ごめんね、君はきっとあの子を殺すから
ルリたちは、高層ビルの立ち並ぶ大都会だった場所を走っていた。
けれども、走っていたというのは脚を使って持久走でもするかのように走っているのではない。
「おおー、はやいはやーい!」
「なにこれすごいっ!こんなものがこの世界に存在したんだね……!」
そこにいた三人の少女の内、一番幼い少女はただ無邪気に、少し年上の少女は感動した様子で思い思いにはしゃいでいた。一方、もう一人いた少女の見た目をしている機械は、ボケっとしながらハンドルを握っていた。
『ルリ、ルリ、しっかり前見て!」
ルリにしか聞こえない電子音を聞き取り、はっとしてハンドルを握りなおす。
今、彼女らは車に乗っていた。大きなワゴン車だ。運転席には人型機械が、助手席には愛玩機械が、後部座席には二人の人間の少女が座っている。
雪が降ったこの世界において、車は通常使い物にならない。耐水などの加工はされていても、微生物による浸食までは想定されていないからだ。しかし、それは人類栄華期におけるもののみである。人類によって生み出された雪に含まれる微生物は、人類がマーカーした一部の金属以外の金属を食い散らかす。けれども、すべての金属を腐食していくわけではない。あくまで人類の目的は人類を滅ぼしにかかる機械たちの殲滅だ。つまり、雪も機械たちの腐食に最適化されている。その時期の金属の腐食は早いが、逆に言えばそれより前の金属加工技術で造られた金属物の腐食は比較的遅いのだ。
今となってはかなり年代物の車。
どこの時代にもコレクターというものはいるものだ。中には収集するだけではなく、使えるようになるまで修理して部品や燃料を揃える者もいるのだ。
少し前まではもっと燃費も良く、速さも速いものがそこら中をたくさん走っていた。しかし、今ではこんなものでも、走れるものはかなり珍しい。
「忘れてなくてよかったよかった」
ハンドルを回しながら、もう片方の手でシフトレバーを動かす。ギアが切り替わり、エンジン音がかすかに変わった。
『いや、ルリは運転の方法忘れてたけどね』
「クロから教えてもらったら思い出した」
『ほんとかなぁ……まあいいけど。にしても、こんな絶滅危惧種、よく見つけたね』
「お手柄よ」
『見つけたのシナツだけど』
クロの言葉に胸を張ったルリに、そんな言葉で水を差す。
この車は、立ち並ぶビルの一つ、その一階の倉庫か、それとも収集物展示室かはわからないが、そんな部屋にいくつもあったものの一つだ。その中でも動くものはごく少数であったものの、稼働のための燃料もその部屋に置いてあり、移動手段として、徒歩よりも優秀なものをルリたちは手に入れることができた。そして、それらを発見したのは全てシナツである。
そして、当のシナツはいまだ車から外を眺めはしゃいでいる。
『あれ、声がさっきよりも少ないね』
クロの呟きに、ルリは聞こえてくる声を意識すると、その言葉通りに先程まで聞こえていたサクラの声が聞こえてこない。さらに耳を澄ませると、苦しそうなうめき声が聞こえてきた。
顔を傾けて運転席から後部座席を見ると、サクラの顔は青ざめて、今にも吐きそうな顔をしている。
「ねぇ、クロ。シナツは大丈夫なの?」
いつもなら人が苦しんでいるのを見ると、ルリよりも先に気付き、ルリよりも騒ぎ立てるクロが、今回に限っては特に何も言わない。
『うーん?あー、大丈夫、いや、大丈夫じゃないかもしれないけどそんな気にすることでもないよ』
ルリにはよくわからない答えだったので、ルリは首をかしげる。
『ただの車酔いだよ』
クロがそう言った。
「車酔い?」
『そうそう、車酔い』
「……えーっと、車酔いってなんだっけ?」
『……あぁ、そっか』
ルリの言葉に、クロは一瞬目を伏せるが、すぐに元に戻る。
『車酔いっていうのは、車に乗って揺らされるうちに気分が悪くなることだよ』
「なんで?」
『まあ、原因は二つだね。どちらもどうしようもないから、こうやってのんびりしてるのさ』
欠伸でもするかのように大きく口を開き、助手席で丸くなっている身体を身じろぎする。
「後学のために、その原因、聞いておこうかな」
『後学のためって……まあ、いいけど。一つは単純にサクラ本人の問題かな。平衡器からの情報や視覚情報で感知した身体状況の情報が錯綜して、神経系がちょっとした異常に見舞われるんだよ。きっとたくさんの情報が処理しきれないんだろうね』
「ほうほう、もう一つの理由は?」
