後悔先に立たず
あの人に初めて出会ったのはいつだったか。まだ私が組織に入って一年もしない時には私はあの人のことを視線で追っていた気がする。
初めは第二部に私は所属していて後方支援部隊の補欠として職員をしていました。まあ…言うなれば看護師のようなものです。
あの人は私とは違って前線に出て第一部の処理課に所属していて眩しい存在でした。ええ、それは目が上手く合わせられない程に私にとっては光そのものでしたよ。
あの人が私のもとに来始めたのは怪我の治療を頼まれた時で本当に良く怪我をして帰ってくる人でした。いつも怪我をしては痛そうにしているのに笑顔を浮かべて優しく私にお礼と謝罪の言葉を言うのです。
本当に愛しかった…。あの時間が私を癒やし、私があの人の怪我を癒やす。その関係性は半年も続き、両手では数えきれないほどの治療を行なった後にやっとあの人は私をデートに誘ってくれました。…半年も待たせるなんて能力者にしては察しが悪い人でしたね。
そこからは順調で、付き合い始めて一年程で入籍し結婚しました。すぐに子宝にも恵まれて幸せ一色の人生が続くんだと本気で思っていましたが…不幸とは突然やってくるものです。あの人が殺されたと聞かされたのは、まだ優太が一人で歩くことも出来ない時だった…。
そこからはあまり良くは覚えていない。辛い記憶の為に無意識に消し去ったのか、それとも取り憑かれて消されたのかはも分からない。もう何が真実で何が嘘なのかも私には判断が出来ない。
ただ分かることは…向こうから接触があって悪魔と契約をし、あの人を殺した奴らを殺したということ。そして…目を覚ますとあの人の横顔が見えるようになったことだけ。
広いベッドに一人分の体温しか無いけど私の目にはあの人の姿が映っている。あの人に触れようと思い彼の頬を触れると指先に触れたような感覚を覚える…だけど私の求める反応は帰ってこない。彼ならば少し恥ずかしそうにして私の指を握ってくれた。だけどこの人は嬉しそうに笑いかけてくる。…顔は同じでも彼ではない。私の愛した彼ではない…。
だけどあの人を失った悲しさを埋める為には仕事に専念するか、子育てで時間を忘れるか…あの人の影を目で追うしかなかった。
同僚たちを騙す罪悪感は確実に私の精神を蝕み、あの人の影を追うしか心の拠り所を見つけられなくなっている事に気付きましたが、それも今更で…もうどうしようもなくなっていたのです。
私の友人である反亜に何回か打ち明けようとも考えたけど、彼女に危険が及ぶかもしれないと思えば何も言い出せずにずっと嘘を付き続けるしかなかった…。
優太も寂しい思いをさせていたと思う。父親が殺されたなんて普通ではありませんし、私もそうなるかもしれない立場。子供には重すぎる事実です。
でも、それも今日で終わる。私を終わらせてくれる子が来てくれたから。この子になら任せられる。そうだ、私はここに来たのは死ぬ為。彼女に殺される為。
彼女は私を確実に殺してくれる強い能力者で、とてもとても人に優しく出来る不器用な女の子。…やっと終わることが出来るのね。
あの人の影を追う日々が…大切な人に嘘をつく日々とさよなら出来ます。
「…薬降るさん、薬降るさん!」
「あいの風…さん?」
あれ、私…確かあいの風さんと会って…それで、なんで彼女の腕の中で寝ていたのでしょうか。まるで悪い夢から醒めたような気持ちです。
「あなたに取り憑いていた影は私が消し去りました。もう大切な人を追うことは出来ません。」
あぁ…そうか、終わったのですね。左右に顔を向けてもあの人の影は映らない。もう…あの人とはお別れなのね。
「だから今居る人を大切にしてください。もう十分でしょう。死んでしまった人に取り憑かれるのは。」
「…駄目。それでは償えない。私はあなた達を裏切り不利益を及ぼしました。」
彼女の腕から脱して訴えかけようとした。でも彼女は私の肩を掴んで押さえつける。
「うるさい。」
「う、うるさい?」
強引な子だとは思っていましたがまさかうるさいと一言で一蹴されるとは…。
「私が勝ったの。あなたは負けたの。人権も無ければ尊厳も無い。言う事を聞けない子は天狼の説教コースです。悔い改めてくださいね。」
そう言ってあいの風は微笑む。まるで私の罪を全て許しているかのように。…なんでこの年でそんな表情を浮かべられるのですか。
「…それは勘弁ですね。起きますからその手を離してください。」
「嫌です。言ったでしょう?あなたに人権も尊厳もありません。あなたは私の言う通りにしてください。取り敢えず黙って。」
「えぇ…。」
なんて娘でしょうか。相当気が強く、そして面倒くさい。
「先ずはあなたに聞きたいことがありますのでそれを全て話してもらいます。」
「それは当然の権利ですね。全てを話すと誓います。」
「喋るな。」
「えぇ…。」
理不尽極まりないとはこのことです。どうやって伝えたらいいのですか。ここには書くものも無いのですよ。
「それから寝ている優太くんの隣で寝てください。そして目を覚ましたら、うんと抱き締めてあげてください。」
「……」
ここで返事をすればまた理不尽な目に合いますので無言です。彼女の相手をするのは疲れますね。…死神も天狼も天の川も蘇芳も苦労しているのでしょうか。あの4人は良く彼女と居ますから。
「返事は?」
「…分かりました。」
「喋るなって言ったよね?」
「えぇ…。」
もう何回目になるか分からないてんどんを繰り返し、あいの風さんが満足したところで私は彼女の求める情報の全てを話しました。…あぁ、最初からこうしていれば良かったです。反亜…またもう一度会えたら彼女にありがとうとごめんなさいを言わなければなりませんね。
「じゃあテレポートで本部に送りますので優太くんの下へダッシュで向かってください。もし炎天たちに呼び止められたら殺していいです。」
「…そろそろ仲良く出来ませんか?」
「あいつの顔ムカつくんですよね…。無性に殴りたくなる。」
私は困り顔の薬降るさんを本部まで瞬間移動させて送り届けた後、すぐに先生に連絡を取った。相手の目的を知ったからだ。
『先生、緊急事態です。』
『こちらも緊急事態だ アネモネたちを再現し続けるのが難しくなるほどにこちらの人員が減ってしまった』
『…ああ、気絶してしまってますね。』
【探求】にリソースを注いで先生たちの様子を伺うと気絶してダウンしている人がチラホラと視えた。時間軸が違う場所を視ようとするのは凄く大変だけど出来なくはない。出来なくはないけど向こうから情報を流してもらうほうが楽なのであまり視ないようにしよう…。
『それでミヨの言う緊急事態とは?』
『敵の目的が分かりました。』
『組織への攻撃だろう?』
『いえ、それは手段であって目的ではありません。もっと最悪なものです。』
薬降るさんの言った話が全て真実なら私達はかなり後手に回っていることになる。
『最悪…?』
『はい、組織への攻撃は手段です。奴らの目的は…』
『奴らの目的は…?』
薬降るさんの話してくれた内容はとてもじゃないけど信じられるものではなかった。でも状況証拠とか今まであった奴らの動きを見ると嘘ではないことが分かる。
『…世界征服です。』
『セカイセイフク…?』
『世界征服です。』
『セカイセイフク…そうか…そうか…』
そう何度も言わないでください。言っている私も恥ずかしいんです…。




