演者
PTSD、またの名を心的外傷後ストレス障害。精神疾患の中では鬱病の次に有名かもしれないが、日本では患者が少ない。しかし世界では兵士や事件・事故に巻き込まれた人たちが発症するありふれた病気である。
そんな精神疾患だが、私はお母さんを殺したというストレスでこの精神疾患を患っている。殺した時の場面が寝ている間に必ずといっていいほどにフラッシュバックして深夜に暴れだしてしまうのだ。
伊弉冊に一緒に寝てもらわないと最悪の場合無意識で能力を行使してしまい、辺りを破壊するような事態に繋がる。だからカウンセラーを頼って来たけど中々この精神疾患は治らないらしく数年、又は生涯に渡って症状は続くことも珍しくもないらしい。
「日本の女子高生がなるような精神疾患ではないんだけど、君の場合は事情が事情だからね。私も全力で治療にあたるつもりだ。」
治療…。つまり私は精神を病んだメンヘラって訳だ。親をその手で殺しておいて一丁前に罪悪感を感じているらしい。ヤバいな私って。
「この精神疾患は責任感のある人間、常識人がなりやすい傾向がある。これはとても君に当てはまっているね。」
「そのどれも無いと思うんですけど?」
「なら何故あいの風さんはここに来たの?君がひとりでここに来ようと思ったわけではないでしょう?周りに言われたから来た。違う?」
「まあ…そうですけど。」
「ちゃんと君を思ってくれる人たちが居る。つまり君はいいヤツだ。私はそう思うよ。」
五十嵐反亜は勘違いしている。私個人というよりも私を取り巻く環境をだ。蘇芳も伊弉冊も私と似ていて結構頑固ものだから割と自分の意見を通そうとする。誰かが折れないとぶつかり合ってしまうから私が折れてカウンセリングに来ているにすぎない。
「人を殺す奴はいいヤツとは言えないと思いますよ。因みに昨日も殺しました。ハッピーニューキラーです。」
私が殺し屋であることをいま一度明らかにした。しかし五十嵐反亜は表情ひとつ変えずに持論を展開してみせる。
「何かを殺すことは生きていれば当たり前にすることだよ。私も昨日は家にゴキブリが現れて殺したし、子供の頃はトンボを捕まえてデコピンで頭をふっ飛ばしたりもした。」
「…なんの話ですかそれ。」
「責任感、罪悪感なんてものは人それぞれで違う。犬や猫が殺されるのは許さない。でも顔に付いている雑菌は許さないから洗顔をして殺菌する。豚は哺乳類だから可哀想。大豆は栄養満点だから食べていい。…人の価値観なんて本当に良い加減で人それぞれだ。人を殺して何も感じない。人を殺して罪悪感に苛まれる…。君の感性は普通だと私は思うね。」
…なんとなくだけど彼女の言いたいことは分かった。精神疾患になっている時点で私は罪悪感を感じているっことを言いたいのだろう。つまり普通の反応だと彼女は私に伝えようとしている。
「なのに君は人を殺す。それは責任感があるからだ。必要な行為だと理解している。この世界に話し合いで済む関係性だけなら不必要かもしれんが、世の中そんな優しい人たちだけで構成はされていない。私が夜遅くに帰宅している途中でナイフを持った強姦魔の能力者が居たら、私は話し合いの前に逃げるか捕まって犯されるかの2択に迫られるだろう。」
強姦魔の能力者…。私が初めて殺した能力者もそうだった。だけど私が逃げたりも捕まりもしなかったのは私が能力者だったからだ。そして先生という能力者が組織に所属し、悪い能力者を片っ端から殺す仕事をしていてくれていたから私はいまここに居る。
だけど彼女は無能力。しかもそこに私達のような殺し屋が居なければ犯罪は防げないだろう。
「でも君たちが年末でも年始でも働いていてくれるから私は安心して外へ出歩ける。能力者が能力者を裁いてくれるからだ。無能力である私なんて君たちにとっては虫ぐらいの存在だろう?」
彼女はそう言って自分の頭にデコピンをするジェスチャーをした。…確かにやろうと思えばデコピンで彼女の頭をふっ飛ばすことだって出来るだろう。五十嵐反亜は能力者という生き物を良く理解している
「それでも君は罪悪感を感じ、責任を感じている。君が殺してきた人達に善人は居た?」
「…居なかったと思います。人によって家族を持った良い父親、場合によっては被害者とも捉えられたかもしれない人も居ましたが、全員が生きているだけで他者を不幸にする人達ばかりでした。」
私にとってあくまでお母さんはお母さんだった。でも周りからすれば殺意をばら撒く災厄に見えただろう。私はその周りの立場に立ってそこからお母さんを見ていた。だからあれだけ好きだったお母さんを危険な存在と捉えて殺害した。
つまり私は娘としての立場からではなく、ひとりの人間の立場から伊藤美代を断罪したことになる。よくよく考えるとそれってどうなんだ?それって私個人の意思や主張ではないんじゃないか?
