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まりりん

作者: 湖坊諒平
掲載日:2026/06/04

 ※この小説には実在する人名・地名・団体名と筆者の空想上の人名等が混在するが、どうかそこは割り切って読んでほしい。実在の人名などを使ったからといって他意はない。あくまでもストーリーを盛り上げるためだけに用いた一種の演出である。※



 もちろんこの小説は作者が独自に空想の翼を広げて描いたフィクションである。


 


 この小説は平成25年7月26日に始まり、途中タイムスリップを経由して同年8月1日に終了する。


◇平成25年7月26日 金曜日 


「小野君、いい加減にしてくれんか!!」

課長の高村は声を荒げた。

「課長、申し訳ありません。」


転職でこの会社に入社してきた38歳の新人・小野大輔は大きな声で謝り、深々と頭を下げた。高村課長は大輔の謝罪にやや冷静さを取り戻し、

「小野君、まあ、うーん。君の採用は我が社でもそれなりに社の命運をかけたものなんだ。なのに君は最近になって通帳と会計ソフトが合わないという同じミスをもう3度もしている。これをどう言い訳する気なんだ? 聞かせてもらおう。」


「課長、これはすべて私の至らなさゆえのミスです。弁解の余地はありません。」

「つまりあれか、敢えて君のいいところを上げるとするならば、言い訳せず素直にミスを認めることか?」

「いえ、そんな・・・」

大輔は言葉を濁した。


「まあいい、小野君。これから君には合わない原因を追究してもらうよ。きっちりミスを直して今日中に私のところへ持ってきなさい。君のパソコンの会計ソフトは確か2ユーザーだから二人で手分けして仕事が出来るな。井上君をつけるから二人でミスの原因を探したまえ。ミスが見つかったら私も厳しいことは言わん。帰ってもいい。おーい、井上!」


横に並んで作業をしている井上に小声で大輔は言った。

「本当に申し訳ありません、井上さん。いつもいつもおれのせいで・・・。」

「気にしないでください。オレもはじめはミスばっかでしたから。助け合いですよ。」



 ミスを探す作業は8時まで続いた。最初は井上と二人でしていたが、いつしか課長も含めた経理課全員であたっていた。パソコンをもう2台用意し、そこにデータをインポートした。領収書や各取引銀行の通帳を一つ一つ丹念にパソコンの入力データと読み合わせ、ミスを探した。結果、2ヶ所のミスが見つかり、訂正されて貸借はご明算となった。

 「ああ、今日もまたやっちまったなあ。」

 日もどっぷり暮れてから大輔は退社した。


 大輔が旅費交通費に1万円と入力するところを間違って10万円と間違って入力してしまったのがいけなかった。もう一ヶ所のミスは870円と入力するところを間違って780円としたミスだ。でもこのわずか二つのミスを探し出して訂正するのに何人もの人間が多くの時間を無駄にしたのだ。厳しいものだ、仕事とは。


 「要するにおれにはそんな才能はないんだよ、経理なんて。営業はもっとないけどさ」

 大輔はヘマをなじった。そして余計に悲しくなった。

 自由で楽しいはずの金曜の夜がたまらなく憂鬱な時間となった。夕刊各紙は山口県の方で起きた殺人事件の重要参考人を身柄確保したと伝えている。大輔にはどうでもいい話だ。関心がない、いや関心をもつ余裕なんてまるでない。


 大輔はお酒が飲めない。だから普段から飲みに行くこともない。たまに会社近くの安いコーヒー屋へコーヒーを飲みに行くことはあったが、今日みたいな日はそんな気分にもならなかった。

 家に帰っても誰もいない。妻なら2年も前に出て行ってしまった。突然訳もなく帰ってこなくなったのだ。勿論妻の実家には連絡した。でも彼女の母親は何も教えてくれなかった。妻の両親ともあまりうまくいってない。それは分かっていた。もう義理の両親に認めてもらおうとは思わなかった。


 二人には子どもはいない。結婚していつしか夜の営みはなくなり、冷めた夫婦になった。そして6年が過ぎた。最後に妻としゃべったのは妻が出て行って1週間後に彼女からかかってきた電話でだった。妻は大輔にこう言った。

「お風呂のシャワーの湯加減が気に入らないのよ!」



 電車を降りて最寄の駅からの道で大輔はラーメン屋で食事をした。注文はいつものラーメンライス。味はともかく安いのがとりえの店だ。おなかを満たし、勘定を払って店を出た。家までの道、くたびれた自販機で缶コーヒーを1本買った。買ったはいいがどこで飲もう? 大輔は少し悩んだ。すぐにその自販機の前で飲む気にはなれなかったし、ましてや誰もいない自分の家で飲むのは真っ平だった。


 そうだ、お宮さんへ行こう。大輔は思った。家からすぐのところに小さな神社があるのを知っていた。そこで買った缶コーヒーを飲むことにした。

 神社は人気もなく、暗くてひっそりとしていた。ひとつだけ古ぼけた街灯が灯っていてあたりを薄暗く照らしていた。大輔は賽銭箱に十円玉をひとつ投げ入れて柏手を二回打った。神社での作法なんてあるらしいが、大輔は知らない。それどころか大輔は無神論者だ。しかし、今の大輔は何かにすがらずにいられなかった。両手を合わせて一心に仕事がうまくいきますように、と祈った。


 祈り終えてから大輔はコーヒーを飲む場所を探した。でも適当な場所がなかったので仕方なく街灯が照らす石段の上に腰を下ろした。そこで缶を開け、グイッとコーヒーを飲んだ。コーヒーの味は悪くなかった。大輔の好きなサントリーのブラック缶コーヒーだ。あと言う間に飲み干した。


 「社の命運をかけた採用か・・・」 大輔は高村課長の言葉を思い出した。そしてうんざりした。考えたくもないことを考えたからだ。そのとき、

 「あれっ?!」

背後に何か気配を感じて大輔は振り返った。神社の本堂の脇で何かが光っているのが目に入った。不思議な光景だった。


 「何だろう?」 大輔は近づいてみた。それは・・・一言で言うなら『光の泉』だった。そこから光が泉のように湧いて溢れている。何かこれに似たものを見たことがあるなあ。大輔は思った。そうだ、中学生の頃夢中で遊んだテレビゲームだ。でも何でそんなものが現実に?


 不思議に思いつつ『光の泉』に近づいてみると誰かの声が聞こえた。耳を通して聞こえるのではなくて直接心に話しかけてくるような声だった。


 「助けてやろうか?」 声がそう言った。

「誰なんだ?」 声に向かって大輔は言った。勿論、決して独り言なんかじゃない。

「フフフ、誰かって? 誰でもいいだろう。なんならお前を助けてやってもいい。ただそれだけのものだ。」


「おれみたいな役立たずのサラリーマンをどうやって助けるというんだ。」

「おい、お前。もっと口の利き方に注意した方がよさそうだぞ。まあいい。助ける方法ならいくらでもあるさ。未来の世界へ行ってもっといい仕事を紹介してやることも出来る。遠い過去や未来の世界へ連れて行ってやるぞ。人生そこでやり直せばよい。例えば、宇宙港の管制官なんか興味ないか?」


「いやだといったら?」

「弥生時代の米作りの村長なんかどうだ?」

「時代が離れ過ぎているな。」

「こいつはなかなかのお薦めだ。平安貴族。」

「それにするよ。」


「ならその時代へ案内してやろう。旅のとびらへ飛び込むがよい。」

「この光っているところか?」

「さよう。旅のとびらと呼べ。」

「あなたのお名前は?」 大輔はややへりくだって尋ねた。


「時空奉行と呼ばれておる。やっと無礼な喋り方を止めたな。さあ、行け!」

大輔は旅のとびらに近づいた。次の瞬間激しい勢いで吸い込まれた。



◇治安元年3月23日


「うーん。」目を覚ますと大輔は倒れていた。人気がない。一体ここはどこなんだ? ここも神社のようだが・・・

「起きろ、大輔。」時空奉行の声が大輔の心に響いた。

「ここは・・・?」大輔は辺りをキョロキョロした。


「治安元年(1021年)3月23日。平安時代だ。ここのお宮さんがこの時代の言わばパワースポット。またタイムスリップしたければここへ来ればいい。念のためにここへ戻ってくる道を覚えておけ。」

 確かに大輔は夏の格好だから3月なら寒い。

「おれはどうすればいいんだ?」 時空奉行に尋ねた。


「とりあえずは山をおりて都へ行け。藤原頼弘というのがこの時代のお前の名前だ。従四位だからなかなかの高級貴族だぞ。ありがたく思え。」

「よくはわからんが、良さそうだな。でもおれは本当に平安時代に来たのか?」

「ああ、嘘だと思うのならとりあえず山をおりて都へ行くことだな。宮中にはお前さんの居場所もちゃんとある。」


「その藤原なんとか、ってのか?」

「そうだ。藤原頼弘だ。貴族ライフを堪能するんだな。じゃ、大輔さらばじゃ。」

時空奉行の余韻が消えた。

 大輔は一人になった。そしてたまらなく不安になった。

「でもここにいても仕方ない。都へ行こう。」


 大輔は決心した。そばに転がっていたカバンを拾って歩き始めた。このお宮さんはどうやら山の中腹にあるらしい。大輔は下り坂を選んで歩いた。簡単な地図を作りながら都を目指した。

 小一時間ほどすると山の麓にある村に出た。民家も見えてきた。粗末な民家だ。人もいる。畑を耕している。ぼろのような服装だ。

 明らかに平成ではない! 本当に平安時代なのか!! 大輔は愕然とした。

 畑を耕している農夫と目が合った。農夫もこちらを見て驚いた様子だ。大輔はそそくさその場を立ち去った。


 その村から都まではありがたいことに一本道だった。ほどなく都が見えてきた。だがそこからが一苦労だった。平安京はとても大きい。入口を探すのに手間取った。何とか入れるところを見つけた。

