ、当たり前だ。イルーナみたいな良い子だったら、大歓迎だぜ?」
ここまでイルーナを連れて来たのは、俺だ。
だったら、最後まで面倒見るのが筋ってもんだろう。
それに、今更養う対象が一人増えたところで、特に変わりないだろうしな。
というか普通に、ここで放っておくってのは人間じゃない。あ、いや、俺人間じゃないけど。
「……でも、にんげん達が、わたし達は生きてちゃいけないんだって。死んだ方がいいって。だからお父さんもお母さんも死んじゃったんだって」
「…………そうやって、言われたのか?」
こくりと頷くイルーナ。
一瞬どす黒い感情が胸中を込み上げてくるが、イルーナの目の前だということを思い出し、それを奥底にしまい込んで、代わりにニヤリと笑みを浮かべる。
「バカ、そんな訳ないだろう?きっと皆、イルーナがあんまり可愛いもんだから意地悪言ってんだ」
「……ほんと?」
「あぁ、ホントだ。だって俺、イルーナが死んだ方がいいなんて、毛ほども思っちゃいねーからな。だからイルーナも、自分は死んだ方がいいんだなんて、思っちゃだめだぞ?」
「……うん、わかった、おにいちゃん!」
パァ、と顔を綻ばせ、頷くイルーナ。うむ、やっぱり子供は元気が一番だな。
お兄ちゃん、君が元気になったようで何よりです。
と、その時、再び元気が戻ったからか、キュルルと可愛らしい音がイルーナのお腹の辺りから聞こえてくる。
「さ、まずは腹ごしらえからだな。イルーナは何か好きなもんあるか?大体のものなら用意できると思うぜ」
「えっと、あの、その……」
イルーナはもじもじしながら、恥ずかしそうに俺を見上げて言った。
「……お、おにいちゃんの、血が欲しいです」
――え、なにこの子、ヤンデレ?
と一瞬思ってしまったが、彼女の種族が吸血鬼であるということを思い出す。
「あ、あぁ、いいぞ。でも俺の血でいいのか?」
「おにいちゃんの血がいい!」
「お、おう、そうか」
何だろう、割と猟奇的なことを言われているはずなのに、ちょっと嬉しいのが困る。
「む、いいのか?」
と、成り行きを見守っていたレフィが、唐突に口を挟む。
「? なんだ?何か不都合でもあるのか?」
もしかして、よくある吸血鬼に血を吸われたら吸血鬼になる、とかでもあるのか?
別にもう俺、人間じゃないし、今更何になろうが割とどうでもいいんだが。
「いや、不都合という訳ではないが……まあよい、お主の好きにせい」
何やら気に掛かる言い方をするレフィだが、チラチラと期待の眼差しでこちらを見上げるイルーナに今更ダメとも言えず、俺は彼女に身を任せた。
イルーナは俺が受け入れの体勢を取ったのを見ると、嬉しそうな顔をして俺の膝の上をいそいそと上り――そして、かぷりと俺の首筋に噛み付く。
噛まれた痛みは特に感じず、むしろくすぐったいぐらい。犬歯の先から麻酔のような成分でも出ているのかもしれない。
血を吸われるのも、注射器で採血された時ぐらいの感触しかない。
ただ、問題は――。
俺に抱き付くようにして血を吸っているイルーナの体温が肌を通して直に感じられ、そしてハァ、ハァ、と夢中で血を吸う彼女の荒い息遣いが、俺の耳朶をくすぐる。
……マズい。
何と言うか……血を吸っているとそうなってしまうのか、イルーナの吐息が妙に艶めかしい。
間近に感じられるイルーナの良い匂いがそれに拍車を掛け、加えてその細く小さい腕で必死にギュッと抱き付いてくるのに、どうしようもない愛おしさを感じる。
要するに、すごいイケないことをしている気分になってくる。
……いかん、この状況はホントに、背徳感が凄まじい。イケない何かが俺の中で目覚めちゃいそう。
落ち着け、俺。落ち着くんだ。大丈夫、俺は意志の強い子。大丈夫。確固たる意志を持つ子。大丈夫、俺はノーマル、俺の好みはもっと成熟した女性、だから全然イケない気分になんかならない、大丈夫、大丈夫……。
そう必死に自分に言い聞かせている俺を見て、レフィがポツリと呟く。
「……ユキ、やっぱりそういう趣味の――」
「ち、違うからな!?」
――自分でもあんまり、説得力がないなと思った。
* * *
「あー……レフィ、この子風呂に入れてやってくれないか」
何だか、ムダに気疲れした気分で俺は、レフィにそう言った。
まだ幼い故か、イルーナはあまり上手く血を吸えないようで、口元を伝って、滴った俺の血が服を汚してしまっている。
というか、未だ彼女が着ているのは、服と呼べるのかどうかすら怪しい例の襤褸切れで、それも森を走り回ったせいか正直ひどい有り様だ。背中なんかばっくり破れてるし。
まず間違いなく汗も掻いただろうから、一度さっぱりした方がいいだろう。
ちなみにその風呂は、キッチンの少し後に追加したものだ。アパートとかにありがちなトイレのあるユニットバス。
キッチンや風呂はダンジョン施設の扱いなのだが、こちらも色々な種類があり、例えば風呂の中には湯船がプール並のメッチャでかい大浴場や、オプションで湯を温泉に変更したりも出来るようだ。
是非ともDPが溜まり次第追加したいものである。
「ほう?ユキ、儂をタダ働きさせようと?」
ニヤリと笑って、俺を見るレフィ。
コ、コイツ、こんな時まで……!
「……クッキー二袋」
「お主、儂を甘く見積もり過ぎやせんかのう?三袋じゃ」
「一つ忘れているようだな、お前の菓子は俺が出すかどうかのさじ加減で決まるんだ。あまり欲を出さない方がいいんじゃないか?」
まあ、今はDPに余裕があるので、三袋ぐらい出してやってもいいのだが、あんまり甘やかすとつけ上がるからな、コイツ。
「グッ、お主相手じゃと強く出れんな……。カーッ、仕方ないのぉ」
嫌々、というのを全面に押し出したような表情で、渋々と承諾するレフィ。
「……その代わり、風呂を出たらケーキでも出してやろう」
「それは新しい菓子じゃな!?心得た!!来い、童女、お主にばするーむの使い方を教えてやろう!!ここの風呂は格別じゃぞ!!」
「うん、わかった、レフィちゃん!」
「グフッ」
思わず噴き出す俺。
「ちゃ、ちゃん……童女!年上には敬意を払え!そう軽々しく呼ぶでないぞ!」
「んー……レフィおねーちゃん!」
「……まあいいじゃろう」
あ、それはいいんだ。
――そうしてレフィに連れられてイルーナは、浴室の方へと向かって行った。
 





