淡雪
クソたれめ…私としたことが油断して敵に隙を見せてしまったわ。まるで私の感情をコントロールされているみたいな不快感に襲われている。
咄嗟に影の中に入って敵のベルガー粒子を弾こうとしたけどまさか私のベルガー粒子と混ざるなんて…そのせいで私のベルガー粒子と同一化し影で弾くことが出来なかったわ。
恐らくはサラの憑依と原理は似ている。サラは相手のベルガー粒子を自分のベルガー粒子に変換させて相手を操るに対して、こいつは私のベルガー粒子と同化することで対象を操ろうとしてくる。結局はベルガー粒子で相手の脳に干渉する能力に過ぎない。
つまりは私みたいな能力者を操るには制約が働くってこと。無能力者ならすぐに操れても能力者である私はすぐには操られない。その証拠に今こうして私は私という自我を保っていられている。
だけど勝手に能力を使わられ挙げ句には感情すら暴走させられているのが現状。今わたしの中にある感情で一番大きいのは組織に対しての恨みだわ。
そのせいで私は組織の東京支部に向かって何かを破壊したいという感情に従って影の中を移動しているけど、別にこの感情だけがあるわけじゃない。他にも色々と感情はある。
寧ろここで破壊衝動なんて違和感しかない感情だわ。ここでこんな感情が大きくなることに不自然さを覚えている。
だからまだ支配されきっていない。だけどいつまで抑えられるかは分からない。…身体のほうは結構持っていかれてしまっている。恐らく組織の人間に出会ったら私の身体は私の意思とは無関係に相手を攻撃してしまうだろう。
(ミヨ…彼女ならば私を止めてくれる。だからわざわざ線路を経由してるんだから…!)
時間操作によって私は取り憑かれる前の時間まで戻してもらう。彼女の性格から考えると私を見捨てるなんてことはあり得ない…と思う。いや思いたい。てか助けてよ今すぐに!
だって、もう辿り着いちゃったもの…。ヤバい…本当にヤバい…。殺意がどんどん膨れ上がって無意識的に身体の力が入っていってる。
「よっしやああああああっ!!!!」
「クソ…神じゃなくてアホが降りてきた。」
声からして女ね。しかもあの高さから飛び降りてきたとか死ぬでしょ。
でも私の思いとは裏腹に彼女がコンクリートの地面に着地する瞬間…彼女は地面の上をアイスホッケーのパックのように滑って私の目の前まで来たわ。どうしよう…かなりおもしれー女ってことだけは分かったけど、なんでこのタイミングで来たのかが分からないわね。
多分だけど一度どこかで出会っている。確か…死神と初めてご対面した時にあの部屋に居たと思う。だから神が遣わした天使ってところね。
「ねえ…逃げてほしいんだけど。今の私は自分の意思と反した行動を取るからあなたを殺してしまうわ。」
「あなたが私と美世ちゃんの愛のキューピッド?ありがとう。私の友人枠で結婚式にご招待するわ。」
「クスリ決めてんの…?」
ヤベー女だったわ。私も大概だと自覚はあるけどコイツはかなりヤベーと感じる。ミヨと同じにおいがするのよね…。でもちょっとは優秀っぽい。かなりたどたどしいけどフランス語を話せるようになっていて良かったわ。あれから練習したのね。
「美世ちゃんキメたわ!」
「…やっぱり無能そう。まだ言葉選びは下手ね。」
というか早く逃げなさいよ…。こうして話している間に視界から消えて欲しかった。もう私は身体の主導権を9割は持っていかれて、すでに攻撃モーションに入ろうとしている。
「早く逃げなさい…私はあのビルに用があるみたいなの。あなた一人だけなら私の射程から逃れる可能性がある。」
「恩人を置いては逃げれないから駄目。」
「…じゃあ、出来るだけ死なないように時間を稼いでねっ…!」
私はその場で少し跳躍し身体を捻って回し蹴りを放った。出来るだけ抵抗して遅く放ったけど能力者相手でも致命傷を与えるだけの威力を秘めている。だけど…
「ーーーあ、その程度ね。」
彼女は私の回し蹴りを最小限の動きで回避してガラ空きとなった私の腹部に掌底を叩き込んできた。
「ガブッ…!?」
は、はあ…?い、意味が分からない。本気では無かったけど私の蹴りを避けた…?私の回し蹴りを?あのリカっていうクソ生意気なガキにも難しい速度だったはず。なのにこんな女が避けてすぐにカウンターを決めてきた?
