消えてしまっても、最期まで見届けて
ルリが目覚めた時、そこは見覚えのある家のなかだった。椅子に座った状態で機能が一時的に停止していたようだ。
『ルリ?起きてる?』
聞き慣れた声を聞いて、ルリは覚醒した。
「起きてるよ」
『よかった』
『くろるりのうた』を開いてから数週間。その数週間で喫茶店の知識はシナツに伝え、そして、ルリは機能がだんだんと落ちていき、一日に目が覚めている時も少なくなっている。さらに、記憶の欠落も激しくなっており、時々今のこの状況すらも忘れかける。
「シナツはどうしてる?」
店の奥から、店頭の様子は見えない。すでにルリが退いた今、あの小さい店主は一人で喫茶店を営業していた。
『ま、お客さんもそういるわけじゃないし、皆理解もしてるしね。時々危なっかしいようなところもあるけど、いい感じに切り盛りしているよ』
この街に住んでいる人はそう多くはない。そのためどれだけ多くの客が来てもそこまで多いヒトは来ない。
「危ない人とかも来てない?」
『シナツくらいの歳の子は少ないしね。大人が多いこの街では、むしろ人気あるよー』
「ほうほう」
『それに、いろんな人は確かに来るけど、嗜好品の少ないこの街で喫茶店という嗜好品店をわざわざ潰そうというヒトはいないね。少なくともこの街では』
「それならよかった」
それだけ聞くと、ルリは身体を起こす。
「じゃ、せっかく目覚めたし、様子見に行こうかね」
そう言って、ルリは店の奥から顔を出した。
ルリが店頭に顔を出すと、店にいる客たちはどよめき始めた。
「あー、顔を出さない方がよかった?」
『そんなこともないんじゃない?』
店の中にいる人々は、ルリの顔を見た見た瞬間に一瞬恐れを抱いた、わけではなく。
「おー、ルリちゃんお久しぶりー」
「体は大丈夫ー?」
「無理すんなよー」
そんな、ルリを気遣う声が聞こえてきた。中には、ルリが目覚めたことで声をあげて喜びを見せているような気のいいヒトもいた。
「おや、なんかいい雰囲気」
彼らの声を聞いて、ルリは驚く。
喫茶店を開いてから、街の人々は積極的にルリに関わってきた。それは彼らにとっての贖罪だったのかもしれないが、少なくともそれによってルリに対する恐怖心は薄れていった。段々と機能が落ちていくルリに対しても、それを心配してくれた。
尤も、それをルリはもう覚えていないけれども。
『せっかくだから、ちょっとお話してきなよ』
クロはそう言って、ルリの背中を押す。
「わかった、行ってくるよ」
ルリも抵抗することはなく、店のみんなのところへ混じっていった。
店の客たちは、ルリのことを心配してくれていたが、しばらく会話を続けるとシナツの店の様子も教えてくれた。
例えば、まだ小さいシナツは身体のバランスが悪く、転びがちらしい。また、棚の上の方にある食器は脚立に乗って取り出すか、客自ら取り出すこともあるという。ほかにも、シナツが淹れるお茶は、結構おいしいとか、菓子や料理は着実に腕が上がっているとか、そういう話があった。
それらは、最初はルリが教えたところもあるが、途中からは自分から学び始めたことであろう。ルリが数日程度で教えたことであるため、いろいろ間違えることもあったのだろうが、今ではそれなりに立派にやっているようだ。
今のシナツに、ルリが教えられることなどもうないだろう。シナツが成長したのもあるし、ルリの記録が失われたこともある。
「そっか、ありがとう」
一通り話を終えると、ルリは席を立つ。シナツにも挨拶しておこうとその姿を探す。
『シナツなら、店の奥で休憩してるよ』
クロの声を聞いて、ルリも店の奥に引っ込む。背後からは気遣うような声とともに、ルリが店頭からいなくなることを残念がるような声も聞こえたが、全て手を振って応えるにとどめた。
