1話 僕は死神と出会う
僕はその日の夜、父と喧嘩をした。
理由は、すごく単純なことだった。
父は普段からお酒を飲む人で、しかも酒癖が悪かった。
一回で飲む量も多いから、それはひどい酔い方をする。
なにかと絡んでくる父には前からイライラしていて、今日それがついに我慢の限界を超えた、というわけだ。
僕の家庭は、僕と父の二人暮らしで母は僕が幼い頃に交通事故で死んでしまった。
よくある話と言えばそうかもしれない。
幼稚園の帰り、僕が母と横断歩道を渡っていたところ、そこへ信号無視の車が一台走ってきた。
なにせ、角がよく見えない交差点の上、この交差点は小さいのだ。
普段から車があまり通らないから、この車は突っ切っても大丈夫だろうとか、そこらへんの理由なんだろう、信号無視の理由は。
そして車に気がついた母はとっさに僕を庇って代わりに車に跳ね飛ばされて、というよりも轢かれて即死してしまった。
それはそうだろう。
母の頭が丁度タイヤに轢かれて道路と一体化していたんだから。
僕は目の前で母親の死を受けた。
あれから14年、僕は高校3年となった。
父が男で一つで僕を育ててくれた。
感謝はしている。
でも、やはり嫌なものは嫌なのだ。
毎日会社に勤めて苦労していて、その一杯(実際は一杯ではないが)で一日の疲れを癒している。
社会人の幸せの一時を奪うつもりはないが、あの悪い酒癖だけはどうしても嫌だった。
所詮は酔っ払いが相手だ。
父は泥酔していたし、別に家を飛び出したところで追いかけては来ないだろう。
玄関まで来る間に倒れて寝てしまうだろう。
(そもそもなんで俺は酔っ払い相手に本気になってたんだろう・・・。)
(・・・はぁ。)
家を飛び出たのはほんの気分転換のためだった。
夜の近所は人通りが少ない。
とりあえず僕は近くの公園へと向かった。
特にこの公園に行く理由はない。
歩いて五分もかからない公園だ。
公園の傍には僕の家から最も近い自動販売機がある。
この自動販売機にはジュースを買いによく来る。
それか、学校帰りに買ってその場で一気に飲む。
それは父が仕事から帰ってきてお酒を飲むようなものだ。
公園へは家を出てから右へ、曲がることなく歩くと着く。
点滅を繰り返す街灯の下を何回か通り過ぎる。
公園のベンチに座る前に自動販売機で炭酸飲料を購入した。
今の気分だと二本は必要だ。
自動販売機の明かりに若干の頭痛を感じながらお金を入れ、ほしい炭酸飲料のボタンを二回押す。
出てきたジュースを取り出し、両手に一本ずつ持って公園の入口へと向かう。
今の時間、約11時。
そこで僕は奇妙な光景を見た。
いや、まず光景を見る前に音を聞いた。
ブランコの音。
錆びた金属の擦れる音。
嫌な音だ、真夏なのに寒気がする。
音の方向に目を向ける。
この時、僕は目の前で何が起こっているのか理解ができなかった。
なぜならあまりにも奇妙すぎる少女がブランコに乗っていたからだ。
僕が言葉を失っている間も、少女は勢いよくブランコを揺らしている。
今は真夏だ、特に今夜は熱帯夜だ、ニュース番組でもそう言っている。
なのに、なぜこの少女は冬に着るような白いダウンジャケットを着ているのだろう。
服の白が嫌な輝きをしている。
いや、そもそもなぜこんな時間に少女が一人公園にいる?
彼女も家出だろうか?それとも親から追い出されたのだろうか?
そして一番の言葉を失ったもの。
あの大きな鎌はなんなんだ!!
その少女は背中に鎌を背負いっていた。
1メートル弱はある刃。
それは綺麗に内側に沿っていて、磨かれているであろう刃は周りの光を反射している、眩しい。
柄の長さも1メートル弱あるだろう。
普通の鎌を拡大したような、シンプルな鎌だった。
少女は僕に気がつかない様子で、まだブランコを揺らしている。
時々見える少女の表情は寂しそうだった。
なんだこいつ、なんだこいつ、なんだこいつ!!!!
これは夢なのか?それとも幻覚なのか?
いや、これは間違いなく現実だ!!
こんなリアルすぎる夢や幻覚があるわけがない!!
僕は何をすればいい?
話しかけるのか?話しかけるべきなのか?
