誰かが代わりに、やってあげないとね
廃れた町の壊れた工場で出会った謎の女性。彼女は終始何かに怯えている様子で、始めはおどおどとして碌に話すこともできなかったが、時間をかけて宥めるとほんの少しだけ落ち着いて話すことができた。
その女性はコハクと名乗った。
「ねぇねぇ、コハクおねえちゃんも一緒に泊まろ?」
シナツが無垢な表情で警戒もせずにコハクという謎の女性を野宿に誘う。しかし、ボケっとしたルリはともかく、クロは彼女を警戒し、近くにすら寄らず、少し離れたところで毛を逆立てている。そんなクロをみて、ルリもボケっとしながらも多少は警戒心を強める。
「あ、あの……わたしには帰る場所がありますので……そ、そろそろお暇いたしましても……?」
コハクがこの場から抜け出そうと、か細い声を上げる。
「えー、お泊りしようよー」
シナツはなおもコハクを誘い、
『彼女が何者なのかよくわからないうちに、さよならっていうのは嫌だな。流石に敵ではないとは思うけど、ある程度情報を聞き出そうよ』
クロは警戒しながらも、コハクをその場から逃がすことには反対した。
「えー……別にいいんじゃない、関わらずに済むなら」
『でも、こんな場所で生き残る人間ってただもんじゃないよ、絶対』
言われてみればそうかもしれないと、ルリもコハクの評価を改めてみる。
確かにこの街は蜘蛛がそこら中に蠢いており、碌に食料を調達することもできやしない。ルリのような機械が一緒ならともかく、ただの人間一人で生き残るのは言うほど簡単なことではない。それに、この街の出口は封鎖されている。特殊な形をしているためか、出入り口も限られているため、やはりヒトの滅亡期からここで生き残り続けてきた人間であることは間違いないだろう。
『同じ人間なら人間の情報について知っているかもしれないし、何かシナツに対してプラスに働くかもしれない。あんまり信用し過ぎない方がいいけど、ある程度利用はしたほうがいいんじゃないかな。それに、彼女の怯えようは少し気になる』
「なるほど」
一理あると判断し、ルリはコハクに一歩近づく。
「ひぃ……っ!」
コハクは必要以上にルリに怯えている。シナツに対してはそんなことはないのだが、理由が分からず、ルリは少しそれに困惑する。先ほどからルリに対してだけは異様な怯えようを見せており、会話もままならない。
「なんでそんなに怖がってるの?」
これ以上怖がられて、錯乱でもして話が通じなくなるのは面倒なので、近づくのは諦め、その場でしゃがみ込んで話をすることにした。
「いや……だって……」
錯乱していなくてもあまり話を聞き出せない。
「コハクおねえちゃん、ルリはそんなに怖くないよ?」
ルリよりはコハクの近くにいるシナツが、不思議そうに彼女に話しかける。
『怖くないってよ』
この黒猫はシナツの言葉に度々反応して、ルリをからかうような言葉をかけてくる。よっぽどでなければ駆動するはずのない猫の表情がなんだか笑っている気さえしてくる。
「んー、コハクはここで何をしているの?」
なかなか質問しても答えてくれないコハクに対し、ルリはこの問答時間に空虚さを感じ始める。
「あの……えっと……」
『いい加減なにか話してほしいなぁ……』
クロも少し苛立ってきているようだ。別に質問しても返ってこないわけではない。単に会話が成り立たないのである。答えようとしているのはわかる。けれどもそれが言葉として紡がれないのだ。ルリとクロにはなぜコハクがそんな態度をとるのか理解できない。
「コハクおねえちゃん、だいじょうぶだよ。怖くないし、優しいから、だいじょうぶ」
だが、同じシナツには何か通じるところがあったのか、笑顔でコハクに近づきながら、手を伸ばす。コハクもそんな彼女の手を取り、
「えっとね……うん、だいじょうぶだね」
シナツの手を握り、やっとルリとも話せるくらいになったのか、ぽつりとつぶやく。
「あの……近くにたくさん人のいる基地があるので、三人とも、そこで過ごしていきませんか……?」
* * *
コハクに連れられてやって来た基地は、ルリが想像していたような軍事基地とかそういうものではなく、
