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「……あの化け物は、一体なんなんだ?」
忍がそういうと、杏はふと目を伏せて視線を宙にさ迷わせた。言うべきか、言わぬべきか。そう悩ましく思っているということは忍の目にも明らかであった。
「これは確信のない事柄だ」杏はそう前置きして、絞り出すように言葉をあげた。
「邪龍の涙。……名前の通り邪龍がこぼした涙、らしい。落ちた涙は周囲に穢れをまき人の邪気を吸い、成長する」
「……邪龍」
言葉を噛み締めるかのように忍は呟いた。
「伝承ではそう呼ばれているけれど、結局本当のところはわからない。ただ、宮廷の書物庫にある古い記録から察するだけだ」
悪竜。翼を持ち、空を飛ぶ幻想的で邪悪な生き物。本当にそんな幻のような存在がこの世に存在するのだろうか、と忍は疑念を覚える。忍の訝しげな顔に賛同をするかのように、杏は口端をあげる。
「……いずれにせよ、あれが多くの場所に被害を出しているというのは事実だ。もちろん君もそんなことは身に染みて理解しているだろう」
「……ああ」
あの日の光景が脳裏に過ぎる。感情を誤魔化すかのように忍は手を握りこんだ。爪が肌にくい込み、わずかに傷をつけることで鋭い痛みが掌に走る。しかし、そのくらいの痛みがある方がかえって冷静になる事ができた。
「息を殺して人里から離れた場所に根付き、そして生活に巣食った上で最後には侵食さえ焼き殺す。狡猾な動きで、結局私が救えた人など、君も含めて手で数える程度しかいない。涙に知能でもあるのかどうかは知わからないがな。」
杏は僅かに寂しげな笑みを浮かべた。揺ら揺らと炎はたゆたい、杏の横顔を暖色の灯で灯す。静かに夜はゆっくりと更けていった。
*
「大丈夫か?」
乗り込んだのは良いものの。かたがたと震える馬車の中で、様子のおかしい忍を見ながら杏は不安そうに声をかけた。
「あ、ああ」
同じように不安そうに答える忍。馬車に乗りなれていないことが傍から見ても明らかである。
「お客さん、つきましたよ」
御者の男が後ろを振り返り声をかける。まあそういうわけで忍は馬車から降りる頃にはまるで死んだかのような土気色の顔色をしていた。何はともかく、三日間の旅は終了した。
何度か深呼吸をして呼吸を整えたところ、ようやく忍の調子はいつものものに戻った。前を見ると、見慣れない景色。
「行こう」
杏に誘われて巨大な城門を潜る。
王都は、村と随分と違うものだ。城壁を超えると、まるで全てが洗練されている。忍は、高い塔や、色とりどりの着物を着た人間を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えた。それに、多くある建物はごちゃついて建っているわけではなく碁盤の目のように整っている。関所からは真っ直ぐ道が通っており、そこから遥か遠くに大きな建物がみえた。
道には、露店がいくつかあり、物珍しく見ていると声をかけられる。
「そこの人、買ってかないかい?」
「いや、大丈夫だ」
「お姉さんはどうだ」
「…食べていいか?」
忍を伺うように杏が見た。特に、問題もないので頷く。
関所から出た後に、杏は露店を指差した。菓子のお店だろうか。杏は、近づくと店主に指を二本立てていった。いつも、このように食べ歩きをしているのだろうか、田舎育ちの忍には何ともわからないが慣れたようなやり方である。
「二つくれ」
「2枚ね」
ごそごそと懐をあさり、杏は困ったように忍に視線を向けた気がした。何だか、嫌な予感がして、目を逸らす。店主が杏に怪訝な目を向けているのに気づくと、観念して杏に目を合わせた。
「ごめん、かしてくれないか」
しょぼくれた様子で杏はそう言って何も無い手のひらを差し出した。
忍は、懐から無言で2枚の小銭を出すと、その手のひらに置いた。手のひらをギュッと握った後、杏は忍の耳に顔を近づけぼそりといった。
「……後で返すよ」
「返してね」
忍は、苦笑しながら杏のことを見ると、すでに杏は店主の方に向いて、忍からもらった小銭を渡していた。
「まいど」
小銭と引き換えに、杏に二つの饅頭が渡される。杏は、その一つを忍に渡した。忍は饅頭をじっくりとみる。村にいた頃は、あまり甘いものは食べたがる方ではなかった。どちらかというと、甘いのが好きなのは明の方で、香がくれる菓子をついでのように食べていた。饅頭の頭には焼き印が押されている。
「……これは」
「お前さん、田舎から来たのかい?」
店主が不思議そうに尋ねた。実際のところ、忍はこの焼き印のようなものを見るのは初めてであったが、外との交流が薄い村で引きこもっていた自覚はあるが、こう面と言われると田舎者と馬鹿にされているようでむっとした顔で店主を見ると、店主は慌てた様子で弁解した。
「いやいや、ごめんよ。龍っていうのはこの国の象徴だからな、お前さんが物珍しそうにみているから少し気になっただけなんだよ」
「……これって龍なのか?」
丸いような細長いような形状でへにょりとした髭が二本。確かに少々愛嬌はあるが龍に見えないような、見えるような。
「……そんな目でみるなよ。俺が書いたんだ」
怪訝な顔でじっと見つめていると、店主は罰が悪そうに苦笑いをした。龍というのを聞いて、忍は昨日杏がいっていた話を思い出す。「邪龍」と彼女は言っていたが、ここでいわれている龍はそれとは異なるものなのか。ふと杏を見て、反応を確認しようとしたが、幸せそうに饅頭を頬張っている。
「今は龍神祭だからな」
「……龍神祭」
「ああ、1000年前の建国を記念して龍神様を祀る祭りさ。1000年たった今となっちゃ、建国のときのことなんて事実かどうかもわからないがな」
「そうなのか」
「まあ観光に来たならいい時期だ。色々と回るといい」
その言葉に頷いた後に、杏はくいと忍の袖口をつかむ。忍は饅頭を一口齧りながら店主に向かって右手を挙げた。
「不躾な見方をしてすまない。これ美味しいよ、ありがとう」
「まいど。またきてくれ」
店主はにかりと景気の良い笑顔を見せた。そして、忍の次に並んでいた客たちを捌いていく。そんな商売人の姿に感心しながらも忍は背を向け、杏の隣に並んで歩いた。