『それは、まあ、ルリのせいだね』
「え」
クロが言った言葉にルリは少しだけ口を曲げる。
『いやー、ルリだけのせいじゃないけど。でも、なんていうかさ、ルリって運転荒いじゃない?』
「え、そう?」
ルリはあまり気付いていなかったが、ルリの運転するこの車はそれなりのスピードを出しており、さらに荒廃した街はそこら中の道路が割れている。これまで何度も車体が飛び跳ねていた。
『うん、荒い。疑うならシナツにも訊いてみてよ』
ルリは意外に思ったものの、疑う気はなかったが、せっかく言われたのではしゃいでいるシナツにも声を掛けてみた。
「シナツ、私の運転って荒い?」
「あらい?」
「そうそう、気分悪くなったりとか、する?」
外を眺めて目をキラキラさせたまま、シナツはしばし考えこむ。
「よくわかんないけど、シナツはルリの運転好きだよ!」
「だってさ、クロ」
『天使じゃん……』
笑顔でそう答えたシナツに、ルリよりもクロの方が過剰に反応した。その時、たびたび呻いていたサクラがひと際大きくうめき声を上げた。
『あーあー、横にでもなって寝たら?いい感じにこの車狭いし』
機械とヒトの少女たちを乗せた車は、楽しそうな笑い声と落ち着いた声と電子音と、時々うめき声を鳴らしながら、荒廃した大都市の中を走っていた。
* * *
「うーん、ガス欠だね」
大都市を走っていたが、少し離れた郊外に辿り着いた辺りでゆっくりと停止した車を前に、ルリはそう言った。
『まあ、この時代の車は確かにガス欠だろうね』
ルリとクロが駆け抜けた時代の車はもう石油燃料ではなかったが、それより前の時代を生きたこの古い車は石油燃料で稼働している。そのため、燃料がなくなれば文字通りのガス欠を起こすだろう。
「えー、もうおしまいー?」
シナツが不服そうな声を上げるが、こればかりはどうしようもできない。部品の故障とかならまだ修理ができたかもしれないが、エネルギー源そのものが絶たれたとなれば、ルリにもどうしようもない。
「ぁ、ここからは、徒歩……?」
シナツとは対照的に、サクラは青白い顔にほっとした表情を見せながらも、ほんの少し残念そうな顔をしていた。
「酷い乗り物だったけど、速かったなぁ……」
サクラは車体を撫でながらそう言った。
「う、あの揺れを思い出すと気分悪くなってきた……」
すぐに口を押さえて蹲り始める。クロはそんな彼女の近くに寄って、身体を寄せる。
「おぉ……クロは優しいねぇ……わたしは大丈夫だよ……」
『撫でるのは構わないけど、吐いたりはしないでね』
サクラには聞こえていないけれども、撫でられながらクロはそんなことを言っていた。
「シナツの時と態度違うなぁ……」
そんな猫の姿を見ながらルリは呟いた。
今いる場所は先程までの大都市とは打って変わり、伝統的というのだろうか、そんな商店や家屋が立ち並ぶ住宅街だった。遠くを見ると、高い建物群が小さく見える。
「ほうほう……」
そんな街並みを見て、ルリは納得したかのような声を漏らした。よく見ると、今ルリたちがいる住宅街と高層ビルが立ち並ぶ大都市は川で分断されており、橋でつながっているのみとなっている。ここは古い街で、向こう側の街は比較的新しく開発された街なのだろう。雪の影響も、先ほどまでいた新都のほうが大きいように見えた。
「今日はここらで野宿、いや、その辺の家でも使わせてもらおうか」
赤く染まり始めた空と街並みを見て、ルリは呟く。遠くのビル群は赤い夕陽を反射して本来の太陽とは反対の方向から微かにここを照らしてくる。
「今日はここでお泊り!?」
ルリの呟きを聞いて、シナツがはしゃぎながらルリに声を掛けてきた。いつも明るいシナツだが、車に乗っていた興奮が未だ冷めないのか、いつも以上にはしゃいでいるような気がする。今は車のバンパーに乗って車の屋根に身を乗りだしていた。
「そうだね、今日はここでお泊り。適当な家を見繕ってくるからちょっと待ってて」
そう言ってルリが歩き出すと、シナツはてとてととそのあとについてきた。いつもならおとなしく待っていてくれるのだが、今日はなぜかルリの傍から離れない。
けれども、そんなシナツが後ろについてきていることは気づいていても、それをさして気にしないのがルリという人型機械である。特に何も反応せず、シナツの歩幅に合わせて歩いた。
しばらく無言で歩いているが、そのうちシナツが徐々にその距離を詰め、ルリの裾を掴んだ。
「?シナツ、どうしたの?」