 恐る恐る門から中へ入ろうとした。門には番兵が二人目を光らせている。大輔は遠慮がちに近づいた。すると、


「これはこれは藤原頼弘殿ではございませんか。鷹狩りからのお帰りですな? それにしてもそのおびただしき服装は! いかがなさいました?」 番兵の一人が明るく出迎えた。


大輔は自分がここでは頼弘という貴族になっているという時空奉行の言葉を思い出した。ところで大輔は平成の時代から来たままの格好なのだ。ワイシャツにズボンの服装だ。

「えっ、鷹狩り?」 上手く返せない。するともう一人の番兵も

「頼弘殿と言えば宮中きっての鷹狩りの名手。その出で立ちは新しい鷹狩りの衣装でござるか? しかしその衣装は帝からのおとがめがあるやもしれませぬ。」


マズイ事になった。この番兵たちに逮捕されるかも知れない、大輔は思った。

「とえあえず頼弘殿、ご同行願えませぬか? 検非違使けびいしに一言ご報告すべきとお見受けいたしました。」 番兵の一人が言った。

「何、心配いりませぬ。報告が済めば自由になれます。とりあえず参りましょう。」 

もう一人の番兵が言った。ふたりの番兵たちの言い方は優しく、奉るような言い方だったが、絶対に譲らないといったふうな強制を込めた言い方のようにも聞こえた。


 大輔は仕方なく番兵たちに連行されて行った。何やら大輔の時代で言う警察のような役所だろうか? そんなところへ連れて行かれた。三人は中へ入った。

「たいふ殿はおられるか? ご報告したきことあって伺い申した。」 番兵の一人が大きな声で言った。

「なんの用じゃ?」 奥から女官が現れた。煌びやかな服だ。これを十二単というのだろう。ぎょっとした。大輔も間近で見るのは初めてだった。でもこの女官誰かに似ているなあ。誰だっけ?


 女官も大輔を見て少しぎょっとした様子だった。

「番兵ども。ご苦労でござった。持ち場へ戻れ。そちが頼弘殿か? 見慣れぬ服装じゃのう。」 番兵たちは帰り、女官と大輔の二人だけになった。

「頼弘っての止めてくれないか? そんなのついさっき勝手につけられただけだし。」

大輔は不満そうに言った。

「ならばそなた、名はなんと申す?」 女官が大輔に尋ねた。


「おれはねえ、小野大輔オノ ダイスケって言うの。」 ぶっきらぼうに答えた。

女官は紙と筆を持って来させた。そして書け、と大輔に命じた。

大輔はサラサラ、っと名前を書いた。


「まあ、いとおかし。我が名と全く同じじゃ。」 女官がうれしそうに言った。

「えっ?」 大輔は驚いた。

「我が名は小野大輔おのの たいふ。この検非違使の女官じゃ。大輔は女官の役職じゃ。衛門府の官と兼ねておる。」


「あなたも小野さんなの?」 ダイスケがいたずらっぽく聞いた。

「小野道風さま、小野小町さま。皆我一門じゃよ。」 誇らしげにたいふが言った。

「じゃ、おれはあんたらの子孫なのかねえ。」

「子孫とは?」

「信じてもらえねえかもしれないけど、おれは今日未来の世界から来たの。タイムスリップして。」

「まあ、片腹痛い。タイム何とかとは悪霊の祟りかしらん。」


「とりあえずしばらくはこっちの世界で住むからよろしく。頼弘ってのは家もあるんだろう? 帰してくれないか?」 ダイスケは言った。

「ダイスケ、そちのことは本当なら衛門のかみにも上奏せねばならないところだが、特別に許す。今日のところは我が家に来い。食と一晩の宿を取らせる。」

 こうしてダイスケの平安時代での滞在がスタートした。


 

◇治安元年3月24日


 辺りがだんだん騒がしくなってきたので目が覚めた。腕時計を見るとまだまだ4時半だ。まだ薄暗い。あと1時間以上は寝ていられる、ダイスケはそう思っていた。しかしそうはいかなかった。5分後にたいふの下男が叩き起こしに来たのだ。


「これはこれは頼弘さま。早く起きなければ。」

「まだ夜明け前だろう? もっと寝かせろよ。」

「なりませぬ。都では夜明けの刻が仕事のはじめ、遅刻はいけませぬ。お食事をとるなど準備もありましょう。都の常識でございます。」


仕方なくダイスケは起きた。まだまだ眠たかった。たいふの家で出された夕食はひどかった。そのせいか今朝は胃腸の調子がすこぶる悪い。あの煮魚、味付けは本当にまずかった。飲めないと断ったのにお酒、それも濃いどぶろくか何かを出されて二日酔いだ。下痢しなければいいのだが。ダイスケは思った。


 ダイスケは着替えた。いわゆる束帯というのかな、貴族が着る正式な服だ。おれが着てもちっとも様にならないな、ダイスケは思った。やがて下男が洗顔用の水の入ったたらいを持って来たので顔を洗った。井戸端かどこかで洗うほうがいいな、とも思った。


 そうこうしているうちに今度は下男が粥を持って来た。どうやら朝食らしい。胃腸の具合の悪い今はそんなものがぴったりだ。本当なら朝はパンがいいのだがそうも言っていられない。ダイスケはサラサラと粥を平らげた。食べ終わるとたいふがやってきた。


「ダイスケ、昨夜はよく眠れたか?」

「ああたいふさんよ、おはようさん。」 たいふにあってダイスケは少し安心したようだ。

「出仕までまだ少しときがある。朝の準備じゃ。真似を致せ」

ダイスケはたいふのやる通りにした。どんな意味があるのかよくわからない。鏡を見て身だしなみを整えたり髪にくしを入れたりはまだわかる。あとのお念仏みたいなものを称えたり、吉凶を占ったりするのは何なんだ? ダイスケは思った。


 やがて出仕の時間だ。夜明けとともに宮中の活動がスタートしたようだ。ダイスケはたいふに連れられてまず朝堂院というところへ連れて行かれた。朝座、今で言う朝礼があるらしい。朝座はつつがなく終わった。その後は執務だ。朝座についた宮中の貴族や女官たちはそれぞれ曹司へと赴いた。ダイスケはたいふについて検非違使の役所へ行くことになった。どうやらたいふの仕事を手伝えばいいらしい。


 検非違使では山積みの書類を手渡された。これらに目を通すように、検非違使の長に言われた。でも書いてあることがあまりよく分からない。やたら漢字が多いのだ。現代の漢字とはまた違うな、ダイスケは思った。高校のとき国語で漢文を習ったがそんな感じかな、もっと学校の勉強をしておけばよかった、ダイスケは悔やんだ。ひらがなで書かれた書類もあったが、これはたいふが書いたものだろう。つづけ字なのでさっぱり分からない。たいふに質問しながら読んだ。


 今度は別の仕事を言われた。どうやら会議に出席すればいいらしい。ダイスケはたいふとともに向かった。会議の席ではとりあえず様子を見た。自分にも分かりそうなところだけ発言もした。初出場で2回も発言したのは立派だ、ダイスケは思った。


 会議はそれでお流れとなり、食事が運ばれて来た。ダイスケの腕時計は10時を指していた。食事は炊いたご飯にみそ汁、いわし煮、なますだった。お腹が空いていたのでとてもおいしかった。ご飯をおかわりしかたったがそれは遠慮した。


「ダイスケ、どうじゃ宮中は?」

「ああ。それなりにいいよ」 ダイスケはやや強がりを言った。そしてたいふに尋ねた。

「昼からもこんな感じなのかい?」

「おほほっ。、仕事は午前中までじゃ。昼からは働くのは宿直のものだけじゃ。今日は宿直にあたっておらぬ。貝合わせの会に出ねばならぬしな。」


「おれもでなきゃいけないの?」

「そうじゃ。そちもじゃ。」 たいふは言った。

 

 昼からはたいふが言った貝合わせの大きな会があった。貝合わせって何だろうか、ダイスケは思ったが、どうやら絵のついた貝殻を裏向きにしてめくり、同じ絵だったらもらえるという言わば神経衰弱のようなゲームらしい。ダイスケにとっては苦手なゲームだ。それでも午後のうちに5回やって個人戦は2勝3敗、まずまずの成績だった。単純な遊びだけど意外とハマるな、ダイスケは思った。団体戦はたいふとチームを組んだ。


「ほらっ、そこ。その貝殻じゃ。」

「違うぞ。こっちだ。えいっ、あっ、間違えた。」

「もう、ダイスケ。言わぬこっちゃない。」 ダイスケの記憶力の悪さにたいふも呆れた様子だ。試合も負けてしまった。


 夕食はダイスケの時計で4時前だった。曹司を出て、たいふの家でよばれることとなった。今夜は魚はなく、粕漬けと和えものがおかずで、塩とみそがそのまま出された。たいふやほかの人たちは食していたが、ダイスケはどうしていいか分からず、残した。

「塩とみそ、食わぬのか?」 たいふが尋ねた。

「悪いけど、こんなものが出てくる意味がわからない。」 ダイスケは言った。

「もったいないのう」 たいふは残念そうだった。


 夕食が済んだらあとは早かった。暗くなるとたいていの人は床についた。ダイスケもそれにならった。まあ、電気もない時代だし、それは当然だった。腕時計はまだ7時すぎだったが、朝は早いことだし寝ることにした。なれない布団、なれない枕で眠れなかった。疲れていたのでわりと寝つきはいいはずだったが、夜中に目が開いたりもした。 

  


