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死んだ街で、生きていた

 倒壊したビルが立ち並ぶ都会の街を、姉妹のような二人の人間と一匹の黒猫が歩いている。時代が時代であれば、そんな彼女らは非常に微笑ましく、幸せな日常の一欠片として誰も気に留めなかっただろう。けれども、今の時代において、平和そうにのんびりと歩みを進める彼女らの姿は、異様であった。

 しかしながら、異様であるのはそんな彼女らの姿だけではない。

「シナツ、体調は大丈夫?」

 ここまでの旅で、機械の体であるルリも、人間であるシナツの体力の限界が分かってきていた。そろそろシナツの疲労が溜まってきたと予想して、声を掛けてみる。

「うん、だいじょうぶ……でも、ちょっと疲れてきたかなぁ」

 そんなルリに、シナツも変に強がることなどせず、素直に己の疲労を伝えるようになっていた。そんな彼女らの関係は、旅のはじめと比べてはるかに親密になったと言えるだろう。

『ちょっと疲れてきたなら、一回休憩休もうか』

 ルリにしか聞き取れない電子音から意味を汲み取り、途中で雪が降り始めても凌げてかつ建物が崩れてこなさそうな場所を探す。

 一人の人型機械と一人の人間と一匹の愛玩機械。

 人間が機械によって蹂躙され、その機械も人間による雪で破滅への道を辿っているこの時代、ヒトと機械が仲良さげに歩いている彼女らの在り方は、現存しているほとんどの人にとって信じられない物であったであろう。

「あの辺りで一回休憩しよう」

 半分ほど崩れているが、柱などに大きな傷は見当たらない、高架橋の道路の下を指差し、ルリはシナツに声を掛ける。

「あの空の大きな道ってなにー?」

 ルリが指差した先にある高架橋を見て、シナツは無邪気に尋ねる。

「あれは、道だね」

『違う、そうじゃない』

 ルリの、簡潔で的を射てそうで何も射てない回答に、クロは反射的にツッコみを入れる。

「何が違うの?」

『何がって、シナツが聞きたいのはアレがどのように使われているのか、何のために存在するのかという事であって、別にアレの名称を訊いてるわけじゃないでしょ』

「えぇ、そうなの……?」

『まあ、「道」の概念をそもそも知ってれば、確かにその説明で事足りるだろうけどさ』

「ふーん、そうなんだ……」

 クロの説明に、ルリは納得したように頷く。

「ねぇねぇ、なに話してるの?」

 そんなルリに、クロの話を聞き取れないシナツは不思議そうな顔で尋ねる。

「おねえちゃんってよく一人でなにかしゃべってるよね?もしかして、なにかいるの?……おばけ?」

 最後に自分で話した「お化け」の一言で、クロは怯えた表情をした。

「お化け?そんなのいるわけないじゃない。見たことも話したこともないよ」

『……まあ、いたらルリの周りにうようよ漂ってるだろうね』

「なんか言った?」

『いや、何でも!』

 小声でクロが言った言葉にルリは軽く反応したが、大して興味も示さないままに、シナツとの話に戻る。

「ねぇ、誰と話してるのってば!」

 見ると、シナツの顔は赤くなり、頬をふくらませ始めている。

「ああ、私が話してるのは、クロだよ」

「クロ?」

 少し早口で答えたルリに、すっかり表情は元に戻り、今度は不思議そうな顔で尋ね返す。

「そうそう、そこにいる奴」

 黒い猫型の愛玩機械を指差しながら、何気なく放ったルリの言葉に、

「クロ!?にゃんにゃんの!?しゃべってること、わかるの!?」

 いつになく興奮した様子で、シナツは食いつく。

「まあ、そうだね、割と饒舌に話すよ」

 ルリにとっては普通のことなので、シナツの興奮ぶりに少し驚きながら落ち着いて返す。

「どんな事しゃべってるの!?」

『ふふん、それはもう、シナツのことべた褒めよ。何ならシナツのことしか話してないね』

「……うーん、基本的にはしょうもない事かなぁ。どこへ行こうとか、何をしようとか、そんな感じ」

 シナツへの好感度を上げておこうという下心に塗れた電子音は華麗にスルーし、ルリにとってのいつもの会話を、正直にシナツに伝える。

「ほーほー、いいなー、シナツもそれ聞きたいなぁ……」

「まあ、そんないいものでもないよ」

『いいものでしょ!ルリだって楽しげに話しているでしょ!?』

 羨望の眼差しで見つめるシナツと、対照的に文句を垂れるクロを傍目にしながら、ルリは周囲を見渡した。

 かつては人通りも多く、車もいくらか通り、いくつもの公共機関が過ぎ去っていただろう、崩壊した街。しかし、今そこには代わりに、何台もの大型軍用機が闊歩していた。

 そんな街中の高架橋の下で、二人と一匹はひとまずの休息を得た。


 大きな街には、未だ人を殲滅すべく多くの機械が歩いていることが多い。こういった街にはもともと人間が多くいるため、より多くの機械が送り込まれたためだ。そのような機械の多くも雪が降ってからは機能を停止し、残るは数台のみとなっていることがほとんどなのだが、この街は面積が小さい代わりにいくつもの層を造って生活圏や工場などの敷地を確保しており、空から降ってくる雪の影響が少なかったからであろう。とうの昔にネットワークから切り離されているルリやクロに正確な数はわからないが、今まで見たことがないくらい多くの機械が歩き回っていた。

