だから私はあなたが嫌い Ⅱ
主人公救われてますか。少し謎。
小さな巫女の間で、私はほぼ丸一日正座し続けていた。白い布は私の視界を覆い、代わりに千里眼の力を研ぎ澄ましてくれる。
____はずだった。
「何で……っ……」
布を千切るように取り、私は拳を握る。
揃えた太ももに叩きつけると、じんわりと痛んだ。
数日前から、私の千里眼の力は使えなくなっていた。目を瞑っても、耳を塞いでも、何も見えないし聞こえない。
もう一度、と自分を励まして白い布で目を覆う。
息を詰めるようにして薄く呼吸し、姿勢を正す。目の当たりに集中する。
目に映る暗闇は暗闇のまま、何も変わりはしなかった。
耳には何の音も届きはせず、未来など見えない。明日の空も、明後日の景色も、遠き日の国も、過去の残像も。
千里眼が、私が私である所以。私がここにいていい理由。
力が使えなくなったのが今このタイミング、ということは、覚悟していた寿命も丸々4年残ってしまう。
嫌だ。私はもう、早々にこの生をやめたいのに。
未練がましくその後何時間も能力を使うべく座り続けた。けれども、何をしようと力が使えることはなかった。
ふらふらと立ち上がり、部屋を出る。座り続けた足は血管が圧迫されて血流が悪くなり、痺れていた。
けれども心に負った衝撃の方が大きく、そんなことでは歩みを止める理由にならない。
足のしびれを無視して歩き、私が目指したのは図書館。
神殿が所有する図書館には、能力者に関する書物が充実している。
私が必要としているのは、それ。
過去に能力が突然消えてしまった者はいないのか、ということが知りたかった。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
図書館には、司書がいる。
司書、と言ってもそこは神殿が有する図書館なので、それを担う人物は神殿が誇る能力者。
人の心・記憶を読み取る能力を持つ、ルダ・クレイン。
彼が司書をすると、本を探している人が題名を忘れていても探せる、というオプションがある。それを見込んで、の人選だ。
ただし、ルダさんはかなり無愛想で喋りかける勇気のある人はあまりいない。
関わる人間が少なく、人の温もりを求める私は話しかけるけれど。
無愛想な表情に見合わず、彼は存外優しい人だ。優しい人、という定義づけのハードルが低いのは否めないが。
「ルダさん」
カウンターの向こうで、気難しそうな顔をして本を読むルダさんに話しかけると、本からチラリと目を上げたルダさんが何度か瞬きし、本を閉じた。
「……巫女様」
「いつにも増して、他人行儀ですね」
気付かぬうちに、声が不機嫌になる。
「じゃあ、なんと呼べばよろしいですか?この国の至宝とも呼べる千里眼の姫に」
「アナリアと呼んでください」
千里眼の姫、と呼ばれるのは嫌だし、今は巫女というのを意識したくない。力が使えない今、私が巫女として扱われるのは筋違いなのだから。
ルダさんはふぅ、と息を吐いた。
「じゃあ、アナリア」
「はい」
「今日は何のご用でしょう」
ルダさんは手元に紙とペンを置き、いつもの仕事スタイルを整える。そこに、分かった情報を書き出して既存の本と照らし合わせて探すのだ。
「本を探しています」
「それはどんな?タイトルは分かりますか?」
「タイトルは知りません。内容は、巫女の力についてです。過去の記録が望ましいです。特に千里眼のものを。過去、その力が消失した人はいませんか?」
白い紙にカリカリと書き込み、顎に手を当てて考える素振りを見せ、カウンターの向こうから出てくる。
「少々お待ちください」
すぐに戻って来たルダさんの手元には、3冊の本。
「これは、千里眼の力を持っていた巫女の手書きの日記です。持ち出しは禁止なので、帰るときには俺に渡していってください」
「ありがとう」
3冊のうち1冊はかなり薄く、すぐに読み終わりそうだ。それから読もうかと考えながらカウンターを離れる私を、ルダさんが呼び止める。
「アナリア」
「何ですか?」
「巫女の力が、無くなったのですか」
「……分かりません。一時的なものかも知れませんし、もう二度と過去は見えないのかも」
