紅色幻想曲
ぐうたらパーカーさん主催の短編企画、「陽だまりノベルス」参加作品です。詳細→ http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/222961/blogkey/539271/
「――ただいまっ!!」
家に帰り着くと、わたしはすぐに自分の部屋へ駆け込んだ。
ふたをあける時間さえもったいないから、四角い楽器ケースはいつでも開けたまま。すぐバイオリンを取って譜面代に向かう。
今日はこのページ。ここの速いフレーズ。
1音だってはずさずに。リズムを崩さずに。完全に完璧に弾かないと。
それくらいじゃなきゃ……あの子には、勝てない。
コツ コツ
1回目。
だめ。音程が悪い。
2回目。
だめ。音程は決まったけど、強弱がぎこちない。
コツコツ コツコツ
5回目。
……だめ。なんだかしっくりこない。
コツ コツ コツ コツ コツ コツ コツ コツ
10回目――
「あー、もう! わかったから!」
わたしは楽器を下ろした。
音漏れを防ぐために閉めきってた窓を、勢いよく開け放つ。初秋の生ぬるい風が顔をなでていく。
それと一緒に、ふわりと部屋に入ってきたのは。
「ひさしいの、コト」
白い着流し姿の男性だった。見た目若そうだけど年齢不詳。背が高くてやたらと線が細い。だけど不健康っていう感じではない。
そしてとにかく目を引くのは、腰あたりまでのびてる、まっ赤な髪だ。
「ひさしぶり。相変わらず派手だよね」
「第一声がそれか」
あんまりそっけなく言ったからか、彼は苦笑いを浮かべた。
「ホントのことじゃん」
「む。不機嫌そうだの。何かあったか」
「別に。そっちこそ何か用?」
「たまにはコトの顔を見たいと思ってのう」
これにはちょっと言葉に詰まった。
本当は気付いてた。時々、さっきみたいに窓をたたく音が聞こえてきたこと。でも最近は心に余裕がなくて無視してた。
それにあっちはあっちで、こんなにしつこくアピールしてきたこと、今までなかったんだけど――
「細かいことはよかろ。少し話でもせぬか」
言いながら彼がベッドに座ろうとするから、わたしはあわてて手を振った。
「だめだめ、そんなヒマないから! バイオリンの練習しないと!」
「いつもやっているではないか」
「ぜんぜん足りないし! ぜんっぜん、うまくできないし……!」
急になさけない気分になって、思わず唇を噛んだ。
1ヶ月くらい前に見た映像が頭をよぎる。賞金も出るような音楽コンクールのバイオリン部門。
私と同じ高校生が、3位に入賞していた。
どういうこと? どういうことなの?
なんであの人はあんな風に弾けるの?
わたしと何が違うの?
どうしてわたし、ああいう風になれなかったの……?
「しかしずいぶんと、小難しいことをやっておるようだの」
いつの間にか、彼は楽譜を広げてしげしげと眺めていた。あわてて取り返そうとするけど、簡単にひょいとかわされる。
「ちょっと! 返してよ」
「棒のついたまるはすべて音なのであろ? ――紙がまっ黒だの。何故これを弾かねばならぬのだ?」
「……これが、コンクールの課題曲だから」
胸がぐっと熱くなる。声がうわずってるのが自分でもわかる。
「もっともっと、うまくなりたいの! これくらいの曲弾けないとダメなの! それでコンクールに出られるくらいになりたいの! この前入賞したあの子みたいに――ううん、あの人より、いい演奏がしたいの!!」
「ふむ」
彼はつぶやきつつあごをつまんだ。
「コトはこんくーるとやらに出たいのか? なぜだ?」
「あ、えっと。出たいっていうか、ね」
発音からして、彼はコンクールを知らないみたいだった。どうも知識に変なかたよりがあるこの人のことだ。まずは意味から説明するべきかもしれない。
そんなことを考えたら、少し気分が落ち着いてきた。
「コンクールっていうのはね、その……技術があってうまい人が選ばれて出場できて、その中でもうまい人が勝ち残って、優勝したら1番うまいって認められたってことになって……とにかく、そういうものなの! それくらいになれればってこと!」
すると彼は不思議そうに首を傾けた。
「つまりこんくーるとは、技術を競う祭典ということかの」
「え。や、それだけじゃないけど」
「これはたとえばの話だがの」
カエデの視線が、まっすぐわたしの目を捉えた。
「コトがこんくーるで優勝したとして。その後はどうするのだ?」
「そっ……」
一瞬頭がまっ白になった。
何も考えてなかった。というかそもそも、今の実力でコンクールに出られるとも思ってなかったんだけど。
だけど――
「今のコトは、ただ他人を負かしたいと思ってはおらんかの。それもまた技を磨く上でのもちべぇしょんかもしれんが。“それ”では、負かせば、終わるぞ」
返事ができない。
何も……考えられない。
そんなわたしに、彼は重ねて言う。
「それではいずれ、他でもないコト自身に負けかねんぞ?」
ふと思う。
わたしは最初、なんのためにバイオリンを始めたんだっけ。
どうして。
誰のために……?
