自我を持つ能力
ノアの方舟にある格納用ハッチがひとりでに開き、ハッチに組み込まれた電子回路を経由して異常な信号がマザーとは別のAIの下へと送られた。この宇宙船などを格納するのに使用されるハッチはAIによって制御されている。だがハッチは勝手に開き宇宙船を招き入れた。そのことをAIは酷く驚き異常なエラーを内部で処理しきれずに自己破綻をしてしまう。
これはマザーから新しく命令された内容に対して昔の命令が優先的に行なわれてしまった結果として引き起こされた事象だ。少し前に宇宙船を送り出す際にハッチを開くようにマザーから命令を受けていた。その命令を彼の者が再現したことでAIは自己矛盾にぶつかり思考パターンが空回りする事態となったのだ。
「地球からの侵略者が来る!ここで迎撃するぞ!」
奥の方から宇宙服を着た乗員たちがぞろそろと現れて持っていた自動小銃を構えた。もう宇宙船はハッチを通り抜けてデッキに着陸している。あの宇宙船の中には地球から来た侵略者たちが乗っていると乗員たちは考えていた。
だが実際は宇宙船の側面になにかが居た。見たこともないような途轍もないベルガー粒子の塊、まるで人の形をした粒子の塊がノアの方舟のデッキに降り立ち、我々乗員たちを人間のような動作で見回すのだ。
だがその者の顔は異形だった。いくつもある目がこちらを見て瞬きをしたり視線を送ってくる。乗員たちはその者と目線が合うと恐怖と畏怖で命令も聞かずに引き金を引いた。
撃ち出された弾丸はその者の身体をすり抜けて宇宙船や床に着弾し、彼の者はそれらを気にした様子もなく歩きだす。それを見た乗員の一人が能力を行使した。電撃を操る能力のひとつで侵略者に対して電流を流し込もうと試みたが、しかし結果は何も起こらずただ電流が床を通して流れるのみ。
これを見れば彼の者がなにものにも干渉を受けないということが分かる。ならこれはブラフで本体が別に居るはずだと考えるのが自然。乗員たちは宇宙船に目を向け始める。
だがこの距離はもう彼の者の射程圏内。能力はもう発動している。
すると乗員たちが再び奥の方から走ってきてから自動小銃を構えてこう言い放つ。
「地球からの侵略者が来る!ここで迎撃するぞ!」
そしてまた宇宙船目掛けて自動小銃の引き金を引いた。彼の者はその中を歩きながらも時折奥の方から向かってくる乗員たちとすれ違っていく。その時に彼らとぶつかりそうになるが、ベルガー粒子の身体を持つ性質上すり抜けていくので彼の者は全く意に介さずに淡々とネストスロークの内部へと向かっていった。
艦内は異常事態としてある一定の間隔で設置された通路を塞ぐ扉が次々と閉められていく。扉は分厚く頑丈な造りで、一つの扉を壊すだけでも相当な時間を要するだろうと思われた。しかし彼の者が近付けば次々と扉は開き、進路の阻害にもならない。
この扉を管理するAIも大量のエラーが蓄積され機能を停止する。機械にすら干渉する彼の者の効果範囲では、流石のネストスロークのAIでも太刀打ち出来ない。
彼の者が通路を歩いている途中で立ち止まり壁の方へ目を向ける。そして突然壁に向かって拳で殴りかかった。異形能力者を再現した剛腕で殴れば金属の壁であろうとも破壊することが可能。壁は強烈な一撃を喰らい大きな穴が開き壁の中にあるベルガー粒子が露わになる。彼の者はその粒子を見て軌道を読み取っていく。
『なるほど……探知能力者がタブーなのも理解出来る』
彼の者から発せられた声はまるで複数人の男女の声を同時に発して合成したような奇妙な声だった。
『この船のいたる所に能力者の脊椎と脳が設置されている もしこれを知れば能力者全員が反旗を翻すだろう』
宇宙空間にあるはずのノアの方舟に重力があるのは能力によるものであり、通路にある照明などの電気回路に使われる電気も能力者が作り出したもの。
この艦内にある設備は全て能力者の犠牲によって成り立っていた。これがネストスロークが探知能力者をタブー扱いしていた理由のひとつ。探知能力者ならばこの艦内全てにある能力者の脳や脊椎を探知してしまう。それを防ぐためにマザーは探知能力者を見つけては調整・廃棄を行なっていたのだ。
『ーーークズが……』
心の底から漏らしたその言葉を最後に彼の者は通路から消え去り、マザーの居る階層まで一瞬で移動する。時間や因果律に干渉出来る彼の者は途中までの過程すら消し去ることが可能なのだ。
そしてマザーの居る階層に降り立った彼の者は遂にマザーの本体と対面することとなる。
「ーーー面白い。ベルガー粒子のみが此処へ来ましたか。つまり我々の目の前に居るのは能力による事象であり、R.E.0001たちは直接此処へは来ていないのですね。」