◇治安元年4月1日


 こうして平安朝に来て1週間が過ぎた。ダイスケは平安朝の生活に明らかに馴染んでいなかった。正直元の世界へ帰りたかった。


 4月になり、宮中も桜の季節となった。帝を交えての盛大な歌の会が催されることとなった。これには当然ダイスケもたいふも参加した。今から千年前の春も桜は咲き誇っていた。やっぱり千年前も桜は花の王様だった。出された食事も豪華だった。お頭付きの鯛に鴨、あわびとうにの和物、里芋の煮転がし、寒天、白米、唐菓子、果物といったラインナップだ。


 やんごとなき人たちが一人一首ずつ詠んでいく。でもダイスケは詩歌なんて知らない。どうしよう。困惑した。やがて自分の番が回って来た。


「藤原頼弘殿、一首どうぞ」 もう逃げられない、ダイスケは覚悟した。

「明日ありと・・・」 ダイスケは詠じた。一同が静まり返ってダイスケの歌に耳を傾ける。

「思う心の仇桜。夜半に嵐の吹かぬものかは。」 と詠じた。

おおう、どよめきが走った。やがて割れんばかりの拍手に変わった。


「鮮やかですなあ」

「この世の無常、まさにそのままじゃ。」 皆が口々に褒めちぎる。

帝も深く感心したようで立ち上がった。

「頼弘とやらに褒美を取らせよ。白米一俵じゃ。かの歌を竹帛に記せ。」 

と、帝はのたもうた。ダイスケは一躍宮中のヒーローとなった。



散会後、たいふがダイスケに尋ねた。

「ダイスケに歌の才能があったとはのう。」

「あれは盗作だ。おれが作ったんじゃないのさ」 

ダイスケはたいふには隠さずに言った。


「この時代からたしか100年か200年後の人で親鸞という偉いお坊さんがいて、その人が作ったものさ。うちは浄土真宗だからな。おれは詩歌なんか全然さ。」

「どうしてダイスケがその親鸞なる人物のことを知っておる?」

ダイスケは正直に答えた。


「おれは今から1000年未来からタイムスリップしてこの時代に来たんだ。と言っても誰も信じてくれないと思うけど。」

たいふはこの話にかなり興味があるらしい。ダイスケに根掘り葉掘り聞いた。ダイスケの話に驚きを隠さなかった。


「わらわもそちの時代に行ってみたいのう。行けるものならば」 とも言った。

「たいふにも家庭があるだろう、旦那さんとか子どもとか」

「わらわの夫はもう通って来ぬ。捨てられたも同然じゃ。」

寂しそうにたいふは言った。


「わらわは22歳で結婚した。主人はわらわよりもずっと年上の人で、再婚の人じゃった。最初は足繁く通ってきたがいつしか来なくなった。子はおらぬ。」

「22歳か・・・早くに結婚したんだね。」

「違うぞ、この時代なら結婚はみな10代じゃ。わらわは行き遅れなのじゃ。」


「そうか・・・悪かったな、たいふ。興味があるなら一度来るか、おれの時代?」

「おおっ、いいのか? わらわも行くぞ。」

「おれもそろそろ帰ろうと思っていたんだ。今はとにかく肉が食べたい。」

「四足のけものの肉は食してはいけないこととなっておる。」

「おれの時代では普通にあることなのさ。」


「わらわも本当なら食べてみたかったのじゃ。」 肉と聞いてたいふもうれしそうだ。

 そのときだった。急に天候が怪しくなり、雷が落ちた。宮中がやけに騒がしい。人々が叫ぶ声がする。

「火事だ! 水を持て!!」 どうやら落雷による火事ならしい。

書庫が燃えているらしい。そこにはダイスケが詠じた歌を書いた竹帛がある。


「書庫が燃えてしまった。藤原頼弘殿の名歌が・・・燃えてもうないのじゃ。」

消火に当たった下男が肩を落としている。

「ダイスケ、きこえるか」 聞き覚えのある声がする。そうだ、時空奉行だ。

「どうした、奉行さんよ。ここはパワースポットじゃないぞ」

「それはいい。ところでダイスケには言わなかったか? 歴史を変えることはしてはならんと」


「ああ、それであの歌が」 ダイスケは姿の見えない時空奉行に向かって返事した。

「そうだあの歌はあくまで親鸞さまのものだからな。以後気をつけろよ。」

「悪かったよ、奉行さん。近々平成に帰るかもしれんがまたよろしくな」

時空奉行のオーラがその時消えた。


「今のはなんなのじゃ?」 たいふが尋ねた。

「時空奉行といってな、おれを千年未来からここへ連れてきた人さ。」

と、ダイスケは答えた。



◇治安元年4月2日


 ダイスケとたいふは平成の世へ行くこととなった。たいふが強く希望したのだ。

「はい、これがおれの時代の服。まあ、ワイシャツとズボン、って言うんだけどさ。京を出てから着替えるからさ。」

「これ、ダイスケの服か?」

「そうだよ。たいふにはおれの時代に着いてからおれの女房のを貸すからさ。」

「ダイスケの時代はみんなこんなわいしゃつとやらを着るのか?」

「うん、まあね。でもTPOに合わせてだけどもね。」


「てぃー・ぴー・おーって?」

「とき、場所、目的さ。きみだって四六時中十二単じゃないだろう?それと一緒なんだ。ささっ、早く出かける準備して。右大臣様にはおれの方からたいふと鷹狩りに出るといってある。供もわずかだけだ。誰もお供がいないってのはダメだからね。」

「ダイスケって仕事が早いのね。さすがじゃ。」


「これは仕事だとはいえないね。ホビーだ。」

「ほびーって?」

「ごめん、趣味だよ。仕事以外。さあ、出発だ。」

二人は支度して出かけた。


朱雀門のところで、番兵に止められた。

「これは頼弘殿、たいふ殿! 鷹狩りですな?」

「さよう。門番、ご苦労である! 少し出かける。」

「しかしお供がたった二人とはちと少ないのでは?」

「構わん。遠くへは行かん故だ。」

「では、お気をつけて。」

「かたじけない。」


ダイスケとたいふの一行は門を出た。

「うまく行ったわね。」 たいふがお供に気付かれないよう小声で言った。

「まあね。」 ダイスケも小さく笑って応えた。


 一行は京のはずれの山を目指して歩いた。道はダイスケが覚えていた。

 山のふもとの人気のないところで供の一人がダイスケに声をかけた。

「頼弘殿、この辺りがよいのでは?」

「そうだな。」 ダイスケはうなずいた。

「よし、ここからは供の必要はない。お前たちはここで待て。」


「しかし、この辺りでは危険かと・・・」

「構わん、命令だ。ではたいふ殿、参ろう。」

「はい、頼弘さま。」 たいふは応えた。

ダイスケとたいふの二人だけで山を登っていった。


 「ダイスケ、ちゃんと道は覚えているのか?」 たいふが心配そうに言った。

「ああ、大丈夫なはずなんだけど。」 ダイスケは応えた。

さらに山間の獣道を行くと何度も分かれ道にぶつかった。

「こっちが右で次が左・・・」 ぶつぶついいながらダイスケは進んだ。たいふは不安になった。


 二時間くらい歩いただろうか? 壊れかかったお宮さんに出くわした。

「あった。ここだ。」 ダイスケは叫んだ。

「とりあえずおれは着替えるぜ。」


 そのとき、

「こんにちわ。」心に直接話しかける声がした。たいふにも聞こえたらしい。二人は視線を交わした。

「会いたかったぞ、時空奉行!」 ダイスケが声に出して叫んだ。

「ダイスケ、久しぶりだな。平安時代でうまくやっているようだな。」

「ありがとう、奉行さんよ! でも少しもとの世に帰りたくなってな。」

「怖気づいたか?」 おどけて時空奉行が言った。

「まあそういうところかな。何、彼女におれの時代をちょっと見せてやるだけだ。」


「そうか、お前さんが来た時代にやればいいんだな?」

「頼む、奉行。西暦2013年7月26日、いや27日だ。」

「分かった、光の泉に入るとよい。そちらのお嬢さんもな。よいか、決してつないだ手を離すでないぞ。」


「お嬢さん? 年増だぞ。」 ダイスケが意地悪く指摘した。

「もう、余計なこと言わなくていいのじゃ。」 たいふが呆れて言った。

二人は手をつないで光の泉へ入った。



◇平成25年7月27日 土曜日

 「うーん、」 

 ダイスケは目を覚ました。気がつくと二人はお宮さんに倒れていた。あの、例のダイスケが仕事の帰り缶コーヒーを飲んだところだ。コーヒーの空き缶が転がっている。

 「たいふ、起きろ。おれの時代へ来たよ。」

 「時代・・・これがそちの時代なのか?」

たいふは狐につままれたように辺りを見回した。


「そう、これがおれの時代。2013年7月・・・何日だ?」

そのとき、

「7月27日だ。お前さんがタイムスリップをした日の次の日に帰してやったぞ。」

時空奉行の声がした。


「助かるよ、ありがとう。奉行さん!!」

ダイスケは礼を言った。

「さあ、とりあえずおれの家にでも行こうか。」 ダイスケは言った。

二人はお宮さんを出て歩き出した。


 家までの道、たいふは目を丸くして街の様子を見た。

「ダイスケ、これがそなたの時代なのか? い、異国のようじゃ。」

「驚きだろう? たいふ。そう、これがおれの時代。平成の日本さ。」

「ここは京なのか?」


「違う。ここは東京っていうんだ。平安時代では東京は何もないところだけど、平安時代よりずっと後の、江戸時代からはここが日本の中心になるんだ。」

 ダイスケはそう説明した。やがてダイスケの家に着いた。二階建ての、白いハイツだ。二階の手前から三軒目がダイスケの部屋だ。元々妻もいたが今は一人で住んでいる。


 二人は階段を上がった。鍵はダイスケが空け、部屋に入った。

「まあ、狭いところじゃ。うさぎの家のようじゃ。」 たいふが呆れて言った。

「悪かったなあ。きみもアメリカ人みたいなこと言うんだな。」 ダイスケがうんざりして言った。

「あめりかじん、とは?」

「異国の人のことだよ。」


「唐とは違うのか?」

「それよりもずっと遠い異国さ。ねぇ、それよりお腹空かないか?何か用意するけど。」

「急げ、ダイスケ。わらわは腹がへっておる。何でも良い。いたせ。」

「白いご飯にするか? パンもあるけど。」

「そのぱんとやらを食べてみたいのう。」

「きみ、パンを知っているの?」


「知らんが、ダイスケの時代のことを知りたいのじゃ。」

「分かった。パンを焼いてあげよう。せっかくだからコーヒーもな。」

「よきにはからえ。」

ダイスケはトースターに食パンを2枚入れ、コーヒーの用意を始めた。


 「テレビでも見ようかな」 ダイスケはテレビをつけた。ちょうどスポーツのニュースをやっていてプロ野球・楽天対ロッテでロッテの井口が2000本安打を打つも試合は楽天が勝ち、エース田中は14連勝、と報じていた。初めて見るテレビにたいふは驚きを隠せない。