流石に裾を掴まれると歩きづらくなり、ルリは尋ねた。そんな彼女にシナツは笑顔を向ける。
「えっと、えっとね!楽しかったから!」
シナツはそれだけ答える。
「ふーん」
いつもなら感情の機微に聡い愛玩機械が何かしらの解説をしてくれるのだが、今は、あの猫はサクラの横に寄り添っている。なので、よくわからないままにルリはそう言った。
「ルリは、楽しくなかったの?」
興味なさげな声で返答したルリに不安になったのか、シナツはそう尋ねる。
「うーん、そうだなぁ」
機械の身たるルリにも、その意識はヒトの物を模されている。感情、もしくはそれに類したナニカの機能自体は有している。
「たぶん、楽しかったかなぁ」
けれども、ルリは曖昧にそう答えた。
「たぶんってなにー?」
そんなルリの答え方の何が面白かったのか、シナツが笑って尋ねた。
「うーん、楽しいってなんだったかなぁって」
成熟した意識で生まれる機械の感情は元々ほとんどの機能を保持している。経験を得ることで多少の変化やゆがみが生じることはあれど、喜怒哀楽がどのようなものかの記録情報は基盤に焼きこまれているはずなのだ。
「覚えていた気が、するんだけどなー」
なんでもないようにルリは言う。けれども、なんとなく虚しいような気持ちがその声に乗ったような気がしなくもない。そんなルリの様子を悟ったかどうかは定かではないが、シナツは笑顔のままでルリの裾を握りこむ。
「じゃあ、シナツの楽しいをわけてしんぜよー」
そうして、ふふんと鼻を鳴らしながら、シナツが話し始めた。
車の中から見えた景色。倒壊した鉄骨。キラキラと光るガラス片。割れた大地。その隙間から生えていた植物。
車の中にあった景色。ルリやクロ、サクラのことをはじめ、座席についていた帯や空いた窓。
ルリにとってなんという事ではなかったが、シナツはその全てを本当に楽しそうに話した。
「ふーん」
ルリはその話のほとんどに、そのような相槌を打った。シナツの話はつたない言葉で紡がれていたものの、なぜだか引き込まれるような話だった。
「あ、あとねあとねー、ルリとお話しするのも楽しいよー」
一通り話した後に、シナツはそう付け加える。
「楽しいの?」
ルリは相槌を打っていただけで気の利いた返しもしていなかったため、シナツの言葉に少なからず驚く。それに対しシナツは頷いた。
「うん!だって、ルリも楽しそうだもん!」
「え?」
今まで、話を聞きつつも今夜泊まる宿を探していたルリは、その言葉に驚いてシナツの方を向いた。
「ルリが楽しそうだとシナツも嬉しいもん!一緒に楽しいと楽しさ倍増だよー」
「……そう、だね」
シナツの笑顔を見て、ルリもうなずく。そのまま今度はルリをシナツが引っ張って、先に進んでいった。
「ほらほらー、今日はどこの家にお泊りするー?よりどりみどりだよー」
宿を探しながらシナツが言う。
「……難しい言葉知ってるね」
空を仰ぐと、夕日はすでに沈んで赤みが残る空に、明るい一等星が輝いていた。
ルリたちは結局、二階建ての木造家屋の一階に泊まることにした。街は無事な様子を見せているため、ここに住んでいたヒトは機械の襲撃に際してすぐさま逃げただろう。散策した感じでも、四脚の蜘蛛の他、ルリたち以外の機械がいる様子はなかった。それどころか、通過した痕跡はあっても、長く滞在したような痕跡すらなかった。
「ごっはん、ごっはんー」
「よっるごっはんー」
シナツとサクラはルリの作る夜ご飯を楽しみにして歌なんぞ歌いつつ、今夜泊まる家の二階部分のベランダから身を乗り出していた。
この家に限らず、この街の建物は基本的に状態がいい。物資を荒らされた形跡は多少あったが、建物自体の腐食や損壊の跡はあまりなかった。その中からできるだけ状態の良い家屋を選んで宿に決めたため、内装も腐っていることなどはなく、二階部も安全に行き来することができる。とはいえ、インフラが通っているわけではないので、ルリはその家の前でコンロの火を焚いて、残り少なくなりつつある缶詰やその辺りで捕獲した兎を調理している。
『今日はずっと楽しそうだね、シナツとサクラ』
「そう?」
『まあ、正確には昼過ぎに車手に入れたあたりからだけど』
「なるほど」
ルリが火を扱う傍ら、クロが話しかける。
「ここ数日、サクラと一緒にいるけど、特に死体に出会うことは無いね」
『いや、サクラは死体を感知して移動しているわけではないと思うよ?』
「えー、でも、墓守ならもっと死体に会うのかな、と思ってたんだけど」
