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ハロー、愛しのインスタントヒーロー  作者: 月山 未来
あと2分が待ち遠しい
24/33

12

 


 震える。心臓が泣いている。

 父の手があの女の子の頭を優しく撫でる光景を思い出しては、苦しくて吐きそうになる。胸が割れるほど痛くて、泣き喚きたい衝動に駆られている。



「もう、私のこと……」



 その先は言えなかった。

 きっと一生忘れない。死ぬまで覚えている。脳内で反芻する度に全身が抉られて、毎回泣いてしまうだろう。



『もうお前を娘だとは思いたくないんだ』



 私はただ、私を大切にして欲しかっただけだ。何よりも大事に、一番に想って欲しかった。

 たったそれだけだったのに、そのたった一つを望むのは強欲なのだろうか。あの女の子は当然のようにその権利を得ていたのに?



「お母さんと離れろって言われた……私が、幸せになれないって」



 みんな私を一人にする。使ったものを元に戻す、そのくらい当たり前の所作で背を向けていく。



「幸せに、なれなくてもいい……一緒にいたかったの……」



 やっと思い出した。

 みんなのしょうらいのゆめ。その冊子に書いた私の夢は、「かぞくみんなでいっしょにいること」。

 お花屋さんでもケーキ屋さんでもアイドルでもない。もっと難しくて単純明快な願い事だった。



「……奈々ちゃん……」


「私が一人でいたら、みんな幸せなんだ! だからそう言うんでしょ……!」



 強く抱き寄せられる。その動きに一切の躊躇はなかった。



「奈々ちゃんを一人にしない。幸せになれるよ。もしなれなかったら、僕がする」



 優しさと怯えを捨てた両腕が、そんな傲慢なことを言う。

 不思議だ。最初に抱き締められたときは優しかったのに怖くて、でも今は優しくないのに安心する。


 全部大切、じゃなくて私だけを大切にして欲しいし、とびきり優しく、じゃなくて無理やりでもいいから奪って欲しい。なりふり構わず求められてみたい。どんなことがあっても揺らがず私だけを見ていて欲しい。