「あの高架橋は、この層と上の層を繋げる道のようだね」

 頭上に広がる道路を眺めながら、ぽつりとルリは呟いた。

「こうかばし?」

 それを耳聡く聞き取ったものの、何のことかわからず、シナツは尋ねる。

「ああ、さっきシナツが尋ねたあの空の道のこと。あれは上の街に行くための道なんだよ」

「ほへー」

『おや、珍しく丁寧な説明じゃないか』

「私もちゃんと過去から学ぶ機械なんだよ」

 からかうようなクロにそう返し、ルリはシナツの様子を窺う。ルリの隣で黒猫に寄り添いながら座る小さな女の子は、ルリの言葉に興味深そうに応じた後、手元で青い光沢を放つ物を弄っている。よく見ると、それは幾分か前に知らずルリが落とし、シナツが拾った瑠璃色の螺子だった。

「それ、触ってて楽しい?」

 ルリからすると、自分が落とした部品を他人が凝視しているのを見るのは落ち着かない。とはいえ、あげると言った手前、わざわざそれを自分に見せないようにしてほしいと頼むのも性に合わない。そもそも、シナツほどの幼い子にそんなことを頼んだところで、すぐに我慢できず今のように手元で部品を転がし始めるだろう。

「たのしーよ!きれいだし!」

『いや、楽しそうで何よりだね』

「そんなに綺麗?」

 横入りしてくる電子音は無視。

「うん!」

 シナツは、その拾った螺子を隙あらば手の平で転がしている。それほどにそれが気に入ったようだ。

「それに、これ、なんだかもってると胸がほわーってなるんだ!おねえちゃんからもらったものだし!だから宝物!」

「胸がほわー?」

 ルリがシナツの言葉に首をかしげる。

「うん!ほわーって!おねえちゃんはならない?」

「いや、そもそもそれ、私が持ってたものだしなぁ、病気か何かではないんでしょ?」

「シナツは元気だよー!」

 そう言いながらシナツは両腕を曲げて元気であることをアピールする。

 一介の機械がヒトのすべてを正確に把握し、理解することは難しい。人型機械であるルリも、ある程度人に似通った機能を持たされてはいるが、それでもヒトについて完全理解にはほど遠い。ゆえに、ルリはシナツが言ったこともあまり理解はできなかったが、シナツが満足そうなのでそれで良しとした。

 その代わり、別のことを言及することにした。

「ねえ、シナツ」

「ん。なになに?」

 改めて名前を呼ばれて、シナツは少し前のめりにこちらの話を聞く。

「なんで私のこと、「お姉ちゃん」って呼んでるの?」

 今に始まったことではなく、この旅が始まった時からシナツはルリのことを「おねえちゃん」と呼んでいた。

『小さい、器が小さいよ、ルリ!』

「うるさい」

「え?シナツ、何も言ってないよ……?」

 クロの声が聞こえないシナツが、ルリの言葉を聞いて泣きそうな顔をする。けれども、ルリはそれに気が付かず話を進めようと口を開いたところで、

『待った待った、ルリ!そのまま話進めるより前に誤解を解かなきゃ!』

「え、誤解?なんの?」

『とりあえず謝って!あと、今の言葉はシナツに向けてじゃなくてワタシに向けてであることをちゃんと伝えて!』

 必死なクロの言葉を受け、シナツが先ほど喉元まで出掛けていた言葉を押し戻す。

「えー、あー、ごめん、今の言葉はシナツに向けてじゃないよ。クロに話しかけてたんだよ、気にしないで」

 口ではそう言いつつ、未だピンとこないルリはクロの言葉をほぼそのままシナツに伝えた。

 しかしながら、その効果は如何ほどか。

 ルリにとっては口先だけの言葉だったが、シナツの顔は見る見る破顔し、いつも通りの眩しい笑顔が浮かんだ。

「そっか!クロと話してたんだね!でも、「うるさい」なんてだめだよ?ちゃんとお話聞かないと」

「ん、ああ、そう?」

 誤解が解けた一方、ルリの方もシナツの言葉でやっと何が誤解されていたのかを理解する。

「それで、何の話してたんだっけな」

『シナツのルリに対する「おねえちゃん」呼びの話だよ』

「あー、そうそう、シナツはなんで私のこと「お姉ちゃん」って呼んでるの?」

 さっきと全く同じ質問を繰り返す。

「んー、だって、おねえちゃんはおかあさんじゃないんでしょ?だったらおねえちゃんだよー」

「まあ、確かにお母さんではないと言ったけど、かといってお姉ちゃんでもないんじゃない?」

「なんで?」

 無邪気な疑問が返ってくる。

「だって、お姉ちゃんっていうのは基本的には自分と共通の父母、少なくとも片方を持ち、先に生まれたXX染色体を持つ、いわゆる女性のことを言うんじゃないの?確かに養子とか、染色体異常とかで異なる事情を持つ場合もあるとは……」

