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1-3

 薬草を採取し、帰る頃にはすでに夕暮れになっていた。肌寒い空気に凍えながら、忍は診療所へと帰った。


「帰ったよ、婆様」


 いつもは帰ってくるはずの返事がない。忍が奥にいくと、婆様はそこに立ち尽くしていた。何やら様子がおかしい。婆様と過ごして随分長い時間が経ったが、こんなことは一度たりともなかった。忍は、恐る恐ると婆様の背中に声をかけた。


「……婆様?」

「忍、これはもうだめだ。この病は、私の手には負えない」

「……そんなことは」


 婆様らしくない、弱気な言葉に言い返そうとした時、婆様の声が震えていることに忍は気づいた。よく見ると、その指先や足元も震えていて、気づくと婆様は倒れ込んでいた。


「婆様!」


 忍は、どうにか体を支えようと、倒れ込んだ婆様の体を支える。そして、顔を覗き込んだ。婆様の姿を見て、忍は顔色を真っ青にした。


「あたしはおそらく死んでしまうよ」


 そういった婆様の手や首元は黒く汚れていた。



 もう一人、もう一人と病に倒れ、死んでいく。

 婆様が病に倒れても、当然のように病は猛威を震っていた、診療所に香が尋ねてきた。婆様が病に倒れた以上、診療所は機能していなかった。香の両親が倒れたことは知っていた。もしかすると、香は自分が代わりに診療を行うことを期待しているのかもしれないと思いつつも、忍には一人で診療所を営む勇気がなかった。それに。今は倒れた婆様に手一杯でそれどころではない。しかし、それでも、簡単な薬だけは忍自身で調合し診療所で販売していた。


「薬か?」

「いや、うちの親はもう今朝亡くなったんだ」

「……ああ、ごめん」

「……婆様はどうだ」

「何とか。でも、今日が峠かもしれない」

「……そしたら、もう生きているのは俺たち若いのだけだな」

「……ああ」


 村の年寄りの多くが奇病にやられて、黒い端を吐きながら死んだ。香は、取り乱さずに自身の親が亡くなったことを語った。それが、当たり前に語れるようなくらいに、生活に死が身近になったのだ。病に負けたのだ、ということを突きつけられているような気がした。


「大丈夫。婆様は生きるよ」


 それは、そうなって欲しいという願望であり、半ば忍が自身に欠けた暗示でしかなかった。


「……そうか」


 香は、忍の様子に疑念を持ちつつも、椅子から腰をあげる。


「……あまり、無理をするなよ」

「ああ」


香が帰った後、忍は病床の婆様に再度ささやく。


「大丈夫、婆様はよくなる」


 しかし、それを無にするかのように、婆様は激しく咳き込み、真っ黒な痰を出した。


「……忍」


 婆様の声はか細かった。まるで死ぬ間際のような。忍は、掠れる声で婆様に話しかける。その声には、いくらか動転と恐怖が混じっていた。


「婆様」


 忍の声に応えた婆様の言葉は、懸命な忍と対照的な声色だ。


「私はもう死ぬんだ」

「大丈夫だよ。婆様はきっとよくなる」

「ああ、そうだといいけど。もし死んだ時のために、お前に私の秘密を教えてあげよう」

「秘密?」

「私の机の棚の一番上を見なさい。そこに、私が記録した薬草の煎じ方や病気の種類について書かれている。もし、私が死んだら。……いや死ななくとも。お前にそれをあげよう」


 婆様はそう言ってしばらくすると苦しそうな寝息をたて始めた。

 忍は自分の背後にある棚の一番上を躊躇いもなくあけた。自分が知らないことが書いてあるそれをみれば、婆様を死なせない改善策があるかもと考えないと縋るような思いで棚をあさった。


「…あった」


 ただ、自分ができることをやろうと思った。婆様はきっと、それを望んでいるはずだからだ。忍自身には何ができるかわからないが、婆様は彼の一種の指針ではあった。手帳をめくる。解決の糸口を探そうと、一枚一枚、一行一行。丁寧に読み込んでいく。自室にしかし、森から帰ってきた忍が見たのは、地獄だった。



 忍は、寝ることさえ厭いながら診療所と森を行き来する生活を幾日か続けていた。忍の献身のおかげか、婆様は虫の息ではあるものの生きながらえている。婆様を看病し、をめくり、隙を見ては森に行って薬草を調達する。そんな習慣は、今日も変わらない。忍は、婆様の息を確認した後、薬を調合するために、手帳を携え森へと出かけていた。