『ここは……どうやらヒトの集落みたいだね』
多層に連なった街の高層。最上層に近いそこは雪の影響を諸に受け、ほとんどの機械が機能を停止していた。さらに周囲を囲む工場のような建物が電磁波を遮断や阻害し、下層にいる蜘蛛たちがこの場所を探知することを妨げている。現にルリもクロも、この場に辿り着くまでこの場所の存在を微塵も感知していなかった。
「こ、ここは、この街の生き残りが集まっている集落、です」
未だ声を震わせているものの、先程までよりははるかに落ち着いた様子でコハクがこの場所の紹介をする。
「い、一応、ここの長にあなたたちを紹介しますので、少しだけお待ちください……」
そう言いながら、コハクはルリたちを置いて集落を迷いなく進んでいく。
集落にはとたんと鉄パイプを寄せ集めて造ったような家や、木々をしっかりと組み立てて造った家、石を積み上げて造った家など、いろんな材質と様々な形の家があった。形もままならないような建造物がほとんどの中でなぜそれが家であることが判断したのかと言えば、それはルリたちが来るや否や、道端にいた人々の多くがその建造物のなかに一斉に引っ込んでいったからである。その雰囲気から、少なくともルリたちが歓迎されているようには見えない。
『なんか、物々しい雰囲気を醸しているね』
「確かに……」
『絶対に機械とバレないようにしてよ。ルリがこの集落壊滅させたら、次にヒトと出会えるのがいつか、見当もつかないからね!』
「頑張る」
そう言いながら、ルリはざっと目を走らせてもう一度自身の身体を点検する。金属腕はもちろん露出させていない。目の見える範囲で表皮合成樹脂が傷ついて中身が見えているようなこともない。ルリの体の中でも機械の特徴と言える群青色の瞳も、今は上からカバーがかかっており、恐らく焦げ茶から黒色に見えているはずだ。多少見えづらくなった視界がその証明だ。ヒトに紛れて任務を遂行するルリの身体には、ヒトに扮するための機構が施されている。これもその一つだ。隣の愛玩機械の方に目を遣ると、そちらは蛍光青色の瞳がほのかに光っていた。
「あ」
『どうしたのさ、人の顔見て急に、あ、だなんて言ってさ。というかなになに、なんで急に持ち上げられてるの』
クロの言葉を聞き流しながら、その小さな体躯を自分と顔を見合わせるくらいの高さまで持ち上げる。
「クロの目、どうしよっか」
『あ』
「まあ、適当にカラーコンタクトでも仕込むか」
『どこにあるというんだい』
「ないね、じゃあ、ずっと目瞑っておいて」
『たぶん無理』
「うーん……」
『ま、しばらく眠ったふりでもしとくから、その間になんかそういう類の作ってよ』
「頑張る」
短い会話が終わると、クロはそのままルリの腕で目を瞑り始める。それをルリは片手で掴む。そこへ、
「あ、ダメだよ、ルリ!そんな風にクロのことつかんじゃ!もっと大事にだいてあげないとー」
シナツからのダメ出しが入った。
「えー、どんなふうに持てばいいの?」
基本的にクロはルリの足元を歩くだけだったので、どうやって抱いたらいいのかわからない。
「えっとね、一回クロ貸してー」
その言葉の通りにクロを手渡すと、シナツはその猫を両手で抱いた。抱かれたクロもなんとなく嬉しそうだ。
「こんな、ふうにもてば、いいんだよ!」
いくらクロの身体は生体部品が多いとはいえ、金属部品も使われている機械の身だ。同体積の猫よりもはるかに重い。それを持っているシナツの腕がプルプルと震えていた。
「ほうほう、わかった。持ってみよう」
そんなシナツの手からクロを取り上げ、見様見真似で抱いてみる。触り心地の言いクッションを取り上げられ、シナツは若干名残惜しそうな様子だったが、同時に重たい荷物から解放されて気楽そうな顔もしていた。
「よしよし、そうだよ、ルリ!ちゃんとクロは大事にしてあげてね」
シナツのお墨付きももらったので、ルリも満足してクロを両腕で抱く。
「あ、あの、長が今空いているようなので、ぜひ会って話をしていただければ、と……」
そこへ、集落へ先に入っていたコハクが戻ってきた。
