殺意の結晶
美世の身体から出現した怪腕は影のように薄暗く、青い血管のようなラインが走っているのが特徴ではあるが、変質したそれは正に闇そのものだった。光が当たっても帰ってくることがなく、それが平面なものなのか立体的なものなのかも目視で確認することが出来ない。
しかも探知能力が使える者が二人もその場に居るにも関わらず、その腕がどのようなものなのか把握が出来ない点もその異形さを表していた。立体のようで平面でもあるそれは【探求】で観測しようとしても見る角度で体積が変わったようにも視えてしまう。
しかも変質した点はそこだけではない。腕を模倣したベルガー粒子でしかない筈の怪腕が美世から離れていき、その全容が露わになる。まるでそれは人のシルエットのように頭や胴体、それに足までも生え揃い、美世から完全に独立して彼女の横に自立した。
これだけの情報でも異様なものであることは間違いなく、能力を行使した美世本人ですら驚きのあまりその場に固まってしまう。勿論対面に居るファーストも美世と同じく目を見開き棒立ち状態だ。
だがこの事象を引き起こした美世の驚きはファーストの比ではない。何故なら自分の持つ膨大なベルガー粒子をこの能力だけに注ぎ込んでしまっているからだ。つまり今の美世にはベルガー粒子が存在しない。完全にこの能力にリソースを注いでしまっている。
だがこれは彼女がそうしたくてそうしているのではない。かつては怪腕だったものに全てのベルガー粒子を持っていかれたのだ。それ程までの能力なのだが、特にこれといって何かが起こることもなく、ただそこに人のシルエットが在るだけだった。
しかし最初にその能力の特性に気付いたのは能力を行使した美世ではなく、やはりというか美世以外にその場に居たファーストだった。
ファーストの視界にもそれは写っていた。真っ黒の人の形をした何かが自立しているように見えるが、本当に地面に立っているのかが分からない。何故なら光の加減で距離感を測るということが出来ないからだ。ただ人の形をした黒い何かが立っているように見えるだけ。
大きさはかなり小さく、今までの経験上この大きさならば10数秒は歩いて手を伸ばせば届くような距離感だ。遠近感がおかしな対象ではあるが、彼自身はそのように感じた。
黒すぎてテカリもなく凹凸感も無い。そんなものが自立しているように見えるから気味が悪くて仕方ない。しかもそれだけなのだ。立っているだけ。しかし何も意味もなくこのようなものを彼女が創り出したりはしないだろう。
(【探求】で詳しく探ってみるか…)
もう一度詳しく探ろうと探知能力を行使するとある異変が起きた。探知能力で視認が出来ない。
先程までは出来ていたのにだ。そしてその理由はすぐに分かる。探知能力を使わずともファーストはベルガー粒子を視認することが出来るのだが、怪腕はベルガー粒子の塊なので能力を使わずとも視認が出来る。
しかし黒い人のシルエットをしたそれはベルガー粒子で構成されていなかったのだ。そうなると最早怪腕ですらない。
(ベルガー粒子ではない…?じゃあなんなんだこれは…)
何のために放たれた能力なのか皆目検討もつかない。分かるのは伊藤美世が放った能力ということだけで、本人の反応を見る限り初めて行使したであろうと予想は出来る。しかしそれだけで特に何かをしてくるような能力では無さそうなのがかえって不気味で気色が悪い。
あの殺意の塊みたいな美世が放った能力が何もしてこない?不自然過ぎてそんな可能性を考慮する気も起きないぞ。
ファーストは黒い何かから美世へと視線を動かすと黒い何かが動いた。何もアクションを起こさず微動だにしていなかったそれはかなりスムーズな動きで横へスライドする。そしてその黒い何かは美世と重なった…ように見えた。見えただけで本当に重なっているのかは分からない。
重なっていれば美世が気持ち悪がって何かしらの動きを見せるはずなのだが何もしない。…もしかして美世も見えていないのか?探知能力でも写らないのに行使した本人ですら視認出来ないのかっ…!?