…。
「おい、そこの。」
この少女が一体何者なのか、興味もあったのだ。
僕が話しかけても少女はこちらに気がつかない様子だ。
「おい、おまえ!」
僕が強めに言うと、彼女はブランコに勢いをつけるのを止めた。
ブランコの往復の幅が少しずつ小さくなり、やがて止まった。
静かな時間が過ぎる。
ブランコに座ったまま少女がこちらに目を向ける。
目が合う。
再び静かな時間が過ぎる。
「あのさ…、お前なにしてんの?」
最初に沈黙の破ったのは僕だった。
まるで僕の声が残響しているように僕の耳に自分の声が入ってくる。
風が強く吹き、草のにおいが漂う。
風の音がなくなると、少女が喋った。
「あなた、私が見えるの?」
少女がブランコを降りて僕の目の前までやってくる。
少女と言えでも、相手は大きな鎌を持っている。
もしかしたらとても野蛮な奴で突然襲われるかもしれない。
そう思考が頭を巡ると、反射で僕は後ずさりした。
「なにそれ?ジュース?」
公園の砂利を踏む音が鳴る。
僕が一歩後ずさると代わりに少女が一歩僕に近づく。
「逃げないでよ、二本あるなら一本ちょうだい。」
少女が足を止める。
僕も後ずさりを止める。
僕は右手のジュースを彼女に渡した。
「おまえ何なの、その鎌なんだよ、なんで夏なのにそんな格好してるんだよ。」
そして少女は喋る。
「見えるのね…。そう…。じゃぁ誰かあなたの周りか、それともあなた…、近いうちに死んじゃうよ。」
彼女は一気にジュースを飲み干し、空き缶を遠くにあるゴミ箱へと見事に投げ入れた。
少女の口から出た言葉「死んじゃうよ。」
死ぬという言葉、幼稚園児にも理解できるのに今の僕には理解できなかった。
死ぬ?死ぬってなんだ?俺?周りの奴?
「おい、死ぬってなんだよ…。」
「言葉の通りだよ。近いうちにあなたか、あなたの周りの人が死ぬ。」
少女が背中から鎌を外すと、その鎌を両手で持ち構えた。
「おい、その鎌なんだよ!なにするんだよ!」
「この鎌?あぁー、この鎌ね。」
「言えよ!何すんだよ!」
「まだ何もしないよ、その時が来れば私はコレを振り上げる。」
少女は刃の角度を変えながら刃の鋭さを確認したり、手でなぞったりしている。
夜の公園で大鎌を手にする少女と怯える僕。
この状況は一体何なんだ!
…。
さっき彼女は言っていた。
”あなた、私が見えるの?”
”見えるのね…。そう…。じゃぁ誰かあなたの周りか、それともあなた…、近いうちに死んじゃうよ。”
見える…。
ということは彼女を見ることができない人もいるのだろう。
それは近くに死を間近にした人間がいない人、或いはそれが自分な人。
彼女の言葉を信じるのなら、僕の周りの誰か、或いは僕は死を間近にしているということ。
そして、鎌。
「死」と「鎌」という言葉で思い浮かんだその二文字は目の前の少女にはあまりにも不適切だった。
しかしそれは単なる見た目の話にすぎない。
「おまえ…死神か…?」
嫌な汗が背中を流れてシャツに染み込む。
少女は鎌を背中に戻して僕に近づいた。
僕は金縛りにあっていたのだろうか、動くことができない。
その時の彼女の表情は忘れられない。
今まであんな恐ろしい顔を見たことがあっただろうか?