「あ、おかえりー」
「た、ただいま、帰りました」
シナツのお迎えの言葉に、コハクも思わず返す。けれども、すぐにルリに向かうと、
「では、案内いたしますので、その、ついてきていただければ……」
そういってコハクはこちらの顔色を窺うように上目がちにこちらを見てくる。
「あー、うん、分かった、行くから案内して」
ルリが返す言葉終わる前に、コハクはさっさと歩き出していた。
コハクについていって辿り着いたその場所には、他の場所と似たり寄ったりの石造の建造物がそびえていた。けれども、コハクによるとここが「長」の家であるらしい。
扉はなく、代わりに暖簾のようにかかっている布をめくってコハクが中に入る。それに続いてルリたちも中へ入っていく。
『長っていうから、もっと豪華なところに住んでんのかと思ってたけど、意外と普通の場所だね』
クロが片目を薄く開けて、「長」の家に対する感想を述べる。
「うーん、意外とそんなもんなんじゃない?」
『そうなのかねー、つまんないの』
そう言って、クロは再び目を閉じた。
「長」の家の中は、大きな机の周りに三つ椅子が置かれており、その向こう側に齢50前後程度のがっしりした体格の男が立っていた。
「お前らが、コハクの言っていたやつらか?」
剣呑な雰囲気をまといながら、「長」が口を開く。その言葉はルリたちにかけているというより、コハクに確認しているようだった。
「こんばんは、私はルリ、です」
紹介という名目でここに連れてこられたので、さっさと済ませて帰ろうとルリは先んじて挨拶をする。「長」ということはこの街の統括者と考えられるので、はるか彼方に追いやっていた上官への話し方を引っ張り出して、慣れない敬語を話す。引っ張り出したデータは劣化していたが、話すのにさして問題はなかった。
ルリとしては普通の挨拶をしたつもりだったのだが、「長」は目を細めて、ルリを見定めるように睨みつける。
「あなたが、長、ですか?」
「三人、ということだったが、あと一人はどこだ?」
威圧するようにルリの言葉に被せてきた。
「いやー、その、すみません!二人でした!間違えました!」
「長」の言葉にコハクがあたふたしながら答えた。けれども、ルリたちに向けるような恐れは見えない。どちらかというと仲のいい者たちの戯れに見えなくもない。
「長」はそれに頷くと、ルリたちに椅子に座るよう促してきた。それに従い、ルリは座り、シナツも隣の椅子に座らせる。対して、「長」は机の反対側に椅子を置き、それに座って、ルリたちを見つめる。その様はまるで尋問するかのようだったが、なかなか「長」は話を始めない。
コハクはいつのまにか、この家から出ていっていた。
『なんなんだろうね、この人。こっちを脅かすみたいに。シナツが怖がるからやめてほしいよ』
ヒトである「長」には声の聞えないクロは、この沈黙の間に好き勝手に言い始める。どうせ「長」には聞こえないので、それを黙らせることなく勝手にさせ、代わりにそっと隣の椅子の様子を窺うと、緊張した様子で背筋もピンと伸ばしたシナツが座っていた。ルリが殺そうとしたときも物怖じしなかったシナツが、このように緊張しているのを珍しく思う。
しばらくして、「長」がやっと口を開いた。
「お前らは、ここに何をしに来た」
その言葉の裏には、ルリたちの来訪を厭う「長」の気持ちが見える。
「うーん、ヒトに会いに?」
ルリ自身も明確な目的が薄れかかっているので、何ともふわっとした返答をする。
『ここの人たちはどういう経緯でこの場所に来たんだろう?』
「ここの人たちはどんな経緯でここにやってきたの?」
クロが放った疑問を、ルリが代わりに口に出すが、
「目的がないなら、さっさと出ていけ。そして二度とここに戻ってくるな」
ルリの言葉は完全に無視して、「長」は簡潔に要求を伝えた。
「えー、そんな風に追い返さなくてもよくない、ですか?」
入ってきたらすぐさま出ていけとは、流石に筋が通らないだろう。何ならここを紹介したのはコハクなのだ。おそらくコハクが何も言わなくても、そのうちここにたどり着いたとは思うが、それでもここにやってきた要因にこの集落の構成員の存在があるのだ。
