その終わりが、訪れた
ルリたちが集落に辿り着き、そこで住むことを選択してから半年ほどが経った。
『便利屋 黒瑠璃と詩』は、すっかりこの集落に馴染むことができていた。初めは胡散臭そうに見ていたここの人々も、少しずつ依頼してくる人も増え、いつの間にか村の一部として受け入れられていた。
朝早くに家の前の看板を“OPEN”にし、いつ誰が来てもいいように店の中で待ち構える。
「今日も、一日頑張ろうかー」
のんびりと人に扮した機械は椅子に座って、隣の愛玩機械に話しかける。椅子の上に丸まっている黒猫の姿の機械は、片目をうっすらと開けて相方をちらりと見ると、再び目を閉じる。
『そうだね、頑張れよー』
一瞬垣間見えたその目は、本来の蛍光青色ではなく、少し色を抑えた青色していた。この半年の間に、ルリが蛍光色を抑えるようなレンズを作製し、クロはそれを装着しているのだ。
「今日はどんな仕事が来るかね」
『黒瑠璃の詩』にやってくる仕事は様々にあるが、ルリの見かけによらないパワーを見込んで、力仕事が全体的に多い。たまに随分昔に発明されたであろう単純な装置の修理依頼も来なくもないが、そう言った装置はそもそもあまり残ってないし、残っていたとしても雪のせいで修復不可能なまでに破損していることが多く、滅多に来ることはない。
『それは来てみないとわからないね』
その会話は、今日も依頼が来るだろうという事を見越したものだったが、『黒瑠璃の詩』には確かにほぼ毎日依頼が舞い込んでくる。
『ま、来なくても備蓄はあるから問題ないけどさ』
今の時代、お金というものにほとんど価値はない。お金とはただの金属の塊や紙切れに公的な信頼と価値を与え、それを盲信してサービスの売買を行うシステムの媒体だ。それに信頼を与える者など、今やほとんど存在していない。街によっては流通が生きていて、通貨が使用可能な場所もなくもないが、そんな場所は少ない。また、そんな場所でも通貨の利用は限定的であり、少なくともこの集落において、そんな貨幣に価値を認める者は存在しなかった。では何をもってサービスを行うか。それは単純に物々交換である。食料や資源と引き換えにほぼどんな仕事でも引き受ける。それが『黒瑠璃の詩』の業務であった。
周囲を四脚の蜘蛛に囲まれ、外との繋がりがほとんど遮断されたこの集落において、人々の生活は常にギリギリである。誰もが誰かの助けを必要としている。その中で、隠してはいるものの機械の身であるルリは、そのエネルギーに余裕がある。その余ったエネルギーで行っている便利屋業務は、集落の人々にとっても救いであり、すでに必要不可欠な力となっていた。
「シナツは?」
『まだ寝てるね。まだ早いし、ゆっくり寝かせてもいいんじゃない?』
「そっか」
『にしても、この家もいつの間にか立派になったものだね』
「そう?」
この家と店を兼ねた建物は、ルリたちがここにやって来て初めて建てたものから、随分増築され、いくつか部屋ができていた。そもそも初めに建てたものはただの間に合わせだったので、徐々に改築してシナツが住むのに際しても快適な家を目指したのだ。
『まあ、改築を提案したのはワタシだけどさ。改築してよかっただろ?』
ルリは間に合わせの家、どころか雪さえ避けられれば、最悪野晒しでも問題なかったのだが、クロの強い主張によって、寝室とリビング、それから店のカウンターがある今の形になった。ちなみに最近はキッチンもつけようと提案してきている。
「はいはい」
どことなく誇らしげにルリに話すクロを流していると、暖簾をくぐって人が入ってきた。この出入り口も別に扉にして良かったのだが、暖簾の方が開放的で入りやすかろうと布を垂らすだけにとどめている。また、資源の足りないこの集落は雨風を防ぐことを優先して、そういった家の出入り口や窓は後回しになりがちだ。そういう意味でも慣れ親しんだものの方が入りやすい。その辺りはより人が入りやすくなるような工夫である。