『長い!長いし意味が分からないよ、ルリ!そんなことを言われてシナツが分かると本気で思ってるのかい?』

「ふむ……」

 ルリは顎に手を当て少し考えた後、ふと見ると、クロの言ったとおりにシナツは目をぱちくりとしながら、よくわからなさそうに首をかしげていた。

「まあ、つまりは、私はいわゆるシナツの「お姉ちゃん」ではないと思うよ」

「えー?おねえちゃんじゃないなら、なんなのさー?」

「さあ、知らないけど」

 否定はしながらも、代替案は何も用意していないルリ。そんな彼女を見て、シナツはルリの真似をして顎に手を当て、何やら思案する仕草をする。そしてしばらくした後、

「んー、じゃあ、ルリ!おねえちゃんがおねえちゃんじゃないなら、おねえちゃんはルリだ!」

 突然の名前呼び。

「うん、それでいいや」

 ルリとしても、なんだかそれが一番しっくりくる。ルリのデータベースにおいて「お母さん」や「お姉ちゃん」は家族の呼称であり、血のつながった、あるいは法により認められた集団の一つの役割だ。確かに幼い子供が仲のいい年上の女性の相手をそう呼ぶこともあり得るかもしれないが、ルリの中で、少なくともそれは適した呼び方と区分されていない。ルリにとってシナツはあくまで見知らぬ子どもであり、お母さんやお姉ちゃんといった関係でないことは明白である。ならば、単に「ルリ」と名前で呼ばれた方がいい。

「じゃあ、ルリ!ルリ……ルリ!」

 なにが楽しいのか、シナツはその名前を連呼する。

『何をしていてもシナツは楽しそうだねぇ』

 クロがそんなことを言ったような気がしたが、シナツの元気の良い大声に、その電子音もルリの耳には届く前にかき消されたが、クロの表情が何やら満足げなのは見て取れた。


     * * *


 空を見上げると、多層に連なった街の上に雪が降り始めてきているのが見えた。

『雪が降ってきたね。どうする、ルリ?』

 ルリと同様に空を見上げていたクロが声を掛けてくる。

「んー、上の街のおかげでこの辺りにはあまり雪が降りてこないみたいだね。進んでもいい気がしない?」

『ルリがそう判断するなら、ワタシは何も言わないよ。じゃ、行こっか?』

「よし行こう」

 そう言いながら、ルリはシナツへ手を伸ばす。シナツはその手を自然に握って、ルリの横へ並ぶ。クロはその様を一度流しそうになって、もう一度視線を戻して、驚きで目をぱちくりとさせた。

「どうしたの、クロ。なんか驚いたような素振りしたけど」

 ヒトの感情の機微には乏しいルリも、相棒の猫には敏感に反応した。

『いや、だってさ、ルリがシナツに……そんな、ねぇ……』

「そんな驚くようなことしたっけ?」

 ルリ本人はあまりわかっていないが、クロにとってそれはとても驚くようなことのようだった。そんな彼女らの雰囲気を察したのか、シナツが会話に混じってきた。

「ね、ルリ!そういえばルリのほうから握手してくれるなんて、珍しいね!」

『そうだそうだ!ルリがシナツに積極的に優しくするなんて、おかしい!きっと明日は雪がすっかり止んで気持ちの良い快晴になっちゃうよ!』

 もちろんシナツにクロの声は聞こえていないが、電子音と同時に同調するように鳴くクロに、

「ほら、クロもこう言ってるよー」

 と、シナツがさらに追い打ちをかけてくる。

「うーん、そうだっけ?まあ、ルリと手を握った覚えは確かに無いけど、そんなこともあるよ、たぶん。あと、明日本当に快晴だったら嬉しいのにね」

 さあ行こうと、猫と幼い女の子の主張をそれ以上は無視して、手を握ったままゆっくりと歩き出す。その速さはシナツでも十分ついて行ける程度であり、それを少し後ろからついていく黒猫型の愛玩機械は、眩しそうに目を細めた。


 雪は上層の街によりある程度抑えられているとはいえ、完全に降りてこないわけではない。とはいえ、ルリにとってそれを回避しながら歩くのは造作もないことだ。それに金属部を露出していない状態なら少しくらい当たっても問題はない。危機感を抱くこともなく、のんびりと歩いていく。

 この街は、遠くに見える大きなシャフトを中心に、円盤状の街が広がっている。軍用機は主にそのシャフトの周りと、円盤の下を蠢いている。上を見ると、上層の円盤の下部を歩き回るその機械たちがいくつも見える。今、ルリたちが歩いているところはその多層の中でも最下層、かどうかは下が見えないのでわからないものの、上の方にいくつもの層があるため、下の方の階層であることは間違いないようだ。また、この街は金属製ではないのか、もしくは相当特殊な加工が施されているのか、シャフトを含め、地盤となっている街の円盤の腐食はあまり進んでいないように見える。

『人間はどこかにいるかなぁ』

 横の方から電子音がぽつりとルリの耳に届く。

「うーん、どうだろう、この辺は機械ばかり目に映るからなぁ。もうみんな死んだんじゃない?」

 さらりとルリは言ってのける。

『ルリ、ルリ。そういうのはあんまりシナツに聞かれないように言おうよ』

「えー……でも、どうせそのうちわかることだし、隠しても無駄でしょ」

『そういうんじゃなくて、せめてシナツが同じ人間の死に対して、ある程度の敬いや悲しみを覚えられるような言い方をしようよ。シナツがどうでもいいのはわかるけどさ、このままじゃシナツが情緒のじょの字もわからない無情な人間になっちゃうよ』

