吹奏楽的、音楽的な適性を持ち合わせていない私が奏者を一旦クビにされ、吹奏楽をバックサウンドに歌って黒歴史を刻んだ日
これは、2年前の私が書いた卒業文集と詩です。読んで共感してくれましたらコメントを残してくれたら活動の糧になりますので遠慮なくお願いします。
型破りな吹奏楽
僕が一番中学校生活で心に残っていることは、文化
祭で吹奏楽部として舞台に出たにも関わらず、なぜ
かおジャ魔女カーニバルという歌を歌ったことで
す。決まったきっかけは白井先生のノリでした。今でもなぜかよく分かりません。そして承諾を出した自分にもよく分かりません。
吹奏楽部の練習が本格的に始まる時おジャ魔女はめちゃくちゃ簡単なので吹部53人くらいとマイク無しの僕で合奏する訳なので、当然打ち消されてしまいます。
そこから、色々練習しある程度は音程が取れるようになってきた、くらいの頃に僕が雄一授業に出なかった日にあった、連合音楽会で他校の演奏を聴いて、お昼食べる時に2年の後輩(女子)から「〇〇はここでは歌わないの?」と言われました。さん付けをしないあたりから僕を舐めてることが分かりますね。そこから、まさかの白井先生から承認は出たので渋々迷って他校の人や先生の前に出て歌いました。レスポンスが返ってきて嬉しかったです。
その日から3日後くらいに文化祭があり、吹奏楽部の出番が来て、おジャ魔女の時間になった時いざ歌ってみたらレスポンスの声援が連音の時よりも10倍で返ってきたのです。嬉しかったです。そして、白井先生曰く来年も中3に歌わせるらしいです。
追記
卒業詩集から私のだけ
文化祭午後の時、吹部の出番
金賞をめがけた曲を吹き終わり
評判の悪いスカート姿をさらし
私の駄声には釣り合わない大声のレスポンス
当日ビビり声が出ず、その姿は私の黒歴史
今なら振り返って私が思うことは、よく全校生徒600人の目がありながらも歌えたなっていうことです。でもやはり600人です、学校全体からなのでなので結局視線に耐えきれずに中途半端に歌ってしまって、せっかくでかいレスポンスの声援を貰ったのに全力を出しきれなかったことが心残りです。でもこの経験があったので私はやると決めたものは自分で冷やかさずに精一杯ベストを尽くして燃え尽きようという思考になったものです。それから「もしも秦国だけではなかったら」シリーズも長い目で気長に待ってくれたら幸いです。最後に読んでくれてありがとうございました。これからも応援もよろしくお願いします