「コハクはここで過ごしていいって言ってた、ましたよ?」
「それはあいつが勝手に言ったことだ。俺達には関係ない。さっさと出て行ってくれ」
その答えはにべもないものだったが、ルリの言葉にはじめてまともな返答が返ってきたことに、幾分かの手応えを感じる。
「せめて理由を教えてくれればこっちとしても納得して引き下がりやすいんですけど」
そろそろ敬語にも慣れてきたようで、ルリの言葉が流暢になる。
『そうだそうだ、ルリはともかくシナツみたいな小さな子を見捨てるなんて酷いやつだ』
愛玩機械の電子音はもちろん聞こえていないだろうが、せっかく加勢してくれたのでその言葉を流用することにする。
「私はともかく、シナツも、幼いこの子も見捨てるという認識で大丈夫ですか?」
幼い子、という言葉に「長」の顔がピクリと動くが、すぐに何でもないように元の仏頂面に戻る。しかし、一瞬とはいえ動いた「長」の表情をルリは見逃さない。感情の機微には疎くても、表情や声の変化には敏感だ。少なくともなにか動揺を誘えたものとして、これを手掛かりとする。
「この街に受け入れる余裕は……」
「ここに辿り着くまで、何度も死にそうになったのに、もう諦めた方がいいかな……せめてシナツだけでも安全なところで生き残って欲しいんだけどね」
「長」の言葉を遮るように、ルリが独り言のように言葉を口に出す。そんなルリの言葉を聞いて、離れたくないというようにシナツがルリの服の裾を力強く掴む。そこまで狙ってやったわけでもないが、ルリにとって都合がいい。同情を誘いやすくなるだろう。
『なんでこんなに人心掌握はできるくせに、ヒトの気持ちが分からないかなぁ』
膝に寝かせている黒猫からそんな言葉が聞こえてきたので、バレないようにこっそりと抓っておく。
「長」の顔を改めて窺うと、思ったとおりに渋い顔をしていた。大方、良心の呵責とやらに苦しんでいるのだろう。人間はどうにも実利と感情を切り離しきれない。初めの決意が状況に応じて悪い方に揺らぐのを何度も見てきた。この男も例に漏れず、見知らぬ人の見殺しという罪悪感とルリたちをこの街へ受け入れないという決意の天秤が揺れている。
結論が見え透いているのに無駄な問答だな、などとルリはその状況を眺める。どの人間も同じだ。少しの損があってもそれを上回る利益、もしくはそれ以上に感情的に苦しまない選択をする。その天秤の重さは人で違えど、結局は損得で考えることは変わらない。刹那的な選択の変化はあるが、この男に関しては迷った時点で答えは出ている。
「安全なところなんて、どこにもないんだよね、仕方ないよね」
最後の一押しと、ルリは自分たちの絶望的状況を前面に押し出す。
「ただ、生きられるだけでいいのにね……」
俯いて、もう何もかも諦めたかのような雰囲気を演出する。隣のシナツもいい具合に不安な顔をしてくれている。
「……わかった。ここに住むだけならいいだろう」
ついに「長」が折れた。
「本当ですか?」
念を押すようなルリの言葉に「長」は頷き、
「食料や家までは面倒はみない。ただ、この街にいることを許可するだけだ。あとは勝手にしろ」
「わかりました。それではクロとシナツともどもよろしくお願いします」
「長」の言葉にあっさりとルリは言い放つと、さっさと席を立って家から出ていく。それを見てシナツも慌てて立ち上がり、ルリの後をついていく。そうやって扉代わりの暖簾をくぐり、「長」の姿が見えなくなる直前、
「あと、ここに住むからには、この街から絶対に出てはならないぞ」
警告のように、最初とは真逆の言葉をルリの背中にかけた。
* * *
「長」の家を出て、当てもなくぶらぶらと歩き回る。この集落への滞在は許可されたものの、別に住む家を提供されたわけでもない。
『さて、ヒトの集落は見つけた。今度は雨風を凌げる場所が必要だね』
シナツと出会って数週間旅を続けてきた。いい加減シナツも野宿には慣れてきているが、ここで暮らしていくからには快適な住居が必須であろう。
