この世界に寄与する
この話で5章は終わりになります。長い間ありがとうございました。次回から最終章になります。
病室に入ってすぐに思ったのは前にあった医療機器が少なっていることだった。それに医者や看護師の姿が見られない。……もう彼女には必要ないからだと気付いた時になんとも言えない感情を抱く。だがこの感情もただ再現されたもので本物ではない。もう私達は死んでしまっている。この世界に存在し得ないものなのだから……。
「なに呆けているんだい。早く座りな。あまり老いぼれを待たすんじゃないよ。」
今にも死にそうだというのにその声からは高貴さと力強さを感じる。その鼻に通しているチューブから空気を取り込まないと自身で呼吸も出来ないのに随分な言い草だと思わず笑ってしまい、彼女の言うとおりベッドの隣に置かれた椅子に腰掛ける。
「元気そうで何よりだ。」
「ふん……あたしゃもうすぐ死ぬ。そんなあたしに向かって何を言うんだいオリオン。」
近くに寄って良く良く見ると肌はカサつき死人のような肌色をしていた。顔にされた化粧で上手く誤魔化しているが腕の皮膚を見ればすぐに分かる。
それに今はベッドのリクライニング機能を使って上体を起こして座っているように見えるが、完全に身体を背もたれに預けていることからもう自身の身体を支えることすら出来ていない。
「……それで、最後に呼んだのは何故だ?」
「昔からの友人に最後の挨拶をすること以外なにがあるさね。」
「家族とは?」
「朝方目を覚ましたら全員来やがったから追い返したさ。仕事をせずになにしに来た、そんな風に育ててきた覚えはないってね。」
そう笑うチヨは昔から変わらない。彼女がここまで組織を引っ張ってきた。彼女に救われた者達はとても多い。私達とは大違いだ……
「相変わらず身内には厳しいな。」
「甘やかすのと優しくするのは違うからね。甘えたら死ぬんだ。そういう世界で仕事してんだから厳しくして当たり前さね。」
何度彼女の凛々しさに救われたことか。なにも知らない私達に知識と生き方、居場所を与えてくれた。私達には勿体ない友人だとつくづく思う。
「……で、辛気臭そうな顔してどうしたんだい。まさかあたしの顔を見てそんな顔してんのかい?」
「……昔から変わらずその勘の良さには驚かされる。」
「お前が分かりやすいんだよ。少しは鏡でも見てみなオリオン。」
オリオンは自分の顔に手を当てて擦ってみる。もしかしたら他の者にも色々と気付かれていたのかもしれない。
「……考慮しよう。」
「ふん……話してみな。」
組織創始者であるチヨはオリオンの目を真っ直ぐと見た。これから死ぬ者とは思えない眼光の鋭さにオリオンは思わず姿勢が正される。
「……私達の目的を知っているだろう。どうやらそれは叶いそうだ。」
「なのにその面なのかい。天邪鬼だねえ。」
「いや、あまりにも自身の無力さ加減にウンザリとしていたところだ。」
「あんたは昔から世間知らずで鈍くて良く分からないやつだったからねえ。やっと自分の評価に気付いたなんてあんたでも成長するもんだ。」
オリオンはある単語に引っ掛かりを覚えてチヨに訂正を求める。
「私達は成長しない。そういう風に見せかけているだけで先へ進むことが出来ないからだ。お前も良く知っているだろう。」
「あんたが何度も壁にぶつかっていることぐらい知ってるさね。でも時間を使って乗り越えてきた。それを成長と言わないでなんて言うんだい。」
彼女は私達が成長していると言う。私達としてはそれはあり得ないことだと思っていたが、他者から見れば私達にも成長の兆しがあったのかもしれない。
「あたしなんかよりもよっぽどこの時代に順応してるよ。年を取れば取り残されるものだけど、あんたたちはよ〜くやってる。あたしが言うんだから間違いないよ。」
「……お前がそう言うならそうなんだろうな。ありがとう少しやる気が出てきたよ。」
まさか私達が励まされるとは思わなかった。普通は逆の立場の筈なのに、彼女には最後まで勝てそうにないな。
「ちったぁ良い顔するようになったじゃないか。……そういえば昔から気になっていたんだが、どれが本当のあんたなんだい?」
「ん?どれも私達だが?何十年も組織に居て年を取らないと不審がられるから私達の姿を定期的に変えていたがどれも私達だ。」
オリオンは能力を行使し軌道を再現すると、チヨの居るベッドの周りに447期生の皆が集まり、彼女に対して最後の別れの言葉を送る。
「本当に長い間お疲れ様。あとは私達に任せてゆっくりしていなさい。」
赤く染まった髪色をしたアネモネがチヨに労いの言葉を送り、彼女の白く纏まった髪を撫でた。
「ああ……久しぶりに見たね。元気そうで良かったよ。」
