2. 普通の日の始まり
今日は1~4話を連続投稿予定です。
「脩ちゃん、お誕生日おめでとう。でねでね、お買い物してきて。
玉子1パック98円ですって。玉子、大好きでしょう。
2パック買ってね。3パックでもいいわ。
あとは、歯みがき粉ね。ミントが効いたうーんと辛いのにして。
きっと修ちゃんの役に立つ予感がするの。
お釣りで好きな物を買うといいわ。お誕生日ですもの」
一気にしゃべった母さんはおれの腹の上に三千円とエコバッグを置くと
「朝ごはん食べたら、行ってきてね」とにっこり笑い部屋を出て行った。
ベットから体を起こし、ぼんやりした目で時計を見ると午前9時。
寝たのが午前5時。若者には夜更かしをしたくなる時があるのさ。
返却日が今日のDVDが3本あったので、独りレイトショーをしてただけだけどね。
微妙に辛い、4時間睡眠。
スーパーの開店は10時なので、急ぐ必要はない。
のろのろと起きだし、エコバッグとお金を机の上に置く。
誕生日だから好きな物買っていいって、三千円は少なくないですか、母さん。
おれは階下に降り、リビングの窓へ向かう。
「おはよう、サンダー」
おれが8歳の時にうちに来た彼は「バゥ」と短く返事をして自分の食事が終わった皿を持ってくる。
自分で片付けが出来る賢い犬だ。流石はおれの相棒。
「一緒に買物に行って、帰りに散歩しよう」
サンダーの頭をワシワシとなでてからキッチンへ向かう。
犬用の食器を洗い、今度は自分の朝食にする。
母さんの得意料理《目玉焼き》と《サラダ(レタスとトマトとキュウリを切っただけ)》は
準備してくれているので、牛乳を入れてパンを焼く。
母さんは料理が苦手だ。今日の昼食も夕食もおれが作ることになるんだろう。
もしかして、三千円で材料を買って好きな物を作ってねってことなのだろうか。
誕生日なのに。
ちょっと切なくなりながら、もそもそと食べていると、上から掃除機の音と母さんの歌が聞こえてきた。
ため息をつき、朝食を食べ終えてキッチンを出る。
歯を磨く。鏡に映るのは、男らしいとは言いがたい顔。
サラサラした茶色い髪。大きめな目。
小学生の頃まではよく女の子と間違われた。中学の頃には間違われなくはなったけど。
この母さん似の顔のせいで《おとこおんな》とか《おかま》とか言われて苛められたこともあった。
異常に足が早いことから《オンダッシュ》とアダ名が付いた辺りから苛めはなくなった。
陸上部の顧問からしつこくスカウトされる位、速い。
おれ、遠田脩、今日で16歳の高校一年生。
身長普通、体重普通、成績だって普通。
「普通が一番」がモットー。目指すは堅実に公務員。
家にサンダーが来るまでは、真剣に忍者になろうと思ってた。
気配を消して、ひっそりと生きたかったから。
子供の夢にしては可笑しいかもしれないけど、おれには切実な理由があった。
それは、半端無く動物に好かれること。
人生初の記憶は2歳半。普通は2歳の頃なんて覚えてないよね。
それだけの恐怖体験だったってこと。舞台は動物園。
おれは父さんにねだって、小動物を膝に乗せてくれたり、ヤギに餌をあげられる所へ連れて行ってもらった。
絵本やテレビで見た可愛い動物をもふもふしてみたい、それ、普通でしょ。
しかし《ふれあいコーナー》と書かれたアーチをくぐった途端、まるで飢えた狼の群れのごとく
ヤギ達が鼻息も荒く一斉に向かってきた。
「食べられるっ!!」
戦慄したおれは次なる恐怖が待つとは知らず、
ファンシーな文字で《ウサギ☆モルモット》と書かれた看板下のゲートを潜った。
小動物達までもが、子供たちの膝から我先にと飛び降りて、おれに突進してきた。
まだ幼かったおれは、小動物とはいえ一斉に跳びかかられれば、簡単に押し倒され、
腹と言わず足と言わず、あまつさえ顔の上にまで乗られてもふもふされた。
長い前歯が! 前歯が! ズームインされたげっ歯類は恐ろしかった。
ヤギ達も諦めず、外から柵が壊れそうな程ドカドカと蹴っている。
ギャン泣きして土と毛と鼻水にまみれたおれは、父に抱き上げられ帰ることになった。
帰りの道中「食べられちゃう。食べられちゃう……」とずっと泣き続けていたらしい。
それ以来、動物園には行っていないが、動物達の急襲はどこででもあった。
お陰で逃げ足は早くなったけど。
8歳の頃、父さんがサンダーを連れてきた。彼は小さい体で、おれを守ろうとしてくれた。
大きくなってからは、ここいらの動物のリーダーになったようで、動物たちも飼い主のおれに
多少は節度ある接し方をするようになった。
サンダーのおかげで動物恐怖症は治まったが、突進してくる動物はまだ少し怖いかもしれない。