敵の正体
第一部ビルの最上階にある最も豪華な部屋を丸々一つ与えられた少女、蘇芳がいつものように紅茶を飲みながら椅子に腰掛けて優雅に寛いでいた。これから起こることを予期しているかのようにドアの方に意識を向けながら。
「蘇芳、少し話があるんだけど。」
その豪華さも然ることながら重厚で開けるのにも苦労しそうなドアをバンっと開いて入ってきたのは、この部屋主の姉である伊藤美世だった。
「どうしたのそんな慌てて。トイレなら廊下を出て右だよ。」
軽いノリで言ったつもりでも、相手の心理状態では神経を逆立てる行為にも捉えられる。
「話って言ったじゃん。私さっき話があるって言ったよね?」
(あっ……お姉ちゃん、すっごく機嫌が悪い。)
妹である蘇芳は瞬時に姉である美世の状態を把握し、背筋を正して話を聞く姿勢を取る。今の美世が何をしだすか予想が建てられない。
「さっき調整体に出会して戦ったんだけど、蘇芳は知っていたの?」
「調整体が居る事は知っていたけど、まさかあいの風とエンカウントするなんて知らなかったよ。」
嘘ではない。本当に今回のことは蘇芳は知らなかった。いつかはぶつかるだろうとは知っていたが、こんなにも早く、しかもまさか自分の姉が一番に調整体と出会うとは彼女の能力でも知ることは叶わなかった。
「いいよ。普通に呼んでくれて。ここはもう私の射程圏内だから。」
蘇芳は喉を鳴らした。この言葉は前にも言われた事があるが、今回ばかりは意味合いが違う。ここならばどんな干渉も受けずに事が済ませられるという、かなり不穏な意味合いに聞こえる。つまりはその気になれば私なんて簡単に殺せるという事だ。
「……お姉ちゃん。」
「な〜にマイシスター。」
いま私の目の前に居るのは血の繋がった家族ですらその手で殺した最強の能力者だ。いつもの優しく冗談の言う姉ではない。今のお姉ちゃんは私に対して殺意は抑えてはいるが、私の言動一つで躊躇わずに行動に出ると感じさせる気迫がある。
「調整体は多国籍企業が保有している戦力なの。」
「ふ〜ん。お姉ちゃん、そんなこと初めて知ったよ。そのせいで罪のない人々の命が危険に晒されちゃった。」
「うん、ごめんなさい。私が上手く立ち回れていなかったせいだよ。本当にごめんなさいお姉ちゃん。」
姉の求める言葉を一字一句間違えずに言わなければ殺される。私が何か企んでいるんじゃないかとお姉ちゃんが私を監視していたのは知っていたけど、このままだと私は間違いなくお姉ちゃんに殺されてしまう。それだけは絶対にあってはならない。
「生きていればミスなんてみんなするものだよ。私もいっぱい失敗してきてるし、そのせいで罪のない人々が死んでしまったからね。だからそのことで私は何も言えないし、言う立場じゃないよね。」
(あ、マズい。これ本当にマズい。)
姉の中では私を殺す選択肢がもうある。でも殺さない選択肢を取るために自分に言い聞かせている段階かな。私の予想しているよりもかなりキレているみたい。
そうすると別の要因と重なって機嫌が悪い可能性が高い。お姉ちゃんは理華と一緒に帰宅していた。なのにここには理華の姿が無い。そうすると理華と何かがあって、それで不機嫌の可能性が高いかな。
今のお姉ちゃんは特異点としての力が強すぎて私の能力でも知ることが出来ない。お姉ちゃんの考えも知れないし、お姉ちゃんの周りの状況や、お姉ちゃんのことを考えて立ち回っている人間すら知ることが不可能になっている。
なら私のやるべきことはふたつ。ひとつは誠意を見せてお姉ちゃんの言った理屈に沿って話をすること。もうひとつはお姉ちゃんのご機嫌を取ることだね。
「……お姉ちゃんが私を信用してくれていたのは知っているよ。その信用を損なう案件だったから、お姉ちゃんがこうして直接言いに来てくれたんだよね。私の能力に穴があるという事を伝えなかったのはごめんなさい。」
私の能力も万能ではない。制約もあるし、人が見聞きした以上のことは知ることが出来ない。しかも人が見聞きした情報を知ることが出来るだけで、その情報が絶対的に正しく間違っていない情報なのかは分からない。
「じゃあさ、蘇芳のさじ加減で多くの人々が死んでしまうことじゃない?」