 忍が異変に気づいたのは、薬草を取り終え、村の近くまで帰ってきた時だった。まず、匂いがおかしい。そんなに時間も経っていないはずなのに、来た時にはしていなかった獣臭い悪臭がするのだ。まるで動物の死骸が何日も捨て置かれ腐ったような腐臭、一般には死臭と呼称する匂いがそこらに漂っている。嫌な予感がして、忍は村へ走った。炎というのは一般的に赤など明るい色であろう。あるいは青とか。自然の中で発色する色というのはたいていそのようなものだろう。忍が硝煙を漂わせた村に帰ってきて、まず目に入ったのはそのどれともことなる黒い炎だった。今までに見たことのない景色だった。まるでおかしな、自然な摂理に逆らった光景にしばし口を開けて立ち尽くす。しかし、婆様が寝所に残されていることに気づき、炎の中へと足を踏み入れる。

 脳にこびりつくような強烈な匂いに忍はえずく。一方で、黒い炎があちこちで燃え上がっているにも関わらず、暑さというものがない。むしろ、肺が凍るような冷たさが一帯に満ちていた。

 ふと、がむしゃらに動かした足に振動が走り、忍は足元に「何か」があることに気づいた。はくり、と忍は声になりやしない声を出した。これは、明だ。


「……これは、どうして」


 周りを見ると、数人が地面に転がっていた。明の体には、まだらに黒く、何かがついている。


「……忍?」


 消え入るような声だったけど、聞き覚えのある声だった。香はふらつきながら、そこに立っていた。忍は呆然としながら彼の体をみる。なんで、と声にならない声がしょっくから微かにもれでる。香の皮膚は、明と同様にまるで闇に喰らわれたかのようにまだらに黒く変色している。


「何があったんだよ一体」

「わからない、わからないんだ。だけども、化け物が明を、みんなを」

「ばけもの?」


 香は、半狂乱になりながら、まくしたてた。言葉は斑で確信を掴めないほどに慌てていて。ただ、いつもの落ち着いた兄のような姿とはかけ離れていたので、何かが起こったということは確かなようだった。


「とにかく逃げないと」


 薫は、ぽつりとそういった。ぎゅっと、手首が握られる。


「……僕は、婆様を探さないと」

「……そんな場合じゃ」


 香の言葉が止まる。そこには、真っ黒な影のような「何か」がいた。それは、バケモノだった。香が何もいわなくても理解できるほどに、その「何か」は化け物と形容するにはぴったりだった。人とは何もかもが異なる、何者にも形容することのできない怪物。

 香の体が化け物に飲み込まれようとしていた。香の目に恐怖の感情が滲んだ。忍の喉仏がこくりと動く様をみると、香は縋るように忍のことをみた。


「助けてくれ、忍」


 動けなかった。忍は、動けないまま香が死んでいく様を見た。バケモノの目がこちらを向いた。目ではないけど、視線。次に殺されるのは、明らかに自分だった。 忍は、炎というものが怖かった。目が焼き付いて閉じることができない。死ぬ、そう思った瞬間、視界が白く染まった。それは、見覚えのある白だった。翻されるローブは、忍を守るようにそこにあった。聞き覚えのある声が、忍にかけられる。


「……大丈夫か?」


 少女だった。あの時、忍が助け手当てをした少女が、守るように忍の眼前に立っていた。ああ、これは。この光景に既視感がどうしてもあった。これは、だめなやつだ、と頭によぎる。


「待ってくれ」


 手を伸ばすと、少女は忍を安心させるように微かに笑みを浮かべた。


「大丈夫、私は強い」


 少女は忍の巻いた包帯を解き、自身の手を携えていた刀で切り付ける。白い腕に赤い線が走り、刀は彼女の血を滴るほど纏って怪しく輝いた。刀を構え、化け物と対峙する。忍が食い入るように瞬きをした間に、それは真っ二つになり、黒い炎は霞のようにまばらになって消えていく。少女と忍だけがぽつりと残されており、炎と共に化け物に喰らわれたはずの香の存在さえ、まるで最初からなかったかのように消え去っている。


「どうやら、あれは残滓だったようだな」


 少女は、淡々とそういうと、忍の方に向き直った。腕からは、血が垂れている。痛ましげなその手に、忍は思わず呟いた。昔の時分と重なるところがあった。


「……手が」

「ああ、君の巻いてくれた包帯、解いてしまった」


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