「んー、情緒と無情の“情”の字は一緒だよ?」

『そういうボケはいいから!ヒトの中に生きるなら、同じヒトの気持ちにある程度の共感を覚えられるようにしておかないと、異物として排斥されるだけだよ。ルリはそれでもいいかもしれないけど、シナツの周囲でそうなったら、大変だよ」

「はぁ、そうなのか……」

 クロの言葉をあまり理解した様子はなかったが、ルリはとりあえず頷いて、シナツの方に向く。

「この辺のヒトはみんな亡くなっちゃったみたいだから、さっさと別の街に行こうか」

「うん!わかった!」

『……うーん、なんだかなぁ……ま、いっか』

 多少言い方を変えたあたり、ある程度分かっているようではあるのだが、それでもシナツに面と向かって人の死を平気で言ってしまうあたり、クロにはどうにも不満だった。けれども、流石に今すぐに変わるとは思っていなかっただけに、妥協して良しとする。

「うーん、でも、シナツはもう少しここ、見て回りたいなー……」

 あまり大きな声ではないが、ぽつりと未練ありげな声がシナツの口から聞こえた。ヒトの耳では聞こえなかったかもしれないが、聴覚の感度はヒトよりも遥かに良い一人と一匹の機械の耳にはしっかりと聞こえた。

「……」

 人型機械はそれを無視していこうとするが、

『ねぇ、ルリ。ワタシもこの街見て回りたいかなぁ』

 愛玩機械はそれを引き留めた。

「えぇ……あんまり見ても面白くないよ、たぶん」

『それはワタシとシナツが決めるから、行こうよ』

「うーん、私は気が乗らないけどなぁ……」

『行こう行こう!ね!シナツも行きたがってるよ!』

「クロがそこまで言うなら……」

 珍しくルリの身や雪のこと以外で強く主張するクロに、ルリは渋々承諾した。この黒猫はシナツに対しての思い入れが人一倍強い。それを少しだけルリは心配に思う。とはいえルリにとってクロの言葉の優先順位が高いのは確かだ。

「シナツ、ちょっとこの街を見て回る?」

 そう声を掛けた瞬間、シナツの顔がぱぁっと輝く。

「この街って、あの空の上の方とかも!?」

「ああ、いいよ」

「よし、行こー行こー!さ、早く早くー!」

 よっぽどこの街を見て回れることが嬉しかったのか、シナツが満面に笑みを浮かべて走り出した。この立体的に造られた街は遊園地のようで、シナツには真新しく、非常に興味が惹かれる物が多いのだろう。

「ルリー!クロ!早くー!」

 シナツの脚ではすぐにそう遠くに行けるわけではないが、シナツの背と比較するとずいぶん遠くに離れていた。

『あの表情を見られただけで、なんだかいい気分だねぇ』

「まあ、楽しそうで何より、なのかもしれないね」

 背丈のせいもあってとても小さく見えるシナツの影。それに追いつくために黒猫の愛玩機械は軽やかに薄く積もった雪の上を走る。


 その瞬間──その小さい影の上に、大きな影がかかった。


『シナツ──っ!』

「クロ!」

「……え?」


 金属質で細長いものの、上部に膨らんだ胴に、そしてその横下方から伸びたいくつもの節を持った四本の脚。関節部も硬い金属で覆われ、正面から見ると眼のような機関をいくつも持っており、忙しなく動いている。胴の上部にも下部にもあり、360度視界を確保しているのだろう。

 上から来たそれは、四脚の蜘蛛とでも形容すべき大きな機械だった。

 だが、その正体を瑠璃色の人型機械と黒色の愛玩機械は知っている。いや、正確には片方の機械はそれを知っていた(・・)

『テトラスピッド!』

 忘れていたその名前を、クロの言葉で思い出し、記録されていた多くの情報を想起させる。

 Tetra-Spid──通称、四脚の蜘蛛、はたまた単に蜘蛛とだけ呼ばれることもある。誰が名付けたかまでは知らないが、少なくとも開発者は名前まであまり気を向けなかったのだろう。見た目通りの名前を付けられたその機械は、集団で行動し、幾人もの人間を殺戮せしめ、ヒトの衰退に大きく貢献した優秀な軍用機だ。その外装甲は対人兵器のほとんどをものともせず、かつ彼らの放つ熱線は人間を跡形もなく蒸発させる。もちろん破壊できるのはヒトだけでなく、ルリのような機械も無残に破壊し尽くされるであろう。それに対抗するための兵器も存在するのだが、少なくとも暗殺を基本とするルリにはそのような兵器は搭載されていない。

 そしてこの蜘蛛は、過去にされた命令を今もなお忠実に全うしようとしている。

 未だ状況を呑み込み切れていないシナツを押し潰すべく、蜘蛛は上から飛び掛かってくる。そんな彼女に、先に走っていたクロが飛び掛かり、シナツが押し倒されると、蜘蛛の巨体は紙一重で回避された。シナツの体重が軽いのもあるが、クロも金属部品が一部使われているため、見た目よりもかなり重い。今回はそのおかげで助かったともいえるだろう。

 しかし、まだ危機が去ったわけではない。

 ガシャ、ガシャ。

 脚の先はゴムか何かの柔らかい素材でできているのか、薄く雪が積もっているとはいえ、思ったよりも動く音が静かだ。意外と隠密性能も高いその機械は、シナツの方に向き直った。

 彼女らの危機を見て、すぐさま金属腕を展開して走り出していたルリがやっと追いつく。

 ガ──ッッ!

