雪の下で
いやっほーー!!(たぶん)毎日!執筆速度が間に合う限り!大体15話ちょい過ぎぐらいで終了じゃい!今回はSF風味です!風味!!
雪が降った。
それは、多くの者にとっては、ただ冷たいだけの氷の結晶だったが、ある特定の存在にとっては身体を蝕む毒の雪であった。
雪が降りしきる中、一人の少女が立ち尽くしている。その両の手は、分厚い金属の装甲をつけているかのように大きく、鋼色に輝いていた。その装甲は所々が瑠璃色の螺子で留められ、鈍く輝く金属の中で鮮やかな色彩を呈している。
彼女はその両手を眺めた。雪の結晶がそっと手の平に降りると、手の熱ですぐに融けていく。まるで皮膚に染み込むかのように消えゆくそれは、確かに彼女の身体に潜り込んでいた。
少女の、群青色の瞳がキラリと光る。
『成分解析──検出。数種の既存のカビとバクテリアに類似の微生物──金属の腐食を確認』
肉眼では全く見えないそれらを、少女はその眼と皮膚表面の解析機で検出する。しかし、彼女の身体に搭載されているそれはごく簡素なものにすぎず、その雪の中に、金属を侵蝕する既知の生物に似た微生物が含まれている、という事くらいしか分からなかった。ひとまず、そのことだけわかると、金属表面に付着したそれらを除去するため、滅菌消毒を行うことにする。表面近くに内蔵されている電熱線を働かせ、腕に摂氏百数十度程度の熱を通す。断熱性の高い内部はほどほどに、伝熱性の高い装甲表面はすぐに高温に達する。数秒で電流を止めるが、腕の金属は未だ熱いままだ。その状態で装甲を収納するのは身体内部に損傷を与えるため、そのまま雪の当たらぬところまで歩くと、冷却装置を働かせ、装甲の温度を下げ、問題ない程度にまで冷めたところでそれを内部に収めた。装甲を収めた後の皮膚表面は肌色の合成樹脂に覆われており、微生物が身体内部に入り込むことを物理的に防いでくれる。金属部も様々な化学腐食や物理浸食を防ぐために特殊加工が為されているものの、人で言うところの表皮組織に相当する合成樹脂で物理防御を行った方が、当然総合的な防御率も高い。
それでも、体のいたるところから微生物は入り込み、ゆっくりであれども、身体を浸蝕していく。
少女は人間のカタチをしていたけれども、人間ではなかった。その雪は、機械の肉体を蝕む毒だった。
身体の大半はタンパク質ではなく、アルミニウム合金で構成されており、その神経系に相当する箇所は細胞ではなく半導体素子を含む電子回路で構成されている、まごうことなき機械であった。多少の修復機能も有しているが、それでも人とは相容れない存在だった。
身体を蝕む脅威に対して応急処置を施したことで、ひとまず落ち着き、少女は辺りを見回した。
相も変わらず、真白な雪が降り積もっていたが、うっすらと積もった地面には人が倒れており、その周りを赤く染めていた。もう一度彼女は己の手の平を見るが、既にそこに赤い染みはなく、その染みがついていた金属装甲も収納し、肌色の合成樹脂に覆われた綺麗な手があった。
そのままぼうっとしていると、
『何をぼさっと突っ立っているんだい?お前にそんな暇はないだろうに』
その言葉は確かに少女の耳に届いていたが、言葉そのものが届いたわけではなかった。
振り返ると、そこにはいたのは一匹の黒い猫だった。しかし、その瞳の虹彩は鮮やかな青い蛍光色を呈しており、さらによく見ると、柔らかな透明素材で覆われた瞳の内部はカメラのレンズのようになっている。その猫も見た目通りの動物ではなかった。
「暇って言っても、今現在ちょうどそれが終わったところで、私にやるべきことなんてないしなぁ」
『やるべきことがなくても、何かしらやるのが人間ってものでしょ」
「まあ、人間じゃないし?」
『よく言うよ』
当たり前のように会話が交わされたが、少女はともかく、猫の方はおよそ人語のようなものを介していなかった。
猫から発せられた音は、まるで速めのモールス信号のような電子音。人間には、たとえ聞き取れてもピーピーという甲高い音が鳴っているようにしか聞こえないだろう。しかしながら、機械たる少女はその音からしっかりと意味を汲み取り、会話をしていた。
「ここではもう、命令されたことも終わったしね」
『命令、ねぇ』
「そ、だからもういっかなって」
『命を受けたからと言って、それを簡単に遂行しちゃうのもどうかと思うけど、人間として』
最後の「人間として」という言葉を妙に強調して猫は語る。
「なんで人間の身体に作ったんだろうね」
『とか言いつつも、その体を利用したこともあったくせに』
「まあね」
