18話 影、動き出す
▼…アドラス視点
◇…ロス視点
◆…アムゼル視点
▼
陽も差さない暗い路地。あちこちで身勝手な増改築が進められ、崩壊と創造を繰り返した混沌の街並み、スラム街。
多くの浮浪者が昼間から路地で倒れ込み、生きる気力もないと言った雰囲気が漂っている。
衛生面も悪く風通しも悪い地形となっているため、淀んだ空気が辺りを支配していた。
こんな場所一刻も早く立ち去りたいと思うところだが、その道を歩く一人の青年には目的があった。
人の目には見えない僅かな痕跡を辿りながら、スラム街の奥地へと入り込んでいく。
領主や一般市民には知れ渡っていないことだが、スラムの人口が年々増えているために、地下街計画が秘密裏に進められているらしい。地上でもこれだけ光が差し込まないのだ。地下で暮らしたところで大差ない。環境どころか、治安もさらに劣悪になると思われるが。
もっとも彼にとっては、この街に住む人間のことなどどうでも良いことだ。
地下へ続く道はスラム街奥の枯れ井戸近くにある。井戸が枯れたので、水脈の跡を利用して少しずつ広げているらしい。
入り口は地面が隠し扉のようになっていた。兵士に見つからないように巧妙に隠されているのだとか。
もちろん公共の工事などは入らないため、スラムの人間が、生きるために掘り進めているのだ。
そんな地下街は上下水道なども無く、照明と呼べるものもほとんどない。病にかかった売女がここに捨てられたり、地上のスラムの居場所すら奪われたはじき者が追いやられたりしている。地下にいる者はスラム街のカースト最下層に位置する者たちなのだ。死体すらろくに処理されない。だからとても臭う。臭すぎるのだ。
だが青年はそんな中でも街を歩くのと変わらないくらい飄々として歩いていた。
実際、この青年には暑かろうが寒かろうが、劣悪な環境だろうが関係がない。自身の周りを覆うように張っている結界が、どんな環境下からも青年を守っているからだ。
ちらちらとスラムの人間が彼を見ては、さっと視線を逸らして身を縮こまらせる。それは彼の整い過ぎている顔立ちだけが理由ではないようだ。
彼の身なりは、黒を基調としたダブルベルトのスタンドネックロングコート。首元にはギザギザとファーがついている。首の他にも腰、裾、袖にもベルトが付いており、銀の金具が光る。襟には獅子を模したチェーン付きの意匠が飾られている。……見る人が見ればそういうお年頃なのねと生暖かい目で見つめてしまうような、そんなコートだ。スラックスも太腿部分に謎のベルトとチャックがついており、その片方を開けている。ザクザクと土を踏むブーツも黒。コートの下はまさかの包帯のみで、その挑戦的且つこの場に不釣あいな出立ちの青年に、スラムの人間は皆彼を二度見してしまう。すぐに怖くなって目を逸らすが。
彼は地下街のある場所で立ち止まると、黒色の髪をかきあげ、深紅の瞳を光らせた。
「オイ。早く出てこいよ。俺様を待たせるんじゃねえ」
身体の芯が震えるような低めの声。丁寧さを欠いた物言いでも、その声音からは甘い色香を感じさせる。その声を耳にする者は、つい彼の命令に従ってしまいそうになる、そんな声だ。
「ごめんごめん。意外と手間取っちゃって。こんなゴミ溜めまで逃げ込んでるなんて思わなくってさ」
陽気な声と共に暗がりから人影が現れる。成長期前といった雰囲気の少年だ。作り物のような整った顔。切り揃えられた暗い色の髪。吸血鬼の眷属を表す明るい赤色の瞳。
少年はにこやかに近づいているが、その手には人間の頭部を持っていた。血塗れの両手を広げながら、楽しげに少年は話し出す。
「聞いてよアドラス。せっかくボクがこの人の奥さんを治すお薬を作ってあげたのに、いらないって言うんだよ? お薬だって作るの大変だったのにさ! 酷いよねー! だから代わりに飲んでよ! ってこの人に飲ませてみたの! 奥さんの目の前で! そしたらぁ……」
少年がクスクスと笑う。
「首から下がバケモノになっちゃったんだよアハハハハ!」
少年の話にアドラスと呼ばれた彼は盛大なため息をついた。
「クレイズ……そのコルネルという人間は殺すなって言わなかったか?」
「えっ」
クレイズと呼ばれた少年は停止する。アドラスの忠告が抜け落ちていたらしい。