かといって心当たりもなく、猫を抱いたまま彷徨う。先ほどまで引きこもっていた人々はルリが「長」の家に入っている間に、元の生活を取り戻したのだろう。道に出てきて、掃除や散歩、端で仲良く談笑している姿も見られる。様々な生活を呈す中で、すべてに共通していることは、どことなく静かであることだ。
「なんか落ち着いてるね」
すぐそばに生死を分かつ存在が蠢いているというのに、呑気なものだとルリは言う。
『違うね、逆だよ。落ち着いているんじゃない。怯えているんだよ。だから静かに、息をひそめてるのさ』
クロから返ってきた言葉に、なるほどとルリは納得する。
シナツは相変わらずルリの横を歩きつつも、何かを怖がっているかのように不安そうな顔をしている。時折、ルリの方に手を伸ばしかけ、それをゆっくりと降ろすという動作を繰り返している。いつもならシナツのそういう動作の意味を教えてくれるクロも、今は目を瞑ったままでそれに気付いていない。ルリはルリで、それに大した意味があるとは考えず、気づきつつも放置していた。
そんな折々、
「あ、コハクおねえちゃん!」
シナツが突然大きな声を上げて、大きく手を振った。見ると、シナツの向く先にくすんだ橙色の影が見えた。彼女もこちらに気付いたのか、ルリを見て少し顔をひきつらせたけれども、シナツの無垢な笑顔に逆らえず近づいてくる。
「久しぶり、コハク」
近づいてきたコハクに、ルリも軽く挨拶する。
「さ、さっきぶり、でございます!」
ルリの言葉に叫ぶように返す。
「なんでそんなに怖がってるの?」
その問いには答えず、一旦黙りこくると、一度俯き、なにかぶつぶつ呟いたかと思うと、さっと顔を上げてコハクは話し始めた。
「いま、泊まる場所とか、困ってるんじゃ、ないですか?」
震える声ながらも、ルリの耳にしっかりとその言葉は聞こえた。
「ん、困っている、のかね?たぶん」
『いや。困ってるでしょ、ルリというよりシナツが』
「だったら、しばらくわたしの家に泊まりましょう!」
ルリの言葉が言い終わるや否や、コハクが勢いよくルリに提案してきた。出会って数時間ではあるが、いつものコハクでは考えられないくらいの、噛み付かんばかりの勢いである。
「絶対に、わたしの家で寝泊まりしましょう……!」
もはや何かの覚悟さえ決めているかのごとき言い方だ。
「はぁ、いや、別に……」
クロも少し警戒気味なため、ルリが断ろうとしたのに対し、
「コハクおねえちゃんと一緒に泊まれるの!?」
「む」
シナツはとても嬉しそうにコハクの提案に乗った。
クロの警戒心とシナツの嬉しそうな顔の板挟みになり、ルリは少し困った顔をする。そんなルリを見かねてか、
『……コハクの厚意に甘えようか』
クロからそんな言葉が出てきた。
「いいの?」
クロがシナツに入れ込んでいるのはもう慣れてきていたが、それが己よりも優先するほどであることに、ルリは少なからず驚いた。
「……クロ、シナツに思い入れすぎてない?」
心配になって尋ねる。
『そんなこと、無いよ』
「まあ、別にいいけど、ほどほどにね」
ただでさえこの愛玩機械は人間に入れ込みがちだ。そのように造られたからであるものの、それがただ一人の人間に向けられたら、己の生死すらも無視しかねない。
『わかってるさ、ワタシの存在意義くらいはね。ルリじゃないんだから、忘れたりしないよ』
「そっか」
その答えにひとまずルリは安心し、クロとの会話に向けていた意識を改めてコハクに向ける。
「わかった、コハクがいいのであれば、コハクの家に泊まろう。よろしく」
「よろしく!」
「こ、こちらこそ、よ、よろしくお願いします!どうぞこちらへ!」
あっさり承諾したルリに、なぜか後ずさりながらコハクはぺこりとお辞儀をし、ぎくしゃくと動きながらルリたちを案内しようとする。しかし、歩き始めてすぐ何もないところで転んだ。
『……この人、大丈夫?』
さしものクロもそんなコハクの姿に、同情を禁じえなかった。
そうして辿り着いた場所は、見覚えのある所だった。この集落にきて「長」の家にしか来たことがないルリたちが見覚えのある場所となると、ただ一つ。