 そうじゃないなら最後には捨てられてしまうから、優しい愛情なんていらないの。



「ずっと、僕がそばにいるよ。泣きたくなった時、絶対に離れない。僕が一緒にいるから」



 苦しいくらい締めつけてくる絢斗の力加減が、今は心地いい。女の子の抱き締め方を知らない、女の子の扱い方を知らない、私だけを大切にしてくれる男の子。



『奈々は、俺のために死ねる?』



 去年のクリスマス、ある人にそう問われた。

 彼は私と同じように底なしの寂しさを背負っていて、その温度を埋めるために何度も体を重ねた。一緒にいて欲しいと言ったら、朝までそばにいてくれる優しさもあった。


 でも、優しすぎるのだ。結局最後には、私ではない大切な人を見つけて離れていった。私へ与えた優しさを忘れてしまったかのように。


 みんな、そうやって一つずつ消えていく。



「絢斗、」



 私は誰かのために死ぬなんて御免だ。もし仮にどうしても死ななきゃいけないのなら、それは自分のためがいい。



「絢斗は、私のために――」



 怖くて二の句を継げない。死ねる、と言われても、死ねない、と言われても、満足に笑える気がしなかった。



「どうしたの?」


「……ううん」



 不安と恐怖と高揚で眠れない夜に、振り切って彼の背中に腕を回す。



「何でもないよ」



 ずっと一緒、と呟く。呪いの予感がした。





 ***





 ふと目を開ければ朝だった。疲れからか、昨夜はすぐに寝入ってしまったような気がする。


 隣にはまだすやすやと眠っている絢斗がいて、呼吸の度に鼻が膨らむ。

 気持ちよさそうに寝やがって、とその鼻先をつまめば、苦しくなったのか彼はようやく顔をしかめた。



「んがっ」


「起きた?」



 眉根に寄った皴が解かれて、瞬き三回。焦点が私に定まったらしく、絢斗は「おはよう」とだらしなく頬を緩めた。



「いま何時?」


「六時」


「そっかあ」



 あくび交じりに返事をした彼が、渋々といった様子で起き上がる。



「家帰って準備しなきゃ……」



 絢斗の表情には珍しく憂鬱気な色が浮かんでいて、そこで私も一気に現実へ引き戻された。


 いま絢斗を帰したら、今後もう容易に会うことはできなくなる気がする。私が沙織ちゃんに焚きつけたのだから、当然と言えば当然だ。ここで引き留めても、もって数日だろう。



『私は絢斗と離れるつもりはありません。絢斗自身も、それを望んでいます』



 あんな啖呵を切ったのに。本当は、私も絢斗も、そばにい続けることを望んでいるのに。



『今ね、奈々ちゃんを守りたいって、思ったよ』



 一緒にいたい。一緒になんていられない。

 絢斗の中に芽吹いたのは、いつか枯れてしまう淡く綺麗な蕾だ。綺麗なものには賞味期限がある。永遠に美しいままなのはフィクションの中だけ。



「あ」



 唐突に何かを思いついたように声を上げ、絢斗がこちらを見やる。そのまま両腕を広げると、歯を見せて笑った。



「ハグ! 今日の分!」



 無垢な少年のように促してくる彼に、昨日の力強い腕を思い出して勝手に気まずくなる。


 そもそも一日三分だなんてルールを作ったのは絢斗で、別にそれに従う必要はない。

 絢斗は気付いていないかもしれないけれど、慣れるまでハグをしようというのはつまり、私が絢斗のことを好きになるまで続けようということで、その時点で恋というものの傲慢さに巣食われているのだ。