 追いつくや否や、地に足を踏ん張り、その剛腕を迷いなく振りかぶる。しかし、巨大な蜘蛛の機械は大きく揺らいだだけで、行動を制限するほどの破損を与えられた様子はなかった。

 けれども、完全に効果がないわけでもなかった。殺すべき標的の前に、それを邪魔する敵の存在を認知したその蜘蛛は、すぐさま優先すべき標的を切り替えた。

 このような機械は、元から戦場で破壊されることが前提であるため、量産されてはいるが、今振り積む雪のような微生物やその他の侵食に対する耐性はそこまで高くない。ゆえにこの街以外でシナツを連れていても蜘蛛が立ちはだかる心配もなかった。立ちはだかれるほど無事な機体が少なかったためだ。それに何より、すぐそばにルリがいるのだ。

 人型の自立機であり、単身で敵地へ乗り込むルリはほかの量産軍用機に比べて上位の知能が搭載されている。そのようなルリと比べて、彼ら蜘蛛は下位の部類に入るのだ。通常、下位の機体が上位の機体に刃を向けることなどあり得ない。すぐそばに殺すべき相手がいても、である。

『たぶん、雪の影響で外装はともかく、回路が侵食されているんだよ!機能停止までじゃないにしろ、正常な判断能力が落ちているんだ!』

 少し不思議な顔を見せたルリの疑問を汲み取ったのか、シナツの傍からクロが推測した解を伝える。

「ふむ……」

 クロの声を聞き、蜘蛛から距離を取ってしばし思案する。

 ルリたちから離れたシナツを狙い、その判断のままルリを襲う。このこと自体はルリにとってはもうどうでもいいことだ。今重要なのは、明らかに相性の悪い金属の蜘蛛に対しどう対抗するのか、ということである。この蜘蛛はヒトの殺戮に貢献したとはいえ、元々は戦場を駆け巡る汎用機だ。対人志向で造られたルリがこの蜘蛛を相手取るのは厳しい。先ほどやってみせたように、ただ殴るだけではこの外装甲を破るには力が足りない。破る前にこっちの拳が潰れる可能性すらある。

 倒せない。

 いくつかの可能性を鑑み、結局全て放棄する。至る結論は全て同じであるからだ。

「じゃあ、倒さなくてもいっか」

 ルリが思考していても、蜘蛛はそれを待ってはくれない。

 ガシャガシャと音をたてながら、蜘蛛が走ってくる。それを横に飛び退きつつ、脚の一本に拳を当てて、軌道を逸らす。

「クロ!とりあえず逃げろ!」

 時間稼ぎをしている間に彼女らを逃がす。その後自分も逃げるという単純明快な解を得たルリの声に、しかし、クロは首を振った。

『それは意味がないね、ワタシはルリほど上位機械と認定されていない。逃げた先で新たにテトラスピッドが現れて殺されるのがオチだ。ワタシはともかく、シナツの足では間違いなく逃げ切れない。むしろルリがそばにいるこの場の方が安全なまである』