店の裏側では、シナツが椅子に座って自分が淹れたお茶を飲んでいた。
「あ、おはよー、ルリ!」
シナツはルリに気付くと、椅子から立ち上がってルリに駆け寄った。
「あー、うん、おはよう、シナツ」
ルリに駆け寄ったシナツは、ルリを自分の座ってた椅子の真横に誘導すると、隣に座って話し始めた。
「あのねあのね、シナツ、あ、いや、ううん、私ね!最近料理がめきめきと上達してるの!ルリにも今度食べさせてあげるね!」
最近シナツは、一人称を「シナツ」から「私」に変えようとしていた。喫茶店を始めたあたりからそのようなことをし始めたのだが、理由を訊いてみたら、「みんな子ども扱いするから……」とのことだった。ルリにはよくわからなかったものの、クロは『年頃だね』と納得したようにうなずいていた。
「ふーん」
相変わらず、ルリの返答は簡素なものだったが、シナツももう慣れた様子で話し続ける。
「今度メニューを増やそうかって考えててねー、お客さんにもいろいろ聞いてみてるの!」
「ほー、シナツが」
「うん!」
シナツの人見知りもここの人々にはもう働いていないようで、元気よく話しかけている姿を見かけることはままある。
『シナツも成長したもんだよ……』
クロが泣いているかのような演技をしながら、そんなことを言う。
「そんなに成長した?」
クロに対して言ったその言葉は、シナツにもしっかり届き、彼女は怒ったように頬をふくらませた。
「シナ、私も成長してるもん!背だって伸びてるし!」
『そうだそうだ!シナツはあの柱に週ごとに自分の背丈を記録して、成長を実感してるんだぞ!』
シナツの言葉の後にクロが追い打ちをかけるが、その情報はあまり漏らすべきではなかったように思う。その言葉とクロの尻尾の向く方向を見ると、家の支柱の一本にいくつもの横線が刻まれていた。
「まあ、確かに背丈は成長してるね」
「でしょでしょー、シナツも成長してるんだよー。えへへー」
ルリの声を聞いて、シナツは嬉しそうに笑う。気を抜くと一人称が戻っていた。
「って、あ!そろそろお店に戻らないと!」
この家に時計が掛けられているわけではないが、おおよその時間でシナツが慌てて店に戻ろうと支度をする。
「ルリルリ!ルリも今日はお手伝いしてくれるんだよね!?」
ルリにはそんな用事は特になかったが、シナツが笑顔でそう言ってきたので、せっかくなので手伝いをすることにした。
「わかった、やることもないしね。私も久々に手伝うよ」
知識も記録も欠落した機械がどれだけ役に立てるか分からなかったが、シナツは嬉しそうだったので、それで良しとした。
* * *
数日後。
ルリが目覚めた時、そこは見知らぬ場所だった。
「あれ、ここは……?」
木造建築の見知らぬ家屋。家の中は少し甘い香りがしていて、生活感が感じられる。
「あれ、なんでここにいるんだっけ?」
何はともあれ、ルリはこの家から出ていくことにする。時刻はわからなかったが、空を見ると厚い雲が空を覆っていた。
「暗いなー」
そうは言いつつも、家から出て、道を歩く。
「そう言えば、なにか命令を受けていたような?」
疑問が口を突いて出るが、答える人は誰もいない。そう思っていたが、
『ルリ?どこか行くの?』
そんな電子音が聞こえた。
「誰?」
そう言って辺りを見渡すが、誰もいない。しかし、視界の隅に何かがいたように見えてそこに目を向けると、黒い猫がいた。そこでルリは思い出す。
「あー、クロ」
『誰とは失礼だな』
そんなことを言いつつも、クロの声色は少し寂しげだ。
『で、どこに行くの?』
改めてそのような質問をする。
「んー、特に、適当にぶらぶらとしようかなって」
『そっか』
そう言って、ルリは目的もなく歩き始めた。
──記録が見つかりません──