「――いや、すまぬ。勝手なことを言うたの」
ぽん、と頭の上に楽譜が乗せられた。見上げると少しさびしそうな彼の顔。
「今のは我のわがままゆえな。忘れるがよかろ」
「え、でも」
「ではな」
「カエデ!」
すっと気配が遠ざかった。わたしはあわてて頭の上の楽譜を手にとる。
その時にはもう、彼の姿は見えなかった。ただ、カーテンがぬるい風に揺られているだけで――
+ + + + +
……
………………
あれ。いつの間に寝てたんだろう?
窓の外はまっ赤な夕暮れ。ひさびさに机の前でうとうとしてしまったらしい。楽器はと思うと、ケース内に無造作に置かれていた。
それを見た時、なぜだか「ごめんね」と心に浮かんだ。
「あ。そうだ」
思い立ってICレコーダーに手をのばす。まだ録音中のランプがついていた。自分の音を確認するためにいつも電源入れっぱなしではあるけど……それにしても、そのまま寝てしまうとは。
「! うわっ……」
頭から再生してみて。自分の“音”に自分でびっくりした。
音程もリズムもそれなりに正確。――正確すぎる。練習の成果といえばそうなのかもしれないけど、なんだかすごく、無機質な感じがする。
いつの間にこんな風になってたのかな、わたし。
最初は。最初に目指してたのは、もっと……
ああもう、うまく言葉にできない。
ぐるぐると考えてる間にバイオリンの音は聞こえなくなった。そのかわりにわたしの声と、何か、葉擦れみたいなかすかな音が流れてきた。
「……?」
急に窓の外が気になって意味もなく立ち上がる。
手が体が、勝手に動いた。
窓は大きく開けたまま。
静かに、息を吸い込んだ。
+ + + + +
窓の向こうから、再びあの弦楽器の音色が響いてきた。
先ほどまでの技巧を凝らした曲ではない。ゆったりとした調子の優しい曲だ。確か、ずいぶん前にも弾いていたものと記憶している。
――ふむ。戻ったようだの。
庭の古木の枝の上で、カエデは楽しげにまっ赤な髪を揺らす。
――このところのぬしの“音”は、苦しくて仕方なかったからの。
気付いてくれたこと、受け入れてくれたこと。嬉しく思うぞ、コト。
ふ、とため息が漏れた。
てのひらの形をした赤い葉がさやさやと鳴いた。
――ヒトの子は我の存在を記憶しておれぬ……
なれど、その心を憶えておいてくれるのなら、充分だ。
我はぬしを――ぬしの“音”を好いておるぞ。
最後の言葉はすっと風に溶けた。
応えるように、少し、バイオリンの音が高くなった。
END
楓 <かえで>;カエデ科カエデ属の植物の総称。日本産ではイロハモミジ類が代表的。材は緻密で、細工物や器具、楽器等に使用されます。