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少女を連れて診療所に戻る。何となくわかっていたが、婆様は香と明のようにやはり存在しなかった。シーツがよれ、枕はくたびれて。まるでただ出て行ったかのように「そこにいた」という痕跡だけ残して、消えたのだろう。そう、わかっているものの、理解が追いつかない。
「……みんな、飲み込まれたんだ」
唖然とする忍の背中に、少女の声が刺さった。忍は、その声にはっとする。診療所の端に片付けていた椅子に少女を座らせ、包帯や薬草を取り出した。
「飲みこまれたって」
「君が見た、あれにだ」
成れの果て、という聞き覚えのない言葉に忍が眉を顰めるが、その表情を気にもせずに杏は続けるようにいった。
「君に初めて会った時、私は探し物をしていると言っただろう」
「じゃ、じゃあ。君の探し物っていうのは、あれだったのか?」
「ああ、君のいうとおり。私は、いや、私たちはあれを追っている」
混乱する忍に、少女はゆっくりとした口調で告げる。
「……私は、杏という。宮廷の武官であり、あれの討伐隊に所属している」
「……あれって」
「端的にいうと、村を襲った災厄の原因はおそらくあれだ。あなたを急かしていた奇病に至るまでの全てが」
奇病という言葉に、忍の肩がびくりと揺れる。既に何となしに気づいていた。黒い化け物に、黒い痰、そして次々に死んでいく村人たち。床に転がった明や飲み込まれた香、婆様のことが頭に過ぎり、水面に浮かぶ泡のように儚く消えて行く。全てもし、自分が何か行動を起こしていたらという仮定が頭にこびり付いて、忍は、思わず、ぼそりと呟いた。
「……僕が。僕が君に全てを話していたら、もっと話しを聞いていたら、対処していたらみんなは助かったのだろうか」
「それはない」
杏は当たり前のようにそう言った。忍の頭には、自分が何もできなかったという後悔しかなかった。信じきることができず、本当にそうなのだろうかと俯く忍に、杏は続けた。
「そんなすべがあるなら、もうとっくにこの問題は解決している、だから、あなたが悩むことではないよ」
その言葉は、忍にとって砂漠に垂らされた一筋の水滴のような慰めであり、無情な現実であった。悲しみに浸る暇もないほどの事実であるゆえ淡白な言葉だ。しかし、その言葉がたとえ慰めであったとしても、ただ杏は自身の信じる事実を話しているだけなのだろう。そのくらい、彼女の言葉は、真っ直ぐで、嘘の気配というものがまるでなかった。
「二度も助けてもらっているのに、あなたの名前を知らないな」
助けてもらった恩を返してもいない忍には、名前を教えない選択肢など存在しない気がした。それに、忍はこの杏という少女についてどこか好感を覚えていた。
「何という名なの?」
「……忍。僕は忍だ」
この好感は、何もかも消え去った今、この少女に縋りたいだけなのかもしれない。ただ、これ以上に何をいえる気分でもなくて忍は視線を落としたまま、杏の包帯を黙々と巻いていた。