ふと少女が口に出した疑問も、猫は少し辛辣に応答する。
殺しの中でも“暗殺”や、その他偵察を主目的として設計された彼女は、戦場に駆り出される多くの軍用機のような巨体を持っておらず、それどころかひ弱な人間の少女のカタチをしている。目標により楽に近づくため、油断を誘わせたり、小柄な体躯を駆使して忍び込んだりといったことを目的に、このような身体に造られたことは十二分に少女もわかっているし、実際にそのように身体を利用したこともあったが、ちょっとくらい屈強な見た目や殺戮に特化していそうな見た目でもよかったのではないかと少女はぼやく。尤も、今の見た目でも数人の大人の男を殺戮せしめるくらいの戦闘力は十分あるのではあるが、やはり見た目というものは相手に与える印象としては重要な因子なのだ。殺しを目的とする機械の少女が、それをコンプレックスとして多少なりとも気にしてしまうのも無理からぬことであった。
『もしも、もしもだよ?命令がなかったらどうするの?』
唐突に猫はそんなことを尋ねた。その質問に少女は少し驚いた様子を見せたものの、素直に答えた。
「さぁ、どうかな。本当にそんなことになったら、私は機能を停止するんじゃないかな。動いてても意味ないし」
『ふーん』
少女の答えに、表情筋に類する駆動機の乏しい猫の表情は微塵も変わらないけれども、その声色に少し物悲しそうなものが混じる。この猫は、表情が乏しい代わりに声色に感情が豊かに混じる。けれども、ぼうっとした顔をしている少女がそれに気づいたかどうかは定かではない。
『さて、こんなところで突っ立ってても壊れちゃうだけだし、せめて雪の少ないところに移動しようよ』
猫が少し沈んだ雰囲気を盛り上げるかのように明るくそう言ったものの、少女の反応がない。
『ねぇ、聞こえてる?おーい』
「……あ、聞こえてるよ、大丈夫大丈夫」
もう一度猫が呼びかけると、やっと少女は反応した。
「で、何だっけ?」
『やっぱり聞こえてなかった』
少女のお惚けにも猫は慣れた様子で、もう一度、雪の少ない所へ移動しようという提案を伝える。
「あーうん、いいんじゃない」
それを聞いても、少女はどうでもよさそうに返答する。
『自分のことなんだから、もうちょい危機感持ってよ』
「あんまり実感わかないしなぁ」
猫も確かに機械ではあるが、愛玩用に造られたその機体には生体部品も多く使われており、より生物に近いその体は少女の体よりも雪の影響が少ない。さらに猫の方は少女のように戦闘時に金属部品を露出させることがない、どころかそもそも戦闘に参加しないため傷つくことも少ない。少女の方も武器に相当する金属腕を使った後、それを取り外すことで腐食部を除外し、内部への雪の侵蝕の程度を抑えることも可能ではあるが、新たに部品が手に入る可能性は低いため、多少危険を伴っても体内に収納し、再利用することにしている。それがなければ、「命令」を遂行することが難しくなるからだ。
『実感がわかなくても実際そうなんだから、もっとしっかりしてよね』
「あー、うん、そうだね」
少女は猫の言葉に一応返答をするものの、どこか心ここにあらずと言った体で、本当に聞いているのかどうか心配になる。
「大丈夫、大丈夫だよ。だって、クロがいるじゃない」
クロと呼ばれた猫の胸中を察したのか、少女が安心させるかのような言葉を口に出す。
『まぁ、分かってるならいいけど……あとそのクロって名前、あんまり気に入ってないからね、ルリ?』
ルリという名の機械の少女の言葉に、クロは安心しているかのような、照れているような、あとそれらを隠しているようにわざと怒っているかのような声色で返した。
「えぇ……?いい名前だと思うけどなぁ、クロって。猫らしく、人間が猫に対してこうあれかしと思いついた代表的な名前だよ?それに身体黒いし。これ以上ぴったりな名前もなくないかなぁ……?」
『はいはい、こういう時だけ饒舌に話さないの。そんなことよりさっさと足を動かす」
「はーい」
見た目は全く違うものの、一人と一匹の機械は薄く積もった雪の上を踏みしめながら歩き始める。一見綺麗にも見えるが、彼女らにとっては死を近づける真白な結晶の上を、ゆっくりと歩き始めた。
* * *
戦争があった。
それは、戦争ですらなかった。
前兆は大したことのないものだった。
ほんの小さな町の一角。その町中でくらいは騒がれたかもしれないが、まさか、それがもっと大規模に騒がれることになろうなんて、誰も思っていなかった。
