壊れた祠と勘違い
少年が相棒の車に乗って様々な場所に物を届けます。色んなお客さんの多種多様な依頼をこなす中で、少年は世界中を飛び回ります。良い事があったり嫌な事があったり、出会いがあって別れがあってのお話はそれだけです。
雨が降った後の仄暗く湿った林道。左にはそり立って今にも崩れそうな崖、右にはうっそうとして圧迫感のある林が広がっている。小さな車がやっとすれ違えるだけのその道は、デコボコにぬめっていて、路面のあらゆる所に雑草がちらほらと生えている。
そこを一台の白く小さな車が走っていた。丸いヘッドライトで、白いボディ全体に錆を蓄えたそんな車。
その車は視界の悪い狭路をそこそこの速度で走っている。タイヤを上手に滑らせて強烈な曲がり角を抜けて、時々来る真っ直ぐな道ではエンジンを唸らせて。
ずっとこの道を走って来たのか、ボディは自ら跳ね上げた泥で酷い汚れだった。
「ねぇまだこの道を進むの?」
不意に少年の声が聞こえた。年端のいかない、幼さが滲む少年の声。
運転席には少年が座っていた。黒いツナギを着て、鍔が茶色の白い帽子を後ろ向きに被り、前髪で目を覆い隠したその少年は、
「もう少し、あと数キロで目的地だ」
その質問に答えた。声を出したのは車内の少年では無く、今まさに泥を跳ね上げて走る車だった。
車はそれを聞いてぶうたれて、少年はそれに、はいはいとあしらう調子で適当に返事をする。
泥でボディが錆びちゃうだとか、本当にこの道で合ってるのかだとか、休憩しようだとか、色々車が言うのを少年は慣れた様子であしらい走る。
それから暫く走って少年は速度を落とし、相変わらずの崖と林に挟まれた道の真ん中で少年は車を止めた。車の四隅が黄色く点滅を繰り返す。
「おーいライ、急に止まってどうしたの?」
車が不思議そうに聞いた。少年の名はライと言うらしい。少年は運転席を開け、
「ここが目的地。それで目的地があれ。ステン照らしてくれる?」
少年は車の助手席側、崖の少し下を指差す。
「はいよー」
ステンと呼ばれた車は少年の手を借りず狭い道幅で器用に真横になって少年が指差したところを黄色い光で照らす。そこには扉の無い祠があった。朽ちて傾き、崖から落ちてきた石が当たったのか屋根には穴が開いている。多分落ちてきたであろう石が祠の中にはあった。
「あらら可哀そうに、美人さんが台無しだね」
「そうだね、依頼通りに祠を新しくしてあげよう」
祠の中にはベールを被った女性像が両手を握って目を閉じ、口元に優しく笑みを浮かべて雨風にさらされながらも力強く何かに祈りを捧げている。
少年は軽く女性に会釈をしてからトランクへ移動し、中で厳重に毛布で包まれた新しい祠を取り出してそれを女性像の前まで運んだ。新しい祠には白い塗料が塗られていて、直ぐには朽ちないようニスも塗られている。
「失礼しますね」
そこからは早かった。女性像を邪魔にならない場所に移動させ、朽ちた祠と新しい祠を入れ替えて移動させた女性像を元に戻す。ただそれだけ。作業は二、三分で終わった。
ライはその後軽く女性像の汚れを落として最初と同じように会釈をする。
「じゃあ、行こうか……」
「ねぇライ、この女の人はどうしてこんな廃道寸前の道にいるんだろね?」
ライの作業を見ていたステンが唐突にそんな事を聞いた。
取り替えた古い祠をトランクに入れて、運転席に乗り込んでからライはそれに答える。
「人が亡くなったんだよ、僕らが今止まってる丁度ここら辺で」
「え……ほんと!?」
「うん、ほんと」
ライは泥を飛ばさないようステンを動かし、ゆっくり祠と距離を取ってアクセルを踏み込む。
祠が見えなくなってから少し走ったところで、ライは続きを話した。
「祠の中に石があっただろ? ここは良く落石で人が無くなってたみたいで、余りにも事故が多いから使われなくなった林道なんだって。で、今回の依頼人はその亡くなった人の家族」
「へぇー。でもそれじゃあ何で自分達で来ないんだろ、普通家族の為に立てた祠なら配達が仕事のライに頼んだりはしないと思うけど?」
「……出るんだってさ、亡くなった女の人が」
言葉にすると理解が早まると言うが、今ライはまさしくそれに当てはまって急に怖くなった。
言い終わってから少し遅れて、嫌な静けさが車内に充満していくのをライは感じる。何が出るのっと直ぐに聞かれると思っていたが、ステンからも返事は無い。ステンもライと同じだったのだろう、お互いにそこからは自然と話さなくなった。
仄暗くかろうじて視界のあった林道は今はもう完全な闇に包まれて、頼りになるのはステンの前照灯の光のみ。聞こえてくるのはステンがぬかるんだ路面をえぐって走る音と、やけにうるさいエンジン音だけ。
すると不意に、助手席の下の方で重みのある何かがぼとっと音を立てた。ライは何かを振り払うように頭を振り、更にアクセルを踏み込んで速度を上げた。