きっとあの見開いた目に僕の体は動くことができなくなったのだろう。
少女は笑っている、この世の顔とは思えない表情で。
判断できるのであれば、あれは狂気の笑顔だ。
まともな思考ができない人間の顔だ。
何度表そうとしてもあの顔は表現できない。
「そう、私は死神。よくわかったね。」
そう言うと彼女は打って変わったような笑顔を僕に向けた。
それは見事な笑顔。
完璧な笑顔。
でも裏では笑っていない。
彼女の威圧から解放されると僕はその場で尻もちをついてしまった。
腰が抜けた。
逃げたいのに、逃げれない。
彼女が僕を見下ろす、かわいい笑顔のまま。
少女は僕と目線が合う位置までしゃがみ込み、パンツが見えないようにスカートを抑えながら僕の名を呼んだ。
「神原悠君。」
そして語り始めた。
「私にはまだ誰が死ぬかわからない。ただぼんやりとその人が見えるだけ。私がその人のことをはっきり認識できるようになると、その人の死はすぐ訪れる。そうだね…。時間でいえば24時間、一日。この鎌は人間と魂を切り離すために使う鎌なんだよ。切り離して保護しないと、魂は蒸発してなくなっちゃう。魂っていうのは使いまわされてるの。あなたの魂ももとは他の誰かのものかもね。あは、安心して、汚れた魂とか、傷ついた魂はこっちでちゃんと綺麗に直してるから。もちろん新しい魂もこっちで生産してるけど…。うん、まぁいろいろと大変だから。あなた達だってリサイクル、リユースはしてるでしょ?それと同じだよ。あー、でもやっぱり魂も使いまわすと限界が着ちゃって…。その時は壊れちゃう、さすがに。」
僕の状態はまさに右耳から入ってきた言葉が左耳から抜けていく感じだった。
話を整理しようとしても目の前の少女が僕の整理したものを散らかすかのように新しい情報を次々と伝えるのでできない。
相変わらず抜けた腰は治っていない。
「?????」
「…。まぁ、理解しろって言う方がおかしいよね、この場合。」
「え?えええ?ええ?」
少女がほほ笑む。
「大丈夫、私が見えた人はみんなそういう態度をとるの。当たり前だよね。」
僕は必死に落ち着こうとしていた。
落ち着く場合は深呼吸だ。
よく父が二日酔いの時している。
深呼吸をすると気分が楽になるようだ。
息を深く吸う。
でもうまく吸えない。
けどなるべくたくさん吸うように頑張った。
しだいに吸う息と吐く息の量が増えていき、ゆっくり呼吸が出来るようになってきた。
吸って、吐く。吸って、吐く。吸って、吐く。
なるほど、確かに気分が楽になった。
少女は「ぉー。」と楽しそうに僕を見ていた。
こっちは必死なんだって言うのに。
「落ち着いた?」
少女がニコニコしながら尋ねる。
「あぁ、大分な。」
そして僕はさっき気がついた疑問を質問してみた。
「なんで俺の名前を知っているんだ?」
「ん、それはわかるよ、死神はその人の顔を見れば名前くらいわかるんだよ。」
「…。他にわかることは?」
「教えてほしいの?」
「あぁ。」
少女は「んーとねぇ。」と目で上を向きながら考える振りをしながら教えてくれた。
「まず名前、生年月日、その人の魂の綺麗さみたいなこと。で、その魂は頑張れば履歴が見れる。」
「履歴?」
「魂はその人が行ったことや受けたことで綺麗になったり、汚くなったりするの。そういう出来事が積み重なっていくわけ。その積み重ねの順番・・・かな?」
「…。じゃか俺の魂の履歴で一番新しいのは?」
「えぇー、見るの?…。めんどくさいからやだ。」
「…。」
「ちなみにね、もっと死神の技術を磨くとその人の寿命や子孫とかもわかっちゃうんだよ。」
「…。寿命…。」
「あ、私はまだ見れないからね。」
気がつけば下半身に力が入るようになっていた。
立ち上がると少女も立ち上がる。
「ところで、俺か、俺の周りの奴が死ぬんだよな?」
「うん。」
「どうにかならないのか?」
「どうにか?」
「だから、助からないのかって。」
「あぁ…。そのことね。」
「?」
少女は俯きながら困ったように笑った。
「その質問、今までに何回されたことか…。」
「え…。」
「無理だよ、それはできない、私に認識されちゃったら、必ずその人は死んじゃう。ううん、私はその人の魂を持って帰らないといけない義務なの。その人の魂が限界だからこわれる前に持っていかないと。」
「どうしてもだめなのか?」
少女がブランコに戻る。
ブランコに腰かけ静かに揺れ始める。
その金属の擦れる音がどことなく寂しい。
「仕事はこなさなきゃね…。」
「さっき義務とか言ってたな、それってなんだ?」
僕も堂々と聞けるもんだ、相手は死神だって言うのに。
「こっちの世界の決まり、決められた人間の魂を持ち帰る。私たちにとってはそんなこと簡単なこと。」
「破るとどうなるんだ?」
「質問が多いね、神原悠。」
「なんだよ…。」
