第54話 花まつりだよっ 新人歓迎会!!
4月8日、今日は章の休日……ではなく、祝日である。
4月8日。この日は仏教の開祖である釈尊の誕生した日。そのため、ここ章でもその生誕日を祝う花まつりと言う祭りが開催されている。
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時刻は巳の刻。桃色のトップスと黄緑色のワイドパンツ姿をした女は和菓子屋の前にいた。京子である。するとそこへ黄色の派手目のズボンに黒い上着を着た人物がやってきた。
「あっ! お~~い、おっはよ~~!! 」
京子は遠くからやって来る人物に元気よく左手を上げ、手を振る。
「お疲れ様っす……」
「おっ? また、いつもの服か? せっかくのお祭りなんだから私服で来たら良かったじゃん!! 鬼渡ぃ。あたし、鬼っちの私服も見てみたいぞぉ? 」
「はぁ。…………そっすか」
「……げ、元気がないぞぉ! 今日はせっかくのお祭りなんだから楽しもうよ」
「は……はぁ。。」
京子の問いかけに対し、鬼渡はそっけない態度をとりつづける。
「も~~! いい加減視線逸らすのやめてったらぁ。別にあたしはもう……気にしてないってば」
「そう……すか」
「…………」
「………………」
気まずい空気が流れる。実はこの空気は今だけではない。かれこれ5日ほどこの状態が続いていた。あの3日の出来事があってから鬼渡の京子に対する態度はこうした感じなのである。
「そ、そうだって!! 」(……うわぁ、ダメだ……き、気まずい)
あの日から地獄課の雰囲気が少し変わったのを京子は感じていた。鬼渡はあまり顔を合わせてくれなくなり、妙によそよそしい。
そして、何より変わったのはそしらの態度である。机に肘をつき、頬杖をつきながら退屈そうに作業をするようになってしまった。完全に舐められた状態になり、上司としての立場がなくなりつつある状況なのだ。
そんな状況を何とかしなくてはと考えながら帰宅していた6日の帰り道。京子はふと街の壁に大量に貼ってあったお知らせに気がついた。
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「ん? 花まつり? 」
そこには4月8日に花まつりという祭りが開催されると記載されていた。
「これだぁ!! 」
京子は思いついた。この花まつりで親睦を深め、上司としての立場を回復し、そしらからの尊敬を得ようと。
早速、7日の出勤して早々に鬼渡とそしらを花まつりに誘い、本日の約束を取り付けた。鬼渡は参加をしぶったが、新しく配属されたそしらの歓迎会ということにして半ば強引に参加させたのである。
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(ふふっ、今日は8日。朝に徳も支給されたし……軍資金はばっちりじゃ! )
まだ、カバンを持っていない京子は支給された徳をワイドパンツのポケットに入れ、ここへ来た。自宅には未だに布団もない状態が続いていたが、まずは部下2人との親睦が重要だ。そのために必要となる徳を出し惜しみはしない。京子はそんな心持である。
「わ~~、あれおいしそう~~!! 」
「へい、いらっしゃい!! 」
「次どこ行く~~? 」
「あそことかいいんじゃない? 」
『ワイワイ……』
『ガヤガヤ』
「………………」
「…………」
『ちらっ』
『ちらっ』
祭りと言うことで普段の休日の数倍の街中の人手と賑わいの中、京子は視線を合わせてくれない鬼渡の方を無言でちらちらと見る。が、普段からそれほどおしゃべりでない鬼渡とは会話が発生しない。
賑わう街中で京子は自分がいる空間だけが周囲から遮断され、空気が供給されていないのではないかと思うほどの息苦しさを感じる。
息苦しさで窒息しそうになったその時、空気が外からやって来た。
「お~~い!! 課長~~、鬼っち~~~。お待たせ~~~!! 」
金髪の人物が元気な大きな声で走って来る空気。そしらである。
「あっ、お~~い! おはよ~~!! 」(よ、良かったぁ。この気まずい空気がこのまま続いたらどうしようかと思っちゃったよ。……うわっ……足長いなぁ……)
京子たちの方へ走って来るそしらは黒いスキニーパンツに青いデニム生地のトップスを着ている。遠くからでもそのスタイルの良さが一目で分かる服装である。
肩からは橙色の小さなポシェットがかけられている。
「ご、ごめん……ちょっと、お、遅れちゃった……」
「う、ううん。大丈夫大丈夫!! さっ、じゃあ行こっか」
「は~~い!! 」
「……うっす」
「………………」
♦ ♦ ♦