だってお母さんを殺したのは世界にとって悪だったからで、私がお母さんを殺したいと思っての行動ではなかった。
つまりはあの時の私には殺意は無かったのか…?なのに母親を殺した?それが正しかったから?頭イカれてんのか私は。
「私からすれば礼を言うことはあっても責める気にはなれない。あやせや君を見れば組織のやり方自体に間違いは無いと思うからね。」
「…過分な評価ですね。私割とマジで危険人物ですよ?多分あなたの人生の中で私ほどの異常者には出会えないと断言出来るぐらいに。」
「そうかもな。でもいいヤツだ君は。話していて面白いからね。」
話していて面白いといいヤツなのか?それって判断基準としてどうなの。
「そう…まるで漫画やアニメのキャラクターを見ているみたいだ。もしこの世界に主人公が居たのなら間違いなく君はその主人公になるだろうね。」
「…カウンセリングを受けたほうがいいんじゃないんですか?」
流石に奇天烈すぎて素で答えてしまった。思わず奇天烈っていう言葉が出てくるぐらい意味が分からない。それにどっちかというと私は悪役になると思う。
「あっはっはっは!確かに今のはちょっと意味が分からなすぎたか!いや〜君はやっぱり面白いね。」
五十嵐反亜がツボが入ったのか突然笑い出して最後は私が面白いで締めやがった。なにも面白くないよこっちは。カウンセリングしてよカウンセリングを。
「まあ…そのなんだ、ここからはカウンセラーとしての領分を越えた発言だけど、悩んでいる君は様になっていると私は感じているよ。」
「はあ…」
「これは私の持論というか価値観の話なんだけどね。あいの風さんに分かりやすく話すとあやせの良く言う役割についての話だね。」
役割…。よく薬降るさんが使う言葉だ。私も気に入っているというか、心に残っているからよく使うようになったけど、五十嵐さんも使っているのかな。
「私はこの役割を役者だと置き換えて捉えている。この世界にいるみんなが演者だ。みんなが役を与えられてそれぞれのキャラクターを演じることになる。君の場合は…そうだね。殺し屋という役を演じていることになるかな。」
「殺し屋を演じている…。」
なるほどと思った。上手いことを言われた感じがしなくもない。確かに私は殺し屋という役目を演じている。殺し屋そのものではないからね。
「ストーリーは既に決まっていてキャラクターがどう演じるかも決まっている。だから君が悩んだり苦しんだり、ここへ来てカウンセリングを受けることも決まっていた。」
本当に奇天烈な考え方だけどあながち外れてもいない。蘇芳…私の妹の視点からではこの世界は演劇のように見えているのかもしれない。全てが決まった世界なら演劇と似たようなものだ。
「私はカウンセラー。あやせは君と同じ殺し屋だ。それぞれキャラクターがあって過去や葛藤を抱えている。でもスポットライトが照らされるキャラクターは限られた演目だ。」
「…それで私にはスポットライトが当たっている的な話ですか?」
「そうだね。私の視点からではあいの風さんは主要キャラかな。…さっきはみんな演者って言ったけど、人生で一度もスポットライトが当てられない人も居るんだよ。私みたいなね。」
そうかな?凄くキャラ濃いけどね。お好み焼きのソースぐらい濃い。
「私は君たちに関わることでスポットライトの傍に居られる。脇役はそうでもしないと視界にすら入らないからね。」
「誰の視界にですか?みんな演者なら観客は居ないでしょう?」
「…神とか?」
「適当だなーこのひと。つまり何が言いたいんですか?」
かなり適当に答えたよこのひと。多分神とか信じていないでしょうに都合のいい時だけ名前を出したよね絶対。