「えー、クロの役立たず!」

『そんなこと言うなよ、しょうがないじゃんか。ワタシはしがない愛玩機械なんだからさ』

「それ、言い訳にしないでよ…………ッ!」

 再び襲ってきた蜘蛛の脚を両手で受け止める。足が雪の下の地面にも食い込み、全身の部品が悲鳴を上げる。

「じゃあ、どうするよ、クロ!」

 流石にまずいと考えたルリは、少し焦ってクロに向かって叫ぶ。

『うーん、そいつを振り切って逃げるか、そいつを頑張って倒すかの二択かな。どちらにするかはルリに任せる』

「あー、もうわかったよ!適当に殴っていい感じの損傷与えたらさっさと逃げよう!」

 そのまま逃げても、シナツを連れていては蜘蛛の脚にすぐ追いつかれる。なんにせよ、戦う必要があるのは間違いない。

「クロはしっかりシナツを見守っていてよ。あと自分のこともしっかり守ってよ!」

『当たり前だろ。なんてったって、ワタシはルリの相方なんだからさ』

 押さえていた蜘蛛の脚から力が抜け、ひとまず危機を脱する。蜘蛛は一度飛び退くと、ルリを見定めるように身体をゆらゆらと揺らす。

「ふー……じゃあ、いつでも逃げる準備しておいてよ」

 機械のその身に息を吐くという行為は意味がないが、それでも息を吐いて、腰を落とし、雪の上で金属の腕を構える。

『気楽に待ってるから、サクっと倒しちゃってよ』

 その言葉に答えることはなく、人型の軍用機と四つ脚の蜘蛛は衝突した。


 白い雪が広がりつつも、ところどころに黒い地面が露出しているその上を青い影が疾駆する。

 走り出してすぐ、ルリは横へ転がった。そこへ、雪が昇華する音と地面が融ける音が聞こえた。

「危ない危ない……忘れてたよ、その機能」

 声は呑気に響きながらも、迷いなく蜘蛛のもとへ飛び込んでいく。

 ガシャ、ガシャ、ガシャ。

 体勢を整えながら、蜘蛛は再び狙いを定めた。胴の中心近くにある眼のような機関がキラリと光る。それを視認する前にルリの身体は一歩踏み込み、さらに横へ飛び退いた。

 再び、雪と地面が融ける。

 眼のように見えるその機関は、光を受容する機能を持つ眼ではなく、熱線を発射するための出力機関だ。本物の眼はその周囲にある同じような見た目をした装置だ。

「そのビーム厄介だなー……」

 今のルリには中距離、遠距離攻撃はない。対して主力武器としてそれを搭載している蜘蛛に対して普通の人間や機械では近寄ることさえも難しい。とはいえ、本来はその熱線以外にもミサイルや爆撃といった兵器も搭載していたはずだが、恐らくそれらはこれまでの歳月で弾を失ったのであろう。それだけでも僥倖と言うべきか。

 もう一度思い切り足を踏み込むと、その勢いのまま前方へ飛び出した。

 雪が舞い、その後ろを熱線が通る。

 ルリが蜘蛛の傍まで辿り着くと、蜘蛛は脚を振り上げ、狙いすまして振り下ろした。それを無理に受け止めはせず、軽く拳をぶつけると、あとは身をひねって回避。その回転を拳に乗せて、振り下ろされた脚を殴りつけた。

 それでも、頑丈なその脚はびくともせず、ただ鈍い音が響くだけだった。

 攻撃が通じないことはすでに分かりきっていたので、そのことを再確認した後はすぐさま蜘蛛の真下に滑り込む。

 真下への攻撃手段はあまりないと踏んで潜り込んだのだが、

 ギロリ、と。

 なにか、危険な気配を感じて見上げた先に、

 がちり、がちゃ。

 モーターやシリンダーの駆動音が聞こえると、胴の下と脚の内側の方に銃口のような穴が見え、

「あ、やば」

 銃火が吹いた。


 一瞬意識を失っていた。

 高温にさらされ、回路がオーバーヒートを起こしたのかもしれない。

 気が付くと、ギリギリ蜘蛛の真下から逃れ、蜘蛛の少し後ろの方で立った状態でいた。

「あぶないあぶない」

 危険な状態であったにもかかわらず、その声だけは呑気なままだ。

 とりあえず、自己診断を行う。

『四肢、胸部、腹部、頭部、感覚器、運動器含め──問題なし。表皮、修復範囲内』

 流石に必死だったからか、ルリの記憶にはないが、何とか蜘蛛の真下の猛攻から逃れることができたようだ。ほっと安堵するとともに、己の判断ミスを少しだけ悔しく思う。

 蜘蛛の開発者も、真下が弱点になることなど百も承知だったであろう。地雷、待ち伏せなど、攻撃手段はいくらでもある。それを防ぐ手段を講じているのは、少し考えれば思いついたことだ。

「んー、残念」

 先程まで背を向けていた蜘蛛は今、こちらに向き直っている。少しだけ離れたところにいることから、一度はルリが機能停止したと判断し、シナツのもとへ向かっていたのだろう。

 再び蜘蛛と衝突すべく、両脚に力を籠める。

 この蜘蛛を倒す手段は、ない。けれども、この蜘蛛を幾らか足止めする手段なら、ある。

 改めて、己の誇りでもある両腕を点検する。

「うん、問題ないね」

 そうして、ルリは拳を構え、腕の一部(・・)だけ(・・)を変形させ、さらに力を込めた。

「あんまりやりたくないけど……やるか」

 気乗りしなさそうな声とは裏腹に、力強い踏み込みで熱線を避けながら前へ進む。周囲では雪の昇華する音と地面が融ける音が響いているが、脇目も振らずに雪が舞う中を走り抜ける。近くにまでくると、蜘蛛はその脚を使って、攻撃してくるが、それも回避。ここまでは先程の特攻と変わらない。

 だが、その先は異なった。

 振り下ろされた脚を、後ろに跳び退いて回避した後、ルリはその脚を駆け上っていく。蜘蛛の脚がそんな彼女を振り下ろさんと動くが、ルリの機敏な身体は、蜘蛛が動作を開始する前に上りきっていた。

 そして、ルリの身体が宙を舞う。

 蜘蛛の上部にも、しっかりと兵器が搭載されている。それらすべての銃口がルリの方を向く。上部の兵器は使う機会が少なかったのか、未だ使用可能のようだ。

 いくつもの爆破音が連鎖して、熱線ではない、いくつもの実弾が発射される。ルリの小柄な体躯を狙ったそれは、一秒も経たないうちに、狙い過つことなくその身体を無数に穿つだろう。

 けれど、そんな物には目もくれず。

 舞った身体は飛翔しているかの如く、その全てを掠めるに留め。

 群青色の閃光が軌跡を残し。


 一部が銃に変形した金属腕を、内部の撃鉄が解放されると同時に、振り下ろした。


 ただの金属の拳は撃鉄の威力に押されて、地を割るような音を響かせながら蜘蛛の背中を打つ。それでもこの蜘蛛を破壊するには至らない。しかし、拳の衝撃を蜘蛛の身体は全て吸収するには至らず、胴部が地面へと叩きつけられる。