『お、お客さんだよ、しっかり対応しなよ』
ぼさっとしているルリを一言注意すると、それきりクロは黙った。
入ってきた客は、カウンター越しにルリの目の前までやって来て、椅子に座る。
「……あ、お客さんですか、なんかようですか?」
少し遅れてルリが反応すると、その客も依頼を話し始めた。内容はいつも通りの力仕事や生活に必須な資源の回収。木材が欲しいとか食料を取ってきて欲しいとか、そんなヒトにとっては不可欠な、ルリにとってはどうでもいい、そんな仕事。
そうして、今日も『黒瑠璃の詩』の仕事が始まった。
* * *
ルリが手早く仕事を終え、家に帰ってきてリビングを覗くと、既にシナツが目覚めて食事をしている最中だった。
「おはえりー」
あまり豊かではないものの、その中でも精一杯に作った朝飯を美味しそうに頬張りながら、シナツはルリを出迎える。その声を聞いてルリについていたクロが鳴き声を上げ、それと同時に電子音で返答する。
『ただいまー』
朝早くから仕事があったときのいつもの光景だが、クロはシナツに出迎えられるととても嬉しそうに答える。シナツはそんなクロに、口に食料を詰め込んだままクロに駆け寄ると、柔らかなクロの体躯を持ち上げ、にこにこと笑みを浮かべる。
「誰か来た様子あった?」
そんな彼女らを尻目に、ルリは事務的に尋ねる。笑みを浮かべたままシナツは首を振ると、クロを降ろし、食事に戻る。
「ううん、特には……あ!コハクおねえちゃんが来てたよ!」
思い出したようにシナツが言う。初めルリたちのことに対して異様なまでに怯えていたコハクは、今ではこの集落において一番親しい友人となっていた。他人と出会うまで気が付かなかったのだが、シナツはこう見えて割と人見知りするタイプのようで、ここの集落の人々に慣れるまでも時間がかかっていたが、コハクには最初の頃以上に懐くようになっていた。
「なんか用事でもあったの?」
いくら親しいからといえども、朝早い時間からやって来ることはあまりない。確かに『黒瑠璃の詩』は朝早くから開けており、ルリたちの活動時間が他人と比べて早いではあるが、仕事の依頼といった用事でもない限り、普通訪ねてくることはないだろう。
「うーん、なんか、シナツの様子見に来たってー。いやー、照れるねー」
けれども、シナツの話を聞く感じではコハクに用事は無いようだった。
『珍しいこともあるもんだねぇ』
「ま、そんなこともあるか」
別に用事がなければ来てはいけない理由もない。それ以上コハクの来訪について考えることは止め、ルリもシナツの前に座った。
「おいしい?」
そう尋ねると、
「うん、おいしー!」
シナツは元気よくそう答えた。今シナツが食べている者は、人から恵んでもらった少ない資源からルリが作ったパンとスープである。人類が発明した中には、植物から摂取するもの以外にも、人工的にタンパク質や炭水化物を作製することもあった。様々な生存のために必要な諸々の機能を持つ生物から食料を得るのとは違い、ただその物質を生成することに特化させ、より効率よく栄養素を作るそれは、増えすぎた人類の食料を賄うために必要だったのだろう。今ではすっかり廃れた技術であるものの、その片鱗はルリたちの現状を救っている。正確には、工場に残っていた一部の機械がそれに該当したため、修理して何とか使えるようにしたのだ。ルリもその全容を完全に把握しているわけではないので、単にその配列を既存のタンパク質に模倣して生成しただけでは、その二次構造などもろくにわからないため、低確率であれどブリオン病などの危険性が伴うが、背に腹は代えられないため、その危険は黙って使用している。ただ、シナツにはそのような危険性を万に一つも背負わせたくないため、彼女には自然の食料を与えている。その食料も、先の人口肉などの生成により余裕の出た人からもらっているため、そういう意味では同様にその恩恵を貰っていると言っていいだろう。