「い、いやでもでも! 殺したのはボクじゃないよ? この人の奥さん! 近くにあった斧でズバーだよズバー! いやぁあまりの思い切りの良さに感動しちゃって! お礼に同じところに連れてってあげちゃった♪」
クレイズはさも善行をしたかのように話していた。アドラスは再度ため息をつき、元来た道を戻っていく。
「待ってよアドラス! ボクも行くってばー!」
「ま、コルネルが死んじまったなら仕方ねえ。元々アイツらも皆殺しにするつもりだしな。多少順序が入れ替わったくらいどうってことねえ」
「わーい! アドラスならそう言ってくれると思ったよー! で? さっそく殺しにいく?」
アドラスの周囲をぴょこぴょこと飛び跳ねながら、クレイズはついて回る。手にしていた頭はいつの間にかどこかに投げ捨てられていた。
彼らが居た場所のさらに奥には、凄惨な肉塊が転がっていた。
「まあ待て。その前にもうすぐ時が満ちる。作戦も大詰めだ」
「おー! でも、アレの周りに第二真祖が居たよ? さっき様子を見てきたから間違いないよ! すぐ建物に入っちゃったから追うのやめちゃったけど。第二真祖はボクが言うのもあれだけど、ほんとに強いよ?」
「ハッ! ソルティなんざ大したことねえよ。俺様を誰だと思ってるんだ」
「さっすがアドラスー!」
アドラスを見上げるクレイズの瞳がキラキラ輝いた。尊敬の眼差しだ。
「さて――ここらでいっちょ"狐狩り"と行こうじゃねえか」
暗がりに紛れて、やけに視界に残る笑みが浮かぶのだった。
◇
「……っくしゅ!」
くしゃみが出た。ついでに寒気もする。風邪か? 魔王の身体でも風邪を引くのか? ……引くわけないか。治癒魔法もあるし。
俺は再び貴族街に足を運んだ。アムゼルは、宿まで来てくれたメルと共に再びギルドへ向かった。捕まった人からの情報を今度こそ聞き出すらしい。ラジが目覚めるかもしれないので、ソルティには宿屋で待機してもらっている。
メルは午前中を使ってスラム街でコルネル捜索をしたのだとか。アムゼルがどうして自分も連れていかなかったのかと聞くと、一人の方が潜入しやすいのでアムゼルがいない時に向かったとのこと。ちょっとだけアムゼルがしょぼくれていた。
メル曰くスラム捜索は正直手詰まりだそうだ。コルネルの目撃情報はあったらしいが、どこかでパッタリと目撃情報が途絶えるらしい。消えた付近を探ってみても、何も見つけられなかったのだとか。
領主の館で見てしまった情報についてはメルにも共有しておいた。かなりショックを受けているようだった。ギルドマスターに伝えなければならないとのことで、今夜の人身売買会場も場所が分かり次第伝えて欲しいと言われた。
突入できるように準備するらしい。
というわけで、再び透明人間になってある場所を目指しているわけだ。
領主の館の近くにある廃施設。
誰も使っていないという割には、外観はそこそこ綺麗で、内部は広めの倉庫のように、コンテナらしきものや資材らしきものが積み上げられている。
さて、中に証拠でもあれば良いが。
領主が自ら買い付けに出向ける場所で、夜中に出歩いていても人目につかない場所なんてそう多くはないだろう。
さらに北門の素通り集団の話もある。
点と点が繋がっていく感じがした。
廃施設に人の気配はない。
疲れるので透明人間状態を解除した。
「ふぅ……ここに何かないか……と」
見渡すと、施設の奥の方に資材に囲まれている空間があり、そこに、黒っぽいシミが点在していた。
「これって……」
≪超鑑定≫をシミに使用する。
予想通り<血痕>と表示された。
近くに木箱があり、中は空っぽだったが、赤黒い汚れがびっしりとついていた。案の定血痕だった。
「これだけで決めつけるのも良くないが……早めにって言っていたし念のためメルに伝えておくか」
俺は創造で紙とペンを作り、この廃施設の情報を書いて魔力を込める。
「……メルのところに」
そう念じると、紙が鳥の姿を模して、破れた窓から飛んでいった。窓から出てすぐに、鳥は透明になって見えなくなる。
風魔法の一種で、念じた相手の元に紙を飛ばす魔法だ。近くにいないと無理だし、撃ち落とされる可能性もある。今回は隠蔽も同時にかけておいたので見つからないだろう。
あとは本当にここにタウゼントや人身売買の商人達が来るのか、だ。