少年と喋る車が去った後の白い祠。その前に髪の長いワンピース姿の女性が立っていた。頭には麦わら帽子を被っている。女性はじっと少年が交換して真新しくなった白い祠を見ていた。そして、
「あーあ、今回も来なかったか。あんな小さな子に任せるくらいなら自分達で来いってーの!」
ぷくりと頬を膨らませてそう言った。その後に服装を確かめるように自分の体を見回して、
「それにこの在り来たりな服、私は死んだ時こんな服着てないし! どうして幽霊ってこんな服しか切れないわけ、これが幽霊界の正装なの? もっとこう……あるじゃん色々と!」
不満をこれでもかと吐き出し続け、しこたま不満を吐いた女性は肩で息をする。
「ぜぇ、はぁ、はぁ……まーいっか、それにしても像まで綺麗にしてくれたのは初めてかも。そのおかげかな、身体がいつもより軽い気がする…………お礼言いたいな。でも行った所で多分あの子には見えないし、ずっと横に居たのに一度も気が付かなかったもんなー、どうしよ?」
女性は腕を組んで唸りを上げて悩んだ。あーでも無いこうでも無いと一人で呟きながら悩みたおした。
「ん? あれって……」
そんな時ふと視線を下に落とすと、石ころが目に飛び込んだ。古い祠にあったあの石ころだと女性は直ぐに理解した。そして思いつく。
「閃いた! ここに文字を掘って……」
林道を走り抜け、明るい道の信号で止まったライは大きな溜め息を漏らした。
狭苦しい林道は不意に終わって、オレンジ色の街灯が照らす舗装された大きな道路が目の前にある。止まった十字路でライがいる場所から右側には民家が軒を連ね、左には雑多な店がこれも軒を連ねている。正面には真っ直ぐに伸びた道が有って、遠くから坂を下ってくる何台もの車のライトが確認できた。
「抜けたね」
ステンが力無くほっとしたみたいに呟いた。
「うん、何だかいつもより疲れたよ。今日はもう近くのモーテルで休むことにする」
「それがいいや、仕方ないから洗車は明日まで待ってあげる」
はいはいとライは信号が青になるのハンドルに突っ伏してポツリと答えた。そうしていると、ある事を思い出す。助手席で鳴ったあの音だ。
信号が青になってライは左へ曲がりモーテルを探しながら走ると、数百メートルも走らないうちにモーテルは見つかった。モーテルの玄関口の目の前が駐車場になっていて、何と無くライはその中の端の方にステンを止める。
やっと落ち着いた車内の中で、ライは固唾を飲む。助手席で聞こえたあの音の出どころは何と無く予想は付いている。グローブボックス、助手席の足元から少し上にある収納箱の中でその音は聞こえていた。
「ライ、その中……何かあるよ」
「う、うん。やっぱりここなんだ」
ステンの一言でライは沢山の脂汗が滲むのを感じ、更に固唾を飲んだ。ゆっくりとグローブボックスに手を伸ばす。やがて手が触れて、ライは大きく息を吸い込み意を決したように一気に開ける。すると、中から見慣れない物が転がり落ちてきた。
「ねぇねぇ何か今出たよね!? 何が入ってたの!」
「……石だ」
「石?」
それは石だった。何と無く見覚えのある石だけど、勿論ライはこんな物を中に入れたりはしていない。
ライは徐に石へ手を伸ばし一瞬だけ触れて手を引っ込めて、危険では無いと確認してから石を拾い上げる。拾い上げて見てみると、本当にどこにでもある石だった。たった一つを除いて。
「何これ、TY?」
石には削ったTとYの文字が刻まれていた。
「ライ、それって……」
「え、なに?」
意味ありげな間を開けてから、ステンが不安げに言う。
「それってさ……幽霊のダイイングメッセージじゃない?」
キョトンとした面持ちで、ライはステンが言っている事を理解できなかった。だが次第に聞いた言葉が頭の中で鮮明になって、
「……じゃ、じゃあこれはイニシャルで、あそこで亡くなった人は事故じゃなくて殺されたって事!?」
「た、多分ね、だっておかしいじゃん。入れた記憶の無い石が急に現れて、その石に二つの大文字。きっと幽霊が僕らにそのイニシャルの人を探せって言ってるんだよ! それで、きっと見つけられなかったら……呪われる!」
「そんなー! 最初から僕は怖くありませんよって雰囲気も出して祠のついでに女性像も綺麗にしたのに!」
ステンの車内は騒然とパニックになったのは言うまでもない。本当にそうなのかも分からない、呪われるとか、教会で寝泊まりしないと危ないとか、寝込みを襲われたら危ないから一生寝ないとか、それはそれは確証の無い話で大いに盛り上がった。
だが数時間後やはり疲れと眠気には抗えず、ライは寝ないように努力はしたが、やがて眠った。
「あれライ? おーいライ!? 一人にしないでよー!」
「今頃見てくれたかな? それよりも分かったかな?」
女性の幽霊は祠の上に座って、楽しそうに笑った。
「綺麗にしてくれて〝サンキュー〟また来ないかなーあの子達」
そして、祠へ吸い込まれるように消えて行った。
またよろしくお願いいたします。