 その上に、ルリの身体が落ちてくる。

 かっこいい着地とはならないが、受け身を取りつつ何とか降り立つ。

「いったー……」

 機械の身に痛覚というものは搭載しておらず、単に数値として己の身体の危機を把握しているだけのはずだが、それでもルリは仕草だけは痛そうにやって来た。

「さ、逃げよっか」

 蜘蛛を完全に機能停止に追いやったわけではないことは、ルリ自身が一番知っている。幾分もすれば起き上がってくるであろう。

『あー、ツッコみたいことがたくさんあるけど、いまはいいや、そうだね、逃げようか』

 先導するように猫が歩き始める。そしてその場にいるもう一人にルリが目を遣ると、

「すっごーい!かっこいー!いまのなにー!?ね、ルリ!」

 いつになく興奮した様子で、目を輝かせていた。


     * * *


 この街の出口と思しきところで、ルリたちは立ち往生していた。

『うーん、やっぱこれ、どうしようか?』

 ルリが戦っている間にこっそり先に偵察に行っていたクロが、その出口を尻尾で指差しつつ、ルリに意見を求める。

「どうしようも何も、無理やり突破はできないし、他のところ探すしかないんじゃない?」

 彼女らが見る先、そこには、大量の蜘蛛が折り重なっていた。それはまるで、虫が倒木の下で身を寄せ合って冬を越しているような姿だった。尤も、目の前に広がる金属の蜘蛛たちに、冬眠という概念はないだろうが。

「ねーねー、さっきみたいにどかーんってやっつけることはできないの?」

 シナツが無邪気に尋ねるが、

「うーん、無理だね」

 ルリはそれをバッサリと切り捨てる。だが、問答はそれだけで終わらず、

『あ、そうだそうだ、せっかくだから今聞かせてよ。ワタシはあんな攻撃があるなんて教えてもらってないよ』

 クロからの問いかけが続いた。

「えー、まあ、隠してたわけじゃないけど、そんな乱発できるようなものでもないし、そもそも常用できるようなもんでもないからね。言う必要がなかったんだよ」

『ほー?』

 心なしか、クロは怒ってるように見えなくもない。

「いやね、弾がなくて、私の腕の銃が完全に機能停止してたわけだよ。それを何とか使える形にできないか考えた末に、撃鉄の勢いを利用できないかなぁって思いついて作ったのが、あれだよ」

 なんとなく責められている気がして、早口にルリは答える。

『でも、ルリの装備してる銃の撃鉄じゃ、あんな勢いを上乗せできないはずだよ?』

 そもそも撃鉄とは、その勢いを撃針に伝えて雷管を爆破させるものだ。銃弾はその爆発の威力によって発射させるものであり、言ってしまえば撃鉄にはその程度の威力しかないのである。どう考えても殴る勢いを強めるものではない。

「まあ、そこは、私の改造の賜物だね。でも思ったよりもひどい目にあったよー」

 最後にふと漏らした言葉に、クロの眼がきらりと光る。

『何がどのようにひどい目にあったの?』

「あ」

『あ、じゃないよ!別にルリくらいの技術なら、改造くらいやってのけるだろうけどさ!そのためになにか副作用があるんだったら、ワタシにはそれを止める義務があるよ!』

「まあまあ」

 興奮気味で噛み付く愛玩機械を宥め、ルリは話し始める。

「まあ、改造そのものは簡単だったけど、なんだか楽しくなっちゃって、思いっきり威力が強くなってさ。初めて打った時は腕が千切れるかと思ったよね、というか一回千切れたけど」

『何を呑気に!』

「空中でアレ打ったのも、一つの対策だよね、衝撃を空中に逃がして、腕が千切れないようにしてたんだよねー」

『……はぁ』

 もうあきらめたように、クロは溜息をつく。

 あまりその腕を振るうことはないが、ルリの兵器改造の技術は相当なものである。これは単純に自分が兵器であると同時に、敵の兵器の情報収集などを兼ねる任務において、工学的な基礎情報が必要だったからである。自分の腕という便利な実験体もあったため、自然とルリの技術は伸びていった。

『まあ、今回はあれで何とかなったわけだし、良しとするよ』

「流石クロ。私のこと、私よりもよくわかってるねー」

『それほどでも』

 ルリの言葉に、少しだけ猫は嬉しそうな声を出す。表情は何も変わっていない割に、なんとも分かりやすい猫である。

「さて、流石にあの出口を通り抜けるくらいあの蜘蛛の近くに寄ったら、いくら私がいても、シナツが狙われてしまうかもしれないからね。別の場所を探しに行こう」

「はーい」

 遠目に見ている範囲では、ルリが近くにいる限りは蜘蛛たちがシナツを襲いに来ることはないようだ。先ほどもシナツがルリたちから離れたところで襲われたのであって、一旦落ち着いた後では、ルリが近くにいると、同個体でもシナツに向かってこなかった。近くまで寄った場合は流石にわからないが、ある程度遠くにいれば、ほぼ危険は無いようである。