「ワー、この箱不思議。誰か入っているのか?」

「いやいや、遠くの画像っていうか風景でも居ながらにして見える機械さ。」


やがて朝食の用意が整った。トーストにコーヒー、あとバナナを一本ずつダイスケは用意した。ダイスケは自分のトーストにマーガリンを塗った。

「のう、それはなんじゃ? パンとやらに塗る味噌か何かか?」 たいふが尋ねた。

「ああ、これ? マーガリンって言うんだ。パンの味付けだよ。たいふも、どう?。」


ダイスケがすすめた。たいふもならって自分のトーストに塗った。

「うまい!」 マーガリンを塗ったトーストをひと口食べてたいふが叫んだ。

「ほんと? きみ、パンの味がわかるの?」 ダイスケも驚いて尋ねた。

「わかる、わかるぞ、ダイスケ。そなたはこの世界でこんなうまいものが食える身分か?」


「とんでもない、おれは貧乏人さ。この時代では普通にある飯だよ。きみがパンに塗ったのはマーガリンって言うんだけど、もっと高いやつでバターってのもある。パンだって、これは一斤78円だけど、もっと高くて美味しいのもあるし。」


 たいふにとっては初めての平成の朝ごはんは二人で随分賑やかなものとなった。たいふには平成の食べ物は合うらしく、コーヒーもバナナもうまいと言って平らげた。

 朝ごはんはこうして無事終了し、かたづけもダイスケが済ませた。さて、これからどうしよう、という時にダイスケがたいふの髪を切ろうと言った。

「きみは平安貴族だからそんな長い髪で普通なんだろうけど、おれの時代ではそこまで髪の長い人は一人もいないんだ。」


「ならぬ、ならぬぞ、ダイスケ。髪は女の命じゃ。出家するならいさ知らず、意味も無く切るのはダメじゃ。」

「外に行けばもっとうまいものが食えるぞ。さっきのパンより。」

「なぬ、それはマコトか?」

「ああ、そうさ。こっちの時代の方が、よっぽど楽しいと思うぞ。」

ダイスケはにっこりした。


「いい美容院紹介するからさ。お金くらいおれが出すし。」

二人は駅前の美容院にカットに行くことにした。ダイスケは妻の部屋から着替えをもってきた。たいふはまだ平安時代の外出着のままだったのだ。


「はい、これがおれの時代の女物の服。まあ、Tシャツとジーンズ、って言うんだけどさ。あと下着と。十二単なんか誰も着ないんだ、おれの時代では。おれもこんなのに着替えるからさ。」

「これ、ダイスケの服?」

「まさか。女房のだよ。あいつが残していったんだ。」

「おおきに、借りるぞ。・・・あら、まっことかわいい。ダイスケの時代はみんなこんなのを着るのか?」


「うん、まあね。でもTPOに合わせてだけどもね。」

「とき、場所、目的か?」

「よくおぼえているねえ。」

「た、たまたまじゃ。」

「さあ、早く着替えて。」

二人はTシャツどジーンズに着替えることにした。


「お前、随分いい体してんだな。」 たいふの生着替えを見てダイスケが感心した。

「もう、この助平男!」 たいふが怒って赤面した。

二人はさっそく駅前の美容院に向かった。


美容院に着くとダイスケが店員に言った。

「すいませーん。この娘の髪切ってもらえません?」

店員たちはたいふを見てとても驚いた。

「まあ、とっても長い髪!! どうしてこんなになるまで?」

「じつはある罰ゲームで・・・」 ダイスケは思いついたウソを言った。


「それはお気の毒に。ならカットしましょう!」 

若い男性の美容師が明るく言った。

「あの、予約はしてませんが・・・」 ダイスケは遠慮がちに言った。

「いいですよ、今はほかのお客様の予約入ってませんし。では、お嬢さん、こちらへ。」

「いや、お嬢様ではなく、トシいってるんですけど・・・。」 ダイスケはこの美容師にはやや言いにくそうに言った。


「またそれか。もう良い!」 たいふがうんざりしていった。

「ああっ、そうだ。このコ、テレビ全く見ないんです。見たことないっていうか。だからそんな話しないでくださいね。」 ダイスケが付け加えた。

「かしこまりました。可愛くして差し上げましょう。さあ、こちらへ。」


 40分くらいしてたいふがカットを終えて戻って来た。

「すっきりしたね! ショートにしたの。いいよ、似合ってる。」 

ダイスケが感心して言った。


「うれしいのう。あの切り師の男がな、雑誌なる書物を持って来てな、いろんな髪型を見せたのじゃ。どれがいい?って聞くからこれにしたまでじゃ。そんなにいいか?」

「うん、すごくいい。長いのより断然いいよ。」 

ダイスケは褒めちぎった。そこへ店員がやってきた。


「お客様、ありがとうございます。1万8000円です。」 店員が請求した。

「1万8000円!!」 ダイスケはびっくりして大きな声を出した。

「今回は女性の方のご要望でストレートパーマとカラーもさせていただきました。」

「うーん、痛いな。」 ダイスケは渋々勘定を支払った。


「切り師がパーマとやらを勧めたから応じたまでじゃ。」

たいふが平然と言った。


 美容院を出た二人は今度は渋谷へ行くことにした。ダイスケの出費は痛いが、たいふに平成の日本を見せる唯一のチャンスだと考えたからだ。二人は電車に乗り、渋谷を目指した。初めて乗る電車にたいふは大興奮だった。


「おびただしい乗り物じゃ。馬が引っ張っているわけでもないのに馬よりも速く走りよる。それに外は暑いのにこの中はまるで氷室のようじゃ。」

「凄いだろう? 電車って言うんだ。電気って言うエネルギーで走るおれたちの時代の足さ。車内は電気の力で冷房が効いている。」 ダイスケは得意げに言った。


「それはどうやって手に入れるのじゃ?」

「発電所で起こすんだけど・・・。発電にはさまざまな方法があるよ。水の力でする水力と石油や石炭でする火力。あと原子力発電もあるけど、これには反対する人も多い。それだけ危険なんだ。」

「どう危険なのじゃ?」 たいふが興味深そうに聞いた。

「放射能って言って危険なものが発電所の外に漏れる可能性があるからなんだ。二年前東北、いやきみの時代でいう陸奥の国で大きな地震があって発電所が被害を受け、放射能が漏れた。」