「……可能性はゼロじゃない。でも、限りなくゼロには近付ける。この世界で誰よりも上手く出来るのは私の能力だから。」
「でも蘇芳は別にこの世界の人間なんてどうでもいいでしょ?死んじゃったら死んじゃったで、蘇芳自身の目的に支障が無かったら何も問題が無いんだし。」
(……流石は私の姉。私のことを良く理解しているし、レスポンスが強い……。)
私が何かを言い返す前に逃げ道を塞いでくるのも相当怒っている証拠だ。
「私はお姉ちゃんの嫌がる事はしないよ。」
「私も妹の嫌がる事はしないつもり。」
真顔でこんなことを言い合う姉妹なんてこの世界に私達だけだろうね。
「お姉ちゃんは私を殺すの?」
「私は家族を殺したくないよ。」
(殺さないって、言わないんだね……。)
殺したくないっていうのは本音なんだろうけど、それでもお姉ちゃんは母親を殺している。この世界で一番殺したくない相手でもお姉ちゃんは殺せてしまう。
お姉ちゃんは殺したくない相手でも殺さないといけない理由があったら殺せる人間。そのおかげで1巡目の世界はこの世界から消え去ったけど、私がお姉ちゃんを追い詰めすぎて何者でも殺せる人間に変えてしまった。
私がまだ血が繋がっている家族だから理由を聞いてくれているだけで、赤の他人なら……話を聞いて殺すんだろうな……。家族でも話を聞いてその後に殺すだろうね。うん、お姉ちゃんはそんな人間だ。何も知らずに殺すことはしない。知れば殺すけど。
(ここでこの情報を出すのは想定外だけど、私の寿命を伸ばす手段はこれしかなさそう。)
「国内に居る調整体の数と位置を教える。それでどうするかはお姉ちゃんが決めて。」
「……その言い方だと結構居そうなんだけど、一体何体居るの?」
お姉ちゃんが眉をひそめて興味を示したから私はその数を教える。
「499体だね。一体はお姉ちゃんが消したからこの数ね。」
「……なんで黙っていたの?」
(あ……これ地雷踏んじゃった。私ここで死ぬかも。)
「…前に言ったでしょ?あとでまとめて処理するって。」
「うん、言ったね。覚えているよ。」
「調整体って名前の通り調整された能力者だから、まだ未調整の固体たちばかりなの。お姉ちゃんが今日出会った個体は偵察用と兼用のテスト機だよ。あんなに動けるのは数体しか居ない。」
「じゃあ今のところ殆どはまだ動かすことが出来ない個体たちってこと?」
(良し。話の内容に頭を使ってくれている。これなら私のヘイトも分散したはず。)
「そういうこと。多国籍企業も私達の活動で表立って行動出来ていないし、調整して完成するのはだいぶ先の事だから。今日はお姉ちゃんが恐らく地下の方に行っていて、それで調整体がお姉ちゃんたちのベルガー粒子に反応して出てきたんだと思う。」
「……じゃあ、私が地下に行かなければ特に何も無かったってこと?」
「うん、もし調整体が暴れだしたら私が絶対にその前に対応しているからね。私が何もしなかったら組織からの信用が失われるし、お姉ちゃんが怒るのも分かっているから。」
「……話は分かったよ。私にも非があるかもしれないし、今回はここまでにしておく。」
お姉ちゃんは私の話を聞き終えて納得はしてくれなかったけど、これ以上何かを言う気にもなれなくて怒りを沈めてくれた。
「ありがとうお姉ちゃん。資料を完成させてお姉ちゃんに優先的に渡すね。」
「はいはい。期待して待ってるよ。」
怒って疲れたのか、お姉ちゃんは怠そうに手のひらをひらひらとさせて部屋を出ていく。……怖かった。今度はもっと上手く動かないと間違いなく殺されちゃうかもしれない。
「……この際、計画を一気に進めるのもありなのかな。」
部屋に残された私は複数の計画の修正案を考えながら冷めた紅茶を胃袋に落とし、急いで資料を完成させるために残業することにした。これもこの先の事を考えれば安いものだと身体にムチを打って馬車馬のように働くとしようか。
蘇芳のこういう心理描写を書きたくてこの話を書きました。忘れがちですけど蘇芳はあくまで女子中学生なのでそれなりの精神年齢です。
結構臆病な性格であると読んでくれた人に伝わってくれれば良いかな〜と思いながら書きました。