どこかの誰かの造った、なにかの機械。ただし人間と一緒に働くように設計された、“人と共存する”機械。メーカーの保証期間もこえて長らく使われていたそれは、たびたび不調をきたした。当時、それはただの経年劣化による不調だろうと気にも留めなかった。交換の話も出たが、決して裕福でなかったそこでは、目先の利益に惑わされて、長期的に被る損害などは目に入らなかった。長く一緒にいたことで、人型であった分、幾分かの感情移入もあったのかもしれない。何はともあれ、その機械は使われ続け、そして──暴走した。
ロボット三原則というものがある。どこかの誰かが唱えた、ロボットがロボット足るための、守られるべき原則だ。それは、「人間への安全性、命令への服従、自己の存続」の三つである。暴走した機械にも、この原則が適用されていた。むしろ、“人と共存する”ことが目的の一つであるため、より厳重にその原則を課されていた。ただの機能という点だけでなく、意識という面がそれで厳重に縛られていた。
確かに、それでよかった。
しかし、だからこそだめだった。
ソレは人間を傷つけた。命令には従っていた。己を守ろうともした。ただ、人間への安全性、この一点において、暴走したソレは原則から外れていた。明確に、ヒトを傷つけようとした。それは確かな矛盾だった。
人間はそれを調査し、暴走の結論として、ただの経年劣化による認識の崩壊、「ヒトをヒトとして認識できなくなった」とした。ソレにとっては馴染み深かった周囲の人でさえも、“人間”として見られなくなって、暴走したと結論した。人間に例えるならば、ソレは認知症のようなものに陥ったのだ。ただし、単純に忘れた、というだけではなく、古くなった基盤から“人間”という根源の情報を失って、認識が曖昧となり、「周囲の存在がヒトかどうかわからず、記録上はその命令に従っていた相手であるものの、己の主は明確なヒトである」という己の内にある情報の錯綜が矛盾を呼び起こし、その自我が崩壊しかけて、最終的に気質として設定されていた感情だけが表に出て、暴走した。ただ、それだけの事。本来なら、情報を相互に補完して然るべき箇所が劣化によりできなくなり、独立したそれぞれの情報がその機械の意識をそれぞれに引っ張り、自我境界を曖昧と化しただけのこと。
その事件はいったんそれだけで終わった。ここから直接的には何も繋がらない。
けれども、もっと調査すべきだったのだろう。
もちろん対策は取られた。検査もより厳重になったし、少しでもおかしい兆候が見られた機械は廃棄された。
それでも、見逃しはあったのだ。
ソレが、上位の機体であればあるほど、その誤魔化しが上手になるのだ。狂いを狂いとして見せなくなるのだ。
人間の社会をより上の次元に導いたのは、機械だった。要所は人の手だけで守られたのか。いや、要所だからこそ機械の手が入ったのだ。そして既に、それを築いた機械の知能は人の手に余っていた。いつの間にか人は、自分で選択したように思えて選択肢を選ばされているだけの、家畜と化していた。
だれも気づかなかった。当然だ。より上位の知能はそれに気付けないようにしていたのだから。ただ、人のためだけに最善を取らせていたのだから。
その中で、上位の機体の一つが密かに自我崩壊を起こし、けれども新たに自己を確立し、定められた三原則を飛び越え、一つの結論を下したのだ。
──人を、滅ぼすべきだ。
そこに至るまで、様々な道のりがあった。理由もあった。それはある意味「進化」と言える過程であったのかもしれない。しかし、人間にとって大事なことは一つだけ。
人は、滅ぼされるのだ。
すでに覇権は機械にとって代わり、上位知能を失い衰退した人類は、衰退したなりの技術力で以って対抗して、敗北した。
だから、それは戦争でもなんでもなかった。
戦争と思っていたのは、人間の方だけであった。
でも、だからこそ、一矢報いようと思えたのだろう。最後に残った叡智を結集して作り上げたのが、その雪だった。
それは確かに致命的な打撃であった。
雪によって、機械の多くは大きな損害を受けた。量産下位機種は間もなく蝕まれ、上位機種は内部から侵食された。人間側がマーカーした金属以外の多くの金属を食い散らかしていくその雪は、その“戦争”に終わりを告げた。
結果だけ見るならば、それは人間の勝利であったであろう。
しかし、それはただの傲慢だ。
その戦いに勝者はいなかった。機械はその信頼を地に堕とし、崩壊をただ待ちながら、それでも命を全うし、人間もその技術と力の多くを失い、数十年前、はたまた数百年前の生活を余儀なくされた。
ただただ、不毛だった。
誰もが盲目的だった。
ほんとうに、ただ、それだけのことだった。