「なぬ、陸奥の国でか! よく分からんが由々しきことじゃ。」 たいふも少しショックなようだ。

 そんな話をしながら電車も2度ばかり乗り換え、渋谷にやってきた。駅を出て二人はかの有名なスクランブル交差点に来た。初めての渋谷にたいふは並々ならぬ興奮を覚えた。

「凄い人! 凄い建物! 鉄の車! 恐ろしいくらいじゃ。わらわの時代とは大違いじゃ。」 たいふは興奮を隠せない。


やがて信号は赤から青に変わった。人々は一斉に歩き出した。二人もそれにならった。

「すごいねぇ、たいふ。」 ダイスケが感心して言った。

「えっ、なんのことじゃ?」 たいふが聞き返した。

「きみ、信号わかるの? 青に変わる直前から渡ろうとしたから。」

「分からん、分からん。信号など知らんぞ。ただ皆が歩き出そうとしたから歩き始めただけじゃ。」 たいふはやや苦しそうに答えた。そして、


「のう、これからどうするのじゃ?」 と、ダイスケに尋ねた。

「そうだなあ、おれの服でも見に行くか。」

「そちの服なら今着ておるではないか。」

「ちがうよ。新しいのを買いに行くんだ。」

「ならばわらわのも買ってくれるか?」

「ああ、いいよ。安いのがあればね。」

二人は渋谷109へ入ることにした。


 約1時間、様々な店内を覗いて商品を物色しただろうか。たいふは白と青のTシャツを1着づつ、チノパンを1本買った。ダイスケも黒っぽいTシャツを1着だけ買った。


「ダイスケはひとつだけでいいのか?」

「ひとつでいい。今日はもう出費が多すぎて予算オーバーだ。」

「そのお金とやらがなくなったのか?」

「ああ、そうだ。」

「すまなかったのう、ダイスケ。」


「それはいい、たいふ。きみもせっかく平成の世に来たんだから。Tシャツ、平安朝でも大事に着てくれよな。あと、最後にどこかで飯でも食わないか?」

「すまんのう。わらわも腹ペコじゃ。ならばよさそうな店を見つけたぞ。」

「どうやってわかったの?」

「い、いや・・何となくじゃ。そんな気がしたのじゃ。」

二人はその店へ行ってみることにした。109からは歩いて5分ほどの距離だった。


 「あそこじゃ。」たいふが指差した。ビルの2階にハンバーグ、オムレツ、ステーキと書かれている。洋食のレストランだった。


「きみ、ハンバーグって知っているの?」 ダイスケが驚いて尋ねた。

「し、知らぬ。そんなもの知らぬ。だが、見よ。多くのものたちがうまそうに飯を食っておる。」

確かに人々が食事をしているのが二人がいる位置からでも見える。

「確かにあそこなら特別高くはないし・・・まっ、いいか。入ろう」

「うれしいぞ、ダイスケ」 二人はそのハンバーグレストランに入った。


 食事時だったので店はかなりの人だった。待つこと約30分、二人はテーブルへ通された。たいふは明らかにイラついていた。


 ウェイトレスが注文を取りに来て、ダイスケはレギュラーサイズのハンバーグセットを二つ注文した。だが、これにはたいふが物言いをつけた。

「ケチなことを言うな、ダイスケ。わらわのハンバーグはラージサイズのじゃ。」

「きみ、平安朝でハンバーグなんて食べたことないだろう?」

「構わぬ、誰がなんと言おうとラージサイズじゃ。ダイスケには褒美をとらす。」

ダイスケは注文を変更し、ラージを頼んだ。また、たいふのためにお箸も頼んだ。


 料理はなかなか来なかった。今度はダイスケがイラついた。

「遅いな。」 二人はイラつきを隠せない。

 待つことさらに30分。やっとハンバーグが来た。たいふは恐ろしい勢いで平らげた。

「ダイスケ、こんなうまいものは生まれて初めてじゃ。おかわりを持て。」


「たいふ、それはなあ。おれの財布が・・・」

「命令じゃ。代わりを持て。後で褒美をとらす。」

「もう、今回限りだぞ。」 ダイスケは渋々ウェイトレスをコールした。

 

 二皿目のラージハンバーグを貪り食うたいふの姿を見て、ダイスケの頭の中にはある疑念が湧きおこっていた。たいふは平安朝の人のはずなのにものすごくこの今の日本の社会にも順応が早い。ハンバーグのことも前から知っていたみたいだ。ひょっとしたら・・・


 ダイスケはある作戦を思いついた。家に帰ったら実行だ。

 結局、ふたりの食事代およそ6000円はダイスケがカードで支払った。二人は食事のあと電車を乗り継いでダイスケの家まで帰った。


  最寄りの駅から近いスーパーで買い物をして帰った。家に帰るとダイスケは裏紙にマジックで大きく「恋」と書いてテーブルの上に置いておいた。たいふは家に帰るとしばらく部屋で帰りに買ったお菓子を食べながらテレビを見ていたが、部屋から出てきた。しばらくしてその紙を見て


「ダイスケ、何じゃこれ?」 ダイスケに尋ねた。

「まあ、おれのきみに対する気持ちかな。」 ダイスケは照れずに答えた。

「あら、うれしい。わらわにこいなんて。」 たいふは少し喜んだ。

「たいふ、今なんて言った?」

「えっ?! だからわらわにこいと・・・」


「かかったな、たいふ。」 ダイスケはほくそえんだ。

「この恋という漢字は平安人であるきみは知らないはずの漢字だ。きみの時代では戀と書くんじゃないのか?」

大輔は恋の脇に戀と書いた。

「そ、そんなことはないわ。わらわの時代も一緒じゃ。」 たいふはやや怯えながら遠慮がちに否定した。


「この恋という漢字は第二次大戦後教育されるようになった漢字だ。きみは今日街でいろんな看板や広告を見てほとんどちゃんと理解していた。からだ(体)とかまなぶ(学)などと同じ、戦後教育を受けたものにしか分からない新しい漢字をだ。外来語や英語の単語もだ。きみは明らかに戦後教育を受けている。おれと同じ時代の人間なんだ。なあ、たいふ。答えてくれないか? きみは一体誰なんだ? どこから来たんだ?」


 たいふの顔はこわばった。

「そ、そなたに話すことなんて何もないわ。」 しどろもどろに答えた。

「さっきおかしを食べながらテレビを見ていたけど、その姿だってすごく慣れていて平安人じゃないし。きみは平安人じゃないね。平成の人間のはずだ。いい加減その下手くそな平安時代ごっこを止めたらどうなんだ?!」


「・・・」

「いったい誰なんだ!」 ダイスケは叫んだ。

沈黙があってたいふが答えた。「まりりん・・、まりりんよ。」

「はあ?」


「私の名前は棚倉真里花。まりりんよ。」 たいふ・・真里花が答えた。

「まり・・りん? まさかあの失踪したアイドル歌手の?」 ダイスケ(大輔)が尋ねた。

「そう。あの歌のヘタなね。」 真里花がにっこりした。

「きみの顔、道理で見たことがあると思ったよ・・・」 大輔はきつねにつままれたように真里花を見た。


「大輔がYシャツ姿で宮中にやって来たときはホントびっくりしたわ。」

真里花が大輔の淹れた冷えたアイスコーヒーを飲みながら言った。

「はじめは時空奉行の部下かとも思ったの。私を未来の世界に連れ戻しに来たのかな、って。そうじゃなくて私みたいに平成の時代から来たんだって聞いて驚いた。私と一緒だ、ってね。」


「聞かせてくれないか、たいふ、・・いや真里花。きみが今の世の中から平安時代へ行ったときのことを。」


「その前に、私のアイドルとしての長い身の上話をしなきゃいけないと思うんだけど、構わない?」

「構わないよ。だけどもう夕食の時間だ。話は明日以降にしよう。」 

と、大輔は答えた。


 結局、その日は真里花は大輔の家に泊まることとなった。夕食は簡単なものを二人で作って食べた。一人のときより断然おいしかった。やっぱり誰かと一緒がいい、大輔は改めて思った。

「お風呂入りたいんならいつでも勝手に入って。着替えはおれの女房の着ればいい。」

「ありがとう大輔。奥さんの借りるね。」

真里花はうれしそうに言った。



◇平成25年7月28日 日曜日

 

 遠慮して寝室は別にした。日曜日だったので9時までしっかり寝た。朝食も二人で用意して食べた。

 10時前に朝食を終えた。昨日の話の続きをしよう、大輔は言った。

 真里花はこう切り出した。


「私は1981年、昭和で言うと56年かな? 12月14日生まれ。今年の誕生日で32歳になるの。今31歳。大輔はこの時代は2013年だって言ってたからぴったりね。平安朝でもずっと自分の生きていた日にちを日記につけてたの。10何年経って大輔に会ったときもたった1日しか間違ってなかったわ。」


「へえ、それはすごいなあ。おれだったらもう日にちなんてすぐ忘れちまうぜ。」

「アイドルの自分が厭で世を捨てて平安朝に来たのに、捨て切ることが出来なかったのよ。馬鹿みたいね、私。」

真里花はいたずらっぽく笑った。


「でもね、平安貴族のふりして大輔をからかうの面白かった!」

「君の平安貴族、なかなか上手だったよ。途中までは信じてた。」

「ありがとう。でも大輔にご褒美を取らせることはできないの。本当にごめんね。」

そう言って真里花は続けた。


「私は1981年に埼玉県のM町というところで生まれて、そこで育ったの。性格はおとなしくて内気な感じ。とても歌手になるなんていうタイプじゃなかった。人前で話したり歌ったりなんでもう全然よ。でも、自分で言うのもなんなんだけど、かわいかった。中学卒業するまでに男の子から告白されたことが4回もあったの。すごいでしょ? アイドルになったきっかけも中学2年のときにお母さんが私に内緒でうちの事務所のオーディションに私の履歴書を送ったことだったの。」


「それで合格したんだね。」

「そう。トントン拍子に合格していって、最終審査の三日後に私の家に事務所の社長から電話があったの。採用って。一家で喜んだわ。両親も、弟も妹も。おじいちゃん、おばあちゃんもその日家に来てくれてみんなで祝ったの。おじいちゃん、おばあちゃんはもういないだろうなあ。元気にしてたらうれしいけど。」


「確か’97年だったと思うんだけど、君の曲が大ヒットしたね。はっきり覚えてる。おれが大学卒業してひとつ目の会社に入った年だ。」

「ええ、『ピンクな恋ゴコロ』ね。私の2枚目のシングルにして初のヒット曲よ。デビュー曲は『ロンリー・ガール』って言うんだけど、これはあまり売れなかったの。私初めてだったからすごくヘタだったんだけど。それでも5万枚は売れたから事務所の社長、私を採用したことに勝算を持ったみたいだったわ。」


「そしてその後、ピンクな恋ゴコロが大ヒット! おめでとう!!」

二杯目のアイスコーヒーを入れながら大輔が言った。私にも淹れて、と真里花が言った。

「ありがとう。ピンクな恋ゴコロも最初は売り上げはイマイチだったんだけど、有線から人気に火がついて売れ出したの。日を追うごとにヒットチャートを上りだして最高2位まで上がったの。あわや1位だった。セールスも92万枚の出荷。社長も男泣きに泣いて喜んだわ。『真里花、お前ならやってくれると思ってた』って。アイドル歌手になってよかったと思ったのはあのころくらいかな・・・」


「そうでもないさ。次の曲も売れてたじゃないか。」 大輔は真里花に肩入れして言った。

「そうねえ。三曲目は冬だったから『真冬の君に』っていう曲だったんだけど、これが約40万枚のセールス。私、自分の曲の中ではこの曲が一番好きなんだけど、前のに比べて売り上げは確実に落ちたわ。まあ、歌い手がヘタだから無理もないけど。」


「でもアイドルなんてみんなそんなのじゃないの?」

「私は特別なの。」 仏頂面で真里花は言った。

「でね、4枚目のシングル『Pure green』も10万枚しか売れず、マスコミは私を叩くようになったの。ファンに見捨てられた棚倉真里花、って。もう私、芸能界ではやっていけない、って思い始めた。でも社長はあきらめなかった。真里花を女優デビューさせるって走り回った。テレビ局や映画のプロデューサーのところへあいさつ回りして出演交渉した。そしたら1件、お仕事が来たの。イケメン俳優Sさん主演の『眠らない街』っていう映画よ。」


