冷静に努める
ノックをして部屋主の許可を待つ間は自然と心臓の鼓動がドクンドクンと激しくなる。これは久し振りに話そうとしているからなのか、それとも変に意識しているからなのかは分からない。ただ言えることはお膳立てされたせいで緊張感が増してしまっているってことぐらいだ。
「どうぞ。」
アネモネの声が部屋の中から聞こえたのでドアノブを捻って開けてみる。まず最初に見えたのはなにかの機器に顔を近付けて真剣に見ている彼女だ。そこから部屋の中をぐるりと見てから部屋の中へ足を踏み入れる。
部屋は本棚やなにかのサンプルが置かれていて人の住むような部屋とは言い難いものだったけど、アネモネらしい部屋な感じはする。何か目的と目標があって然るべき内装になっているみたいな感じだ。
でも部屋の中はとても暗くアネモネの座っている机の上に置かれたランプしか明かりがない。窓はあるけど雲が厚いから月明かりは入ってこない影響であのランプしか光源は無さそう。いつも夜はそうしているの?
「フェネット、また来たの。あなたも懲りないわね。」
アネモネは僕が部屋の中に入っても目線を動かさずに機器を見ているから僕をフェネットと勘違いしているみたい。
「はあ…全く、昨日の話の続きなら最初に言った…通りに…」
アネモネが機器から目を離し、僕の方へと目線を移した所で部屋の中に入ってきたのが僕だと気付いて語尾が萎んでいった。予想外の事態にアネモネがフリーズしている。
「えっと、ノックしてどうぞって言われたから部屋に入ったんだけど…。」
弁明のような状況説明のような事を言うとやっとアネモネは事態を把握し慌てて椅子から立ち上がる。
「ちょ!ちょっと来るなら言っておいてよ!ああー片付けが済んでいないのに…!」
アネモネは慌ててテーブルの機器や色んな道具を片付け始めた。その様子を見て僕は安心する。
(ああ、昔とおんなじだ。)
彼女の立ち振る舞いは昔と変わらない。変わったのは環境と僕自身だ。彼女を見る僕の目が変わってしまっていたんだと僕はこの時に始めて気付く。
「ここ、座っていい?」
恐らくフェネットがアネモネとお喋りをするために用意したであろう椅子を引いて座っていいかと聞いてみたけど、アネモネは僕の言葉が届いていないのか、片付けに集中しているので仕方なく勝手に座ることにした。
(なんかごちゃごちゃしてるな。)
作業をするための机の上はごちゃごちゃしていて何が置いてあって何をしているのか分からない。アネモネは分かっているのかな?
「…これ何?」
何かを書き殴ったような文字の羅列が書かれた紙を見つけてアネモネに聞いてみる。僕達が使っていた文字とは違う。違う言語の言葉だ。
「あ、それは…何でもない。気にしないで」
アネモネは急いで僕の指を指した紙を回収すると適当な本の中に挟んで本棚へ入れてしまった。何か変な事が書いてあったのだろうか。というかあの文字は書いたばかりに見えたな。もしかしてアネモネが書いた…?
