蒸気都市
敵の身体はまるで液体と固体を行き来し柔軟に衝撃を殺してくる。その証拠に結晶体だったバグの身体は液体に変質してディズィーの一撃をいなしてみせた。こんなことは知性が無ければ不可能だ。敵は間違いなく分かっていて変質している。
「敵は固体と液体の2つの性質を持っている!しかもコイツ学んでいるのか…!最初に攻撃した時よりも速い!」
恐らく最初に僕が行なった攻撃の時はすぐには液体状にはならなかった。でも2回目の攻撃にはすぐに変質して攻撃による被害を最小限に抑えてみせている。学習する相手は非常に厄介だ。
「ユー後ろっ!」
「えっ…?」
分散したバグの身体は元に戻るのではなく蒸気が蔓延して視界の悪い環境を利用し、身体の一部をユーの背後に忍ばせていた。そして液体状のバグの一部が再び結晶体に変質して橙色のエネルギーをユーに浴びせる。
「あっ!ッつい…」
背後から熱湯を浴びせられたと勘違いするほどの熱さに悲痛の声を漏らす。彼女の黒い髪は熱を加えられたせいで水分が飛び髪質が変化した。あれだけ真っ直ぐで艶のある髪がパサつき毛先がはねてしまう。
そして彼女の視界にはその自分の傷んだ髪が入り込み…一気にブチ切れた。
「…だろうがッ!!!」
ユーの身体を包むバリアの形状が変化し、まるで大きな手が生えたようだった。その手は結晶化したバグを掴むと一瞬で握り潰す。しかしサイコキネシスで作られた手で握られた時には再び液状化して、指と指の間からすり抜けるように逃げてしまった。しかも更に細かく分散して逃げられたのでユーの視力では視認することが出来ない。
特にユーの周辺の温度が上げられているせいで蒸気の量が多い。その影響もあって彼女ではバグを追うことが叶わずフラストレーションを溜め込んでしまう。
「ユー落ち着いて!僕達のバリアが揺らいでしまっているよ!」
アインはユーを落ち着かせようと状況の説明を聞かせた。ユーの感情が揺らいだ結果、アイン達に張られたバリアもユーの感情のように揺らいで今にも弾けて消えてしまいそうなのだ。この事態にナーフとディズィーが動揺しながらユーのフォローに入る。
「アインの能力なら戻せるから今は能力に集中してユー!」
「ナーフの言うとおりアインなら楽勝だ!それに今のユーもかわいいぜ!?」
2人のフォローが効いたのか、バリアの揺らぎが収まっていく。流石に能力が解除されてしまったら能力で固定しているアインでも防げない。能力の大元はユーなのでアインにはバリアを張るという事象を再現することは出来ないのだ。
「…傷んだ髪の部分は切る。」
ユーは不貞腐れながらも戦闘に意識を戻した。そしてアインの能力による再生も断わった。
もし髪が傷む前に戻されたらこのクソ野郎を殺したという記憶まで消えてしまうから。必ずここで殺してみせる…!
「まだ来るよっ!しかもユーに向かってっ!?」
マイがユーに向かって集まる結晶体を視認して大声で伝えた。敵は何故かは分からないがユーを狙って攻撃を仕掛けている。
「何でまた私なのッ!?」
恐らくだがバリアを張っているのはユーだと分かっているんだ。バリアが無ければ僕達が熱で死ぬのも分かっている。だからユーを優先して排除しようとしている。なんて狡猾なバグなんだっ。
ユーはバリアの範囲を広げようとベルガー粒子の操作をしようとした。だがそれよりも早く仲間達が敵と自分との間に割り込んで撃退してくれたのだ。
「流石に舐めすぎでしょうがっ!!」
ナーフの創り出したイオンビームが結晶体の一部に接触すると固体から液体状へ、そして更には液体から気体へと変質した。これで自分達に危害を加える事は出来なくなったが、気体に変質してしまったせいで蒸気に紛れて視認出来なくなってしまう。この敵は想像以上に厄介な相手である。
「ウラッ!!」
ディズィーはその巨体を遺憾無く発揮し、アッパー・上段蹴り・肘打ちなどで結晶体を砕いて砕いて砕きまわる。だがこちらも固体から液体状へ変化し最後は溶けるように気体へと変質してしまう。
「ちょっとコイツ逃げんなっ!」
マイは気体へと変質したバグの分子の位置関係を固定しその場に留めてみせた。しかもバグの分子だけをだ。
(チャンスだ…!この分子を完全に削除出来れば敵を滅ぼせる可能性が出てくる!)