メルの話じゃこの施設に素通り集団が来ていたのは間違いないらしい。今は居ないとなるとどこにいるのだろう。
そういえば北門にはパイル達≪白馬の双翼≫が見張っているはずだ。まだいるだろうか。向かってみることにしよう。
廃施設から出るときに再び透明人間になって建物を去った。
貴族街から北門の近くまで歩き、門が見えてきたところで、路地の隙間にて隠蔽を解除した。
そこから北門へ向かっていると、門から少し離れた影に≪白馬の双翼≫が見えた。
「こんにちは、パイルさん」
「ん? やあロスくん。何かあったのかい?」
「ちょっと聞きたいことがありまして」
俺はパイルだけを呼んで、少し離れたところに誘った。
小声で北門に顔パスで入っていく謎の集団の話をする。
「見ませんでした? そういう感じの怪しい奴ら」
「見た。少し前に荷車を引いて街の外に出て行ったんだ。貴族門の方からね。デイジーに探ってもらったから間違いないよ」
「出て行った……そうですか。それなら、今晩戻ってくるかも知れません」
「どういうことだい?」
その男達が何をしている人物と見ているのかを説明した。そして今晩廃施設で取引が行われる可能性も告げた。領主が関わってるって件は除いて。あまり多くの人に知られてはどこから情報が漏れるかわからないし。
「なるほど。そこに繋がるのか。昨日の晩にメルさんがやってきてね、そういう人達がいないか見張ってほしいって頼まれていたんだ。だからパーティで交代しながら見てたんだよ」
街のすぐ側であれば安全なため、デイジーは一人で街の外に出て両方の門を見張り、ジャスミンは街の中から一般の関門を見張り、パイルは兵士と仲良くなって手伝いがてら貴族門の警備兵に潜入していたらしい。
怪しげな男達が出て行ったところだったので、今後の方針を話していたのだとか。
「情報ありがとうございます。そいつらが戻ってきたら俺が後を尾けます」
「わかった。じゃあ僕たちは持ち場に戻るよ」
そう言ってパイル達はバラバラに戻って行った。
俺は人の視線がないことを確認して隠蔽スキルで透明人間になる。
ソルティにも伝えとくか。俺は隠蔽したまま手紙を書いて魔法で飛ばした。
◆
アムゼルはメルと共にギルドの地下牢に足を運んでいた。昨日捕まえた≪アポカリプス≫の構成員から何か情報が出ていないか知るためだ。
牢に囚われた女性構成員は、身包みを剥がされ、別の衣服を纏い、両手両足を拘束されてぐったりしている。
怪我は治癒魔法である程度治しているようだが、完全ではないらしい。所々に痣が見えた。情報を吐かせるための拷問なんて、ここじゃ当たり前なのだ。
「あの……何か掴めましたか?」
一緒に来てくれていたイグニスに話を振る。
イグニスは苦虫を噛み潰したような顔をして首を振った。
「こいつ自身あまり情報を持っていないようだ。捨て駒にされたんだろうな」
「そうですか」
「ただ、メルや他の冒険者のお陰で見えてきた事もある。お前らの情報も合わせて上で話し合おう」
「はい」
イグニスと共にギルドマスターの執務室へ移動する。
すると、中に小さい兎人族がいた。≪妖艶の花嫁≫メンバーのサブレだ。
「サブレはデフェルからの情報を持ってきてくれたんだ。よし。では情報のすり合わせと行こうじゃねえか」
イグニスの言葉に、席についた全員が頷いた。
メルからはスラムでのコルネル捜索の件を共有。アムゼルからはロスが領主館に忍び込んだ話をした。
イグニスはロスの行動にはもはや驚くのをやめたようで淡白なものだったが、領主の裏の顔には頭を抱えていた。
「貴族の話にオレたちギルドが口を挟むのはまずいんだよな……とはいえ街の治安の維持も受け持っているギルドからすれば、これは由々しき事態だ。悪人とっ捕まえて警備兵に引き渡すしかないだろうな」
ふと、そこで開いていた窓から風が入ってきた。
アムゼルが何気なく目線を向けると、メルの目の前にポン! と鳥が現れる。それはヒラヒラと一枚の紙になり、メルの手元に落ちた。
「な、んだこれは!?」
イグニスが片眉を吊り上げる。
「ええと……あ、ロスさんからのお手紙ですね」
「またあいつか!! クソ、もう驚かねえと決めたのに…」
何故か悔しそうなイグニス。アムゼルは苦笑が隠せない。サブレは「鶏肉食べたいなー」などと言っていた。兎人族は一応ヒトなので雑食だ。念のため。
