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ハロー、愛しのインスタントヒーロー  作者: 月山 未来
あと2分が待ち遠しい
15/33

3

 


「あ、奈々ちゃん!」



 学校は違えど、家が近いとよく出くわす。

 職員室への呼び出しを食らった後、気怠さを感じながら帰路についていたら、バスを降りたタイミングで絢斗に会った。


 彼の声が大きいのは慣れているし昔からなのでいいとして、これでもかというほどぶんぶんと手を振るのをやめて欲しい。周りからの視線がかなり痛い。


 一直線に私へ向かって駆け寄ってきた絢斗は、屈託のない笑みで「おかえり」と言い放った。



「おかえりって……まだ帰ってないけど」


「うーん、でもここまで来たら帰ってきたような感じかなと思って!」


「だとしても絢斗のセリフじゃなくない?」


「こないだは『ただいま』しか言わなかったから、『おかえり』も言いたくなっちゃったのかも」



 謎理論で片付けた彼が、へへ、と嬉しそうに目を細める。

 追及するのもアホくさくなってしまい、無理やり納得しておくことにした。


 肩を並べて、ほぼ同じ帰宅ルートを辿り始める。


 喋るのは九割絢斗だ。残りの一割は私の相槌。適度に質問を挟まないと「聞いてる?」と言われてしまうから、なかなか油断できない。



「奈々ちゃん、今日元気ないね」



 いつもと変わらない調子で聞いていたつもりだったのに、突然顔を覗き込まれたので驚いた。思わず足を止め、伏せていた目を上げる。



「何かあったの?」



 そう問われて、答えに詰まった。私自身もそこまで気分が沈んでいた自覚はなく、ただ母に話さなければならないことがあるというのが億劫だった。


 どこかいたたまれなくて、また目を伏せてしまう。



「……何もない。大丈夫」


「あ、嘘ダメだよー。奈々ちゃん分かりやすいんだもん、すぐバレちゃう」



 絢斗にだけは言われたくない。若干眉根を寄せたものの、彼が私の嘘に敏感なのはこちらも理解していた。

 反駁する代わりに、割り切れない頷きを返そうとした時。



「絢斗?」



 その声は前方から確かに聞こえた。刹那、全身の筋肉が硬直してしまったかのように緊張が走る。

 恐る恐る顔を上げた私に、相手が目を見開いた。


 素朴さの滲む綺麗なダークブラウンの瞳と、私とは対照的な緩くウェーブのかかった髪の毛。

 彼女は一瞬表情を強張らせた後、すぐに穏やかな笑顔を浮かべる。



「あら、久しぶりね。奈々ちゃん」



 爽やかな挨拶だった。

 センターで分けられた前髪が年月の経過を感じさせる。それでも相変わらず、優しそうで綺麗な人という印象は健在だ。



「……お久しぶり、です」



 喉が妙に乾いていた。

 絢斗が引っ越してきた日、見かけた顔と全く同じそれが、いま目の前で佇んでいる。



「沙織ちゃん、どこ行ってたの? 買い物?」


「そこのスーパーに行ってきたの」



 言いつつ持っている袋を掲げた彼女は、絢斗の学ランの裾に手を伸ばした。一番下のボタンが外れていたのが気になったらしい。やけに懇ろに留め直し、だらしないでしょう、と柔らかい口調で窘める。



