表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

企画参加短編集

紅色幻想曲

作者: 高砂イサミ

ぐうたらパーカーさん主催の短編企画、「陽だまりノベルス」参加作品です。詳細→ http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/222961/blogkey/539271/


「――ただいまっ!!」


 家に帰り着くと、わたしはすぐに自分の部屋へ駆け込んだ。

 ふたをあける時間さえもったいないから、四角い楽器ケースはいつでも開けたまま。すぐバイオリンを取って譜面代に向かう。

 今日はこのページ。ここの速いフレーズ。

 1音だってはずさずに。リズムを崩さずに。完全に完璧に弾かないと。

 それくらいじゃなきゃ……あの子には、勝てない。


  コツ  コツ


 1回目。

 だめ。音程が悪い。

 2回目。

 だめ。音程は決まったけど、強弱がぎこちない。


  コツコツ コツコツ


 5回目。

 ……だめ。なんだかしっくりこない。


  コツ コツ コツ コツ コツ コツ コツ コツ


 10回目――


「あー、もう! わかったから!」


 わたしは楽器を下ろした。

 音漏れを防ぐために閉めきってた窓を、勢いよく開け放つ。初秋の生ぬるい風が顔をなでていく。

 それと一緒に、ふわりと部屋に入ってきたのは。


「ひさしいの、コト」


 白い着流し姿の男性だった。見た目若そうだけど年齢不詳。背が高くてやたらと線が細い。だけど不健康っていう感じではない。

 そしてとにかく目を引くのは、腰あたりまでのびてる、まっ赤な髪だ。

「ひさしぶり。相変わらず派手だよね」

「第一声がそれか」

 あんまりそっけなく言ったからか、彼は苦笑いを浮かべた。

「ホントのことじゃん」

「む。不機嫌そうだの。何かあったか」

「別に。そっちこそ何か用?」

「たまにはコトの顔を見たいと思ってのう」

 これにはちょっと言葉に詰まった。

 本当は気付いてた。時々、さっきみたいに窓をたたく音が聞こえてきたこと。でも最近は心に余裕がなくて無視してた。

 それにあっちはあっちで、こんなにしつこくアピールしてきたこと、今までなかったんだけど――

「細かいことはよかろ。少し話でもせぬか」

 言いながら彼がベッドに座ろうとするから、わたしはあわてて手を振った。

「だめだめ、そんなヒマないから! バイオリンの練習しないと!」

「いつもやっているではないか」

「ぜんぜん足りないし! ぜんっぜん、うまくできないし……!」

 急になさけない気分になって、思わず唇を噛んだ。

 1ヶ月くらい前に見た映像が頭をよぎる。賞金も出るような音楽コンクールのバイオリン部門。

 私と同じ高校生が、3位に入賞していた。


 どういうこと? どういうことなの?


 なんであの人はあんな風に弾けるの?


 わたしと何が違うの?


 どうしてわたし、ああいう風になれなかったの……?


「しかしずいぶんと、小難しいことをやっておるようだの」

 いつの間にか、彼は楽譜を広げてしげしげと眺めていた。あわてて取り返そうとするけど、簡単にひょいとかわされる。

「ちょっと! 返してよ」

「棒のついたまるはすべて音なのであろ? ――紙がまっ黒だの。何故これを弾かねばならぬのだ?」

「……これが、コンクールの課題曲だから」

 胸がぐっと熱くなる。声がうわずってるのが自分でもわかる。

「もっともっと、うまくなりたいの! これくらいの曲弾けないとダメなの! それでコンクールに出られるくらいになりたいの! この前入賞したあの子みたいに――ううん、あの人より、いい演奏がしたいの!!」

「ふむ」

 彼はつぶやきつつあごをつまんだ。

「コトはこんくーるとやらに出たいのか? なぜだ?」

「あ、えっと。出たいっていうか、ね」

 発音からして、彼はコンクールを知らないみたいだった。どうも知識に変なかたよりがあるこの人のことだ。まずは意味から説明するべきかもしれない。

 そんなことを考えたら、少し気分が落ち着いてきた。

「コンクールっていうのはね、その……技術があってうまい人が選ばれて出場できて、その中でもうまい人が勝ち残って、優勝したら1番うまいって認められたってことになって……とにかく、そういうものなの! それくらいになれればってこと!」