「……で、どこに行く? 」
3人は章の街の雑踏の中にあるベンチに腰かけている。手には先ほどの和菓子屋で買った桜餅、3人は和菓子屋の前にある長椅子に腰かけどこに行くかを考えていた。
とは言え、京子は章に来てまだひと月程度。花まつりという祭り自体どういうものかを分かっていない。何より今日は鬼渡やそしらからの名誉を回復する場。2人のご機嫌をとり、良い上司であるという印象を残りたい京子は2人の希望を伺う。
「ねぇ、2人はどこ行きたい? 」
「…………特に、ないっす」
「あっ……そ、そっか…………」
「はいはい!! あたしアンバパーリーさんのライブに行きたい!! 」
鬼渡の薄い反応の後にすぐさまそしらから元気な声が返って来た。
「あ……アンバ……パーリー? って……誰? 」
京子はそしらの放った用語を聞き返した。アンバパーリーとは一体何なのだろうか。食べ物の名前かとも思ったが、ライブと言っていたのでおそらくは人であろうと理解した京子はそれが誰であるかを尋ねた。
「えっ……課長知らないの!? アンバパーリーさんは超有名な歌手なんだからぁ。釈尊のお弟子さんで普段は忙しくてなかなか来てくれないけど今年の花まつりではわざわざ遠い西の地から章にライブに来てくれたんだよ」
アンバパーリー。かつて釈尊がいた時代にいた絶世の美女である。踊りや歌にも長けており、多くの人々を魅了したと言われている。その後、アンバパーリーは釈尊の弟子となり、仏教徒となった人物である。
「へぇ~~……そうなんだ。じゃあ、そのアンバ……パーリー? さんのライブに行こうか! 」
「わ~~、やった~~!! 」
とりあえず最初の目的地を決め、3人は章の街中を歩いている。アンバパーリーのライブは街の西にある広場で開催されるらしい。3人が目的地に向かっている道中、何かを配っている人物が見えて来た。
「甘茶で~~す。どうぞ~~」
よく見ると3人の人物たちが周囲にコップを手渡している。中には何か飲み物が入っているようあった。
「あれ……なんだろう。なんか配ってるね」
「あれは甘茶だよ!! 」
「甘茶? 」
「甘いお茶っす……」
「ふ~~ん。甘いお茶かぁ……」
「はいっ、どうぞ~~! 」
京子たちもコップに入った甘茶をもらった。花まつりでは甘茶を飲んだり、お釈迦様の仏像にかける風習がある。
「ふ~~ん……何か金色っぽい色で綺麗だなぁ。……んっ、あ、甘い……結構甘いんだね……」
「まぁ、甘茶っすからね……」
「でも、砂糖も入ってないし、健康的な飲み物なんだよぉ。ん~~、やっぱり甘茶はおいしいなぁ♪ 」
「そ、そうなんだ。へぇ、砂糖が入ってないんだねぇ。……あっ、この飲み終わったコップってどうすれば……あっ」
甘茶を飲み終えたガラス製のコップをどうしたらよいか京子は周囲を見渡すと3mほど先の場所にこう書かれていた。
【コップ返却口】
(使い捨てじゃないところがエコなんだなぁ……)
章とはこういう所である。使い捨てのようなものはほとんどない。京子はよく行く日天の決まりで知っていた。日天でも天丼やかつ丼のような丼ものや寿司が売っているのだが、その容器は陶器製で食べ終わった器は買った日天へ返却する決まりになっている。店の入り口に書かれているのである。もっとも京子はまだそうしたご馳走を章に来てから食べていないので決まりを知っているだけである。このコップもそうなのであろう。
「……ふぅ。あれ? 2人は?」
コップを返し終えた京子はいつの間に鬼渡とそしらがいなくなっていることに気がついた。この人の多さの中で携帯電話なしではぐれてしまっては会うことは難しい。慌てて周囲を見渡す京子。すると、10mほど先に細く長い足の人物が人だかりの中に紛れているのを見つけた。慌ててその人だかりの方へ駆けてゆく。
「はぁ……ちょ、ちょっと、置いてかないでよ……」
「あっ、課長~~、課長も釈尊に甘茶かけていきなよ? 」
「あ、甘茶をかける? 」
「ほらっ、鬼っちがやってるみたいに」
そう言われて見た視線の先では鬼渡が神社や寺にあるようなお参り前に手を清めるような場所にある柄杓を用いてその中心にいる仏像に何かをかけているのが見える。その柄杓からは先ほど京子が飲んだ甘茶と同じ色の液体が流れている。
「ああやって仏教の開祖の釈尊に甘茶をかけて釈尊のお誕生日をお祝いするんだよ? 」
「へぇ、そうなんだ……」
アンバパーリーに花まつりの作法、鬼渡やそしらはこの章のことをよく知っている。自分よりも仏教のことやこの章に詳しい2人に倣って京子もその列に並び仏教の開祖である釈尊の像に柄杓で頭の上から甘茶をかけ、花まつりを祝った。




