困窮する実態
シルバーは僕達がバグを見たことがないからそんなことが言えると言った。確かに僕達は皿の上に並べられた食い物しか見たことがない。僕達だってあんな初対面はしたくはなかった。
だが僕達と違ってシルバーは本物の人類の敵に会った。それが原因で彼女の心は折れてしまったのかもしれない。
僕達もいずれはそうなると彼女は考えているのかもしれないが、今の所は彼女の考えを否定し切れない。誰にも未来の事はわからないのだから。
「地球に来てまだ季節も変わらないうちに私はアレと出会った。基地から少し離れた場所へ遠征しに行き仮拠点を建築していた時だ。」
シルバーは無き右肩を左手で掴み痛みを堪えるかのような悲痛な表情を浮かべる。
「そいつの詳細なことは資料にも載っていないし、記録することも出来ないようなバグだ。私も思い出そうとしても頭痛がして上手く思い出すことが出来ない。ただ覚えているのは私以外の仲間が全員殺されたということだけ。」
資料に載っていない…?新種か?それともまだ未発見の個体か?
「私はその場から必死に逃げた。仲間達の遺体をそのままにしてな。だがヤツは私を追ってきた。私を…人間を殺そうという意思をヤツから感じたよ。」
バグは人を襲う。その理由は分かっていないけど見つけ次第攻撃してくるのはどの種類のバグでも変わらない。奴らは人を目標として襲いかかると云われている。
「その時に私の右腕をヤツに持っていかれた。逃げる私は必死だったからその時に右腕を失った事にも気付かなかった。正直何故いま逃げ切れたのかも分からない。もしかしたら私の右腕をヤツが食っている内に逃げられたのかもな。」
彼女は事実を淡々と話しているけど気になる所が結構ある。仲間達が殺されたと言っていたけど、それって能力者が殺されたって事だ。…そんな簡単に殺されるか?能力者だぞ?敵も能力は使える。でもこっちも能力が使えるんだ。勝てなくてもシルバーみたいに逃げることだって出来た筈なのに…。
「その仲間達ってそのバグと交戦したのですか?」
アネモネは僕よりも早く質問を口にした。彼女も不思議に感じているのだろう。そんな簡単にやられるような訓練はどの世代も受けていないと僕達は考えている。
「…少し待て。」
シルバーは席を立ち棚に仕舞われた紙が重なった資料を取り出した。そこに何が書いてあるのかは分からないけど相当古ぼけて質の悪い紙束だということは分かる。
「これは“手記”だ。人の手によって残された情報が記されている。ネストスロークにも存在しないような事もここには書かれているぞ?」
ネストスロークにも存在しない情報…?そんな情報があんな紙に書かれている?誰が書いたんだ?
「バグにも色々な種類、個体が居るのは知っているな?」
「皿の上に並ぶ奴なら結構知ってるぜ?さっき食ったのは魚類のやつだな。」
ディズィーはバグ=食べ物って刷り込まれているな…。まあ、しょうがないけどね。ここに居ては認識がおかしくなってしまう。
「あれはかなり可愛い方だな。だがあんなのはバグとは言えない。本物のバグとはただただ人を殺す存在だ。」
シルバーは紙を捲って書かれた文章を目で追う。こちらからではどんな内容が書かれているのか視認することは出来ない。
「先ずはネストスロークにも無い内容である説明をしようか。ネストスロークがバグという存在をタブーとして扱っているのは知っているか?」
「…はい。バグをネストスローク艦内に持ち運ぶ事すら禁止しているって事は知っています。」
「まあその程度の認識か。…お前達は何故人類が絶滅しかけたのか理由を説明出来るか?」
シルバーの質問にみんなで顔を見合わせる。そんなことも分からない者などここには居ない。
「バグが人類を襲ったからです。それで絶滅の一歩手前まで追い詰められました。」
「能力者が居たのにか?」
…ここでこの返しか。バグが突然発生し人を襲い始めた時に人々は能力に目覚めた。それなのに絶滅寸前まで行った理由を聞いているのか。
「敵の数が多かったからでは?今の地球には数え切れない程の種類のバグが居ます。全ての数を合わせれば人類の数よりも多いでしょう。」
記録では1番多い時に人類は80億人以上も居たらしい。そのときにはバグもそれに近い数が居たと考えるのが自然な流れだ。
「そう考えるのが普通だな。私も前はそう思っていたよ…これを読むまでは。」
そう思っていたが、違った…?僕達の知っている知識とあれに書かれている事実は異なっているようだ。
「人類を絶滅寸前まで追い込んだバグの数は凡そ5体から6体。人類はたった数体のバグに絶滅寸前まで追い込まれたらしい。」
5体から6体…?僕達よりも少ないじゃないか。そんな数のバグに人類は負けたのか?