「えっと……あ、北の廃施設に行ってみたそうです。証拠になるかわかりませんが、床や木箱に血痕が残されていたそうです。先日お話しした密入場者の件で、足取りがその施設に向かっていたので、調べてもらっていたんですよ」
メルが手紙を折り畳んで懐にしまう。ロスがどんな魔法を使ったのかわからないが、メルは同じように返事を書けない。後で合流する必要があるだろう。
「ひとまず、他の情報も聞きたいのですが」
アムゼルは話を戻すことにする。
「ああ、サブレ、話せ」
「うん。あのね、デフェル様が言うには、あの遺跡の調査をしていた冒険者達のうち、何人か行方不明になったらしいんだ。それで、ぼくたちで探して、遺体は見つかったんだけど……」
サブレが耳をシュンと垂れ下げる。
「遺跡の奥にあった遺体と同じ状態で見つかったんだ……森の中で」
つまりは、肉体の一部が無い状態で見つかったと言うことだろう。そして血痕も少なかったと。
「今回の遺跡調査は万が一を考えてBランク以上に依頼している。にも関わらず他の冒険者に悟らせずにこうした犠牲者が出ているのだ。敵は相当な手練れか、あるいは我々の知らぬ魔法を使うのか……」
この現状にイグニスもため息が出てしまうようだ。
「身体の一部……そういえば、ロスが気になることを言っていました」
アムゼルがそう言うと、一同の視線が集まる。
「なんだ? 話してみてくれ」
「はい。ロスが領主館に忍び込んだ時に、召喚魔法の本を読んだそうです。その記述が……」
話し終えると、イグニスは唸って腑に落ちていない顔をしているが、メルは顔を青ざめさせた。
「醜悪な魂……まさか、タウゼント様がご乱心なさったのは……」
その発言に、イグニスが動揺する。
「いや、待てメル。確かに、領主様の裏の顔にはオレも驚いた。そんなことをする人じゃなかったと記憶しているのはオレも同じだ。だが、そんな、本の記述のために悪虐非道に走れるか……?」
「もし、≪アポカリプス≫の理念に賛同していたら?」
「それこそおかしいだろう? 領主様の奥方は奴らに……」
アムゼルもそれについては知っていた。以前≪アポカリプス≫掃討作戦の際、アムゼルが居合わせたのは領主の奥方を乗せた馬車が襲われていた所に居合わせたからだった。残念ながら奥方は間に合わなかったが、一人息子は助け出すことが出来、アムゼルもその功績を讃えられたものだが、領主にとって≪アポカリプス≫は妻の仇であるのに違いはないはずだった。
「ですがギルマス、そうでなければ信じられません。わたしだって、間者の端くれ。領主の裏の顔くらい探りますよ。その時はそんな痕跡なんて無かったんです。ここ最近お心が急変したとしか」
「そうだとしても≪アポカリプス≫に手を貸すのは可笑しい。……何か、裏がありそうだな」
「それも、今夜現行犯で捕まえればわかることですよ」
メルは辛そうな表情でそう言う。メルはアムゼルがここで活動するよりも長く居るらしいが、そうなるとだいぶ幼い時からこの街に居ることになる。彼女の出自からして、グレイブ領主に恩義を感じているのだろう。
「メルに言われたメンツは揃ってる。て言っても、遺跡探索してた奴らが戻ってきてるから手伝ってもらうわけだが」
「ええ。あとは、貴族街には警備兵がいますから、ガルドさんに話を通して配置を動かしてもらいます。警備兵の証人も必要ですし。ガルドさんに話せばすぐ理解してくださるでしょう」
イグニスとメルが街の地図を指差しながらテキパキと配置確認をしていく。あとはここで決まったことを下で控えてる冒険者達に伝えて、作戦決行だそうだ。
「アムゼルさんには遺跡へ向かってもらいたいのですが」
「ん? 遺跡に?」
アムゼルはよくわからず首を傾げる。
「街は一時騒然としますから。その間に≪アポカリプス≫に動かれては面倒ですし。遺跡の中へ入る必要はありませんが、近くに怪しい者がいないか見張っていて欲しいのです」
アムゼルは一緒に向かいたいと思ったが、ロスもいるだろうし自分くらいしか動けないのなら仕方がないと頷いた。
「わかった。任せて」
こうして、メルは北の廃施設、アムゼルは南東の遺跡付近に行くことになり、夕方の作戦決行時間まで、他の冒険者と合わせて作戦会議を行うのだった。