『いや、ここ「長」の家じゃん!』
ルリにしか聞こえない電子音の軽快なツッコみが響いた。
「あ、あの!ここがわたしの家です!」
なぜか側頭部を抑えながらコハクが紹介した家は目の前に建つ「長」の家、ではなく、隣の同じような見た目をしたコンクリート製の無骨な家だった。
「えー、「長」の家の隣ー?やだなぁ」
『こら、そんなこと言わないの』
不満げにルリが漏らし、それをクロが咎める。
「ここがコハクおねえちゃんのおうちー?」
「長」の家では緊張していた様子だったシナツも、コハクの前では無邪気にはしゃぐ。
「そうそう、ここがわたしのおうちー」
コハクもコハクで、シナツにはルリとは全く違う顔を見せる。いや、むしろこっちが本来の顔なのだろう。
『ぐぬぬ、あの女狐め……!』
「ひっ……!」
クロの怨念でも感じたのか、コハクは短く声を上げ、ルリの方にすぐさま向き直る。慌てた様子で手を招くと、ルリたちを家へとあげた。この家は「長」の家とは違い、扉がちゃんとある。
「今日は遅いので、もうおやすみください」
そう言いながら、コハクはどこからか布団を引き出し、床に敷き始める。コハクの家の中を見渡すと、外見の割にそれなりに綺麗なものだった。机は「長」の家と同じもののようだが、テーブルクロスがかかっており、また、窓にも植物が育てられており、「長」のいえよりなんだか可愛い内装となっていた。
ベッドも一台あるが、ルリたちが来ると寝床が足りなくなるため、布団を引き出してきたらしい。
「わ、わたしは床で寝ますので、ベッドと布団はお使いください!では……!」
気を遣うというよりも脅迫でもされている様子でコハクは寝床を譲り、自分は固い床で寝始めようとする。
「だめだよ、コハクおねえちゃん!みんなで寝ようよー」
しかし、そんなことはシナツが許さなかった。床に寝そべるコハクを引っ張り、布団の方へ連れていこうとする。そんな彼女にコハクも無理には抵抗せず、少し首は振ったものの、されるがままにされた。さらに、ルリもそれに巻き込まれた。
結局、一人分の布団で三人が寝ることになってしまった。クロはルリの身体の上で丸くなっているため面積には含めない。全員小柄であるため無理のあるほどの狭さではないが、どことなく落ち着かない。コハクはそれが顕著で、既に目をぎゅっと瞑っていた。
「みんなでおっふとーん」
上機嫌なシナツの声を聞きながら、ルリも目を瞑り、眠りについた。
* * *
ルリの眠りは決して深くならない。正確には、深く眠ろうと思えば眠れるが、それでは起動にも時間がかかるし、その間何をされても、例え身体を滅多刺しにされようが目覚めなくなる。ルリにとって深く眠るという事は全身の電力をカットして完全に電源を落とすという事だ。再起動するときなど、必要であればするが、間違いなくそのようにすることはないだろう。
スリープ状態のルリは、最低限の外界情報の処理を行っている。人間で言うと反射のように、けれどもそれより複雑な反応をある程度こなすことができる。極論スリープ状態のまま戦闘を行うことも不可能ではない。また、その後に目が覚めるのも当然の反応である。末端回路のみで反射の処理が行われるが、そこから与えられる情報は中枢回路に届く。弱い反応なら無視されるが、それが閾値に達すれば回路が働き始めるのだ。
逆に言えば、あらかじめ定められた時間になるか、もしくは何か刺激がなければ、ルリが目覚めることはないのである。
気づけば、ルリは布団から抜け出し、シナツの頭の傍に立っていた。
「あれ」
ルリが目覚めると同時に、クロも目が覚める。蛍光青色の黒猫の瞳が怪しく光っていた。
『どうしたんだい』
「うーん、なにも」
目覚めた心当たりがなく、ルリは首をひねる。
『ま、このまま眠っちゃうのもなんだし、散歩でもしにいく?歩けば何か思いつくかもしれないよ』
「そうだね」
クロの言う通り、せっかく目覚めたので外をぶらつくことにした。当然クロもついていこうとするが、
「あ、クロはシナツについていてよ」
『なんで』
ルリはクロを押し留めた。
