戻ってくる者
どうしよう。もう戦うしかないけど今の私は制限がある。ここに来るまでの間に脳への負荷がかなりあってコンディションが良くない。しかも帰ることも考えるとそこまで派手に能力も使えないし、どうしたものか。
「じゃあ僕から行かせてもらいますよ…!」
宵闇のベルガー粒子が活発的に動き出す。彼は私に紅茶を出してくれたりと処理課の中でもそこそこ良好な関係だった分やりにくい。正直黙ってことの成り行きを見守っていてほしかった。
彼の能力は知らないけど、処理課のエージェントになれている時点で相当な手練れなのは間違いない。下手に近付くのはベストな選択ではなさそう。
私は宵闇が能力を行使し終わる前に距離を離そうと思った。しかし私がサイコキネシスで移動しようとすると私の身体は何かしらの干渉によって阻害される。
「逃さないよ。」
「宵闇さん…そういうのは気になる女性に対して言う台詞ですよ…!」
マズい…先手を取られた。数で負けているのに向こうの射程圏内に入ったのはかなりマズいけど、でも戦いに一番大事なのは落ち着くことだ。
思考がちゃんと回っているのか、自分自身をちゃんとコントロール出来ているのかが重要になる。こうやって軽口を叩ける間は余裕があるとひとつの指標になるから、まだ私は冷静であると自覚している。
焦ってはいけない。私は探知能力者なんだからこの状況を探知して情報をまとめろ。先ずは戦力分析だ。向こうの能力で分かっているのが竜田姫さん・蜃気楼・炎天・蟄虫咸俯すさんの4人で、分かっていないのは腰巾着野郎の初雷と初凪の2人、そして現在進行系で私に干渉している宵闇さん。
先ずは彼の能力を優先的に解析しなければならない。彼はどうやって私に干渉している?なんの系統の能力だ?
サイコキネシスではない。別の干渉方法で私の動きを阻害している。…もしかしてアインの能力に近い?アインは標的の軌道に干渉して相手の動きを阻害することが出来るけど、その感覚に近しいものを彼の能力から感じ取れる。
「…位置関係?」
私の言葉に宵闇はピクリと眉をひそめるが、それは一瞬のことで、いつものイケメン笑顔に戻ってポーカーフェイスを決め込む。
「…宵闇と、あの建物の柱の位置と私とで三角関係を形成して位置関係を固定しているんじゃない?」
私はすぐに彼のベルガー粒子を探知してみた。すると私の左斜め前方にある崩壊したビルの大きな柱に彼のベルガー粒子を探知することが出来て、それが綺麗な三角形の位置関係であることを私は認識することが出来た。
「私にベルガー粒子で直接干渉出来なくても、法則を生み出してその法則で私を縛っているんだよね?」
宵闇はポーカーフェイスを決め込んでいたけど、他の人の反応で私の推測が当たっていた事は明白だった。蟄虫咸俯すさん隠すつもり無いでしょ。やるなーお嬢ちゃんって言ってるし。
「…本物くせえな。一緒に仕事をしたことを思い出す。」
炎天が私を本物と確信したように語り、少しだけ敵意が引っ込んだように見受けられた。もしそうならさ、先ずはその砲丸投げのように構えた瓦礫を捨てようか。
「本物だとしても脅威なのは変わりませんよ炎天様。」
「本物って認めているならこの戦闘行為止めてよ!お前も口振りから私が本物だって分かっているんでしょ!」
初雷の進言に耳を傾ける炎天を見て私は抗議する。何故空中で磔にされないといけないんだ。この服スカートだからその角度からだと下着が見えるんだぞ。
「…あいの風、どうやら本人らしいな。」
蜃気楼さんが私を本物と認定してくれた。彼は処理課のまとめ役だしみんなを説得してくれるかもしれない。
「なら…!」
「ということは脅威度が更に上がったということだ。皆、警戒を怠るなよ。」
まとめ役の蜃気楼が私との敵対を選んだせいでもう交渉とか言っていられなくなってしまった。
「じゃあ、寄生されている可能性がありますね。」
「寄生…?」
宵闇の言葉に思わぬワードが出てきた。これがこの状況を作り出した原因に関する情報なのかもしれない。
「貴方が知る必要はありませんよ。」
初雷が能力を行使する。彼の手から何かシミのような灰色の物が浮き上がって丸い球体に変形する。…鉄っぽいけど柔らか過ぎるよね。…あ、これ水銀か。
「…水銀だよねそれ。どこから出てきたの。私の探知能力でも分からなかったんだけど。」
「だから知る必要はありませんって!」
手のひらに浮かび上がらせていた水銀を私に目掛けて投げ飛ばしてきた。水銀が私に近付くにつれて布のように広がり私を水銀で包もうとしている。
恐らくだけどこの水銀は有機化している水銀だ。ただの無機質の水銀は金属と同じで大量に体内に入れない限り害はない。しかし世間的には水銀は人体にとって有害であることは良く知られている。
その理由は昔、川へ水銀を流してそれを口にした人達が公害で苦しむ事案があったからだ。確かイタイイタイ病とか水俣病という四大公害病で、小学校の時に習った記憶がある。
私は小学校入りたての頃はそこそこ頭が良くて勉強が出来たので、授業の一環で公害について調べてみんなの前で発表する時に私は水銀について調べて発表したことがある。
確か水銀はメチル化?をすると有毒になって物凄い有害な物質に変化してしまう。なんか水銀単体なら大丈夫なんだけど、基本的に水銀は有機物と化合すると駄目なんだよね。しかも色々と種類があってその中であんな常温で液状になるメチル化した水銀も存在したはず。
そして触れるのは駄目だ。メチル化した水銀はゴム手袋越しでも手の皮膚からも吸収されて神経に干渉し神経障害を引き起こす。確か成人した女性がゴム手袋越しでメチル化した一滴の水銀に触れて死んだケースがあったと記憶している。
まさか初雷がただの無機質の水銀を投げてくる訳がない。さっき手のひらが作り出したけど、手のひらは有機物質だ。そこから作られた時点で無機質とは思いにくい。
(バリアじゃ駄目だ。テレポートして逃げないと…!)