「そう、よかった」
味覚も単に化学的な数値でしかわからないルリの料理がシナツの味覚に合うかわからないため、その味を尋ねるこの質問はその基準を合わせるためのものであった。また、わざわざ毎日それを訊くのは、ルリ自身のためでもあった。
店のカウンターの方を見ると、しばらく人が来そうな様子はなかった
「うーん、じゃ、今日は暇そうだし、昨日の続きしながら客待つか」
ふと何気なく、ルリがそうこぼすと、カラン、と食器を落とす音が聞こえた。音を出した主、つまりシナツの方を見ると、彼女は幽霊でも見たかのような衝撃的な顔をして、ルリの顔を見つめていた。
「どうした?」
流石に半年もたてばシナツの表情の変化くらいは気づくようになってきたが、それでも感情には疎いルリが首をかしげる。シナツは、そんなルリから目を逸らして、机に落とした食器を拾うと、
「だって……昨日もやったんだよ……?なのに、今日も……?」
わなわなと震えながら口を開いた。
『まあ、気持ちは解らなくもないけど、高確率で必要になるスキルだからね、そこんとこは甘やかさずにいってよ、ルリ』
クロに言われるまでもない。
「まあ、そうだね、暇なときに最低限習得するようにしとかないと」
「えー、連続ではつらいよー」
ぶーぶーと文句を垂れるシナツを見ながら、ルリはシナツに教えることの今日の構成を組み立てる。
彼女らの言う「昨日もした事」とは、シナツに読み書きや計算を教えることだった。
いくら人類が衰退して、前時代的な生活を強いられているとはいえ、当然暮らしていく上ではそのような能力が必要不可欠だ。ルリたちと出会った当初でも、シナツはそれらを完全にできないわけではなかったが、暮らしていくうえで十分かどうかと言われると全く足りなかった。せっかくそれなりに安全と言える集落に落ち着いたのだから、ルリがそれを空いた時間に教えているのだ。半年間で、さらにルリの空き時間だけではあるもの、シナツはその能力をそれなりに習得していた。ただ単に今と同じような暮らしをするなら、それだけでも暮らしていくことは不可能ではないだろう。とはいえ、知識はあって困ることはあまりない。今でも空いた時間には読み書き計算を、ルリはシナツに教えていた。
「今日は工場の近くでも見に行こうと思っていたのになぁー」
不満げに最後に漏らすと、シナツはスープの最後の一掬いを口に運ぶ。
『独りで楽しいのかねぇ』
そんなシナツを見て、クロが言った。
この集落にはシナツくらいの歳の子供が少ない。それどころか、一人もいない。もともと少なかったのか、蜘蛛に襲われた際に殺されたのか、それともここでの暮らしの過酷さに耐え切れなかったのか、それはルリたちには知る由もないが、シナツが一緒に過ごす「友達」と言えるような子供がいないのは確かだ。一番若くて二十歳くらいの人はいるが、そんな彼らは有望な働き手として、むしろ一番忙しいと言えるだろう。そんな中、独りで過ごすシナツのことを、クロは心配しているのだ。
「ま、十分楽しいんじゃない?この前とかほら、南の方に住んでるおっちゃんから貴重な砂糖菓子貰ったって喜んでたし」
「それは知ってる、というかたぶんその他の事例もルリよりはっきり覚えていると思うけれども……」
ルリの言葉を聞いてもなお、クロは心配そうである。表情はほとんど読み取れなくとも、仕草や声からその感情がはっきりと汲み取れる。
そんなクロの姿と、シナツの不満げな表情をルリは見比べる。そこで、普段ぼうっとしていて碌に働かないルリの頭に、ふと天啓が舞い降りた。
「だったら、今日は一緒に辺境の工場にでも散歩しに行こうか」