人前で取り乱すほど、巫女としてのプライドは低くない。冷静にそう言えば、ルダさんはそうですか、と言った。
「そう言えば。浄化の巫女は、こちらの世界に留まるようですね」
ピシリ、と表情が固まる。
「あなたの婚約者は、何をしているのですか」
「あれはもう、婚約者じゃありません」
思った以上に冷ややかな声になり、自身でびっくりする。
「ああ。そうでしたね」
「何が言いたいんですか」
「いや。やっとか、と」
ルダさんは、無表情に笑みを乗せた。滅多に変わらないその表情の変化に、驚きを隠せない。
「……言っている意味が、よく分かりません」
「そのうち……いえ、すぐわかりますよ」
すぐ?首を傾げながら、その場を後にした。
窓の近くの席を陣取り、まずは薄い日記から読み始めた。
五代前の千里眼の姫、シュビアナ・アリーダの日記だ。
開くと、日付も何もなくそのまま本文が始まっていた。
『目を瞑ると、私の死が浮かんだ。とうとう、私の死期が来たのだと気が付いた。
千里眼の力は、命を削るもの。死の3年前には結婚し、子を作る。知っていたから、覚悟はしていた。
引き継ぎをし、私は神殿を去る。
婚約者は私に同情し、私を愛しているという。でも気付いている。私の死後、彼が別の女性と結婚することを。
でも、不幸じゃない。同情でも彼は私に少しの好意を持っているし、可愛い子供ができるのも知っている。結婚の間は彼が浮気をすることはないし、大丈夫、私は表面上幸せ』
ページをめくる。
『眠る時、決まって未来が見える。しかも、私の死のシーンばかり。能力の欠陥でも出始めているのだろうか。』
ページをめくる。
『いやだ。私は死にたくない。』
ページをめくる。
『私には悲惨な未来しか見えない』
能力の欠陥?
本を閉じ、ひと息つく。
次いで、次の本を取り出した。
彼女は幸せな一生だったらしく、最後まで普通の日記だった。
次の本。
彼女は、子が作れない巫女だった。私と同様、死ぬまで神殿に使えることを選んだ巫女。死の3年前から、能力が消えている。これだ!と気付いた。
しかし、この巫女は極端に死を恐れるあまり能力を使えなくなってしまったのだと最後まで読み終えて知った。
3冊を読み終えると、カウンターで読書をするルダさんに返す。
「約に立ちましたか?」
「いいえ。1人目は死の恐怖に取り憑かれた巫女でした。2人目は平凡で……いえ、非凡なのでしょう。幸せのまま逝った巫女でした。3人目は、死を恐れ過ぎ保身に走った巫女でした」
「そうですか。残念ですね」
「はい」
こうなれば、私の能力がどうなるのか分からない。とりあえずはビュルに相談し、今後を決めるべきか。
「アナリア。もし、どうしようもなくなったら、ここへ来てください」
何故、と思わないでもない。
けれど、どうしようもなくなる、というのがこの神殿にいられなくなるということはわかった。そして、ルダさんが人の心を読むことを合わせれば私がそれを恐れていることにも気付いた。
「ルダさんがどうにかしてくれるんですか?」
くすりと笑って言えば、
「さあ」
と、無愛想な顔で返された。
「じゃあ、どうしようもなくなったら来ます」
図書館のお手伝いぐらいならできるかもしれない、と考えてルダさんの優しさに感謝した。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
「は?今なんと?」
ビュルは、耳の遠い老人よろしく私に耳を近づけ、もう一度どうぞ、と言った。
「巫女の力が、使えなくなったようなのです」
過去も未来も壁に遮られた向こうの部屋も、何も見えない。私に見えるのはこの目に映る普通の人と同じ視界だけ。
もう一度そう言えば、ビュルはため息を吐いて元の席に戻った。
「千里眼の巫女に、それが本当なのか確かめてもらいましょう。それが本当なら大変だ。この国で一番力の強い巫女たるアナリア様がいなくなれば、それは多大な損害になる」
国の益しか考えないことには反吐がでるが、それが彼の仕事だと思えば仕方のないこととも言えた。
眉間のシワを揉むビュルは立ち上がり、しばらく待っていなさいと言った。
やがて帰ってきたビュルは、私を見て鼻で笑った。