私は大きく広がった水銀を避ける為にその場から無理やりテレポートして離脱する。宵闇に位置関係を固定されていたけど、私の方が出力が高いから私の能力が優先されるのだ。
「…っ!?今度はテレポート!?」
「…複数の能力を行使出来る。だから死神があれだけ目にかけるわけだ。」
宵闇は完全に捕らえていたあいの風が瞬間的に消えてすぐさまテレポートによる逃避と見破り、蜃気楼はあいの風の行使出来る能力の数から死神が彼女にこだわっていた理由を察していた。
「…止めて下さいませんか。疲れるんですよ。こっちは現場から離れていて手加減出来ないんです。」
あいの風の声が崩壊したビルの上から聞こえてきたので、蜃気楼たちはビルの方を振り向きながら警戒度を最大限まで引き上げる。何故ならあいの風から途轍もないプレッシャーが放たれているからだ。
「…懐かしい殺気だわな。」
ゴキブリを操り、どのタイミングで仕掛けようかと考えていた蟄虫咸俯すは冷や汗を垂らす。今のあいの風からは必死に抑え込んでいるのに漏れ出す殺気が濃すぎて恐怖の対象としてしか見ることが出来ないからだ。
これまで幾度も強者と戦ってきた猛者ですら今のあいの風は恐怖でしかない。
これでは偽物とか本物とか言っている場合ではなくなった。これ以上はあいの風本人ですら抑えられないということは誰の目にも明らかだ。
「情報をください。この状況を望んだ者の正体を私に教えてください。それで私は下がります。…私に手荒なまねはさせないでくださいよ。」
蜃気楼たちを見下ろすように立っているあいの風は本当に余裕が無さそうで、いつ決壊してもおかしくない危なさを秘めていた。
「…そんなこと、私達のほうが聞きたい。」
竜田姫がこの状況を作り出した首謀者のことを逆に知りたいと答える。これは真実で、彼女たちは敵の存在を把握しきれずいたのだ。しかしこれが駄目だった。
伊藤美世は罪もない人が死ぬことを最も嫌う。特に家族ともなれば尚更だ。あいの風は家族や大切な知人たちが死んだ事実を受け入れ始め、突然の状況にまだ夢心地だった彼女の認識も現実に足がつき、一年前の彼女が戻ってくる。
身内からも敵からも恐怖されていた伊藤美世がそこには居た。
「…そうですか。なら、ちょっと強引に情報を得てから帰ろうかな。」
美世のベルガー粒子からベルガー粒子が放出され凄まじい量のベルガー粒子が辺りを飲み込む。彼女を中心に半径100メートルはあるであろう粒子のドームは彼女の潜在能力の凄まじさを物語っていた。
「…は?これ全部が、彼女のベルガー粒子?人が持てる粒子の量を超えている…。」
ベルガー粒子を見ることが出来る竜田姫は視界に映る彼女を人として認識出来なくなっていた。一体どんなストレスに晒されればこんな量になるのか見当もつかないからだ。人が耐えられる粒子の量を遥かに超えている。
能力者にとってストレスは不可欠なものではあるが、限度はある。いくら能力を伸ばす要因であっても人間である限り過度なストレスは感じたくはない。しかし目の前に居るあいの風は明らかに度が過ぎている。
「ーーー私の前では私の求める結果以外は発生しない。私の求める結果以外は原因すらも存在しない。」
この世界そのものに干渉しようとするあいの風はまるで神のような神々しさで、そんな彼女がこの世界へと語りかける姿はまさに女神のようだった。
「因果関係を逆転し、私が欲する未来から過去へと干渉する。私の求める答えを持つ者達よ。私の質問に答えなさい。…誰が私の家族を殺した。」