「いや、シナツが寂しがるんじゃない?たぶん。それに、シナツを一人にしていいの?」
いまだ、よくわからない人間だらけの集落の中、シナツを一人にするのは不安が付きまとう。クロほどはないが、ルリもシナツが心配なのだ。ヒトの集落である以上、もしルリに危険があったとしても、そのほとんどを突破できる可能性が高い。
「わかった」
長らく寄り添いあった愛玩機械は、言葉少なの人型機械の意図を理解し、シナツの傍で丸くなった。そのまま目を瞑り、シナツの寝息を聞きながら同時に周囲の様子も探っておく。ルリほどではないが、クロも可視光以外で周囲の環境を探ることができる。
『そういえば、コハクはどこ行ったんだろうね』
ルリがいなくなった後で、ふとクロは呟いた。
* * *
コハクの家の扉を開けると、すっかり辺りは暗くなっていた。本来、可視光以外も受け付けるルリの視界は、そんな環境でも周囲が見えるようになっている。ただ、今は機械であることを隠すため、よりヒトに近い身体機能を働かせており、ヒトよりも少し見える程度しか見えない。空は雪のためか曇っており、辺りの暗闇に拍車をかけていた。
「暗いなぁ」
その機能のためあまり闇を知らないルリは、久々に感じる暗闇になんだか心細く感じる。今は、いつもとなりを歩いている愛玩機械も置いてきている。いつだって独りでいくつもの任務をこなしてきたはずだが、そのように感じる自分を不思議に思う。
目的もなくふらふらと歩いていると、目を凝らせばなんとか見えるくらいの位置に人影が見えた。こんな夜中に歩いているヒトはそうはいない。その正体を確かめるため、ルリはその影に向かって歩き始める。
ようやっと見えるくらいの位置になってくると、あちらもルリに気付いたのか、こちらに振り返った。
「コハク……?」
見覚えのある陰に、声を掛けた。影の肩がびくりと震える。わかりやすい反応に、ルリは確信を得た。
「やあやあ、コハク。どうしたの、こんなところで」
旧知の仲のように話しかけるが、コハクは未だよそよそしい。
「ルリ……さんですか……?」
聞き覚えのある声がルリの耳に届く。
「そう。それで、コハクはこんな夜中に何を?」
一言でコハクの確認に答えると、ルリは同じ問いを繰り返した。
「わたしは……!いえ、特に何も……」
何か言いたげに口を開いたものの、それは紡がれず、コハクは口を閉ざした。ルリはそんな彼女に近寄り、隣に並んだ。コハクも露骨に嫌がりはせず、逃げもせずにその場にとどまった。
「あれ、ここは」
コハクの隣に立って気が付いた。辺りも暗くて今まで気が付かなかった。
目の前に広がっていたのは、虚空だった。
真っ暗なそこは、すべてを呑み込まんとする虚ろな闇だった。今ルリが立っているここは、街の円盤の端だった。ルリの腰の高さ程度の小さな柵しかないそこは、一歩間違えればずっと下の街へ落下して、その身が叩きつけられるだろう。昇ってきた高さを考えれば、人間はもちろんルリでも間違いなく助からない。
「あ、あはは、秘密の場所、みつかっちゃったな……」
怯えた様子は残っていたが、今はどちらかというと諦めに近い感情がその声からは汲み取れた。
「ふーん、ここ、蜘蛛は来ないの?」
だが、やっぱりそんなコハクの様子の変化には気が付かずにルリは尋ねる。
「そ、そうですね、人が来たらそれを探知して来るかもしれませんけど、ここは本来立ち入り禁止の場所なので」
「ほーん」
短い会話で、再び沈黙が訪れた。
月明りもなく、電力もろくに無いこの街は、上も下も真っ暗だ。そのなかで、隣の者の存在だけは確かに感じる。
「ルリさんは、ここに……何をしに来たんですか?」
ぼんやりとしていると、コハクが急に声を掛けてきた。
「いや、なんか散歩してたら辿り着いた」
素直に答えると、なにやら息をのむような声がかすかに聞こえた。
「……ほんとうに、目的はないということですか?」
「まあ、そうだね」
意味深な尋ね方に流石のルリも少し妙な感じもする。だが、そんなことは気のせいだと無視することにした。
隣から、今度はゆっくりと息を吐く声が聞こえた。