ファーストの予想は当たっていた。美世は突然視認出来なくなり、探知能力でも視認出来ない。そして美世はそこで気付く。探知能力以外の能力が使えないことに。
それはそのはず、ベルガー粒子が無いのだから能力が使えるわけがない。では何故探知能力だけ使えるのか。それは彼女がマッピングした空間に彼女のベルガー粒子が溶け込んでいるからだ。なので彼女自身のベルガー粒子がなくてもその場に存在するベルガー粒子から常に情報が送られてくる。
しかしそれだけだ。それしか出来ない。最も多くの能力が使えた筈の彼女が突然探知能力しか使えなくなったのは余りにも彼女自身も衝撃的で、一瞬で頭の中が真っ白になってしまう。
だが幸いなことに脳への負担はまるで無い。現在進行系で美世本人でも把握出来ていない未知の能力が行使し続けているのに脳への負担が無いのだ。そのことに気付くとこの能力は自立した能力であると気付ける。
自立した能力を知っているからこその気付きだが、まさか自分が死神と同じ系統の能力を行使出来たとは夢にも思わなかった。これはアインの時と同じパターンであるのは間違いない。死神もアインが創り出した自立した能力であり、アインが死んでも能力が行使し続けている時点で能力者への負担という概念は存在しない。
今回の場合は能力者は生きているが負担が無いのは変わらない。美世はそこまで思考が進むが、ファーストも同じ段階まで理解が進んでいた。寧ろファーストのほうが目の前で起きている事象を正確に理解し始める。
(まさか死神と同系統の能力を行使してくるとは予想外だったよ。)
今も俺の視界にはあの真っ黒な人のシルエットが写っている。瞬きをしても消えないし、目を閉じてもそこにある気して気持ち悪い。
俺しか視認出来ていない。しかもこの能力…常に俺の視界の中心点に存在している。
この能力がどのような事象を引き起こそうとしているのかは分からない。恐らくまだ先がある。しかし今のところは常に真ん中にあのシルエットが写っているだけだ。目線を動かすとシルエットも動く。頭を振ったり首を曲げても常に真ん中に存在している。
しかも地面を見ても真ん中なのだ。つまり距離感という概念が通用しない。手のひらを見ると俺の手のひらに黒い人のシルエットが見えるところからこの推測は間違っていない。間違っていないが…なんだこれは?これだけかまさか?
いや、そんな筈無いだろ。人の視界に人のシルエットを浮かべる能力?なんの意味があるっていうんだ?
害はそれだけで特に身体に不調も起きない。かなりウザったいものなので神経が逆立つぐらいだ。…本当にウザったいなこれ。
ファーストは怪腕を出現させて手のひらと黒い人のシルエットを重ねる。そして怪腕を操作して握り潰そうとするが、シルエットは握り拳の形をした怪腕の上に写ったままで何も干渉することが出来ない。そこでよくやくこの能力の性質に気付く。
(これはそもそもこの次元に存在しない…)
この世界にあるのなら【探求】で認識出来る。出来ないということはそもそもこの次元に存在しないからだ。こんな芸当が出来る能力は【多次元的存在干渉能力】しかない。つまり基本的な部分はこの能力で構成されている。【探求】の効果範囲から逃れられる能力は限られるからそれは間違いない。
そうなるとこの能力はこことは違う次元からこちらの次元に干渉してきている事になるが…対処方法が思い付かない。そもそも【多次元的存在干渉能力】の怪腕で干渉出来ない時点でおかしな話だ。何故干渉出来ない?どの次元でも干渉出来るのがこの能力の特徴だ。間違いなくこちらには干渉してきているのにこちらからは干渉出来ないなんて…。
この次元というかこの世界に存在しない能力なんて聞いたことも見たこともない。…もしかしたら他の時間にも同じ様な能力があったかもな。
昔の記憶を思い出そうとしても能力の詳細を思い出せるか分からないために確実性が低い。…使いたくはないが【ラプラス】で一巡目を覗くしかないか。あまり使わなければ視力が失われることはない。さっさく能力を使って試しに自分の視界を覗いてみることにした。
しかしその前に自分の記憶に存在するわけがないものがあることを知覚する。これは普通ならば知覚することすら出来なかったものだ。彼がコピー能力によって特異点の特性を獲得したから知覚することが出来た。
「…なんだこれはっ!?」
つい口に出してしまったが、これは…仕方がないだろう。つい先程の記憶には絶対に有りもしない光景が写し出されていた。まだ美世があの能力を使う前、まだ自分の視界に黒い人のシルエットが写し出される前の記憶なのに黒い人の形をしたシルエットが写し出されていたのだ。
記憶違いとか勘違いというものではない。試しに【ラプラス】を使ってその記憶の時間まで遡り自分の視界を覗いてみる。するとやはり記憶と同じ光景が見えた。…黒い人の形をしたシルエットが視界の中心に存在していたのだ。
しかしこれはおかしい。時間の前後関係が、因果律が逆転している。しかも今の記憶の通りの光景が【ラプラス】によって写し出されているが、そもそもこの記憶がおかしいのだ。こんなものは後から急に追加されたもので、その時の自分はそのことに関して何も反応をしていない。こんな視界の中心に目立つようにあるものを気が付かない訳が無いだろ?