アインはマイのベルガー粒子に包まれた分子に向けて能力を行使する。分子と言っても分子そのものを破壊しようとするのではなく、分子の中にあるエネルギーを無効化出来ないか試す為の能力行使だ。
「分子そのものに対する干渉を削除する!」
アインがユーのバリアに対して行なったように様々な干渉を無効化するやり方をバグの分子に行なった。だが今回は様々ではなく全てだ。
つまり温度・重力・時間・斥力・電波・紫外線・衝撃・etc…。こういったこの世界に存在すれば必ず干渉される概念全てからの干渉を消し去った。そうするとその物体はどうなるのか…答えは分子がこの世界に存在する定義すら消し去りこの世界からつまはじきにされた。
この世界に存在するには観測が必要だ。どの概念からもアプローチされて然るべき結果が生じるが、それら全てを一時的にでも消し去ればこの世界に存在していない事になりこの世界から弾かれてしまう。
つまりは…記録・存在という概念も無いのだからそこに在るわけがない。アインはそれをお試し感覚で実行し成功させた。彼も目の前で起きた事象に目を白黒させて理解が追い付いていない。論理だけは頭の中に浮かび上がってはいるが…
(消えた…?僕の射程にも効果範囲にもない。完全に削除されてしまった…僕の時間を戻す能力も届かない?)
「アイン今なにをしたの…?私が固定した分子が全部消えたと思うんだけど…。」
マイは分子レベルまで捕まえられる感覚を有している。なので分子が一つでも欠ければ認識出来てしまう。その彼女が全ての分子を掴めなくなったのだから驚いてアインに問い質したくなるのは普通の反応だった。
「いや、ちょっと僕も理解しきれていないんだけど、僕の能力って対象を完全にこの世界から消し去れるっぽいんだよね…」
戦っている最中に話すことでは無いってのは分かっている。でも出来てしまったからにはみんなに伝え方針を決めないといけない。
「…アインが敵を完全に消滅させられるっ!!みんなで敵の身体を見つけて捕らえましょう!!」
アネモネは勝機と見て叫んだ。ここで話し合っている時間が無いことは彼女が一番理解している。何故ならみんなの周りに纏わせている空気の酸素量が低くなっているのを脳内で認識しているからだ。もうあまり時間は残されていない。早く仕留めないと自分達が自分達の能力で死んでしまう。
「良く分からないけどそれで勝てるんでしょ!?私も頑張るからみんなアネモネの言うとおり動いて!」
フェネットが上から攻めてきたバグの突撃を躱しながら皆に声を掛け回る。そしてフェネットに遅れて皆も敵の攻撃を防いだり避けたりしながら敵の捕縛に移っていく。
アインの突拍子なさは今に始まった訳ではない。目の前の勝利のために動かなければと切り替えて皆が一斉に走り出す。敵の攻撃は上下左右前後、全本位から仕掛けてきた。アインの能力によって自分の身体の一部を完全に消されたのだ。敵の心も穏やかなものではないのだろう。
「…マズい今度は冷やしてきたわ!」
周囲に立ち昇っていた蒸気がパキパキと音を鳴らして結晶化し冷気を発する。数百℃もあった気温は一気に氷点下まで下がりマイナスの世界へと変貌した。
マグマのように流れていた地面も霜を生やし、足を動かす度にザクザクと乾燥しきった雪が踏まれる音がしてくる。あれだけ漂っていたエネルギーはバグの身体の中へ指向性を持って移動していき、バグが人型の形として姿を現す。
「ーーーキサマ…キケンダ」
氷の彫像のような姿のバグがアインを人として、敵として完全に認識した。刈り取る対象ではない。命のやり取りをする強敵としてアインをその青色の瞳で捉える。
「危険なのはお前だ。悪いが完全にこの世界から消し去る。二度と復活なんてさせないからな。」
白銀の髪を後ろに流しアインは目の前に居るバグを睨み返したのだった。