集落の人間は、雪が降る前も生きていた人々がほとんどだ。当然読み書きも当たり前のようにできる。もし急ぎの依頼がやって来た時に備えて、カウンターに工場にいるといった旨の書置きをすると、ルリたちは準備を済ませてさっさと出発した。
ルリとクロだけで仕事でどこかに行くのはよくあることだが、シナツも一緒に少し遠出するのは久しぶりだ。もちろんシナツもお留守番しているだけでなく、どこか散歩することは多いが、たいてい一人である。
「おっさんぽ、おっさんぽー」
だからか、ルリたちと一緒に出掛けるシナツはいつもより上機嫌だ、先ほどルリが「お勉強」と言ったときのテンションの下がり様から比べると、とんでもないテンションの上がり具合だ。
『まさか、ルリがこんなこと提案するとはね……』
クロはシナツの様子を嬉しそうに眺めながら、意外そうにルリと話す。
「なんだ、そんな意外だったのか」
『まあ、正直』
「まあ、私自身も意外に思ってるよ。よく思いついたよね。すごい」
『そんなに自画自賛しないでよ、なんだか褒める気なくす』
「まあ、褒められるための行動じゃないしね」
『可愛くない奴だなぁ』
「てへ」
『可愛くない』
そんな会話を繰り返しながら、シナツの少し後をのんびりと歩く。
いわゆる冬と呼ばれていた期間は過ぎ去ったものの、人類が雪を降らす前と比べると気温は遥かに低い。けれども、時期を無理やり季節として当てはめるならば、一応今は夏ということになる。そう言われて天気を観察してみると、確かに雪が降る日もかなり減り、よっぽど気温が低い時でなければ晴れや雨の日が多くなっている。とはいえ、ルリのメモリーにかろうじて無事に保存されている人類衰退期前の気候のデータから参照すると、この天気は異常気象と呼べるものとなる。
雪の降る夏。
それが、現在の夏の様子だった。
そんな中でも、植物や動物はたくましく生きている。本来であれば春の暖かさから夏の暑さへの移行において、動物や植物は気温の変化を感じ取り、活動的に生活する。では、ずっと気温の低い今は、本来より長い寒冷期によりそれらの生物が死に絶えたり引きこもっていたりするのかと思えば、そんなことはなかった。
数は確かに少なくなったものの、それでも結構な数の動物がそこらを飛び回り、植物は青い葉を広げていた。急激な気候の変化で対応できない生物が壊滅してもおかしくないとさえ考えていたルリからすると、それは大変驚くべきことだった。ただ、やはり日照時間が少なくなっているからか、例えば一部の植物では枝が細くなり、代わりに葉を大きくするというような変化が見られた。ほかにも多様な変化が見られた生物は多数見受けられる。
「そのうち、今とは全く違う植生に変わるんだろうなぁ」
そんな動植物をみて、ルリは呟く。
『まあ、かもね。限定的とはいえ、気候を大きく変化させた人類の雪は、機械だけじゃなくてそこの生態系にもダメージを与えただろうしね』
「なんでそこまでして、機械を壊そうとしたのかね」
『……それは、ルリの方がたぶん詳しいよ』
「そう?」
『さあ?』
曖昧な答えをクロが返したところで、話が終わった。
「おーーい、ルリーー!クローー!」
見ると、そこの植物をしげしげ眺めていたルリたちを置いて、シナツは先へ行っていた。
『おっと、シナツがいつの間にか先に』
「ほんとだ」
シナツのところに、ルリとクロは小走りで追いつく。同時に、周囲を索敵して安全を確認した。
半年間この集落に住んだルリは、この集落とその周辺に対してある考えを持っていた。
この集落は、不安定だ。