「……長は、何か言ってました?」
しばらくの沈黙の後、コハクは急にそんなことを訊いてきた。
「うーん、なんか、突っぱねられた後に今度は逃がさないぞって言われた」
「ふふっ」
初めて、ルリはコハクの笑いを聞いた気がした。
「……ごめんなさい、でも、あの人も、無理をしているのかもしれないです」
抱いていた恐れがいつのまにやら消えたようで、ルリに対する口調もはるかに柔らかくなっていた。
「無理をする?」
「はい、そもそもあの人はここの工場長っていうだけなんです。社会を束ねるのとはまた違う。けれど、責任感だけは強いから……きっと、みんな守るために無理してるんです」
コハクの言葉を、ルリは黙って聞く。機械の身と劣化した人工の意識を植え付けられただけのルリに、責任感がどうの、無理してることがどうのという事はわからないが、コハクがそれを理解していることはわかった。
「ふーん、じゃあ、誰かがその仕事のいくつかを代わりに、やってあげないとね」
だから、ルリはその言葉をそのまま信じることにした。信じて、対策をそのまま口に出した。
三度、沈黙が降りた。
いつの間にか、雲に切れ間が見え始めていた。今日は新月なのか、真っ暗なのは変わらないが、星々がうっすらと見えた。それを二人で並んで眺める。
「お、あれはオリオン座、こいぬ座、おおいぬ座だ」
ふと見上げた空から、メモリーに登録されていた情報が引き出される。軍用機たる自分に誰がそんな情報を入れたのかわからないが、よっぽど遊び心がある奴なのだろう。空の端々に見えた星座の名がつい口に出た。
「あ、そうですね、冬の大三角です」
隣のコハクもそれに便乗した。思わず出た言葉だったからか、直後に口を押さえていたが。
「あ、あの、さっきまでは無愛想にふるまってしまい、すみません!」
それを誤魔化すように謝ってきた。さらに続ける。
「ここに来る人なんて、いないんです。外から来るのはあの蜘蛛みたいな奴らだけ。だから外の人たちにどう接していいかわからなくて……」
それを聞き流しつつ、ルリは空を見続ける。
「だから、ここの人たちも受け入れられずに無愛想にふるまったりすると思うんです。許してやってくださいとは言いませんけど、分かってほしくて……」
ルリは黙って視線を戻し、コハクの隣から離れる。数歩歩いた後、立ち止まって口を開いた。
「私には分からないよ」
そう言ってまた歩き出す。
「だから、受け入れられるようにしていくよ」
その裏にはシナツをここの集落で育てるためという、ただそれだけの理由がある。ルリにとって、それ以外の信頼などどうでもいい。なんならここの人たちも死のうがどうなろうが知ったことではない。そんなことをコハクが知る由もないが、
「そっか、よかった」
ルリがいなくなったあと、どこまでも深い闇とわずかな星々を背に、ぽつりと呟いた。
翌日、ルリは製材を運んでいた。家の材料だ。もうほとんどそれも完成に近い。家を建てる理由として、いつまでもコハクの家に居候するわけにはいかないという理由もあるが、もう一つ理由があった。
『精が出るねえ』
「まあ、必要なことならいくらでもやるよ」
『とはいえ、ルリがこんなことをするなんてね』
「シナツのためなら、ね。やることもないし」
『お、いいねいいね』
「あと、なんだかここで誰かの取りこぼしを拾わなければならない気がしてね」
『?』
ルリの言葉に、クロの顔にはてなマークが浮かぶ。
『昨夜、なんかあった?』
「うーん、なんかあったっけ」
昨夜は、何もなかった。
なんとなくルリはそのことを虚しく感じる。けれど、
「ルリー!どおー?準備は?明日からできる?」
顔を塗料で汚したシナツの言葉に、その虚無感も吹き飛ばされた。
「明日と言わず、今日からできるね」
見た目によらず力持ちなルリが、シナツのもとへ行き、何か描いていた木版を手に取った。
『あとはこれを飾れば完璧か』
それを両手で持ち、家の正面に引っ掛けた。
『便利屋 黒瑠璃の詩』
落書きのような絵がいくつか描かれた長い木版には、そのような文字が書かれていた。