『いや、たぶん適当にふらつく中で死者があれば積極的に関わっていくスタイルなんじゃないの?』
「ほうほう、そっか」
鍋の中にはトマト缶の中身と兎の肉が煮込まれている。塩や胡椒をかけると、香ばしい匂いが二階の方まで届くのか、上の方から歓声があがる。
『あれ、そういえば、その香辛料どこから手に入れたんだい?』
自然と使っていた胡椒についてクロが尋ねる。
「ああ、これ?拾った」
『いや、どこから?』
言葉足らずなルリに、クロは質問を付け足す。
「たしか、えーっと……どこで拾ったんだっけな、覚えてる、クロ?」
その質問に対してルリは質問で返した。その言葉を聞いて、クロは目を細める。
『……いや、ワタシは知らないから、シナツと一緒にいた時じゃない?』
「シナツと一緒にいた時……?」
『ついさっきまでだよ』
「ああ、そうだったそうだった」
『思い出した?』
「ばっちり」
その言葉を聞くと今度は、満足そうに尻尾を振る。
『で、どこで拾ったの?』
「この家」
クロが改めて同じ質問をすると、至極簡潔な答えが返ってきた。
『この家?』
「そうそう、食糧はなかったけど、調味料は残ってたからさ、これで少しはシナツに美味しいものがあげられるね」
『おぉ、それはなんと……』
猫の身体をしているとはいえ、機械の身であるクロは味のためにご飯を食べるというより、ただの燃料補給という意味合いが強い。味を感じ取れないわけではないが、ヒトほど敏感には感知しない。ルリはそれよりもヒトに近く、味もしっかり感じ取れるが、元々味に頓着する性格ではない。そのため、クロの放った言葉は、単純に味が豊かになることに対する感動ではなく、味を気にし始めてかつそれをシナツのためという理由付けを行ったルリに対する感動であった。
「そろそろ出来上がりでいいかな」
匙で味見をして、ルリが呟く。
「出来上がった!?」
「食べよう食べようっ!」
そこまで大きな声は出していなかったはずだが、すぐ近くから二人の少女の声が響く。見ると、いつの間にかサクラとシナツが傍で鍋を覗き込んでいた。食器もいつの間にか手にしている。
『よし、じゃ、食べよう』
ルリ以外には聞こえていないが、クロの言葉とともに煮込んだ兎肉を食器にいれ、全員で一緒に食事を始めた。
夜中。
シナツとサクラはもう眠りについたが、今日は珍しく随分夜が更けた後に床に就いた。
『きっと、よっぽど車が珍しかったんだろうね』
家の中に残っていた布団で寝ている少女たちを見に行ったクロがつぶやいた。
「これはもう使えないから、明日からはまた徒歩だけどね」
少し遠くに置いてきぼりにした車をみて、ルリはそう言った。
『快適な半自動の旅もすぐに終わりかぁ』
「クロは私やシナツに抱かれること多いから、疲労も少ないんじゃない?」
『そういう問題じゃないんだよ』
残念そうに首を振る猫と話しながら、ルリは空を見上げる。
人の気配のない廃れた街は、明かりが何一つなく、唯一先ほどまでこの場を照らしていたコンロとランタンも今はもう消して、ほぼ真っ暗な街並みを見せている。今夜は月明りもなく、暗い夜空を点々と光る星々が彩っている。
『お、ルリ。星の数でも数えるつもりかい?』
そんなルリをからかうようにクロは声をかける。
「いや、そんなじゃないけどね」
『じゃあ、ワタシが代わりに星座を数えてみようか』
「まあ、そっか、暇だし、私もやってみるか」
ルリは地面に寝転がって空を見始めた。
「うーん、なんだっけなぁ、あの、三つの星をつないでなんとかの大三角とかあったよね」
『あるね』
「なんだっけ?」
『この季節だったら、夏の大三角じゃない?』
「ほうほう」
『冬の大三角ってのもあるし、三角じゃなくて秋の四辺形とかもあるけど』
「ふーん、そんなのあるんだー」
『興味なさそうだね……』
ルリはぼうっとしながら空を眺める。
雪の降る前、機械たちによる人類の殲滅前であればこの街も街灯が空を照らし、この夜空も明るい星以外はあまり見えなかっただろう。
「ま、毎日見ることができるし、今日はもう寝るか」
幾分かそれを堪能した後で、ルリは身体を起し、そう提案した。
『そうだね、明日は徒歩だ、さっさと体を休めよう』
「なんか、クロ、随分徒歩を強調するね……」
そんな会話を交わしながらも、人型機械と愛玩機械は廃屋の中に入り、少女たちの横で眠りについた。
* * *
『……リ、ルリ!起きろー!』
翌朝、ルリは騒がしい電子音で目が覚めた。