「その映画なら聞いたことあるな。Sっておれでも知ってる。確かおれと同い年なんだ、その人。」

「大輔って今いくつなの?」

「おれ? おれは38歳だ。1974年11月25日生まれだよ。」

「ならSさんと一緒かも。でねっ、映画の中で私はSさんの異母兄妹なんだけど、なんとSさんに恋をするの。でも結ばれずに失恋! SさんはヒロインのEさんと結ばれる、っていう映画。バカみたい。」


「Eか・・・一時期すごく人気あったけど、最近は聞かないな。」

「えっ、そうなの? 今でも活躍してると思ってた。ホントきれいな人よ。演技も上手いし。所詮私はEさんのピエロ役だわ。」

「きみが知ってるきみと同年代の人って誰がいるかなあ。そうだ、広末涼子とかいるな。」


「えっ、すごい?! 彼女、今でも活躍してるの?」

「うん、アイドル歌手から女優に変わって活躍しているよ。広末の出た映画、一度アカデミー賞も取ったんだ。日本のじゃないよ、世界のアカデミー賞。おくりびとっていう。」

「すごいなあ。涼子ちゃんならやっていけそう、って私も思ってた。」

真里花は感慨深げに言った。


「それでね、どんな職業でもそうかもしれないけど、アイドル歌手も仕事を通じていろんな人と出会わなければいけないの。私も人気獲得のためにあちこち行ったわ。」

「へぇ、例えばどんなところ?」

「一度プロレスの試合会場におじゃましたの。新しいファン層を掘り起こすんだ、って社長が言って。大輔そんなの好き?」

「プロレスか・・・昔はわりと好きだったな。でも今は興味ない。」

「私なんか全然よ。でもレスラーの人に私の大ファンがいるから会ってやってほしい、って社長が言うの。会ってみたらそのレスラー、真里花ちゃんの大ファンです、今日は真里花ちゃんのためにいい試合します、って1人で張り切っているの。握手までさせられたわ。ファンのためなら断れないのがアイドル歌手のつらいところね。」

真里花はさらに続けた。


「それでさ、いざ試合が始まって彼がリングで戦うの。もう、ホントに怖かった。場外乱闘とかもあって椅子で相手を殴ったりするのよ。私がそんなものに興味あるわけないじゃない! 社長はそんな試合を見て大興奮だったけど。結局彼は試合に勝ってリングでウォーって雄叫びあげてたわ。バカみたい。ねぇ、あんなのって八百長じゃないの?」

きっとそうだと思う、と大輔は答えた。


「それとか東大のP先生っていう教授にも会いに行かされたわ。経済学者で私の大ファンなんだって。若い人なのかな、って思ったら意外や40も過ぎた頭のはげたおじさんで。初めて会ったとたんにあなたははっきり言って天使です! なんて言うの。」

「東大のP教授ていったらかなり有名な先生だぜ。おれは東大じゃないけど、その先生の書いたテキストなら持ってる。新聞の社説なんかも書いている人だ。」

「大輔も経済学部だったの?」

「まあね。G大学だけど。」

「わあ、それもすごい。社長の息子さんと同じだわ。息子さんね、頭がよくて、とってもハンサムで。アイドルで恋愛禁止だったはずの私が唯一した恋だったわ。25歳過ぎてアイドル卒業したら息子さんと結婚して・・・とか考えたりもした。まったくもう、乙女心は計り知れないわね。」

真里花はニガ笑いしてアイスコーヒーを一口飲んだ。


「先生にとってきみは天使だったんだ。」 大輔が話の軌道修正をした。

「そう、P先生。先生の身の上話を聞かされたわ。中学高校と遊びもスポーツも何もしなくてひたすら勉強して東大に入った、と。東大に入ってからも勉強だけをして博士号も取って教授になった。両親は勉強以外に何も関心のない私を心配したけど、自分はそれでよかった。でもあるとき乾電池を買いに行った電器店でテレビに映った私を一目見てファンだって。いい歳した東大の教授がよ。どう思う?!」


これには大輔が補足した。

「P先生、結婚されたんだって。アイドルのきみみたいに若くてかわいい人とじゃないけど。時間はかかったけど、やっと勉強以外のことに興味が持てたって先生言ってたよ。きみは1人の人を救ったんだよ。素晴らしいことだと思う。」


「あと、私が平安朝に行った経緯も話さないとね。」

「そうだね。聴かせてくれる?」 大輔は身を乗り出した。

「テレビドラマの収録で夏に山奥でロケがあったのよ。私は端役だったんだけど行ったの。でも私、その頃はもう自分に自信を無くしていて。休憩時間にこっそり現場を抜け出したの。みんなにちょっと心配かけてやりたくて。その時、大輔も経験あるはずだけど、光の泉が現れて時空奉行の声が聞こえたの。」


「一緒だ、おれのときと。」 大輔もやや興奮して同調した。

「でしょ?! ピース。」 真里花がハイタッチを求めた。

「ピース。」 大輔も応えた。

「とにかく遠い時代へ、って平安時代に決めたの。気が付いたら山奥のお宮さんにいたの。『おのの たいふ』という貴族だ、って時空奉行に教わっていたから山を下りて平安京へ行ったの。案の定私の居場所はあった。」


「まったく一緒だ、おれもそうやって平安京へ行ったのさ。」 大輔も言った。

「私たちまったく同じね。まあ、私は300年後の時代の弁護士とか、江戸時代の芸者とかも勧められたけど、遠い時代がよくて。きっと時空奉行はいろんな人をいろんな時代に送っているのね。」


「君の失踪の事件は当時大きなニュースになったよ。アイドル蒸発ってテレビとかでも報道されてね。山奥に君のサンダルが片方だけ残っていたって言ってたな。」

「そう、私、光の泉に入るときにサンダルを落としたのね。お宮さんから平安京まではサンダル片方で行ったの。」 真里花はここでアイスコーヒーを飲んだ。


「以来私は10数年平安貴族として過ごしたの。元の時代へ帰りたいと思うこともあったけど、次第に慣れていった。でもあなたに会えてまた気が変わったの。うまくいけば帰れるのかも、って。」

「そうか、おれたち縁があったのかもな。おれもあっちの時代で真里花に救われたわけだし。」

「そう思う?」

「そうさ。」 少し微笑んで大輔は言った。


「じゃあさ、今度は大輔が私を救ってよ。それもいいでしょ?」

「どうやって? それにだいいち救う、って??」 大輔が尋ねた。

それには答えず、テレビのリモコンに手を伸ばして真里花が言った。

「・・・ねぇ、テレビ見ていい?」


真里花はテレビの方を見ながら寝そべった。

「真里花! なんだよ、はっきり言えよ!」

真里花は答えなかった。そのまま時間が少し流れた。

「おい、お前! 真里花!!」


「も~う、うるさい、大輔! 今テレビいいとこなの。後にして。」

真里花は大輔の方を見ようともせずに答えた。

「お前さ、真里花さ、聞けよ。お、おれはな、真里花が別にいたけりゃここにいてもいいんだぜ、少しくらいは。それで救うって言えるのかどうかは分からねえけどよ。」


「ありがとう。」 真里花は寝そべったまま言った。

「でもいつまでもここにいるのもお前も嫌だろ?」 

大輔はやや苛立って言った。

「ううん、わたしここにいる。もう決めたの。」


「いつまでだよ?」

「大輔のお嫁さんになるまでよ。」

真里花は平然と答えた。

「ああ、面白かった。」

テレビの番組が終わった。番宣では半沢直樹のことを報じている。最近視聴率がいいらしい。二人もその夜、半沢直樹を見ることにした。



◇平成25年7月29日 月曜日


「課長、おはようございます。小野です。夏休み前で大変申し訳ないのですが、今日から3日ほどお休みをいただきたいのですが。」


月曜の朝、大輔は上司の高村に電話を入れた。入社後1日たりとも欠勤や遅刻のなかった大輔の突然の申し出に高村は驚いた。


「田舎のお母さんに何かあったとでも言うのか?」 高村は大輔に尋ねた。

「ええ、まあそういうところで・・・」 大輔は語尾を濁した。

「小野君が休むとは珍しいな。まあ、しっかり親孝行してきなさい。」 そう言って高村は電話を切った。


「どうしたの、大輔?」電話していた大輔を見ていた真里花が尋ねた。

「会社に電話して有休を取ったんだ。君を預かっている以上、勝手に出社できないからね。」

「そんな~、お留守番くらいできるよ。」

「でも今のおれたちはまだ他人同士だ。」 大輔はやや冷たく言った。


「大輔、私の気持ちは言ったでしょう? お嫁さんになりたいっていう・・・」

真里花は食い下がった。

「ありがとう、真里花。気持ちはすごくうれしいよ。でも・・・」

「奥さんのことが気になるんだね。」


「ああ、気になるんだ。あいつにはまた帰ってきて欲しいんだ。」 ためらいながら大輔は答えた。

「あああ、また私フラれるのかなあ。」 真里花は天を仰いだ。

「会社を休むたって遊びが目的じゃないぜ。とりあえず部屋の掃除だ! 真里花、お前も手伝えよ。でもどうなの? 本当にこっちの世界でやっていくのか?」

「うん、もう平安貴族には未練ない。大輔がいなくても一人でやっていくし。」

「なら、おれも応援するよ。昼からは買い物だ。真里花がこっちの世界で暮らしていくための品物を調達

に行く。」

「ありがとう、でも本当にごめんね、大輔。」

「じゃ、まずは部屋の掃除だ。」

二人は掃除にかかった。


 まずは、それぞれの部屋。(当然、ひとつは大輔の妻がいた部屋である。)そしてキッチン、トイレ、風呂。二人でピカピカに仕上げた。

「よーし、掃除は完了だ。休憩!」 大輔は休憩時間を宣言した。

「休憩って、大輔。もうお昼よ。」 真里花が言った。


「それもそうだな、じゃ昼飯にするか。何がいい? そうめんだったらできるけど。」

「うーん、悪いけど私、もっと別のものがいいなあ。」

「じゃ、マクドナルドは? 駅前にあるんだ。」

「わお、それにきまり!! マックなんて10何年ぶりだ。」 


二人は出かけた。駅前のマクドナルドでハンバーガーを食べたのだが、真里花は本当に久しぶりだったのでかなり目移りしていたようだった。食べ終わってから二人はショッピングモールへ行き、真里花の生活に必要な物資を買って家に帰って来た。