そして試しに一巡目の世界へと能力を伸ばし、自分の視界を片っ端から確認してみると、全ての視界にではなく本当に少ない時間ではあるが、ある時間の自分の視界にはあの黒くて人の形をしたシルエットが存在していた。
なんとこの能力はこの二巡目の世界だけではなく一巡目の世界にまで及んでいたのだ。そこまで射程距離がある能力とは予想もしていなかった。…まさかとは思うが三巡目にまで及んでいないよな…?
しかし能力で視てみると三巡目にまで被害が及んでいたことを認識する。一巡目と同じく全てではないが、絶対に有り得ない時間帯の自分の視界にそれは存在しているのだ。一巡目の時間なんて美世が死んだあとの時間だぞ?なんでこんなものが写し出されているんだ?
「…おいおいおい、なんなんだこれ。なんで広がっているんだよっ!?」
自分の記憶の中に例のシルエットがぽつぽつと現れ始める。時間とかは最早関係無い。無差別に現れ始め、しかもそれはこの時間軸だけではなく一巡目や三巡目にも影響が現れる。
「…どうしたの?」
ファーストの焦った反応を見た美世は話しかけるが、今の彼はそれどころではなく、止まらない侵食に頭を悩ませる。実害というのは視界に気色の悪い人の形をした黒いシルエットが写し出されることのみだが、これだけでも相当邪魔で仕方がない。
言うなればずっと人のイラストが描かれたゴーグルや眼鏡をしているようなものだ。意味が分からなくて対応や対策が思い付かない。
ファーストが焦っている間にも更に変化が起きる。そしてやはりその変化に気付いたのは彼自身。視界に写るそれが徐々に大きくなっているように感じた。まるでこちらに近付いているみたいに…。距離感が測れない特性を持つ対象でも、少なくとも彼自身はそう感じたのだ。
その時にファーストの背筋は凍りつく。ここまでの情報でこの能力がどのようなものなのか気付いていしまったからだ。
これは元々は美世の創り出した怪腕が元になっている。つまりは【削除】だ。この時間だけではなく一巡目や三巡目にまで射程があり、そしてその怪腕が人の形となりこちらへ近付いてきている。まだ距離的に余裕があるし、近付いて来る速度も遅いので今すぐにでは無いだろう。だがあと数歩歩いて手を伸ばせば届きそうではある。
これはいずれ俺が存在する時間全てに現れるだろう。そしてその現れる時間と比例してこいつは近付いて来る。…もうここまで来れば馬鹿でも分かる。つまりはこの能力は対象となるものを全ての時間軸から削除する能力だ。
分かるか?全てだ。今存在する俺を殺すだけではなく過去や未来全ての俺という存在を消し去ろうとしている。…ははっ、これで何もせずに立っているだけに見えるだと?…ふざけんなよっ!!着実に俺を消しに掛かっていやがるっ!!
今までで一番恐ろしく殺意が高い能力だ!こんな能力を創り出したあの女はどうかしてる!!俺を殺すだけでは足りないってか?完全に消し去りたいのか?だがそんなことさせないっ!!俺という存在を消される前に美世を殺してこの能力を止めて見せるっ!!
こういう能力の描写を書いてる時がいっちゃん面白いんだから