もちろん生活必需品の安定供給がままならないという事もその一つの原因ではあるが、それともう一つ、蜘蛛たちによる襲撃によって生活が壊される可能性も非常に高いとみていた。集落の中心付近はまだそれが安定的だが、辺縁部になると、その不安定さに拍車がかかる。現にこの半年間に工場付近で蜘蛛を見かけたことは幾度もある。そのほとんどは工場の電磁波遮断性により探索を諦め帰っていくが、いつその中の一匹が内部に辿り着いてもおかしくはない。
しかし、集落の壊滅はそれとは別だ。
集落の人間もそういった襲撃に対して何も考えていないわけではない。いくつもの脱出経路と隠れ家を持っており、そのいくつかはルリも見せてもらっていた。また、見張りなどの警戒も厳しく行っていた。
ゆえに、壊滅はしないかもしれないが、安全性については不安定だ。とはいえ、シナツはまだ子供であり、「長」の性格を考えると優先的に守ってくれるだろう。集落の内と周辺を比較して、その安全性は内部の方がはるかに高い。
そのような計算によって、ルリは基本的にシナツを集落に置いて、外に行くことも多い便利屋の仕事をこなしていたが、今回は連れて歩いている。いつも以上の警戒が必要だ。
「もー、遅いよー。あ!クロはシナツが抱いてあげるね」
ルリに対して文句を垂れた後に、シナツはクロを抱く。クロの身体はそれなりに重いはずだが、この半年で慣れたのか、それとも成長に伴って力がついたのか、難なく持ち上げていた。
シナツの腕の中で丸くなったクロは、ルリの方を見ると、
『フッ』
ルリにしか聞こえない声で自慢げに笑った。その意味をあまり理解はしていないが、なんとなくルリにはそれが癪に障る。とはいえ、その場で言い返すのもそれはそれで癪なので、代わりに、
「シナツ、肩車しようか」
なんて声を掛けてみた。
「いいの!?するする!肩車して!」
「え、あ、分かった」
すると、思った以上にシナツが食いついてきた。予想以上の勢いに押されつつも、ルリにとっては大した重さでもないので承諾する。
「ほいよっと……どう、シナツ?」
「高い!高いよ!ルリ!ねえ、クロ!前!みてみてーっ!」
先ほどからシナツはずっと上機嫌だったが、ルリに肩車されてさらに機嫌がよくなったように見えた。先ほどまでが限界値だと思っていたが、まだ上があったようである。
『おおー、いいね、ルリ。ルリからこんな提案されるなんて、ワタシは感動だよ……』
まるで今まで育ててきた親のようにクロが言うが、特に反論はないので聞き流す。
「じゃ、このまま工場を歩き回ろうか。いつもと違う視点なら、なにか別の発見があるかもしれないよ」
ルリはそう言って、シナツとクロを持ったまま工場に向かって歩き始めた。
工場の中も、シナツにとっては約半年ぶりでも、ルリとクロは割と頻繁に来ている。ここから外に出ることは、あまりないが、工場は様々な装置がまだ置いてあるので、たまにそれを拝借することはある。
もう動かなくなり、雪の影響もあってぼろぼろと崩れ行く機械たちを見学しながら、ルリたちは歩き回る。歩く道中でルリはそれらの機械の仕組みや構造をシナツに語っていた。
「当たり前の話だけど、電気っていうのは回路を通るんだよ。回路ってのは書いて字のごとく、回る道、つまり電気は基本的には円環を描くわけだ。この理由は電流の仕組みそのものが関わっていて、電流は電子が……」
『ルリ、ストップストップ、今はそこまで話す必要はないから』
より詳細に話そうとしたルリの言葉をクロが遮る。シナツは興味深そうに聞いてはいたものの、理解できたかどうかはまた別の話だ。
「む……」
そんなシナツの様子を見て、ルリも流石に話を止めた。
ルリがこの工場を散歩しようと言い出したのは、ルリが持っている知識をシナツに伝えようとしたからである。将来的に使うかどうかはわからないが、ルリ自身が残したいと思った、ただそれだけのことだ。そのために、この遺物ばかりの工場は適していると判断したのである。
適当な装置の外装をはがして、その中の基盤をシナツに見せる。