はっと気が付くと、ルリは林の中に立っていた。
『あ、こんなところにいた!』
後ろからはクロが走って来ていた。
「ん?どうしたの、クロ?」
『どうしたの、じゃなくてさ。いきなり走り始めるからこっちこそどうしたのって感じだよ』
「えー、そんなことしたっけ?」
ルリのボケっとした答えに、クロは大きなため息をついた。
『そろそろ、戻ろう、ルリ』
クロはそう言ったが、ルリには戻る心当たりがない。ただ首をかしげてクロの言葉に不思議そうにしているだけだ。
そこで、ルリはなんとなくどこか虚しい気がする。
「んー、なんだっけ?」
もう一人、いつも寄り添ってくれる小さなナニカがいたような気がするのだが、どうしてもそれを思い出せない。
「ま、いっか」
ルリはそれをただのエラーと断じて、また歩き始める。
『ルリ、どこに行くつもりなの?』
そう尋ねるクロだが、ルリ自身にも目的が分からないので答えようがなく、沈黙する。
林の中は木々が生い茂っており、そのおかげで下の方の草の辺りは影がかかってあまり育つことができず、それなりに歩きやすいようになっている。
のんびりと歩いていると、なにかの影が見えた。
「あれは……」
それなりに近くにいるはずなのに、それが何なのかよくわからない。見えてはいるはずだが、認識できないというその症状は、神経に値する回路の異常であるのだが、ルリにはそれが分からなかった。
「クロ、あれ、何かわかる?」
仕方がないので、隣の猫に尋ねてみる。
『うーん、どれどれ?』
背の低いクロは、草に隠れたその影をまだ認めることができていない。なので、近くの木々に昇ってそれを見ると、急に慌てたような声を上げた。
『あれは……人型の機械だよ!』
「おー、そっか」
それだけ聞くと、ルリはその機械に近づいてみる。同じ機械ならそう危険もあるまい、そう判断してのことだったが、
「ァ……ア……アアァァァ……」
軋むようなその声を聞いて、クロが叫んだ。
『ダメだ、ルリ!それはもう、自我崩壊を起こしてる!暴走してるよ!』
その言葉を聞き終わる前にルリは飛びのき、その目の前をところどころ表皮が剥がれて金属骨格が露出した腕が通り過ぎた。
その機械が立ち上がる。
腕はともかく、身体は意外にも無事な箇所が多かった。顔や胴体どころか、身に着けている服も大きな損害を見受けられない。
それでも、その機械は暴走していた。
『傷が少なくても、修復機能が低ければその損傷部位から雪は浸食してくる……この機体はその典型例だろうね』
木の上からクロが言い放つ。
「なるほど、回路だけやられたパターンってことね」
その説明でルリは納得すると、それを破壊すべく片手を構えた。
「確か、何かを殺せって言われてたような気がするんだよね。あなたはそれを、覚えてるかな?」
答えるはずもないのに、人型の軍用機はそう尋ねる。対面する人型機械はそんなルリを破壊すべく、襲い掛かってきた。
戦闘の基本は相手を観察することだ。
特にルリのような潜入、偵察、工作、暗殺を主とする機体の場合、通常の軍用機より端的に言って弱い。しかし、観察した情報からさらに情報を読み取るのは上手だ。なので、今回も同じく、ルリは襲い掛かってきた人型機械を観察した。
その機械の姿は、人間の姿をしており、その中でも少年の姿をしていた。しかし、それはルリのような油断させて潜入などの目的ではなく、単純にヒトとの共存と言った類の理由であろう。そう判断したのは、その機体が軍用機ではなく、民間機だったからだ。さらに言うならば腕に変形機構が仕込まれており、いくつかの工具に変形するのが見て取れた。
それらの観察結果から、ルリはその機体が工場で働きつつも、人と共存することを目的としているのだろうと結論付けた。それがあっているかどうかはわからないが、予想通りなら軍用機のルリには恐れるに足らないと踏む。