マザーは突然目の前に現れた人の姿を模倣したベルガー粒子を観測したあとに限りなく近い正解を導き出した。だが限りなく近いだけで本質までは理解していない。目の前に居るのはそんな尺度で測れるような代物でも、マザーの認識している能力とも根本的に違う。言うなれば次元が違うのだ。
マザーは時間操作型因果律系能力として目の前の事象を認識しているが、目の前に居るのは【多次元的存在干渉能力】による事象だ。そもそも根本的に違う能力であり性質として能力者を必要としていない。本来の能力の持ち主であるアインが死亡し、能力を操作する脳がこの世界から消え去っても行使され続けるこの能力は異質そのものである。
『なんとも壮観な所に住んでいるんだな』
もはやアインでも誰でもないただの能力である彼の者がマザーへ話しかける。彼の者は此処の光景を壮観と評したがこれは皮肉の効かせた言い方であり、心の底からマザーへ対して増悪を込めて言い放った言葉だった。
なにしろ此処には数え切れない程の能力者たちの脳と脊椎が透明な容器に一つ一つ容れられており、しかも電極などの器具に繋げられ壁一面に並べられていたからだ。今までのことを考えるとここがどのような施設なのかは想像に難くない。
『ーーーまさか 我々のネットワークに干渉したのか……?どうやってこの空間に干渉した?』
マザーは自身の有しているネットワークに侵入されたことを知覚し、すぐに排除に動くがどこから経由して侵入されているのかも突き止めることが出来ず、対処することが出来ない。
『私達はこの世界にあるものなら干渉出来る お前が何処に居るのかも私達にはお見通しだ』
異形な腕を上げて人差し指を部屋の中央に鎮座する脳へ向ける。この部屋は一つの階層まるまる使っており、部屋の中央から端にある壁までの距離感が上手く測れない程に広い。そんな広い空間に分かりやすく置かれた脳があればマザーの本体があの脳であることは簡単に推測出来る。
『……驚きました 本当に驚きましたよ これ程とは思いませんでした アナタの言うとおり我々はこの脳の中に居ます』
マザーは能力者の脳の中に埋め込まれたマイクロチップの中に存在するAIである。人の脳が処理出来るデータの量と速度は凄まじく、最新鋭のスーパーコンピュータと比較しても人の脳が計算に特化した機械をも遥かに凌ぐ結果になる。それなのに使われる電力は非常に少ないのでコストの面でも人の脳のほうが優れているのだ。
それに多数の脳を経由すれば更に処理出来るデータの量は増え、しかも能力者の脳を使えば能力そのものにも干渉することも出来る。これほどまでにAIを造る上で優れたパーツは存在しないだろう。
『ああ だから直接会いに来てやったぞ』
『ええ ネットワーク上に存在する我々に対して アナタの言葉のとおり正に直接会いに来てくれたのですね』
マザーは能力者の脳に付いている目玉を経由して目の前のベルガー粒子を視認している。ベルガー粒子を認識するには能力者の脳、つまり能力者の目玉も必要になるのだ。
『この世界から消し去ってやる』
『それは困ります 話し合いに応じる気はないのですかR.E.0001』
会話を続けて時間稼ぎを目論むマザーに対して話し合うことに何もメリットのない彼の者では交渉にもならない。だが彼の者は敢えて少しだけ話し合う時間を設けることにした。
『私達はR.E.0001ではない 私達の願いの為に放たれた能力である』
『能力なのは分かっています なら何故アナタは自身を私達と呼称するのですか?まるで能力に意思が備わっているみたいですよ』
マザーの指摘は理に適っているが、それは大きく勘違いしているからこそ出てきた言葉だった。マザーはこの能力に意思が備わっているのはR.E.0001たちが遠くから操っていると考えている。それこそが大きく間違った認識。マザーはもう作戦の目的であるR.E.0001たちを殲滅するという目的を達成している。アインたちは水爆の光で蒸発しこの世界から消え去った。作戦は成功しているのだ。
『必要だったからだ 能力が願いを叶えるのに自意識が必要だと判断し付与したのだ』
『ーーー何……?どういう意味ですかそれは』
『そのままの意味だ この身体も動きも意思も必要と判断され再現されている 私達は死者でありただの記録であり記憶に過ぎない』
マザーはここでようやく目の前の存在は我々には理解の外側にいる存在だと理解し始める。すると一気に認識は変わり、目の前に居る者は全力で排除せねばならない敵であると認識し直す。
『時間は稼げました アナタは我々には不必要な存在です 消えてください』
マザーの操作する1017個の脳が活性化しベルガー粒子の動きが活発化し始める。それを見た彼の者は口を歪ませてただただマザーの準備が終わるのを待ち続けていた。