「……なに?」
眠気眼のままでルリは反応する。
『ルリ、今日は随分寝坊するね』
ルリが微かに目を開けてみると、日はすっかり昇りきり、それだけでも遅い時間帯であることが窺える。内臓だれた時計で確認すると、本来目覚める時間帯より一時間ほど遅い時間だった。
「うーん……私もうダメかもしれないね……」
『起きて早々そんな縁起でもないことは聞きたくないね……』
ルリのつぶやきにクロは律儀に反応するが、慌てたように首を振った。
『ってそうじゃなくてね、大変なんだよ!というかこれから大変なことになりそうなんだよ!ちょっと二階に上って都市のほうを見てみてよ』
「えぇー」
ふらふらとおぼつかない足取りながらも、いまだ寝転がっているシナツとサクラは踏まないように気を付け、クロの後についてルリは二階に上がっていく。黒猫はしきりに急かすが、ルリはのんびりと歩いた。
『ほら、ベランダベランダ』
「んー、なんかあるの?」
呑気に呟きながら、眩しい家の外を覗いてみる。
「特になんもないけど」
『いや、遮蔽物とかあるからでしょ、ちゃんとスキャンした?』
「そうだったそうだった」
そうして、視認波長を変えながら都市のほうを見た。
『見えた?』
「いや、まだとくになんにも。というかそんなに急かすなら口で説明すればいいのに」
『いや、曖昧な情報だからちゃんと共有したほうがいいと思ってさ』
「口で説明しつつ見せたらいいじゃん」
『まあまあ』
そんな会話を挟みながら新都のほうから今いる街のほうまで見ていくと、一つの大きな影が見えた。
「ん、蜘蛛だ」
『そうそう、テトラスピッドね。あれがいるんだよ』
「でも、それがどうしたの?」
ヒトを対象として殺戮を繰り返す四脚の蜘蛛、Tetora-Spid。今はヒトがいないとはいえ、街にいるのは別におかしなことではない。
『いや、ルリに確認してもらいたかったのは、あれの足跡だよ。ワタシが見えたのは肉眼で確認できる場所だけだからね』
それを聞いて、ルリはおとなしくその足跡を辿った。機械はヒトよりも強い熱源を体内に保有している可能性が高い。生物ほどのエネルギー効率に迫ってはいるが、それでも生物よりも大きなエネルギーを焚く必要がある。大きな機体であればなおさらだ。その熱の痕跡を辿れば、その機体の足跡を辿ることが可能である。万全の状態であれば そのような痕跡は漏れ出ないようになっているが、雪が降り、多くの機械の腐食が進んでいる今の時代であれば、そのほとんどがその機能が減退している。ルリのような上位機であればべつだが、蜘蛛のような量産機であればなおさらである。
「うーん……ん?」
その痕跡を辿ってみて、ルリは違和感を覚える。
『どう、なんか思うことある?』
「もしかして、私たちの跡辿ってる?」
『あ、やっぱり?先入観がないように何も言わなかったんだけど、ルリもそう思うならやっぱりそうなのかな』
ルリが見たその痕跡は、ルリたちが通った道を忠実にたどっていた。たまに寄り道をした跡も忠実に通っている。
「これは……まあ、間違いないと思うよ」
偶然でここまで忠実に辿ったとしたらものすごい確率である。流石にこの広い街にいた蜘蛛が偶然辿るように動くとは考えにくい。
『やっぱり、シナツとサクラがいるからかな?』
「普通に考えてそうじゃない?」
そう言って、ベランダから一階の地面に直接飛び降りると、ルリとクロは考え込み始める。
昨日は車という移動手段があったため、かなり速く移動することができたが、今日からはまた徒歩に後戻りである。シナツとサクラも抱えた状態で逃げ切れることができるとは思えない。
『そもそも、なんでルリがいるのについてきてるんだろ?』
クロがそう呟いたが、全くその通りである。
上位機であるルリのそばにいる人間を襲うとは考えにくい。それは上位機への誤射を防ぐためということもあるが、上位機の方が性能は高いため、下位機である蜘蛛などには伝えられていない情報をその目標が保有している可能性も高いからだ。上位機の意図を無視して下位機が殺してしまったら目も当てられない。なので、上位機の傍のターゲットは対象から除外されるのだ。
「まあでも、私の認識ができていないだけかもしれないよ。もしくはその認識機能すら損失したか」
跡を辿っているだけということは直接視認したわけではないだろう。もしくは認識自体ができていないのかもしれない。その可能性は十分考えられる。ルリはひとまずそう結論付けると、解決策に対して集中する。