しかし、それはルリが万全の状態であればの話である。
「あれ」
走り出そうと脚に力を込めた瞬間に、ぐらりと体が傾く。そこではたと思い出す。右腕が半分ないことを。
歩く程度であれば自然とバランスをとっていたが、激しい運動を行おうとするとそのバランスが取れなくなり、うまく走り出せない。転んでしまったルリの頭部を破壊しようと相手の機械のプレス機のように変形した腕が振り下ろされてくる。その機械は体中のモーターをかき鳴らしながら、勢いよくルリの頭部にその腕が迫って来る。
「あ、やば」
間抜けな声を出しつつも、慌てて横に転がってその腕の工具を避ける。直前までルリがいた場所に機械の腕が当たり、土がはじけ飛ぶ。
避けた先で立ち上がると、機械はすでに体勢を整えており、ルリの方に迫っていた。バランスの取れないその身体でそれを躱すことは叶わず、左腕で腕の根元の方を受け止めた。
「重いなー」
機械の腕を片手で何とか止めることはできたが、目の前をガンガンと腕の工具が鳴る。振動がルリの顔まで響いてきた。
「よいしょっと」
その軌道を横にずらし、地面にたたきつける。同時にその腕をつかみながら跳びあがって機械の顔を蹴ろうとした。けれども、機械は仰け反ってそれを躱し、ルリの腕を振り払うと勢いよく飛び退いた。
「はぁ、どうして生き残ろうとする意志だけは残ってるかなぁ」
そんな風にため息をつくも、現状が変わりはしない。とりあえず腕の金属腕を展開した。
バランスを取りながら、今度は大きな金属腕を構える。
「よし、ちょっと慣れてきた」
先の攻防で、激しい運動の最中にバランスをとることも慣れてきた。
再び、少年の形をした機械が駆けてくる。その腕は、今度は巨大なドライバーのようなものに変形している。その先は少し潰れているものの、ルリの身を貫くには問題ない。
「一辺倒の攻撃なんて喰らわないよ」
突き出された腕を片手でいなし、後ろの方にそのドライバー様の工具を受け流すと、その勢いをそのまま利用して鳩尾の辺りを拳が打つ。機械はその勢いを吸収しきれずに、後方にその体躯が飛ばされた。
体勢が崩れた状態のそれを見逃すほど、ルリは甘くない、今度こそ脚に力を籠め、吹き飛ばされた機械の身体を追う。機械が地面に落下したところに追いつくと、その顔を正面から鷲掴みにした。
「捕まえた」
そのまま頭を潰してしまおうと力を籠める。頭部の骨格が軋む、歯の浮くような声が周囲に響く。機械の金属骨格は人間よりも丈夫だ。完全に破壊するにはより大きな力が必要である。
「恨みとかはないけど、ごめんね」
それだけ言って、最後の一押しをしようとしたとき、
「ァァァァアアアアア嗚呼アアッッッ!!!」
頭を掴まれた機械は奇声を上げる。同時に、その左腕が大きく振り上げられる。ルリは咄嗟にそれを防ごうとするが、片腕がないためにただ空っぽの腕が動いただけだった。
「あー、ダメだ」
『ルリッ!』
グシャ。
ルリの呟きとクロの叫びと金属骨格が潰れる音が同時に響く。
ルリの身体は横に飛ばされ、死んだように動かなくなる。
『ルリ!大丈夫!?』
木の上から見守っていたクロが急いでルリのもとへ駆け寄る。
「アァ、だい、ジョウブ」
少し潰れた声で、そんな声が聞こえた。
体を起こしたルリが、左手から何かを捨てる。それは、鷲掴みしていた機械の首だった。ルリが飛ばされた勢いにより、首元からもげていた。
けれども、ルリも全くの無傷というわけにはいかなかった。右側頭部の表皮が剥がれ、内部骨格が露出し、その付近の感覚器はほとんど潰れていた。見た目だけではない。人間を模したその身体は頭部に中枢回路が多く組み込まれている。その内部回路にどれだけの損傷を与えたかは計り知れない。