「…その手記に書かれている内容が正しいという根拠はなんですか?とてもではありませんが信じられない事実です。」
「まあ待て。話はまだ終わっていない。話し終えたら君達の質問に答えよう。…じゃあ話の続きだが、その当時の人類側の戦力について話す。核融合反応は知っているよな。これを利用した兵器を人類は持っていたし銃火器や様々な兵器をどの国も保有していた。」
国って確かそこに住んでいる人達の所属している名称のことだったよね。例えると僕達のネストスロークも国のようなものだ。それが昔はかなり多くの数があったと教えられた。
「分かるか?それに加えて人類は能力にも目覚め始めて人類史においてもこれ程の戦力が揃った時は無いだろう。それでも人類は負けた。これは手記なんて無くても分かることだろう?」
考えたことも無かった…人類の戦力がそこまであったのに、最後は宇宙に逃げるしかなかったという事実をもっと考慮しておかなければならなかったのに…。
「それで人類を追い込んだバグだが、この手記には“始まりのバグ”と書かれている。どこから発生したのか、何故このような者達が生まれたのかは定かではない。だが間違いなくコイツらは居た。ネストスロークはこの事実を隠していると私は考えている。」
ネストスロークがそんな重大な事実を隠している?ありえない話にしか聞こえない。
「もしくは情報を持っていないのかもな。手記にも書かれているが映像や写真などに記録する暇も無かったらしい。残っているのは口伝をこの手記みたいな紙媒体に記録したものや、時々出てくる遺跡から発掘される古ぼけた写真のみだ。」
彼女の言っていることが真実ならば、彼女がいま持っている手記はかなり貴重なものじゃないか?人類滅亡の窮地に立たされた当時の記録なんて人類全員が欲する情報だ。
「地球には大陸がいくつかあるが、初めにバグが出現したとされるのは北アメリカ大陸…アメリカ合衆国と呼ばれた国があった場所だ。…因みにここはそこから離れたユーラシア大陸にある島だ。ニホン…という国があったらしい。」
ニホン…聞いたことがない名前だ。そもそも知っているような国の名前なんてないけれど。
「バグは北アメリカ大陸、南アメリカ大陸を手始めに人類を皆殺しにし、海を超えてこの島もその奥にある全ての大陸から人間を絶滅させた。そしてアメリカ大陸からバグが居なくなったタイミングで残った人類がネストスロークの宇宙船を打ち上げて脱出する計画を進めたと、この手記の最後に書かれている。」
…言葉が出てこない。質問は山程ある…しかし、何から口に出せばいいのか分からない。こんな事実をそう易々とは受け入れられるものではない。
「…その手記、触らないので目を通してもいいですか?」
アネモネが立ち上がりそんなことをシルバーに言った。手記に興味を持っているのが窺える。
「ああ良いぞ。かなり古ぼけているから大切に扱ってくれるのなら触ってもらっても構わない。…ほら、皆も手にとって見てみるといい。」
「…じゃあ、失礼して。」
僕達はシルバーから手渡された手記を机の上に置き目を通していく。書かれているのはネストスロークで使われている言語で僕達にも読むことが出来る。それに見づらいけど写真も途中に挟まっていて時系列順に纏められているみたいだ。
「…シルバーが言っていた内容に間違いはなさそうですね。他にもこの手記のような資料はありますか?」
アネモネはどんどん手記に書かれた内容に食い付き追加で資料を求める程だった。こんなに前のめりのアネモネは見たことがない。
「…ある。かなりの量だが今日中に目を通すつもりか?」
「はい。私だけでも目を通すつもりなので。」
…これはまた寝ないで日を跨ぐ事になりそうだ。