「……最後に会った時は私の心が折れてしまってそのままお別れだったものね……。心配かけてごめんなさい。もう大丈夫だから。」
アネモネも能力によって再現された軌道に過ぎない。だが彼女がもし生きていたのならば同じ事を言っていたに違いない。
「私達がこの時代で生きていけたのも全部チヨのおかけだよ。ありがとう。」
小柄な体格に金色の髪をしたフェネットがチヨにお礼を述べる。彼女もアネモネたちと同じく再現された存在に過ぎない。だがチヨもそのことは知っている。しかしチヨにとっては大切な友人のひとりでしかない。
「あんたのこともよ〜く覚えているよ。あんた達のなかで一番気が利いた娘だった。うちの孫の嫁に来てほしいぐらいだ。」
「おヨメさんって伴侶のことよね?私は子供が作れない身体だから無理だよ。」
フェネットはそう言って寂しそうに笑った。この時代で過ごし人の世をそれなりに見てきた彼女は自分に普通の暮らしを望む資格が無いことを知っている。彼女が生きていた時代に比べてこの時代は平和すぎた。
「さよならは言わないぜ。俺たちもすぐにそっちへ行くからな。そんときはまたバカしようぜ!」
この面子の中で背が高く唯一の黒人であるディズィーは頭の後ろに手を組んで軽く笑い飛ばした。彼らしい別れの言葉にその場にいる全員が頬を緩める。
「あんたはまだアメリカとの関係が複雑な時に急に現れて大変だった覚えがあるよ。でも、今思うとあそこで出てきてくれたから良かったとも思うよ。」
「あん時は悪かった!チヨの子供まで巻き込んで大騒ぎだったもんな!」
彼もこの時代で過ごし人々の行く末を見守ってきた。例え本当の自分はもう亡くなってこの世界から消えてしまっていても、この記憶だけは決して偽物ではない。
「はあ……案外死ぬ時って一瞬よ。だから怖くなんてないわ。そこは経験者としてアドバイス出来るから。」
紫色の髪を伸ばしたナーフが冗談混じりにアドバイスを口にした。本当はもっと素直に言葉を掛けたかったはずなのに、気が付けばそんなことを口にしてしまった自分に彼女は自身に自己嫌悪を覚える。
「ははっ、相変わらずの言い草だねあんたは。もう少し優しく出来ればみんなとも仲良くやっていけたのにねえ。」
「仲良くしすぎると別れが辛くなるだけよ。いつか人間は死んでいくんだから……。」
ナーフはプイッと顔を背けて溢れる涙を手で隠す。チヨには本当に良くしてもらい、そのおかげで人らしい生活を送ることが出来た経験を持つナーフは、チヨとの別れを悲しまないはずはない。例えその気持ちが再現されたものであってもだ。
「……それ、私が作ったマフラー?」
黒い髪に日本人のような顔立ちのユーが布団の上に置かれた赤いマフラーに気付く。昔にユーが彼女へ贈ったもので、近くで見るとところどころがほつれた所を直した形跡が見受けられた。
「友人の贈り物だから大切に使わせてもらったよ。前は自分で直せたんだけど、今は指が言うこときかなくてね……。」
チヨはもう動かなくなった自分の手を見て嘆き悲しんだ。それを見たユーは彼女の手元にマフラーを持っていき手の中へ納める。
「うん……良く直されているから大事に使ってくれていたことは分かるよ。ありがとうチヨ。そしてさようなら……。」
ユーにとってこの時代の生き方は夢のようなものだった。本当の意味で夢のような時間だったのだ。死んだ後に夢を叶えるとは、なんと皮肉なことだろうか。
「もう鬼婆にどやされないと思うと嬉しいんやら悲しいやら……。」
褐色の肌に茶髪のくせっ毛の青年エピが明るい雰囲気でチヨに話しかけるが、その顔はとても悲しそうな表情で彼女との別れを惜しんでいることが見て取れる。
「あたしゃもう怒鳴らなくていいと思うと清々するよ。」
「うっせクソババア。100まで生きるって言っていただろ。約束破ってんじゃねえよ。」
エピは憎まれ口を叩くが目から涙を溢して肩を震わせていた。その肩に手を当て一緒に涙を流す彼女はチヨに別れの言葉を送る。
「ばあちゃん……」
マイはチヨに孫が生まれた時に出会った。その流れでチヨはマイのことを自身の孫のように面倒を見て、マイはチヨのことを本当の祖母のように慕っていた過去がある。
「おお久しぶりだねえマイちゃん。あんたが居なくなってから家の中が妙に寂しく感じてねえ……いつかまたこうして会えると信じてたよ。」
「うん……私も会いたかったよ……!」
マイはチヨのベッドの横に顔を突っ伏して泣き出してしまう。例え彼女の流す涙が再現されたものであっても、彼女がチヨを想う気持ちは純粋なもので尊きものでもある。
「ふふ、最後にみんなと会えてあたしゃ幸せものだよ。あたしみたいな特殊なちからを持った気味悪い女を好きになってくれた人も居たし、その人との間に子供も生まれて孫たちの顔も見れた。……数年前にあの人とも死別したけど、これでまたあの人と一緒になれるよ。」