「まあ結局のところ私が言いたいのはスポットライトというのは基本的に主人公・悪役の2人に当てられるものだってことだよ。私の視点からはスポットライトは2つ見えている。君とあやせだ。その2つのスポットライトの中に私は少しだけ入れたけど、私の役はどうやらただの友人思いのカウンセラーだってことなんだよ。」
五十嵐反亜は話し終えて一気に疲れたのか、椅子の背もたれに身体を預け伸びをする。全く要領を得ない話だったけど、私が悪役で薬降るさんが正義の味方ってことは分かった。
「だからさ、あやせを頼んだよ。私の数少ない友人なんだ。」
「…別に喧嘩をしているわけじゃないです。」
もしかしたら私と薬降るさんがギスっていることを知ってこんな分かりにくい話をしたのだろうか。何を伝えられたのか本当に分からなくて困るんだけど。
「そうなのかい?君の話を自棄酒したあやせから聞かされたけどね。」
「自棄酒するんですか?あの薬降るさんが?」
想像がつかない。お酒とか飲まないタイプに見えたけど、結構酒豪だったりするのかな?
「昔はしょっちゅう付き合わされたよ〜。でも子供が生まれてから全然無かったけどね〜。」
そんな過去があったなんて意外だけど、昔は医療スタッフとして組織に所属していたんだっけ。ならストレスで酒を飲むことがあったのかもしれない。
「私に出来ることはこのくらいなのさ。もう時間が無いからね。君も知っているでしょ?」
「…ああ。組織が掲げている時間のことですか。」
「そうそれ。3月いっぱいのやつ。私は3月いっぱいでここを辞めるからさ。」
…え?いきなりのことで聞き逃しそうになったけど、いま辞めるって言わなかったか…?
「辞める…んですか?」
「うん。監督からいらないって通達が来てね。組織に私は不必要になるらしいからカウンセラーっていう役から降りるんだよ。そうなると私に出来ることは君のカウンセリングをあと3ヶ月続けることぐらいなのさ。」
そうか…蘇芳が決めたのか。なら私に止める理由はない。彼女がわざわざそうしたのなら意味があるのだろう。
「退職金は8桁も貰えるんだから文句はないよ。田舎に帰って優しい旦那さんを捕まえて第二の人生を送ろうかな。」
「…いいですね。」
「だろう〜?だからあやせのこと、任せたよ。」
五十嵐反亜はそう言って悲しそうに笑う。本当は納得なんてしていなくて、辞めるのは嫌だったんじゃないかなって私は思った。
「…はい。」
でも、私は何も聞けずにカウンセリングを終えてその場から逃げ出すように第二部ビルを後にした。まさか心の負担を軽減させる為に来たのに来る前よりも心が重い。
こんな時はあの人しか居ない。私の心を癒せるのは世界であの人だけ。私はスマホで連絡を取り、遅いランチに誘った。向こうも忙しいだろうけど、私の為に時間を作ってくれるだろうという読みで送ってみたら案の定というな予想どおりの返事を頂いた。
私は急いで約束のレストランまで向かう。年始だとチェーン店のレストランしかやっていないけど、ご飯が目的ではない。私の目的は心の栄養補給にある。
少しして待ち合わせ場所に着くと彼は居た。白髪の髪に人種が特定しづらい顔立ち。立っているだけで注目を集める容姿だけど落ち着いた雰囲気で上手くこの東京に溶け込んでいる青年が私を見つけて手を振ってくれる。
「おまたせしました!先生!」
「いや今来たところだよ。…それと先生は止めてくれ。誰が聞いているか分からないからね。」
「あ、えっと…じゃあオリオン。早速だけどレストランに入りましょうか。今日は私の奢りです。」
私は白髪の青年とレストランへと入っていく。ここ最近だとあまり話せていなかったから今日は思いっきり話を聞いてもらおうっと。
先生登場。