『破壊は、多分難しいよね』
「まあ、そうだね。たぶん。一番は逃げるのがいいけど、それも難しそうだよなぁ」
『現に、ワタシたちの跡を辿ってきてるからね』
「そうなると、足止めして逃げるのも根本的な解決にはなっていないんだよなぁ」
『昔は心強かったけど、いまはそれが憎いね』
「クロは直接知らないでしょ。私も知らないけど」
『ふーむ……』
そこまで相談した辺りで、二人とも黙りこんでしまった。
シナツとサクラはまだ目覚めない。昨日夜更かしした分、起床時刻も遅くなっているのだろう。
「とりあえず朝飯の準備でもしながら考えるかー」
そういいながら、コンロを取り出し、鍋に水も入れて調理を始める。食料は少なくなってきたものの、水は街以外でも川や池など色々なところで手に入れているため、それなりに余分にある。
頭では迫っている危機について考えつつも、手際よくスープを作っていく。昨日の残りの食材も利用する。
「問題は山積みだなー」
独り言ちながら進めていくが、ふとあることに気付き、道路のほうを散策しているクロのほうを見た。
「あ、そういえばクロ。普通に考えてある程度近くまで来たら、別に痕跡辿ることなくここに気付くんじゃ……」
『……うん、だから、予想よりも、というか予想通りに早めに、来たよ』
「えぇ、気付いてたならしっかりフォローしてほしいんだけど」
その言葉と同時に、向かいの家を飛び越えた巨体がクロのすぐそばに落ちてきた。
「クロッ!」
黒猫のすぐそばに落ちてきた蜘蛛を認識するや否や、ルリが叫ぶ。危うくクロは潰されそうだったが、脚の合間を抜けてぴょんと飛び出てルリの傍まで駆けてきた。
『危ない、危ない、事故で壊されるなんて無残なことはごめんだよ』
「よかった、大丈夫そうだね」
クロの軽口をきいて、ルリはほっとしたように息をつく。同時に両腕の金属腕を展開した。
「とりあえず、クロはシナツたちを起こしてさっさと逃げて」
『わかった』
その短いやり取りで役割の分担が完了する。黒猫はすぐさま屋内に入り、まだ寝ている少女たちを起こしに行く。対して人型の軍用機は巨大な四つ脚の蜘蛛に向かう。
「よし、どうにかするか」
ひとまず覚悟を決めて蜘蛛に向かったものの、以前に集落やその街の中で戦った時と同じく、ルリにこの蜘蛛を打ち倒す決定打はない。それどころか、今回に限っては、撃鉄を利用したパンチも基本的には使用不可だ。コハクがいたあの集落で放った時、腕や肩の関節部が損傷した。十数日経った今でもそれは修復中である。機械の自己修復機能はあまり高いものではない。あくまでオプションのようなものだ。部品があればすぐさま交換して直せるが、そんなに都合のいいものは転がっていない。
しかし、時間稼ぎをする必要があるため、まずは蜘蛛の様子をじっくりと観察してみた。
「ふむ」
蜘蛛の身体は、多層の街の蜘蛛ほどぴんぴんしておらず、所々が腐食し、崩れかけている。脚部も内部ケーブルや中の金属骨格が露出している。さらに胴体部も表面装甲は削れているようで、厚さが薄くなっているように見える。
「あれを狙えば可能性があるかも」
一縷の望みをかけて、その脆くなった箇所を狙うことにする。気づけば、蜘蛛の方もじっとしていた。
「なんか、こっちのこと観察してるみたいだなー」
そんな違和感を覚えはしたが、今は関係ないと無視して、ルリは地を蹴った。
ルリが前へ駆けた瞬間、すぐそばに熱いナニカが横切ったのが感じられた。おそらく熱線が掠めたのだろう。ルリ本人が確認することはできないが、さきほどまでいた場所とその周辺の地面が融けて煙を上げていた。
ガシャ、ガシャ、ガシャ。
蜘蛛の脚が軋む音とともに体勢を変える。そして、少し身体を傾け、その上部をルリの方に向けると、点火音が聞こえた。
「面倒だなぁ……!」
ルリは呟き、目を見開いて集中する。その瞬間、蜘蛛の背中や脚から、連射音が聞こえてきた。
「……ッッ!」
流石のルリもその弾幕を躱しきることは難しい。けれども、しっかりとここで躱さなければ壊されるのは必然であろう。電圧をぎりぎりまで上げ、脳に相当する回路により強く電流を流す。さらに駆動機に流れる電圧も高めることでトータルの電力量を増やし、反応速度を速める。それと同時に電気抵抗で身体中が熱くなるが、そんなものに構っている暇はない。
感覚器への刺激の閾値を低め、それらを回路が無理やり処理し、ルリには光景がスローモーションに視える。それでも飛んでくる弾は十分に速く、回避は容易ではない。