 その日の夜はとても暑くて寝苦しい夜だった。タイマーとセットしていたクーラーが切れると大輔も真里花も思うように眠れなかった。

「大輔・・・」 パジャマ姿で真里花が大輔の寝室に来た。

「暑くて眠れないの」 ベソかいて真里花が言った。

「おれも眠れない。」 大輔は体を起こして電気をつけた。冷房もつけた。


「・・・する?」 大輔が冗談ぽく言った。

「えっ? そんな!! 私、あれの日! だ、大輔ったら、もう!」

「おれと結婚するんじゃなかったのか?」

「それとこれとは別よ。 このスケベ男! 私、部屋に帰ろう。」


「おい、待てよ真里花! 悪かった。コーヒーでも飲もう。」

「そんなことしたら余計眠れなくなるじゃん。」

「ならジュースにしよう。」

「あは、うれしい。そうしましょう。」 真里花もうれしそうだ。 

 冷蔵庫に冷やしてあったりんごジュースをグラスに移して二人で飲んだ。

「ああ、冷たくておいしい。」

りんごジュースをひと口飲んで真里花が言った。


「でねっ、こんな部屋で、いや、もうちょっと広いほうがいいかな? 私たち一緒に住むの。そしたらさ、子どもも出来て3人で暮らしてさ。う~ん、サイコー!! 毎朝六時に起きて、私が大輔にお弁当作ってあげて、子ども起こして、3人で朝ごはん食べて。言ってらっしゃ~い、って大輔を送り出したら私が子どもを保育園に送り出すの。」


「お前さ、マジでおれと結婚する気なの?」 大輔は完全にいらついて真里花に尋ねた。

「いけないかしら?」

「んー、だからおれはまだ嫁と離婚してなくて・・・」

「大丈夫よ、一緒に弁護士さん探そう。離婚調停すればいいのよ。」


「どこにいるか分かんないんだぜ。」

「なら死んだことにすればいいのよ。」 悪びれずに真里花は言った。

「勝手に殺すなー!!」

「いいじゃない、奥さんの望んだ道よ。それでね、聞いてよ。」

真里花は続けた。


「さっきの続き。大輔が仕事から帰ってきて、子どもと3人で夕ご飯食べて、勿論私が腕によりをかけて作った手料理で、いやごめん、その前に私が大輔に、お風呂になさいますか、お食事を先になさいますか、って尋ねて・・」

「もういい。」 大輔は呆れて話をさえぎった。

「ちょっと! 聞いてよ、話!」


「おれの嫁ハンもそうだった。結婚する前は今のお前みたいだった。夕ご飯を作るとか、子どもがどうだとか。でも現実は違った。家事は手抜きだし、子作りも熱心じゃないし。」

「私は違うわ。大輔は私が30過ぎにしてやっと手に入れた幸せだもん。」

「おれは愛される価値のない男だ。前の嫁を見れば明らかだ。」


「そんな! 悲しくなるよ。大輔! ちゃんとお勤めもしてるんでしょう?」

「職場の粗大ゴミだ。」 そう言って大輔は立ち上がった。トイレへと向かった。

 トイレから戻ってくると真里花は泣いていた。

「真里花・・・」 大輔は言葉を詰まらせた。


「悪かったよ。でも、演技じゃないよな?」

「演技なんてできるわけないでしょう!! 大根役者の私が!!」

「ごめん、ごめんな。真里花。でも、いきなり結婚ってのは・・・」

「あなたはともかく私は本気なのよ! 向こうの世界で1回失敗していて、あとがないの。」 泣きながら、鼻をすすりながら真里花は言った。


「でも、言い方も大事だぜ。まずはお友達から、とか言えよ。」

「いまさら? 私たちの仲よ。一緒に平安と平成の世をかけてきた・・・」

「でもな、恋愛も結婚も所詮はそういうものなんだ。そこは分かってほしい。」

「私はただあなたが好きなの。ただそれだけ。ねぇ、私って焦ってる?」


「まあね。でも気持ちはありがたいよ。」 大輔は微笑んだ。

真里花はやっと泣きやんで少し笑顔をのぞかせた。


 その後、クーラーのタイマーを設定して二人はそれぞれの部屋で寝た。今度こそは二人とも朝までよく眠れた。



◇平成25年7月30日 火曜日


 この日は二人は朝8時に起きて1日家で思い思いに過ごした。一足早く夏休みだな、大輔は思った。真里花は1日テレビを見ていた。


 夕方会社から電話があった。課長の高村だった。急だが明日話がある、と言ってきた。マズイ事になったかな、大輔は思った。しかし断ることもできず、明日の2時に会社近くのコーヒー屋で会う約束をさせられた。


 夜、真里花はとんでもないものを発見した。押し入れにあったアイドル時代の真里花のうちわ、応援ぱっぴ、サイン入り色紙、ビデオテープである。

「大輔、私のファンだったんだ」

真里花は勝ち誇ったように言った。

大輔は恥ずかしそうに、

「そりゃ、おれもちょっとくらいは下手な歌手も聴くさ」

と、開き直った。

「もうーひとのこと下手だなんて許せない!それに何よ、このビデオ、『まりかのスク水』って!大輔ヘンタイ!!」

「もう、オマエなあ!」

「私、これの撮影ホントイヤだったの覚えている!うわー、汚れた大量のティッシュペーパー!もう、信じられない!!」

「真里花!見るな!もう勘弁してくれ!!!」

修羅場と化した。



◇平成25年7月31日

 水曜日


 約束の2時10分前。大輔は喫茶店にやってきた。高村は既に店にいた。

「小野、すまんな休暇中にな。」 高村は挨拶がわりに言った。

「いえいえ、課長。話とは何でしょう?」 大輔はやや緊張して尋ねた。

高村はそれには答えず、


「毎日暑いな。40度近くまで気温が上がったところもあるそうだな。」

「そうですね」 大輔は課長に合わせる。そして、

「課長、話とは・・?」


「いやーそれなんだが、小野。君は確か田舎のお母さんの方の事情で有休を取ったはずだったな? 違うか?」 高村が尋ねた。

「はい、確かに・・・」 大輔は語尾を濁した。母の事情で、と課長にウソをついたことは忘れていた。

「君の実家はどちらだったかな?」


「千葉県の習志野ですが。」

「うーん、そうか」 高村は少し唸った。


「いや、実はな。我が社の女子社員の何人か、名前は出せんがな、が君の噂をしていてな。一昨日街で小野君を見かけた、らしいんだよ。それに君には連れがいてな、若くてかわいらしい女性だったと言うんだ。」

大輔はドキッとした。高村は続けて、


「その女性がな、かわいらしい人で何やら昔はやったアイドルの確かたなくら・・・」

大輔は慌てて遮った。高村はコーヒーにひと口付け、大輔に向き直った。

「君は失礼かも知れぬが君は仕事の出来るタイプではない。だがすごく真面目で嘘のつけない人だ。違うか?」


「い、いや・・・」 大輔はしどろもどろになりながら答えた。

「確かに我が社は今後の発展を志向して君が出ているG大学のような一流大学からも採用実績を作っておきたかったという経緯はある。しかし、我が社が君を採用した理由は君の誠実さだ。その君が家族の事情と嘘をついて女性とデートしていたとはよろしくない。だいいち君は奥さんとは別居中で、離婚は成立していなかったんじゃないのか? 違うか?」


妻とは別居中です、と大輔は答えた。

「君と奥さんの事情についてはいくら上司の私とは言っても立ち入るべきではない。それは私も思うよ。だが今の君はデートしていいとは言えないね。ましてや休暇を取ってまでするのはやはり間違いだ。君の奥さんのためにも、デートの相手のためにも、君本来の誠実さを発揮するべきではないのか?」

