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ハロー、愛しのインスタントヒーロー  作者: 月山 未来
あと2分が待ち遠しい
21/33

9

 


 結局、絢斗が駅に着くまで三分どころか二十分かかった。これではブラジルの場合、一体何時間かかるのか。若干気が遠くなりそうだ。


 それから二人でまた電車に乗ったけれど、絢斗のスマホには頻繁に沙織ちゃんからの電話がかかってきているようだった。



「……何にも言わずに来たの?」


「ううん。奈々ちゃんのところ行くって、ちゃんと言ったよ」



 原因それだよ、多分。内心つっこみながら、思わずこめかみを押さえる。


 昨日は表面上穏やかに接していた彼女でも、最後は私への嫉妬心を隠せなくなっていた。

 この一年――つまり、次の春が訪れるまでという猶予は与えられたにせよ、いつ「すぐにでも絢斗から離れろ」と言われるか分かったもんじゃない。


 そうなる前に、きちんと話さなければならないのだ。絢斗とも。



「絢斗。さっき、私しか大切にできないって、言ったよね」



 改札を抜けて夜道を歩く。心配したあまり家の近くを沙織ちゃんが見て回っているのでは、と思ったけれど、周囲にはそれらしき人影はなかった。



「うん。奈々ちゃんのこと、好きだよ」


「それって、どういう『好き』?」



 私が問うと、絢斗は首を傾げた。彼の毛先がふわふわ揺れる。



「えっと……」


「私とハグしたいとか、キスしたいとか思う?」



 視線をさまよわせ、戸惑ったように絢斗が頬を赤らめた。



「そ、そういうこと、あんまり大きい声で言っちゃだめだよ」


「絢斗。私、真剣に聞いてる。ちゃんと答えて」



 黒く濡れた瞳がこちらを向く。いつもだらしなく緩んでいる薄い唇が、きゅっと引き締まった。



「……ごめん。よく、分かんない。どういう好きって、好きか嫌いかの好きじゃないの?」


「じゃあ絢斗は、エビも私も好きなんだ。一つしか大事にできないって言ったくせに。嘘つき」


「そ、そういうわけじゃないよ!」


「どういうわけなの?」



 絢斗の「好き」が分からない。特別とか、一番とか、彼の中でどの程度それが絶対的なのか。



「沙織ちゃんのことは? 好きじゃないの? 大切じゃないの? 沙織ちゃんと離れたら、エビフライも食べられなくなるよ。嫌でしょ?」


「何で急に沙織ちゃんのこと言うの?」


「だって、」



 絢斗がいくら私を大切にしても、それは羽毛のように軽くてすぐに飛んでいってしまう。痕がつくまで握り締めておくような、縛りつけておくような、そんな守り方を、絢斗はきっと知らないしできない。



「奈々ちゃんか沙織ちゃん、どっちかを選ぶっていうこと?」



 思いのほか直接的な言い回しに、どきりと心臓が跳ねた。

 絢斗の表情は困惑から緊張に変わっていて、それがこっちにも伝染する。



「……それ、沙織ちゃんにも言われたよ。奈々ちゃんに会いに行きたいって言ったら、『私のこと見捨てるの?』って」



 声を失った。彼の目に宿る、絶望に近い小さな闇を見つけてしまう。



「沙織ちゃん、僕のことを好きだって言ってた。それを言われる時ね、ちょっとだけ怖いんだ。好きって言われたら嬉しいはずなのに、何でだろうね」



 戦っている。私だけじゃない。絢斗もまた、得体のしれない恐怖や暗闇に飲み込まれそうになりながら、必死に抗っている。



「だから僕、決めてたんだよ。奈々ちゃんに会いたいって思った時から、この町に帰ってきた時から、ずっと。何かを選ばなきゃいけないなら、どっちかを捨てなきゃいけないなら、僕は奈々ちゃん以外、何もいらないって」


「……絢斗、」


「一つしか選べないなら、その片方が沙織ちゃんだったとしても、僕は奈々ちゃんを選ぶ。七年かかったけど、やっとそう思えた」



 七年。七年、だ。

 私は絢斗のことを心の中でずっと待ち続けていた。寂しさを紛らわせようと、痛みを忘れようともがきながら、それでもずっと彼を待ち望んでいた。


 私の感じていた七年は長かったけれど、絢斗の感じていた七年は、どれほど先が見えず長かったのだろう。



「そっか……」



 絢斗はとっくのとうに決めていたんだね。迎えに来てくれないって、私が我儘を言って泣き喚いている時、絢斗は一人で苦しんでいた。答えの出せない難題だったのに、人一倍優しい彼だったのに、たった一つだけを選んだ。