「…今日はどうしたの?珍しいというか初めてじゃない?こんな夜遅く来るなんて。」
アネモネは壁に置かれた本棚に顔を向けて僕に背中を向けたまま話し始める。…もしかして急に来たから怒っている?ちょっと迷惑な行動だったかも。
「そうだね。最近話せてないから来てみた。アネモネが最近何をしているのか知らないし、何か手伝えることがあれば話だけでも聞きたいって思ってね。」
本音はフェネットが怖いからなんだけど、別に今言った内容も嘘じゃない。喋りだしてみるとツラツラと言葉が出てきて自然と自分の本心を話していた感じだ。
「…無い。アインは何もしないでいい。」
「そっ…、かっ…。」
会話が終了した。なんだろうこの感じ。…懐かしい?アネモネと関わり始めたばかりの頃を思い出す。彼女はかなり口下手で説明も足りなくて会話が大変だったっけ。
「話は終わり?明日も早いんでしょ。もう戻ったら?」
こういう時のアネモネは何かを隠している。もう長いこと一緒に居るし、彼女の面倒くささは良く理解しているから確信を持って言えるよ。
「うん。だけど何か隠してそうだから居座ることにした。」
「はあ?」
僕の言葉に反応して振り返るアネモネ。なんか久し振りに彼女の顔を見れた気がする。毎日ご飯のときに見ている筈なのにね。
「というかフェネットに怒られるから何か言い訳になる会話が無いと戻れないんだよ。僕のためだと思ってさ、付き合ってよ。」
「…また余計なお節介を。」
こめかみに手を当てて目を瞑る彼女はまるで頭痛に悩まされるような様子だった。
「そのお節介に何度も助けられたでしょうがお互いに。…取り敢えず座ったら?」
自分だけが座ってアネモネが立っているのは居心地が悪いったらない。部屋主なんだしさっさと座ってほしいよ。今日は長くなりそうだからね。
「…もしかしてモミジも絡んでる?」
「確かに今日話したけどフェネットの件が主かな。」
「そうなの…分かったわ。」
アネモネは椅子に座りテーブルを挟んで僕と対面する構図になった。…なんだか懐かしいなこうやって2人っきりで話すのは。
「実験や研究は順調?」
「…そこそこ。」
「ご飯は最近おかわりしていないけどちゃんと食べないと駄目だよ?」
「いや明らかに私に盛られたご飯の量多いでしょ。さっきのシチューとか具がみんなよりも多かったし私の皿だけ大きくない?あんな量なら毎日おかわりしてるようなもんでしょうが。」
おっと気付いていたのか。ディズィーと悪巧みして徐々に容器を大きくしていきアネモネの食べる量を増やしていったんだけど、どうやら気付いていたけど放置していたみたい。チッ…勘の良さは相変わらずのようで。
「フェネットとは何を話しているの?」
「今の流れで別の話題に行くなんて面の皮が厚すぎじゃない?…はあ、分かったわ。フェネットとは世間話程度しか話していないけど?」
…嘘だな。それを証明してみせる。
「嘘だね。結構踏み込んだ内容をフェネットに話している。」
「話していない。」
少しムキになって無表情で返してきたけどその態度で分かるんだよ。結構アネモネは分かりやすい性格をしているから。
「嘘だよ。アネモネは嘘を付くときいつも眉を顰めるから。」
「えっ噓!?」
アネモネは僕の指摘で自分の眉間を触る。…引っ掛かったな。
「嘘だよ。」
僕がそう言うと次第にアネモネの表情が険しくなり顔全体が赤くなっていく。相当怒っているなこれ。
「なんでそんな噓をついたの…。」
「アネモネが噓をついたから。噓を言ったから慌てて確認したんでしょ?騙されたね。」
「…性格わる。」
アネモネは呆れた表情に変わり僕を軽蔑する目を向けてきた。だけど噓を言わなければこんな面倒くさいことをしなくても良かったのに。
「ディズィーから教えてもらったやり方だよ。」
「ディズィー…!」
裏切り者にはそれなりの報いを受けないとね。これで僕とディズィーは対等な関係に戻ったよ。
「それで最近はなんかみんなとも話していなさそうだし、どうしたのかなって心配して来たんだけどちゃんと話してくれる?」
「…」
無言のまま不機嫌そうに机の上に腕を置き、指先で机をトントンと叩く。これはかな〜り機嫌が悪い時のアネモネのクセだ。こういう時はフェネットとぐらいしか話さないんだよね。ネストスローク時代だとフェネットとアネモネはルームメイト同士だから話さない選択肢は無かったと思うけど。
(フェネットか…)
「話さないならフェネットから直接聞くし、有る事無い事を言うから。」
僕がそう言って席から立ち上がるとアネモネが中腰の姿勢で立ち上がり僕の腕を掴んだ。…アネモネもフェネットに対しては頭が上がらないからね。何か言われると困るのはお互い様だ。やっとアネモネと話し合いが出来そう。