『ルリ……!』
人型機械の傷だらけの姿を見て、猫は絶句する。
そんな中で、ルリはゆっくりと立ち上がった。
「そういえバ、帰らナイと、ね……」
そして、破損し、朦朧としている少女の形をした人型機械は、ふらふらと揺れながら歩き始めた。
* * *
その機械は、もう何も記録していなかった。
ただ、どこかに帰る場所がある。それだけを自らの意志として、歩き続ける。
隣には、黒い猫の愛玩機械が音もなくついてきている。
『ねぇ、ルリ。大丈夫?』
愛玩機械はその機械に対して気遣うような言葉を掛けるが、その意味もほとんど理解できていなかった。その機械は、これまでの損傷と回路の腐食によりまともな判断能力が失われていた。
けれども、その機械は口を開いた。
「ねえ」
『なに?』
もう、その猫の名前も覚えていない。
「アナタが誰だったか、知り合いなのかも、知らナイ、けど」
発声器官が壊れたのだろう。うまく話すこともできない。
「ねぇ、ワタシの最期を迎えても、ワタシという存在が消えてしまっても、その最期を見届けてホシイな」
この猫型の愛玩機械にはそれができる気がした。根拠はないものの、確信があった。だから、それをお願いしてみた。
『……うん、大丈夫だよ。ルリが、ルリじゃなくなっても。私だけは覚えているから』
きっと、ルリというのは己の名前なのだろう。その記録は欠損してしまったが。
満足いく答えを得ると、その機械は笑って、再び前を向くと歩き始めた。
歩き続けると、街の相貌が見え始めてきた。先ほどの林とそうは離れていない。健常な大人のヒトであれば十数分程度でたどり着くであろう。その道のりを小一時間程度かけて辿った。
しかし、そこでその機械は力尽きた。運動器系の回路がやられたのか、脚の駆動機がやられたのか、その診断もできないが、脚が動かなかった。
その場で倒れこむ。周囲のヒトがそれに気づき、騒ぎ始める。しかし、人だかりができるでもなく、少女と呼ぶには少し幼い女の子が一人、その機械の目の前にやって来た。その顔は、衝撃と同時に涙が浮かんでいた。
その女の子をみて、その機械の回路に焼き付いていながら、軽度の腐食によりその引き出しができなくなっていたある命令が呼び起こされる。
──人を、滅ぼすべきだ。
久しく忘れていたように思えるその命令。
「ぁ……」
女の子が、泣きながらその機械に抱き着いてきた。それをみて、機械はその命令の効力が強くなるのを感じる。
女の子はその機械に抱き着いており、機械の左腕は見えていない。まだ、ヒト一人を殺せるだけの力は残っている。その腕が、女の子の頭を握りつぶそうと伸びる。
いよいよ、その金属腕が触れた時、その動きが止まった。
なぜ止まったのか、その機械は考える。
そこで立ち止まる理由はないはずだ。命令がすべてなのだから、命令におとなしく従えばいい。けれど、なぜか腕は動かない。
「……あ」
抱き着いていた女の子が、少し離れて機械の顔を正面から見つめる。機械の群青色の瞳が、女の子の目に映る。それを見て、機械は直感した。
「この子は、ワタシの大切な、ダレかだ──」
その金属腕に女の子の頭が触れ、思わず握りつぶしそうになる。それを急いで離すと、それを自らの首にあてた。
その機械は力無く笑う。それは自嘲か、それとも安心感でも与えようとしたのか。自分でもそれはわからないけれども。
このまま生きていれば、自分はこの子を確実に殺す。それは、絶対にダメだ。なんとなくそう思う。
だから。
己の首にあてた手を握りこみ、その繊維を引きちぎった。
* * *
林の中を、一人の少女が歩いていた。しばらくは絶対に帰ってこないと誓っていたが、忘れ物に気付いて帰ってきたのだ。
「まさか、命と同価値のシャベル忘れるなんて……」