「ほー、なんか面白いね!」
いつもと違う“お勉強”に、シナツは嬉しそうだ。読み書きを机に向かってひたすら練習するのは退屈だが、見慣れない新鮮なことばかりの事柄の学習は面白いのだろう。
『まあ、これも繰り返せば飽きるんだろうけどねー』
「たしかに」
とはいえ、今楽しそうなのは確かなのだ。それで十分だろう。
いくらかの装置を見て回り、いくつかは分解し、工場を見て回る。
工場を出た時には、もう正午を過ぎて太陽が少し傾き始めていた。
「面白かったー!」
満足げなシナツに、クロも満足げに尻尾を揺らす。ルリも、満更でもない様子だった。
「そういえば、いつまで肩車しとけばいいの?」
たいした重荷でもなかったため、すっかり忘れていたが、シナツは今もなおルリに乗っかったままだ。クロはいつの間にか降りていたけれども、シナツの降ろし時を見失った感じはある。
「いつまでもー」
そんなシナツの答えに、少しだけ口を曲げるが、
『まあ、まあ、いいじゃん』
「うーん、別に重くないからいいけども」
クロの言葉で、表情を戻す。
結局、家につくまでずっと肩車を続けることになった。
* * *
少し遅めの昼食をとったあと、カウンター上のルリの書置きに、数件ほど緊急は要さないが、あとで来て欲しい依頼もあったので、それらの依頼をこなしに行く。適当にこなした後に店に戻ると、もう一件依頼が増えていた。
『おやおや、これは……』
「珍しいね」
依頼が誰であろうと仕事は仕事。選り好みはせずにこなしていく。それに、今回の依頼客も単にやってくるのが珍しいだけで、嫌いな人でもない。ルリとクロはその依頼をこなすために、店を出た。
その依頼をしてきた者は、この集落の「長」だった。
「えーっと、おじゃまします」
ノックすることもなく、無断で暖簾をくぐって「長」の家に入る。
内装は半年前と同じく、机と椅子があり、質素なものだった。
『いつ来ても変わらないね』
「え、クロは何度か来てるの?」
『そりゃあ、ここもワタシの散歩区域だもの』
「そんな区域があること自体初耳なんだけど」
『まあ、初めて言ったしね』
「なら、仕方ない」
そんな会話をクロと交わしてみたものの、中に人の気配はなかった。
『いないみたいだね』
そもそも狭い部屋だ。隠れる場所もほとんどない。一目見ただけで人がいないことはわかるのだが、それでも念のため探してみて、案の定いないことを確認すると、クロが言った。
『やっぱそうか、出直そうか』
流石に依頼されても内容もほとんどわからないままでは仕事のしようがない。おとなしく諦めて家から出ていこうと暖簾を持ち上げたところで、
「誰だ!」
誰もいないと思っていた家の中から声が響いた。
『え!?』
「あれ」
驚いて飛び上がったクロに対し、ルリはただ不思議そうに首を傾げ、振り返った。
「あ、いたんだ」
そこにいたのはこの家の主たる「長」だった。彼もこちらのことを認識すると、険しい皴を刻んでいた顔を緩め、
「なんだ、お前らか」
などと言った。
「えっと、仕事で来ました。何をすればいいですか?」
とりあえず家主がいたということで、ルリも仕事へ切り替える。クロはなおも突然現れた「長」に対し、多少の警戒心を抱いていたが、黙って邪魔にならなさそうなところで丸くなる。
しばらく「長」は沈黙していたが、しばらく考えるようなそぶりをした後で、
「あ、ああ、そうだな、仕事だ。よろしく頼む」
思い出したかのように、ルリたちに仕事を頼んだ。そんな「長」の様子を、クロは訝しがりながらも、ルリは何も気づかずに呑気に仕事をこなしていた。