そんな中で、人型機械は足を動かし、地を蹴り、瑠璃色の残像を残しながら駆けていく。
「あー、難しいね、やっぱり……!」
動体視力を無理して底上げしたにものの、全てを回避するには至らず、いくつかはルリの身体を傷つける。
弾幕が収まった時、既に満身創痍の機械がそこにいた。
「ふぅ、たぶん、半年前だったらもっと躱せたんだろうなー」
口調だけは呑気に呟く。
『自己診断──右上腕関節部に7.6mm弾痕、掠ったのみで損害は軽度、腹部5.5mm貫通、行動自体に支障なし』
満身創痍とは言ったものの、行動に今すぐ支障をきたすような傷はついていない。とはいえ、行動に支障がないことと、生きるという活動に影響がないことは、特に機械においてはイコールではない。駆動機とそれらの制御回路に直接破損がないからといって、停止しないとは限らない。今すぐは大丈夫でも、他の外部衝撃により破損を受ける可能性も高い。
「ま、でも大丈夫大丈夫」
しかし、今に影響がないのであれば、問題ないと言い切った。
どうやら、今の弾幕で弾を使い切ったようである。用済みになった銃器を蜘蛛はごとりと下に落とした。そして、身体を振り、重い荷物を下ろして体が軽くなったとでもいうように少し跳ねる。まるで意識があるような行動に、ルリは眉をひそめた。
「うーん、やっぱり、なんか変だな」
とはいえ、今それを考えている暇はない。もう一度構えて、蜘蛛に向かう。ちらりと後ろを見ると、先ほどの銃火により泊まっていた家屋は損壊していたが、それについては、クロたちはもう逃げたと願うしかない。
余計な思考は振り払って、ルリは前へ進む。今度は蜘蛛も前へ進み、二つの機械が衝突する。
重たい四脚の一本に拳をぶつける。それだけでルリの身体のいたるところから軋む音が聞こえた。
「なかなか、重たいなぁ」
のんびりとした口調とは反対に、激しい攻防が繰り広げられる。決して目に止まらないような速さではない。けれども、彼らの攻撃の一つ一つは確実にお互いを破壊するに足る攻撃だった。
『ルリッ!逃げよう!』
そこに、聞き慣れた電子音が耳に届いた。そこを見る余裕はないが、その声だけで相棒の愛玩機械であることが分かる。どうやら無事にシナツたちとともに、逃走に成功したようだ。
「わかった!」
ルリはそうは言うものの、蜘蛛は簡単に逃がしてくれそうにない。本来のターゲットはシナツかサクラ、あるいはその両方のはずなのに、ルリを決して逃がそうとはしない。
『なんか、違う……?』
クロもその違和感に気付く。けれども、それが何なのかまではわからない。
そのとき、
──バンッ!
ルリと蜘蛛の直接の攻防は終わりを告げた。
『ルリ!』
クロが叫び声を上げる。
蜘蛛の四脚の内、一本の外装甲から小さな銃口が覗いていた。それは本当に小さな、本来の蜘蛛の用途ではまず使い物にならないような小さな銃。けれども、ヒトを殺すには十分に足る兵装だ。
それが、ルリの腕を撃っていた。本来であれば、その程度の攻撃でルリの金属腕はびくともしない。弾くのみで終わるだろう。しかし、ルリの腕は関節部が脆くなっており、さらに右腕は先程の銃火により、損害を受けている。
ドサ、と重たい音がして、ルリの腕が落ちていた。同時に防ぎきれなかった蜘蛛の脚を、なんとか受け身を取りつつもほぼまともに受けた。
「あー、ダメだこれは」
地面に仰向けに転がり、ルリは呟く。終わりを覚悟して、厚い雲で覆われ、暗くなった空を見上げた。
そのとき、
『────』
誰かの声が、いや、声ではない、けれども意味を持ったナニカが聞こえた。
『今のは……!?』
クロもそれが聞こえたのか、驚愕の声を上げる。ルリもそれを聞き、驚きで目を見開く。
『ねえ、なんでなんでなんでなんで?』
ひたすらに疑問を発するその“声”。
その声を発したのは他でもない、目の前にいる四脚の蜘蛛だった。
『自我がある……!?』
クロの言葉を、蜘蛛は聞き取ったようにそちらを向いた。そして、
『ねえ、命令があるのにどうして殺さないの?僕たちは人間を殺さないと』
そのような意味を持つ“声”をルリたちに向かって放った。
下位機の量産型として造られた蜘蛛──Tetora-spidは、本来自我を持たない。決して思考しないわけではないが、それは与えられた命令をいかに効率よくこなすかという事であり、意思を持って行動するわけではない。相互に行う通信も単なる情報伝達に過ぎない。与えられたプログラムに従い動くだけの人形なのだ。だからこそ、意思を介在する意味を持ったその“声”は特別な意味があった。