「課長。」 大輔ははっきりとした声で言った。


「妻とは長い間別居していまして連絡がつきません。デートの相手との関係についてはもう少しお時間が欲しく思います。」

「小野・・・」


「今は今後どんな形になるか、あるいはどうすべきなのか、私にもよくわかりません。ですが、その女性との再婚も含めて考えさせていただきたいと思います。」

「小野、分かった。君に任せていいのだな。」 高村は立ち上がった。

「明日からまた出社したまえ。明日は今日との入れ替えで昼からでいい。くれぐれも誠実にな。」 伝票を手にして高村は店を出た。

高村の去ったテーブルに大輔はしばらくじっと座っていた。


 家に帰ると出かけていた真里花が帰って来た。真里花には自分がいない間出かけるように言っていたのだ。

「もう~、大輔ひどい、出かけさせるなんて! いいでしょ、私家にいても。」

「ああ、これからはいい。ここにいろ。」 大輔ははっきりと言った。


「えっ、大輔? 今なんと?」 真里花は驚いて尋ねた。

「ここにいればいい。合鍵も持たせる。一緒にいよう。」 大輔ははっきりと言った。

「う、うそ・・・」 真里花は茫然とした。うれし涙で目が潤んだ。

「大輔!!」 真里花はたまらず大輔に抱きついた。

二人は強く抱き合った。


◇平成25年8月1日 木曜日


 次の朝、二人は近くのスーパーへ買い物に行った。昼からの出社でいい、高村がそう言っていたのでそうした。帰りに同じハイツの鈴木さんに出会った。

「あら小野さん、久しぶり。毎日暑いわねぇ。まー、小野さんたら、新しい奥さん?」

「いや、まあ、そのー」 大輔は答えに窮した。


「真里花と申します。主人がいつもお世話になっています。」 真里花が割って入った。

「こら、お前!」 大輔は遮ろうとしたが、遅かった。

「まあ、すてきな奥様。お似合いだわ。」

うれしそうに鈴木さんは去っていった。

「お前なあ・・・主人ってのはまだだろう」 大輔は苛立って言った。

「いいじゃない、あのおばさん、納得してたわ。」 真里花は得意気だった。


部屋に帰り、買ったものを冷蔵庫にしまうと大輔は真里花に言った。

「昼からは出社しなければいけない。真里花、おれがいない間どうする?」

「そうねえ、とりあえず家事は私が引き受けるわ。掃除、洗濯。いろいろすることあるでしょう?」

「ありがとう。助かるよ。」


「夕食作りもやっていい?」

「いいよ。でも大丈夫?」

「うん。自信はあまりないけど、私頑張る。お互い助け合っていきましょう」

「あとそれから5千円持っとけ。お金なかったら不安だろ?」

そう言って大輔は千円札を5枚差し出した。


「まあ、いいの? こんな大金。ありがとうね。」 真里花は喜んで受け取った。

そのとき、玄関の呼び鈴が鳴った。

「私出るね。はーい」

ドアを開けると女性が立っていた。30代半ばくらいだろうか?

「小野さんち、ですよね。」 女性が真里花に尋ねた。

「はい、そうですが。」真里花は答えた。

「ごめんなさい。」 そういうと女性は走り去った。


「えっ、あのー」 真里花は少し驚いた。

このやり取りを見た大輔は真里花を置いて全力で女性を追いかけた。

「カヨコ!」 大輔は力の限り叫んだ。

 2年前に大輔を捨てて家出した大輔の妻・佳代子が帰ってきたのだ。

 全力で逃げる佳代子を大輔は必死で追いかけた。


 やっとの思いで佳代子を捕まえた大輔は息を切らしながら言った。

「か、佳代子。はあ、はあ、い、今までどうしてた?」

「だ、大ちゃん。ごめんなさい。急に大ちゃんのことが心配になって・・・」

「それはいい。・・・今、どうしてる?」


「私の両親のところにいるわ。私なら元気にしてる。ほんと、今までごめんね。」

「ご両親もかい?」

「ええ、両親も元気よ。でも大ちゃんには新しいお嫁さんがいるのね。ごめんなさい。」

「いや、あいつは別に・・・」


「私に気を遣わないで。出て行った私がみんな悪いんだから。でもね、どうしても大ちゃんのことが心配になって様子だけ見に来たの。私って本当に身勝手ね。」

「佳代子・・・ありがとう・・・」

「本当にごめんね。大ちゃん。新しい人と幸せにね。じゃ、さようなら。」

「さよならなんて、佳代子! うれしいよ、来てくれて。おれ、マジうれしいよ。」


 佳代子は黙って去っていった。大輔はいつまでも彼女が去って行くのを見送った。

 二人のやりとりを真里花は一部始終見つめていた。


 大輔が部屋に戻ると真里花はすでに戻っていた。真里花は何をするでもなく、ただ窓際に立って外の風景を見ていた。

「お前、昼飯どうする? 今日買ったラーメンにするか?」 大輔が尋ねた。

 真里花は答えなかった。

「なあ、真里花。聞いてる?」 再度大輔が尋ねた。


「今度こそはうまくいくと思ったのに。」 投げやりな言い方で真里花は言った。

「何のことだよ?」 大輔がいぶかしげに聞いた。

「このまま大輔とここに一緒に住んで、結婚までいって、子どももつくって幸せになろうと思っていたのよ。ゴールが見えていたのよ。なのに奥さんが帰ってきて・・・ジ・エンド。」

「真里花、まだおれはお前を捨てるだなんて一言も言ってないだろう。」


「見れば分かるわ。大輔の態度。奥さんを一目見るなり大声で名前を呼んで全力で駆けて行って。奥さんと話している大輔、とってもうれしそうだったし。ああ、やっぱり奥さんが一番なんだな~って思った。」

「そりゃそうだろう。女房には二年ぶりに出会ったんだから。心配くらいするよ。」

「心配なんかじゃない!! 大輔は奥さんを愛している。私なんか愛してない、どうでもいいのよ!!」 たまらずに真里花は泣き出した。


「ごめん」 小さな声で大輔は言った。

「やっぱり! やっぱり奥さんなんだ、愛しているのは!」 真里花はそう言って泣きやんだ。

「で、でもな、おれの気持ちもだんだんお前に行きつつあるんだ。なあ、頼む。少し考える時間をくれないか?」 大輔は必死で説得した。

「ひどーい、私と奥さんを両天秤にかける気? もうサイテー!」


「分かったよ、ならおれも男だ。お前を選ぶ。」 大輔ははっきりと言った。

「ありがとう。もういいわ。その一言で。」 真里花はまた目に涙を溜めていった。

「帰りましょう、それぞれの家族のもとへ。大輔はまた奥さんと暮らして。私は両親のもとに帰るから。」 真里花は大粒の涙をこぼしてそう言った。

「さようなら」


 それだけ言うと真里花は出て行った。真里花の言うさようならの意味が大輔にははっきりと理解できた。大輔は追いかけようともしなかった。



◇エピローグ:10月24日 真里花からの手紙

 「大ちゃん、お手紙来てる。」佳代子が大輔に一通の封書を差し出した。

 テレビでは元アイドル・棚倉真里花さん帰宅するというニュースが流れている。

 

拝啓 小野大輔 様


 大輔、お元気? 私たちが一緒に過ごしていた頃は暑い夏の盛りだったけど、今は秋が来てもう寒いくらいね。私は元気。実家で過ごしているわ。言ったかもしれないけど私の実家は埼玉県で、群馬県との県境にあるM町というところなの。山間の小さな田舎町で、電車で東京から3時間はかかるかな。私はこの町で生まれ育って、中学を卒業してアイドル歌手になるために上京したの。私が帰ってからしばらくはうちの町は大騒ぎよ。失踪した元アイドルの私が生きて帰ってきたって。マスコミも来たりして。やっぱりみんな私が死んだものと思っていたみたいね。


 話は前後するけど、あの日私は大輔の部屋を出て、そのまま最寄りのJRの駅まで行って大輔にもらった5千円でM町までの切符を買って電車に乗ったの。M町の駅に着いてそこからお父さんに迎えに来てもらおうと思って電話しようと思ったんだけど、公衆電話が全然ないの。この時代はそれだけ携帯電話が普及したのね。私がいた頃はまだ公衆電話がたくさんあったわ。


 やっと見つけて電話するとお父さん、ホント驚いた。喜ぶのを通り越して泣いていた。「母さん、真里花だよ、真里花から電話がかかってきたよ!」 って叫んでた。お母さんも驚いてたし。揃って車で駅まで迎えに来てくれたの。駅で会ったとき、二人とも強く私を抱きしめてくれたわ。


 勿論15年間どこにいたのかって聞かれたわ。でも言えなかった。平安時代にいた、なんて信じてもらえるわけないでしょう? 京都とか東京にいた、って言ったわ。だって平安京は今の京都だもん。あなたのことは話したわ。力になってくれる男性がいたって。「その男は独身か?」ってお父さん聞くのよ。違う、って言ったらがっかりしてた。こう言うのってうちの家系かしら?!


 私には弟と妹がいるんだけど、弟は3年前に結婚して子どもも出来たんだって。妹もフィアンセがいるんだって。もう~、私だけじゃない、パートナーがいないの。こうなったら今からでも大輔を拘束に行きたいくらいだわ。でも、もう遅いよね。


  一応所属していた事務所にも連絡を入れておいたわ。でも残念ながら社長はもう2年前にがんで亡くなっていて、息子さんが後を継いでいたの。息子さん、大輔と同じG大学を出て大手の電機メーカーに就職していたんだけど、電機メーカーを辞めて後を継いだんだって。喜んでくれたわ、あたしが元気にしてるって聞いて。紹介できるお仕事があれば紹介しますが、って言われたけど丁重にお断りしたわ。もう芸能界には何の未練もないし。アイドルなんて歳でもないし。それはそうと、息子さん言うの。今度うちの事務所から平均年齢15歳の女の子7人組のアイドルグループがデビューします、って。真里花さん以上のアイドルを目指しますから応援よろしく、って言うんだけど売れるのかなあ、そんなグループ?


 ところで、仕事はというとガソリンスタンドでアルバイトやってるの。バイトなんて私したことなかったからもう大変よ。でも上司も同僚もとっても親切で明るくて、仕事もちゃんと教えてくれるの。ホントいい職場よ。年いってるけど私は元アイドルだし、職場の華ね。スタンドではバンドやってるそうなんだけど、ボーカルやらないかって。もう~止めてよ、って感じ。私歌ヘタなのみんな分かっているのに。まりりんバンドだ! って。今度デモテープ作るのよ。そのうちミニコンサートやるからM町まで聴きに来て!

 3万円、同封しておくね。大輔にはこっちの時代でお世話になったから。遠慮なく受け取って。足りないとは思うけど、ごめんね。私の初のバイト料よ。あああ、大輔みたいに気前よくお金出してくれるいい男性がほかにいたらなあ。

 最後に、私の写真入れとくね。スタンドで仕事中の私。私の写真なんか要らないか。でもまあ、今の私も知ってもらいたいから、受け取って!! じゃあね!!


                                棚倉 真里花


 ガソリンスタンドの制服を着ている真里花だ。写真の裏には彼女の字でこう書いてある。


”もう、アイドルじゃないけど       真里花”

                                    完

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