「あ、あり得ない…あんた、特定課よね?」
処理課じゃない。だって仕事してて見かけたことなかったもの。なのに能力者相手の立ち回りに慣れを感じるわ。
「特定課だから私様の蹴りを避けられるわけがない?凄く傲慢な考え方をしてる割に大したことなさそうで良かった〜。美世ちゃんがあなたのことを凄く評価してたけど…案外そうでもなさそう…?」
この女…日本語で言葉は分からなかったけど何を言っているのかは表情を見れば分かる。ナチュラルに煽りやがったわね。かなり嫌いなタイプだわ。
「だったら…これは避け続けれるかしら!」
コンパクトなモーションから放たれるジャブ…これを避けることは難しい。でも…やるわね。彼女は私のジャブを腕と肘を駆使して捌ききったわ。
しかも虎視眈々と私の隙を伺っているあたり勝ちに来てる。時間稼ぎなんて最初から考えていない立ち回り…結構私好みよそこは。
「シッ!」
「ブフッ…!」
思いっきり良いストレートを横っ面に食らったわ…。ヤバいわ…コイツかなり動ける。いやヤバくはない。いややっぱりヤバい。私的には嬉しいけどコイツにとっては良くないわ。これでは本気になってしまう。
「ビックリしたわ…結構やるわね。どうやって経験を積んだの?」
「経験?私の仕事はあなたみたいな格上相手を見つけて時間稼ぎをするか捕縛することよ?こんなの日常的なもので当たり前なことなの。」
良いストレートを決めたのに構えを解かない。油断は全くない…優秀ね。あの子が寄こしただけあるわ。
「気に入ったわ。あなた魔女になる気はない?」
「え…なにその誘惑的な誘い文句。魔女になってみたい…。」
「なんか思っていた反応と違うけどいいのっ!?いつも変人扱いされるだけなのに…!」
「魔女っ子は小さい頃からの夢なの。」
お、おもしれー女だわやっぱり。なんで今まで出会えなかったかが不思議だわ。…だからこそ悲しい。こんないい女を殺さないといけないなんて。
「…あなた本当に逃げなさい。今の私は口しか言う事聞かせられないの。分かる…?脳みそは殆ど持っていかれているの。」
私の影が陽炎のように揺らぐ。能力を行使するには脳が必要だけど、その脳のコントロールを奪われているから私の意思と関係なく能力が行使される。
「知ってるよ。美世ちゃんから情報は貰ったから。」
パスを通じて美世ちゃんから情報が流れ込んで来たけど、まるで元から知っていたかのような感覚で最初は驚いたわ。でも便利よねこれ。情報を知識としてよりも記憶として蓄積されるから違和感がない。
ルイスの能力は影を操ることで、この影は物理的な干渉を無効化したり相手のベルガー粒子を弾いたりする性質がある。でも本人のベルガー粒子は影の中に入れたりとかなりメリットとなる制約が働いている…らしい。
経験で知っているわけではないから確信は持てない。こういうのは実際に見て体験しないとね。
「へー…知ってて逃げないなんてどうするつもり?あの滑る動きなら私も出来るのよ?」
ルイスの手足が影の中に沈んで地面の上をまるで滑っているみたいな挙動を取る。…音もないし厄介な能力ね。本当に羨ましい。私の能力とは比べ物にならないわ。
「ルイス…最初に言っておきたいことがあるんだけど。」
「何?今更弱音を吐かれても私にはどうしようもないんだけど?」
「殺しちゃったらゴメンね?美世ちゃんに戻してもらうから記憶は無くなるだろうけど、ケジメとして…ね?」
「…へー、死にたいんだ。殺すつもりは無かったけど…仕方ない。」
構えに本気が伺える。さっきまでは抵抗している挙動が見られたけど今は本気って感じね。多分もう一回あの回し蹴りを放たれたら避けることは無理かも。
でも…もう昔の私ではない。私だってこんな時のためにずっと鍛錬を積んでいたんだから!
「ふぅ…」
息を吐いてベルガー粒子を身体の内部へと送り込む。すると私の芯から熱が生まれて急激に体温が上がっていく。未だに慣れないけど…ここで慣れていくつもり。経験を積んでいくには強敵を相手にするのが一番だって天狼さんに教わったもの!
「ほんと…おもしろい女だわアナタっ!殺すのが惜しいくらい!」
影に包まれてルイスが猛スピードで距離を詰めてくる。私の心拍数も上がって血が流れる音が鼓膜にまで響いているけど…私の心は酷く落ち着いていてまるで何も恐怖を感じていないみたいだった。何故だろう…昔はもっと能力者との戦いに恐怖を覚えていたのにね。
「…流道“裏”一の型…」
これは天狼さんから教わった天狼さんの流道。異形能力の中で最強と名高い能力とその使い手によって考案されたこの型の名は…
「疾雷!」
身体の内部に蓄電された電気を全てこの右腕に込めて放たれた一撃はルイスの影を強烈な光で照らして無力化し、そのまま無防備になったルイスの左胸に吸い込まれるように右拳が決まった。電流は彼女の身体に触れた瞬間に衝撃と変わり、凄まじい熱と衝撃波となって空気を震わせる。
「これ…は…?!」
ルイスの身体は空中できりもみ状態となって数秒間浮遊し、その後地面に叩きつけられた後も何度も固い地面の上を転がっていく。それほどの衝撃を受けた彼女の身体からは白い蒸気が上がり、20メートル程吹き飛んでからようやく停止するのであった。