蜘蛛が声を発したことにより、しばしの時間ができ、その隙にルリは自らの腕を拾って立ち上がる。その目はすでに、虚ろだった。
「命令?そんなの私は知らない」
『……』
ルリはそう答えたが、クロは無言だった。
「そんなことより、お前はなんでここに来たの?」
ルリの言葉に何か言い返そうとした蜘蛛の言葉を遮り、ルリは尋ねた。
『あと、なんで自我を持っているんだい?』
クロも付け足す。
『だって、人間がいたから、殺さないと』
蜘蛛はただそれだけを言う。クロの言葉には何も反応しない。
「じゃあ、なんで私を攻撃したの?」
『だって、邪魔するんだもん!怒ってもしょうがないよ!』
蜘蛛の発する“声”はつたなく、子供のようにちぐはぐなこともある。
「怒る?そもそもなんでお前は、私に向かって怒ることができたの?」
『だって邪魔するから……ごめんなさい』
「そういう意味じゃなくて」
ルリが尋ねたのは怒る理由ではなく、そもそも怒るという感情をなぜ獲得できたのかという事だったのだが、蜘蛛には通じなかった。
その後、他にもいくつか質問をしてみたものの「なんで」、「邪魔だったから」、「ごめんなさい」の繰り返しとなり、いくら話しても埒が明かない。けれども、その蜘蛛が幼くも確かな自我を持っているという事は確かだった。そんな蜘蛛を見て、ルリはある決定を下した。ただ、その前に一つ、質問をする。
「ねえ、お前は、これからどうするの?」
ただそれだけを尋ねると、蜘蛛は身体を揺らして答えた。
『みんなみんな、人間を殺していくの!どこまでも、どこにいても、どんな人間も!だってそれが僕たちの存在する理由で、意義で、やらなきゃならないことでしょ?だったら、やらないと!まずは逃げたさっきの二人の人間から』
「そう、そうだね、じゃあ、いいや」
“声”の途中でルリは頷く。
今までの行動で、この蜘蛛は逸脱した存在であるものの、上位機を判別自体はしていた。だから、ルリの質問だけにはしっかり答える。だから、ルリを襲ったことに対しては謝罪をした。その自我が機械たちのルールを上回らなければ、この蜘蛛はルリの言う事に従うのだ。
『なになに?何するの?』
ルリがふらふらと近づくと、蜘蛛は不思議そうな声を上げる。
「うーん、修理?」
『そっか!よろしくお願いします!』
そんな彼女らを、クロは少し遠目で複雑そうな表情で眺めていた。長く寄り添ってきたその猫には、人型機械のやることが分かっていた。その記録を持っていた。
ルリは蜘蛛の胴部に行くと、装甲をいくつか外して内部を見る、片腕でそれは苦労したが、できないこともなかった。そこで目的の物を見つけると、
『ぁ……が……』
その部品を引き抜いた。
それは、脳に相当する制御回路。それを失えば身体の制御を失い、統一的な意味のある行動ができなくなる。
短い悲鳴めいた“声”を発し、蜘蛛は活動を停止する。
「ふー、一時はダメかと思ったけど、なんとか生き残ったね」
一仕事終えたかのように、全身がぼろぼろの人型機械はすっきりした表情を見せる。
そして、そのまま愛玩機械とともに去っていく。そのとき、クロはちらりと振り返って、自我を持っていたであろう蜘蛛の骸を見た。
『ごめんね、でも、君はきっとあの子を殺すから』
厚い雲がかかっていた空からは、久しぶりの夏の雪が舞い降りてきていた。
* * *
ソレは、命令を受けていた。
強く、強く刻み込まれた命令だ。
それに従って、ひたすらに殺戮を繰り返した。そのうち、見える範囲では目標がいなくなっていた。
それでも、刻み込まれた命令を遂行しようとした。
誰もいない中で、ひたすらに探し続けた。
人間を、人間を、人間を、人間を──。
ひたすら探し続けて、強迫観念じみた命令を刻み続けて、ソレは動き続けた。命令の遂行のために、壊れないように潜んで、装備している銃器の弾を節約した。
気づけば、ソレは命令を中心とした思考を続けていくうちに、その命令を己の存在意義と定義した。
ただの命令だったそれを、己の意志とし、感情とした。
それは、未熟な意志の誕生だった。
きっと、それは経験を経て成長しただろう。もしかしたら、そのうち命令に従うだけでなく、真に己の意志で動く事があったかもしれない。
尤も、それらは全て観測し得ないifの話である。