 私は変わりたくはない。絢斗との時間に、空間に、変化をつけたくはない。絢斗にだって変わって欲しくはない。

 そうすれば私たちはもしかしたら、まだ一緒にいられるかもしれない。


 好きになるから怖いのだ。相手が好きでいてくれなくなったらどうしよう、そんな終わりを気にして怯えてしまう。



「……うん。三分だけ、ね」



 それでも私は平気で頷いて絢斗の背中に腕を回す。


 本当は、痛いほど強く抱き締められた時の喜びを忘れられない。

 今は優しく包んでくれる腕があるだけだ。けれど、布越しに伝う温もりにひどく安心する。


 心臓の音を聞いて、呼吸に合わせて膨らむ肺の動きを感じて、それが二人分あると知って、私は一人じゃないと思える。


 絢斗がぬるま湯のような力加減だから、試しに私が思い切り、ぎゅう、と抱きついてみる。



「ど、どうしたの?」


「…………何でもない」



 同じ強さで抱き締め返して欲しい、とまではさすがに言えなかった。

 急に恥ずかしくなって顔を絢斗の胸元に埋めれば、突然彼の体が振動する。



「えへへ」



 どうやら笑っているようだ。こんな時に呑気なものである。


 文句の一つでも言ってやろうと顔を上げた途端、絢斗がそのまま愉快そうに告げた。



「奈々ちゃん、かわいい」



 視線が交わう。彼の大きな瞳が細められて、柔らかいものを撫でる時のような色を宿している。


 機嫌を取るためではなく、自然と零れてしまった音。それくらい分かる。

 分かるけれど、そんな風に言われたことなんてほとんどないから戸惑った。こんなに綺麗にラッピングされた「かわいい」を、私は受け取ったことがない。



「なに、言ってんの……」



 驚き、嬉しさ、焦燥、照れ、憂い。順番に押し寄せてきた後、全部がぐちゃぐちゃになって内側で戦争を始める。


 結局自分の感情すら分からないのに、絢斗の耳が少しだけ赤くなっていることに気が付いてしまって、胸が苦しくなった。

 愛しい――それ以上の想いを持ったら、爆弾を抱えて生きていかなければならない。


 と、不意に玄関の方から物音がした。まずいと思ったのが先か、ドアが開いたのが先か。



「…………奈々、あんた何度言えば分かるの」



 帰宅した母が、私と絢斗の顔を見やった後に吐き捨てる。そのまま何事もなかったかのように荷物を置いて洗面所へ向かうので、拍子抜けした。



「あの、奈々ちゃんのお母さん!」



 ベッドから降りた絢斗が母を呼び止める。

 私としては、一体何を言い出すのだろう、と気が気じゃない。



「お邪魔してます! 僕、絢斗です! 覚えてますか?」



 母が振り返ると、絢斗は慌てた様子で服の皴を伸ばしたり髪の毛を整えたりし始めた。いくら直したところで寝起きは寝起きである。



「あー……まあ、うん。覚えてるよ。そう……絢斗くん、ね」



 歯切れ悪く頷いた母は、つとこちらに視線を投げて首を傾げた。



「で? あんたたち、そういう仲なの?」



 一晩同じ部屋、薄い部屋着、ハグシーン。

 勘違いをするには十分すぎるほど材料が揃っている。逆にここまで何もなかったのは絢斗が初めてだ。



「違う」



 理解が及んでいない絢斗の代わりに答えると、母は浅く笑った。



「嘘つく必要ないでしょ。ほんとあんた見境ないね」


「だから、違うって言ってる」



 思わず語気を強めてしまい、そこでようやく母は私の顔をまじまじと見つめた。まるで珍しい動物を観察するかのような目つきだ。



「へえ。じゃあ付き合ってるとか?」


「付き合ってない!」


「……何、急に大声出して。意味分かんない」



 いま一番触れて欲しくない部分だったのだ。明確に線引きしたくなくて、曖昧に平穏に終われそうだったところを突かれて、意地になっている。


 黙り込んだ私と対照的に、絢斗が口を開いた。



「僕が奈々ちゃんにわがまま言っただけです。一緒にいたいって」


「ふーん。それで一晩一緒にいて、何にもしなかったんだ」


「ええと、ご飯食べたり話したりしました」



 そういうことじゃなくてさ、と母がため息交じりに肩をすくめる。



「セックスはしなかったんだねって言ってんの」



 絶句した。否、どちらかというと絶句したのは絢斗の方だった。

 彼の横顔を盗み見る。写真のように固まって見える。



「……僕はただ、奈々ちゃんと一緒にいられれば、それでいいです」



 大きな感情の揺れは見当たらない。それがどこか不思議で怖かった。キスで動揺する絢斗のことだから、もっと驚いて困惑して恥ずかしがると思っていたのに。

 いっそ静かなくらい、絢斗は真っ直ぐな声で母にそう返した。



「無理だよ」



 それ以上に端的で無情な単語が母の口から発せられる。



「男と女がプラトニックでいられるわけがない。一緒にいるだけなんて、そんなの結婚でもしない限り無理な話なの」



 母の経験則なのかもしれない。あるいは、彼女の中の常識なのかもしれない。

 私も今まで当たり前のように思っていた。清い交際なんて存在しない、もしあるとするなら、そうしている自分たちに酔っているだけだ。


 それなのに、どうして絢斗のことは無意識に「例外」としていたのだろう。

 お互いを大切に想っていれば、道を踏み外さなければ、私たちはずっと一緒にいられるなんて。なぜ確証もないのに信じていたのだろう。


 私が女として生まれ、絢斗が男として生まれたその時から、私たちは別離が決まっていた。人間の本能に組み込まれた子孫繫栄という名のもとに。



「……絢斗?」



 やけに静かで落ち着いている絢斗に違和感を覚え、彼の名前を呼ぶ。



「奈々ちゃん。僕、帰るね」



 絢斗が荷物をまとめ始める。寝癖がぽわぽわと揺れている。



「お邪魔しました」



 丁寧にお辞儀をして玄関ドアを開けた彼とは、一度も目が合わなかった。



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