「にしても、シナツはアレを見ても大丈夫なの?」

 一回襲われたものに対して、人間は恐れを抱くものではないのか。少なくともルリはそう思っている。一度蜘蛛に襲われたシナツがアレに対して恐れを抱いても不思議ではない。

「んー、でも、ルリがまもってくれるもん」

『うわー、眩しい、眩しいよ……!』

 横から混じる声は無視して、ルリは素直に驚く。思ったより胆力がある子のようだ。単に幼いだけかもしれないが、それでも無邪気に恐れを抱かず、ルリを盲信しているその様は、ルリにとって意外なものだった。

「まあ、でも、私が常に守れるわけじゃないから、そこまで信じられるのもね……」

 けれども、そこまで信じられるのは、ルリにとってなんだかくすぐったいような気がした。

『とはいえ、どこに行こうか?』

 この場でうだうだと話しているわけにもいかない。一緒にいる限りは蜘蛛の危険もないだろうが、ただ立ち止まっているうちはどこにも行けない。

「ま、どこでもいいよ。とにもかくにも、適当にほかの場所を回ってみよう」

「れっつごー!」

 こうして、経緯はどうあれ、シナツの望み通りにこの街を散策することになった。


      * * *


 先ほどルリが戦った場所とは違う高架橋を歩き、上層の街へ辿り着く

「ふんふふーん、ふーん♪」

 上機嫌な鼻歌が聞こえる中、二人と一匹の行軍が進んでいた。

『機嫌いいね、シナツ』

 そう言いつつ、猫の鳴き声を上げるクロに、

「クロー、シナツの歌ってる曲に興味あるー?あるでしょー。この曲はねー……」

 なんて話しかけながら笑顔で進む。

 この場所は、出口とは程遠い街の内部の方だ。流石に中心のシャフトは避けて歩いているが、それでも蜘蛛の姿は行く先々で見かける。

「ここは自然がいっぱいだねー」

 公園だろうか、シナツの言葉通り、他の場所と比べると、木々が多く茂っている。

 空にそびえる円盤の上にもかかわらず森が育っているその様は、人間の自然に対する畏敬、というよりはもはや妄執のようなものを感じる。

『わざわざ地から離れても、ヒトってやつは地に立つ“自然”とやらを求めたのかも、しれないね』

 ルリの心中を察してか、クロがそのような言葉をかけてくる。

「さあね、そもそも自然ってやつの何がいいのかねー。いや、もしかするといいとか悪いとかそういう感覚ではなくて、それこそ妄信、執心なんだろうね」

『さあ、知らないね、そんなこと、少なくともワタシには』

 しばらく無邪気にはしゃぐシナツと一緒に、公園と思しきこの森を散策し、シナツの気が済んだあたりで後にする。

 さらに上に行く。

 そこは住宅街のような場所だった。

 スーパーのような残骸があり、車がたくさん通っていたのであろう、道路がいくつも通っている。最初に入った場所は都会のビル群といった街だったのに対し、ここは人が住むことに適した街づくりをしているように見える。少し見ただけではあるが、この層から直接数層下の街へ行く道もあった。おそらくこの街全体の建造計画において、ベッドタウンや郊外と言った役割をしっかりと決めて造ったのであろう。ルリは詳しくは知らないが、おそらくよく練られた都市計画だったのではないだろうかということが窺える。

『出口もなければ、人も居ないねー』

 ぶらぶらと歩きながら、そんなことを話す。

 休息をはさみながら、ここまで歩いてきたが、特にめぼしいものは見つかっていない。ルリとクロに食料は必要ないが、シナツには必要であるため、たまに食料を拝借しながら、進んでいく。


 今ちょうどついたところは、何やら工場のような場所だ。

 中に入り込んでいくと、かつて使われていたのであろうベルトコンベアーやプレス機などが並んでいる。

「役目を終えた機械たち、か」

『どうしたんだい、ガラにもなく』

 目の前に広がる機械も、経年劣化というだけでなく、雪の影響でもボロボロと崩れ始めている。ここはより上層であるため、雪の影響も下層より大きい。

「いや、ふと羨ましい気がしてね」

『羨ましい?』

 ルリの言葉に、ルリが首を傾げる。

「うーん、特に理由はないんだけど、ただなんとなく、ね」

『そんなこともあるもんかね』

「あるんだよ、そんなことも」

 それだけで、機械たちの会話は終わりを告げる。シナツも、相変わらず目を輝かせてはいるが、歩き続けるのに疲れてきたのか、すこし口数も少なくなってきた。ルリも、今日はここらで野宿かなぁなんて考えながら、廃工場を見学する。ここで何を作っていたのかはわからないが、都合よくここの壁は電磁波の遮断能力が高く、ルリの感覚器では外の様子がわからない。おそらく外から見ても同様であろう。蜘蛛よりも上位機であるルリがそうなのだから、あの四つ脚の蜘蛛ではおそらく内部を把握することは難しいだろう。限定的な居場所ではあるが、安全な場所であることに違いはあるまい。

「じゃあ、今日はここらでー………!」

 ルリがそう口を開きかけた時、

『待って、ルリ!』

 何者かの存在を感知し、無言で襲い掛かろうとしたルリをクロが制止する。そして、ルリの視線の先の機械の影から、くすんだ橙色の髪を持つ大人の女性が、手を上げながら出てきた。

「あ、ど、どうもー……」

 機械が跋扈し、荒廃して既に死んだ街で、人間が少なくとも一人、生きていた。



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