チヨは自身の人生を思い出し幸せな人生だったと笑いながら締めくくった。非常に彼女らしい言葉だと、オリオンと呼ばれた彼らはそんな感想を抱く。
「オリオン……あんた達と出会ったあの夜に眺めていた星座から落ちてきたからそう呼び続けたけど、本当の名前はなんなんだい?そろそろ教えておくれよ。」
「……本当に酷いネーミングセンスだ。……僕の名前はR.E.0001。仲間たちからはアインと呼ばれているよ
。」
「私はA.N.0588。アネモネって名前なの。教えるのが遅くなってごめんなさい。私達の情報を出来るだけ外へ出したくなかったから……でも、マイはチヨに話してたっぽいけど。」
「私の名前はF.T.0798。フェネットと言うんだよ。」
「俺はD.Z.0061。ディズィーって言うんだ。チヨとは違って名字はねえからただのディズィー。そう呼んでくれ。」
「……私はN.F.0081でナーフって言うの。……忘れたら承知しないんだから。」
「私の名前はね、Y.U.0671でユーって言うの。チヨのマフラーにY.Uってイニシャル入れてたの知ってた?」
「お、おれはA.P.0149……!みんなからはエピって、よ、呼ばれてる……うぅ……。」
「ばあちゃん!私はね!私の名前はマイ!ただのマイだよばあちゃん……。」
チヨは口を動かし皆の名前を反芻する。もう何も思い残すことは無いと思っていたが、大切な友人たちの名前を口にせずには死んでいられない。
「アイン……アネモネ……フェネット……ディズィー……ナーフ……ユー……クソガキにマイちゃんだね。」
「おいクソババア!」
「はいはいエピだね分かってるよ。冗談が通じないねえ……。」
これから死ぬとは思えない茶目っ気だが、因果律を操るアインたちには彼女の存在が今にも消え去りそうなのが分かってしまう。
「私達の能力ならば、チヨを1日前へと戻せるが……」
「前にも言ったけどそれは無しさね。あたしゃもう死を受け入れている。ずっと昔からね。」
チヨはアインの申し出を断り、その代わりにアインへ最後の願いを口にする。
「だけど最後に聞いてもらいたい話があるんだ。」
「……なんだい最後に聞いてもらいたい話って。」
「あんた達が今も残っているのはまだやり残したことがあるからさね。だからまだ死んじゃあ駄目だよ。あたしが許さないからね。」
チヨらアインたちの目を見てピシャリと言い切る。
「……どうしたんだい急に。」
アインたちは美世たちの事情を知っていない筈のチヨが急にそんなことを口にしたことに驚き、一瞬だけ互いの顔を見合わせてから誤魔化しの言葉を返す。しかしそんな言葉を真に受けるほど彼女と彼らの付き合いは短くはないのだ。
「まだ私達の願いは叶えられていないよ。その証拠があんた達だ。私は役割を終えたから迎えが来たが、あんた達はまだだろ?つまりあんた達には役割が残ってんだよ。ならこんなところで油売っていないでさっさと仕事に戻りな。」
「ばあちゃんが私達を呼んだんじゃん……」
マイは顔を上げてチヨにツッコミを入れる。
「そうだっけ?ばばあだからもう忘れちまったよ。……ほらさっさと出ていきな。……あたしは、少し……横になるよ。」
アインたちはそこでチヨの呼吸が非常に薄くなっていることに気付く。……もう話すことも出来ないのだろう。チヨは顔を窓の方へ向けて一言も喋らなくなってしまった。
気高く人に弱みを見せない彼女らしい態度だとアインたちは気を利かせて立ち上がり、そのまま病室を後にすることにした。人に自分の死ぬところを見せたくないという友人の回りくどい願いを叶えるために。
「さよならだ友よ。……それから安心するがいい。まだ私達はそちらへは行けそうにないからな。」
軌道が消えて白髪の青年だけとなったオリオンはドアを開けてチヨに誓いを口にする。まだ死なない。最後まで足掻いてみせると。
病室を後にしようとしたオリオンの目に笑みを溢す友人の横顔が映り込む。だが彼はそのまま病室のドアを閉めてから廊下を歩き出した。もう別れの挨拶を済ましている。約束を守るためにも仕事に戻らなければならない。
ポケットに仕舞っていたスマホを取り出して連絡が来ていないかを確認し、メールで送られてきた仕事の内容に目を通した後すぐに彼はその足で現場へと向かっていく。
これまでも、これからも、殺し屋としてこの世界に寄与するために……
ここまで読んでくれた皆さんに対してお礼を述べさせてもらいます。本当にありがとうございました。
あとブクマ・評価ポイントもありがとうございました。ここまで読んでくれた記念?として是非、感想なども書いてもらえると嬉しいです。