「破るとかぁ…。前に人間に情が芽生えてその人間の魂を持ち帰らなかった友達が突然いなくなちゃった。」
「いなくなっちゃった?」
「うん、友達がどうなったかはわからないけど、ただ消えちゃった。」
「お前も消えるのか?」
「多分ね。」
僕は少女の顔が悲しい色に染まっていくのを見逃してはいなかった。
まだこの少女は人の死について無関心でいられるわけではないらしい。
少なくとも、悲しみは感じている。
その上で僕は彼女に質問した。
「お前は、この仕事が嫌なんじゃないのか?」
少女がはっとして顔を上げる。
間違いない、彼女は死神という仕事は好んではいない。
「…。あたり。でも決まりは決まりだから。」
僕は考えた。
でも何を考えたかは多すぎて分からない。
周りの奴が死ぬ、或いは自分。
死。
しかし僕は冷静だった。
僕が口を開く前に彼女は言った。
「助かることは絶対に無理。だってその人の魂はものすごく汚れていて、私たちが処理しないと壊れちゃうし、それに決められたルールで持ち帰らないと私が消える。」
「そんな…。」
「できることならその人の最後の幸せの思い出づくりくらい。」
「…。」
「できるなら…。私だって…。これ以上人の死ぬところなんか見たくないよ!!」
少女が泣いた。死神が泣いた。
あぁ、死神って泣くんだ。
僕は思った。
死神の仕事。
それは汚れた魂を壊れる前に修理するために、その魂を持つ人間から切り離し”こっちの世界”へ持ち帰ること。
「まだ聞きたいことはたくさんあるが…、魂が汚れるってことは磨けばいいんだ。磨けば綺麗になる。まだ間に合うんじゃないか?」
僕は思いついたことは言ってみた。
彼女の認識がぼんやりしているということは、まだ、死は近くとも時間はある。
その時間の中で良い行いを繰り返せば、魂の履歴が積み重なって魂が綺麗になるのではないか?
「その方法…。私も考えたけど…。魂が汚れている人はかなりの悪い履歴が残ってる。それを綺麗にするなんてあまりにも時間が無さすぎるよ。」
そうか、彼女も考えているんだ。
僕が数分で考えた方法など、長い間この仕事やってる彼女から見ればとっくに出ているのか。
「実行はしたのか、宣告した奴は。」
「したよ、だって誰だって死ぬのは嫌でしょ?ていうか私が教えたんだし…。でも無理、どんなに頑張っても。」
「くそっ…。」
「あきらめてよ、私もあきらめてる。」
「あぁ、もし自分じゃなかったらな。」
「え?」
「お前、俺の健康状態は分からないんだな。」
「…わからない。」
「神様なのにそんなことも分からないのか。」
「…なによ。」
「俺は、この夏で死ぬんだ。」
「…そうなの?」
「あぁ、お前、さっき”受けたこと”って言ったよな、魂が汚れたり傷ついたりする原因で。」
「…だから?」
「わかるだろ?病気なんだ、俺。お前が魂を持っていく奴。間違いなく俺だよ。」
「ふーん…。そうなの。」
「いずれわかるだろ。きっとお前は俺を認識するようになる。」
「神原悠…。あなたなの?私はあなたの死に逝く様を見届けなければいけないの?」
そう、冷静でいられた理由だ。
彼女から死の宣告を受ける前から僕は医師から死の宣告を受けていた。
余命とかされちゃって、普通なら重病で病院のベッドで横になっている様子を想像するだろう。
でも僕は違う。
心臓がもう、動かせる時間がわずかしかない。
それがこの夏の間。
担当医師に無理を言って最期までの時間を自由に過ごせることを許可してもらった。
最後の悪あがきだったかもしれない。
助かる術を求めて少女にすがってみた。
でも無理らしい。
それもそうだ小さい頃からこの病気とはずっと一緒だった。
そうか、この体の負担は魂への負担だったのか。
ほぼ一生を使ってたまった汚れをたった一つの季節の間に綺麗にするなって不可能だよな。
それでもやれるだけのことは最後までやってみようと思った。
「教えてほしい。汚れを直すに具体的に何をすれば良いんだ?」
「そうだね…。自分の気持ちが楽しくなったり、楽になったり、とにかく良い意味で満たされることをすること。それか、相手があなたの起こした行動によって満たされることをすること、かな。」
「…。だから具体的には?」
「えっと…。まぁ、趣味を楽しんだり、友達と楽しくおしゃべりしたり、人助け…とか?」
「そんなものでいいのか?」
「多分…。」
僕は正直まだ死にたくない。
彼女と出会ったのは、そう思ってる矢先でもあった。
彼女は死神。
死を司る神。
違う。
彼女は死を間近にした人間にもう一度生きるチャンスを与える神。
「お前だって、人が死んで逝くのはもう見たくないんだろ?」
「でも…。」
死神の目は赤くはれている。
死神に触れることは可能だ。
僕は彼女に近づき、頭をそっと撫でた。
「この手は…?」
「知るか。」
僕の命懸けの夏が始まった。