そんなことを呟きながら、サクラは来た道を戻っていく。
見覚えのある街並みが見えてくる。久しぶり、というわけでもなく、せいぜい数十日ぶり程度に見た街だ。
「ふー、帰ってきたー」
そう言いつつも、街に入って忘れ物のシャベルを取る。そのまま、裏側の林から再び出発しようとして、その入り口に見覚えのある一人の少女の姿が見えた。
「あれ、シナツちゃん?」
落ち込んでいるように見えるその姿に、サクラは彼女を置いて行けなくなる。近づいていくと、もう一つ見覚えのある人影があった。
「ルリ、ちゃん……?」
その姿は見覚えがあったものの、その様は見る影のないものだった。
サクラが発つときに腕がなかったのはもちろん、その顔は右側半分の内部が露出して、少し幼くも端正だったその顔は無残なものだった。さらに首は潰れており、中を通っていたのであろう何本ものケーブルやワイヤーが飛び出している。人で言うところの頸椎にあたる部位の骨格は無事なのか、首元は繋がっているものの、だらりと俯いた状態となっている。その体に見覚えのある黒猫が寄り添っている様が、どことなく痛ましい。
その正面に跪くようにへたり込んでいるシナツの傍に、サクラはそっと寄る。
「シナツ……」
横からシナツの顔を覗くと、サクラは一旦シナツから離れた。
そして、少し離れたところにシャベルを突き刺した。
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。
土を削る音が、閑静な辺りに響き始める。俯いていたシナツも、それに気付いて消え入りそうな声で呟いた。
「なにを……してるの……?」
サクラは、真剣な表情で穴を掘り進める。
「お墓、造ってるの」
「なんで……?」
そう尋ねたシナツに、サクラは小さく首を振る。
「意味なんて、ないよ」
「じゃあ、どうして……?」
「こんなことしたって、死者は生きかえったりしないし、満足して逝ったりしない。けどね、お墓を造ることで、わたしたちは死者を弔うことができる。弔った気になれる」
泥で体を汚しながらも気にすることなく掘り進めていたサクラは、墓造りの手を一旦止める。そして、シナツの方を向くと、儚い顔で優しく笑い、
「お墓を造るのはわたしたちのため。手を合わせるのと同じ。死者に引っ張られ続けないように。わたしたちが前に向けるように。そうすればきっと、死者は満足してくれるから」
これはただの自己満足であると、そう断じた。
「だから、お墓を造るの。死者はもういないけど、生きている私たちが笑って生きるために、造るんだよ」
そう言って、小さなスコップをシナツの傍に置いた。
「ねぇ、シナツちゃんにとって、この人はどんな人だった?」
ルリに関する問いに、悲嘆にくれるだけだったシナツの頭は思考を始める。
母でもなく、姉でもない。それらはルリ自身に否定されてしまった。妹や娘とか祖母、恋人はもちろん、友人でもない気がした。ではルリは、自分にとって何だったのだろう?
しばらく考えても、シナツの中から、具体的な答えは出なかった。
けれども、一つだけ、明確な答えがあった。それを強く思って、シナツは口を開く。
「この人は、シナツの大切な人間だった──」
それを聞いて、サクラはにっこりと微笑む。
「大切な人なら、やっぱりお墓、造ってあげよう?きっと大切な人ほど、引っ張ってきちゃうから」
へたり込んでいたシナツは、傍に置かれたスコップを拾うと、立ち上がった。そして、墓を造っているサクラの傍に寄り、ゆっくりとそれを地面に突き刺した。
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。
土を削る音が、もう動かない瑠璃色の機械の前で、響き渡っていた。