「二人は学校帰りよね。これからどこか行くの?」


「行かないよ。どうして?」


「だって、一緒に歩いてたから。待ち合わせして出掛けるのかと思った」


「駅で偶然会ったんだよ。ね、奈々ちゃん」



 親子の会話に聞き入っていたところで、唐突に話を振られた。

 頷いて見せれば、沙織ちゃんがなぜか少しほっとしたように頬を緩める。



「そうだったの。……もし良かったら、奈々ちゃん、この後うちに来ない?」


「え、」



 想定外の誘いに、なすすべもなく動揺した。絢斗ならまだしも、沙織ちゃんがそんなことを言うだなんて、まさかとしか表現のしようがない。


 もちろん、絢斗がその提案に乗らないわけがなく。



「賛成! 奈々ちゃん、久しぶりにうちでご飯食べよ!」



 結果として、暮町家に訪問することになった。


 久しぶりといっても前とは違う家だ。懐かしさを感じるかと問われると、答えはノー。

 玄関に入って早々、置かれた雑貨やインテリアからは、確かに以前のような雰囲気が見て取れる。



「奈々ちゃん、早く! 僕の部屋こっち!」


「こら、まずは手洗いうがいでしょー」



 平常運転で和やかなムードに、虚を突かれてしまう。

 ここに来るまでの道中も別段変わった様子はなかった。元気にしていたか、今はどこの高校に通っているのか――世間話も滞りなく、かえって申し訳なくなるほど。



『会いに行けなかったんだ。行っちゃダメだって言われて……』



 だけれど、絢斗の言葉はこの耳で間違いなく聞いた。その時の衝撃と確信は絶対に忘れない。


 漠然とした不安を抱えながらも、やはり誘いを断るなんて、私には到底できなかったのだと思う。

 昔のように絢斗と無邪気に笑えたら、何も知らずにいた頃に戻れたら。どうしても希望が捨てきれない。なんのしがらみもなく私たちは幼馴染に戻れると、そんな淡い願いが叶うことはこの先あり得ないのに。



「ええっと、ごめん、ちょっと散らかってるんだけど……」



 二階に上がり、先導していた絢斗が遠慮がちにドアを開ける。彼の部屋だ。

 絢斗の場合、散らかっているというのは謙遜でも卑下でもなく、ただの事実である。


 漫画、野球のグローブ、ゲーム機。床には物が散乱していた。いかにも男子高校生らしいラインナップだ。


 なんとはなしに部屋の中を観察していると、教科書が乱雑に積まれた机の上に、一つだけ写真立てを見つける。



「……これ、」



 思わず手に取った。掴んだ指先に力が入って白んでいく。



「懐かしいよね。二年生の時の遠足の写真。奈々ちゃんと二人で写ってるの、それしかなかったんだ」



 絢斗の言うように、写真立てに飾られていたのは私と彼のツーショットだ。背景が緑一色なので、恐らく木の生い茂った公園で撮ったものだろう。細かいところは正直よく覚えていない。



「あの時、奈々ちゃん遠足用のおやつを家に忘れて来ちゃって、朝からずっと不機嫌だったなあ。僕のおやつを分けてあげたんだよ」


「そう、だっけ?」


「そうだよ。奈々ちゃんがほとんど食べちゃったから、それでちょっとだけ喧嘩したんだ。覚えてない?」



 昨日のことのようにすらすらと思い出を振り返る絢斗に、黙るほかなかった。

 彼の瞳が少しだけ不安定に揺れる。



「……覚えてない、よね。もうずっと前のことだもん」



 私に気を遣っての言い回しだということは、容易に分かった。


 ずっと前。でも、絢斗はちゃんと覚えている。それが全てだ。


 私は昔のことを、絢斗と過ごした時間を大切に思っていたはずなのに、詳しく語れと言われてもそれができない。

 明確に思い出せるのは悲しみが付随した記憶ばかりで、いつの間にか脳内で絢斗を責めてばかりだった。どうして、なんで、私にこんな思いをさせるの。会いに来てくれないの、と。


 絢斗が私のことを忘れた? どこの馬鹿がそんなことを言ったのだろう。

 手紙を寄越し続けて、会いたい、会おうとし続けて、今も変わらず昔の記憶を抱き締め続けている。


 彼は私よりもっとずっと、私たちのことを大事にしていた。大切にする、ということを、私より上手にできるし、口だけではなくきちんと実行できる人だった。


 返事をしようにも適切な言葉が見つからず、教科書の表紙を撫でる。

 ふと、机についている本棚に収納された冊子に目がいった。教科書などは散らかったままなのに、そこだけきちんと整理されていたからだ。



『みんなのしょうらいのゆめ』



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