 すると彼は不思議そうに首を傾けた。

「つまりこんくーるとは、技術を競う祭典ということかの」

「え。や、それだけじゃないけど」

「これはたとえばの話だがの」

 カエデの視線が、まっすぐわたしの目を捉えた。


「コトがこんくーるで優勝したとして。その後はどうするのだ?」


「そっ……」


 一瞬頭がまっ白になった。

 何も考えてなかった。というかそもそも、今の実力でコンクールに出られるとも思ってなかったんだけど。

 だけど――

「今のコトは、ただ他人を負かしたいと思ってはおらんかの。それもまた技を磨く上でのもちべぇしょんかもしれんが。“それ”では、負かせば、終わるぞ」

 返事ができない。

 何も……考えられない。

 そんなわたしに、彼は重ねて言う。


「それではいずれ、他でもないコト自身に負けかねんぞ?」


 ふと思う。

 わたしは最初、なんのためにバイオリンを始めたんだっけ。


 どうして。


 誰のために……?


「――いや、すまぬ。勝手なことを言うたの」


 ぽん、と頭の上に楽譜が乗せられた。見上げると少しさびしそうな彼の顔。

「今のは我のわがままゆえな。忘れるがよかろ」

「え、でも」

「ではな」

「カエデ!」

 すっと気配が遠ざかった。わたしはあわてて頭の上の楽譜を手にとる。

 その時にはもう、彼の姿は見えなかった。ただ、カーテンがぬるい風に揺られているだけで――



              + + + + +



 ……


 ………………


 あれ。いつの間に寝てたんだろう?


 窓の外はまっ赤な夕暮れ。ひさびさに机の前でうとうとしてしまったらしい。楽器はと思うと、ケース内に無造作に置かれていた。

 それを見た時、なぜだか「ごめんね」と心に浮かんだ。

「あ。そうだ」

 思い立ってICレコーダーに手をのばす。まだ録音中のランプがついていた。自分の音を確認するためにいつも電源入れっぱなしではあるけど……それにしても、そのまま寝てしまうとは。

「! うわっ……」

 頭から再生してみて。自分の“音”に自分でびっくりした。

 音程もリズムもそれなりに正確。――正確すぎる。練習の成果といえばそうなのかもしれないけど、なんだかすごく、無機質な感じがする。

 いつの間にこんな風になってたのかな、わたし。

 最初は。最初に目指してたのは、もっと……

 ああもう、うまく言葉にできない。


 ぐるぐると考えてる間にバイオリンの音は聞こえなくなった。そのかわりにわたしの声と、何か、葉擦れみたいなかすかな音が流れてきた。


「……?」


 急に窓の外が気になって意味もなく立ち上がる。

 手が体が、勝手に動いた。

 窓は大きく開けたまま。

 静かに、息を吸い込んだ。



              + + + + +



 窓の向こうから、再びあの弦楽器の音色が響いてきた。

 先ほどまでの技巧を凝らした曲ではない。ゆったりとした調子の優しい曲だ。確か、ずいぶん前にも弾いていたものと記憶している。


 ――ふむ。戻ったようだの。


 庭の古木の枝の上で、カエデは楽しげにまっ赤な髪を揺らす。


 ――このところのぬしの“音”は、苦しくて仕方なかったからの。

   気付いてくれたこと、受け入れてくれたこと。嬉しく思うぞ、コト。


 ふ、とため息が漏れた。

 てのひらの形をした赤い葉がさやさやと鳴いた。


 ――ヒトの子は我の存在を記憶しておれぬ……

   なれど、その心を憶えておいてくれるのなら、充分だ。


   我はぬしを――ぬしの“音”を好いておるぞ。



 最後の言葉はすっと風に溶けた。

 応えるように、少し、バイオリンの音が高くなった。



                                 END



楓 <かえで>;カエデ科カエデ属の植物の総称。日本産ではイロハモミジ類が代表的。材は緻密で、細工物や器具、楽器等に使用されます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