「どうやら本当のようですな。力のなくなった巫女に、居場所などない。婚約者にも捨てられたあなたは、今後どうするんです?」
ビュルが巫女を大事にし、その力を持たないものを蔑んでいることは知っていたからこの態度には何も思わなかった。ただ、居場所がないのかと悲しくなった。
「まあ、あなたのこの国への貢献度は評価しています。数日程度なら、ここにいてもいいでしょう」
それだけ言って、ビュルは去った。
私はしばらくじっとして、それから動き出す。まずはほとんどない自分の荷物の整理。
それから。
これからどうしよう。どこに行こう。
家に帰ろうか。
けれど家には兄のお嫁さんがいて、爵位を退いた父と母は遠くの地で静かに暮らし始めていて、そこに私の入る余地はあるのだろうか。
長く離れて過ごした私は、どう接すればいいのだろう。
悩んで、私は荷物を持ったまま神殿を出た。まだここにいていいと言われても、それが仕方なしの言葉であることに気づいていたからいたくなかった。
行き先はどこにもなく、気付けば立ち尽くしていた。神殿から出たことのない私に、ここがどこかなんて分からなかった。
私は最初、巫女を退いたら結婚するつもりだった。浄化の巫女が来て未来を知ってからは、この国に尽くすつもりだった。
今更どうしろと言うのだろう。能力も消え、居場所も失って。
俯き、再び歩き出そうとして、後ろから拘束された。
上半身だけその場に置いていくかのように動かなくて、バランスを崩す。けれど倒れるには至らなかった。
「はぁ……探しました。何で、図書館に来ないんです」
息を切らしながら、後ろの人が話しかけてくる。声から、それが誰かわかった。
ルダさんだ。
「何で」
「さっき、ビュル様が図書館に訪れました。あなたのことを愚痴りながら。それで気になってあなたの部屋に行ってみれば、そこにあなたはいない。だから探したんですよ」
荷物がないことから、戻って来る気がないことはわかったのだそう。
「どうして私を探すの」
「どうして、って。……あなたが好きだからですよ。あなたは巫女で、決まった婚約者がいた。だから諦めていました。でも、巫女でもなく行き場もないなら。
俺が連れ去っても問題無いですよね?」
私が抵抗する間も無く、ルダさんは私を抱き上げた。
「え?」
「アナリア、ごめんな。勝手に記憶見たんだ。旅に出よう。国を渡って、世界を見よう」
気が付けば頷いていたのは、私がそれを求めていたから。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
ルダさんは能力者だったけれど、女性と違って男性はあまり重宝されていないし、心を読む能力は強弱に差はあれどその能力を持つ人が多いため、神殿を出ることがすぐに許された。
「ルダ。旅の資金、どこから出てるの?」
何故かルダは旅をしている間、高級宿を取ったり高級レストランに入ったりと、金の出し惜しみをしない。
「言ってなかったか?俺が神殿にいたのは、アナリアに近付くためで、別段金には困っていないし」
なんでも、企業を起こしたのが大当たりして財産は遊んで暮らせるほどらしい。
「そうなの。……ねえ、ルダ。私は、あなたが好きだけど。最初についてきたのは、好きだからじゃないよ」
前の婚約者をすぐに忘れられるほど、私は薄情じゃない。
「……私がこんなこと言ったら、ルダは軽蔑するかもしれない。
私は、牢獄から連れ出してくれる人を待っていただけなの。今考えると、婚約者のことだって本当に好きだったのか分からない」
ただあそこから連れ出してくれるから、擦り寄っていただけなのかもしれない。
「そっか。それでも良いよ。俺はアナリアが欲しくて、それこそどんな手段を使っても構わないと思っていたから」
にっこりと。ルダが笑う。
ゾッとするような、執着を滲ませた顔で。
神殿にいる時に聞いた怪談をふと思い出した。人の能力を奪い取る能力があるらしい。滅多に出ない能力だから、それは噂程度の話。
私の能力が消えたのは、なぜなんだろう。
「アナリア、今幸せか?それとも、神殿にいた方が幸せだった?」
「……今の方が、幸せよ」
「そっか。良かった」