 自分が血を流すよりも、人を傷つけて見る血の方が辛い。絢斗はそう思うような人だから、沙織ちゃんを放っておくことなんてできないと思っていた。


 嬉しい、と言ったら、怒られてしまうだろうか。ほっとしている私は、不謹慎で酷い人間だろうか。



「ハグとか、エビとか、そういう細かいことは分かんないけど……すごく、大切なんだ。気がついたら一緒にいて、奈々ちゃんがいないと落ち着かなくて、これからもそうなんだと思う」



 彼の瞳にはいつだって明るいきらめきがある。悲しさをしまって、闇を背負って、それに負けないくらい明るく灯していける光。

 無限にわいてくるのだと思っていた。絢斗はいつも何も考えずにへらへらと笑っているのだと思っていた。



「ずっと一緒にいたいよ。それって、好きってことじゃないの?」



 私を貫く痛いほどの純情が、彼の今にも泣きそうな微笑みが、その動力は全て私なのだと教えてくれる。



「……うん。私も、絢斗と一緒にいたいよ」



 やっと分かったような気がする。家族でも恋人でもない。友達とも少し違う。

 好きにはたくさん種類があって、その一つひとつを答え合わせのように相手と擦り合わせていくのは大変なことなのだ。


 絢斗のことは大切だけれど、好きと真っ直ぐ伝えられるほど愛があるのかと聞かれれば難しい。

 もちろん幼馴染としての情はあるし、弟のように愛しく思う時もある。私にとっての唯一無二は絢斗だ。一緒にいたい、いて欲しい。そういう未来を望んでいた。



「こら、君たち! そこで何してるんだ!」



 不意に後方から飛んできた声に振り返ると、男性警官が駆け寄ってくるところだった。制服姿のまま夜道を歩いていたからだろう。



「絢斗、走るよ」


「えっ!?」



 慌てふためく絢斗の手を引いて、五月の風をすり抜けていく。

 最初は私が先導していたのに、あっという間に絢斗が隣に並び、それから少し前に出て私を引っ張る。



「あははっ、何か悪いことしてるみたいでどきどきする!」



 悪いことしてるんだってば。

 楽しそうに駆ける絢斗を斜め後ろから盗み見て、呆れると同時に感慨深くなる。


 昔は私の方が速く走れたのに、もうすっかり歩幅が変わってしまった。前はそういう変化が悲しかったけれど、今は素直に受け入れられる。

 私も変わった。日比野くんも変わっていた。変わらないものなんてない。知らなかった空白さえ抱き締めて、私たちは大人になる。



「はー……もういいかなあ」



 家の近くまでほぼノンストップで走り続け、ようやく立ち止まった。息を切らしている私に、絢斗が「大丈夫?」と顔を覗き込んでくる。



「だい、じょうぶだけど……ちょっと、速すぎ」


「ご、ごめんね! 途中から楽しくなっちゃって……」


「絢斗。しっ」


「え?」



 少し遠いけれど、前方にぼんやりと見える人影。――沙織ちゃんだ。

 きっと、いや確実に、絢斗を探している。私から引き離そうと躍起になっている。



「……こっち」



 学ランの袖を摘まみ、絢斗を誘導する。

 足音を立てないように気を付けながら、アパートの階段をのぼった。



「き、緊張したね……」



 ドアを閉めて鍵をかけた私に、絢斗が安堵した様子で息を吐く。


 二人でいるところが見つかったらまずいと思い、咄嗟に家へ連れてきたはいいけれど、先のことは全く考えていなかった。

 絢斗の帰宅が遅くなればなるほど沙織ちゃんは純粋に心配もするだろう。



「奈々ちゃん、今日お母さん帰ってくるの?」



 もう少し休んだら帰りなよ、と言い渡そうとしたところで、絢斗が尋ねてくる。



「え? いや、多分帰らないと思うけど……」


「じゃあ僕、泊まってく!」


「はあ?」


「あ、勝手に決めちゃだめだよね。泊まってもいい? ですか?」



 何だ、その後付けくさい「ですか」は。ぶりっ子すればいいってもんじゃない。

 泊まること自体は別に構わないというか、散々色んな人を泊めているのだから今更だ。でも今は一刻でも早く帰った方がいいに決まっているし、そもそも絢斗がうちに泊まったことなんて今まで一度もない。


 相手は絢斗だ。どうこうなるわけはないけれど、女の子の家に泊まるということの意味を分かっているのだろうか。



「何言ってんの。帰んないとだめでしょ」


「やだよ。だって、僕が帰ったら奈々ちゃん一人になっちゃう」


「意味分かんないし……」


「泣いてたもん。今もまだ悲しい顔してるもん。だから一緒にいたいんだ」



 ゆっくり腕を伸ばした絢斗の指先が、私の頬をなぞる。もうすっかり夜風で乾いてしまった涙の跡を辿るように。



「ね。二人でいれば、なんにも怖くないよ」



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