「長」の依頼は単純な屋根の修理。仕事途中に少しだけ「長」の家によってきたコハク曰く、いつもなら自分で修理するらしいが、今日は他の仕事が忙しいらしい。その「他の仕事」とやらについては、今は何も聞かなかったが、どうやらルリにも全く関係ない話ではないらしい。決定事項は後で話すとコハクを遮って「長」が話していた。この集落において新参者であるルリは、重要事項などはそれなりに後回しに話されることも多いので、ルリはそんなものかと気にも留めない。
石造の家の屋根はところどころひび割れて、いくつかは屋根が崩壊しかねないほどの深刻なヒビもあった。
「よくこんな家で暮らしてたなぁ」
しみじみと呟く。
『これ、屋根ごと造り替えたほうが早くない?』
「うん、そうだね」
いつ崩れるともしれない屋根を誤魔化し誤魔化しで使っていくより、その方がいいだろう。多少時間はかかるものの、幾人かの手を借りればそんなにかからないだろう。それを伝えようと、下に降りようとしたとき、
「ああ、今は継接ぎの間に合わせで大丈夫だ」
それを読んだかのように「長」がルリたちに声をかけた。
「継接ぎ?」
「そうだ、それで問題ない」
「それでも、危険なのには変わりないですけど」
「大丈夫だ」
少し食い下がってみたものの、「長」の言うことは変わらなかったため、ルリたちはおとなしく指示に従うことにする。所詮は他人の問題である。ルリたちは報酬さえもらえれば文句はない。
けれども、一つだけ。
「今日、崩れなければ問題ない」
機械たちの敏感な耳が聞き取った、「長」のその言葉だけが、気にかかった。
* * *
翌日。
家の前の看板を“OPEN”に変えると、いつも通りカウンター前で客を待ち構えようとする。
しかし、
『なんだか、今日はみんな早起きだねぇ』
二人の鋭い感覚器がいつもより騒がしい集落の音を聞き取り、クロがそう呟いた。
「そうだね、なんかイベントでもあんのかな?」
そんな風にルリも言ってみたものの、大して興味も示さずに店の中に戻る。
「外は忙しそうでも、中はいつも通りだねー」
『あー、暇だなぁ』
興味なさげなルリに対して、クロは興味津々の様子である。明らかに様子を見に行きたいということをルリに対して露骨にアピールしてくる。
『……ねえ、見に行かない?』
そんなクロにまるで気付かないルリに対して、その猫はついに直接的に言い放った。
「えぇ、そんなに見に行きたい?」
面倒くさそうにルリは答える。クロが頷くと、
「うーん、じゃあ、しばらく暇そうだし、五分くらいで帰ってくるなら、見てきてもいいよ」
『いや、ルリは行かない気!?』
「まあ、今回パスで」
気怠そうに断るルリに、クロは肩を落として家からとぼとぼと出ていく。そんなあからさまな落ち込みように、流石のルリも気が咎める。
「……わかったよ、見に行こうか」
『よし!それじゃ行こうか!』
「なにその変わりよう」
何はともあれ、一人と一匹は皆の早起きの原因を見に行くため、家を出発した。
のんびり歩きながら、集落を見回っていると、一か所、幾人かが集まっている場所があった。
「お、あれかな」
『じゃあ、ワタシ先に見てくるね』
小さい体躯の愛玩機械は、人の足の間を縫って、その中を見てきた。しばらく待つ間に、その場所を観察する。
「ん?ここ、コハクの家近くじゃん」
この集落はもう大体見て回っているが、それにしてもよく見覚えがある場所だと思っていたら、そうだった。
「近くに「長」の家もあるからなぁ、なんかあるのかな」
そんな呑気なことを独り言ちていたルリだったが、
『ルリ!』
クロの焦ったような、驚いたような鋭い声を聞いて、一瞬で認識を改める。あの黒猫は意味もなくそのような声は出さない。小走りでその集団の近くまで寄ると、クロと合流する。
「なにがあったの?」
簡潔に問うと、簡潔な返答があった。
『死んでいた、いや、殺されていたんだよ、ここの「長」がね』
すぐに崩れるとは思っていた、この集落の生活。その終わりが、予想とは違う形で訪れたことを実感した。