血の繋がった家族
タイトル回収
何を言い出すかと思えばこの頃の年頃に有りがちな思い上がりだ。人には使命があるがそれには本来意味などない。あるのはそれに依存し、視野の狭まった価値観から生み出されるエゴのみ。
娘はまだそれを理解出来ていないようだ。人から教えてもらった?己の人生で学んだ?そんなものが正解な訳がない。何故ならそんなものに根拠などないからだ。本質を見極めないままそれを信じて行動を起こしても自身の幸福には繋がらない。
正しいのか、正しくないのかの話ではない。自身にメリットがあるかないのかの打算的な論理こそ人の価値観として正当なものである。
「ふぅ…分かっていないようだね。善だとか悪だとか、そんな一種類の生き物の一部しか共有出来ない主観的な判断なんてなんの価値がある?必要なのは我々の立ち位置と権限の多様性さだ。いま生きている者達とこれから生まれる者達が安心して生活出来る環境こそが、私達の共通の目的地なのではないのかな。」
この子も理解出来るはずだ。あの女の事なんて忘れて私の管理の下に動けばいい。
「ああ…あなたはそういう人なんですね。」
美世は心底…落胆した表情を浮かべる。少しでも相互理解が出来ると勘違いしていた自分に落胆したのだ。
「何…?」
「あなたは善や悪とかを引き合いに出しておきながら、結局の所は共有した思想の下にとか言って私を運用したいだけ。あなたの言い分なんて自分中心な勝手な理屈でしかない。…そこに私の感情は考慮されていない。」
それを聞いた男は美世と同じ様な落胆した表情を浮かべる。この娘も結局はあの女と同じだと認識した。
「はあ…私の娘なのだからもう少し賢いと思っていたのだがな。残念だ。」
「私も残念だよ。こんなのが父親だとか自分の程度が知れるから。」
もう相互理解は図れない。そうお互いの中に共通した認識が生まれる。これ以上は歩み寄れないのは分かった。そもそもの話、お互いに歩み寄る気は更々無かったのだが…。
「最後に聞きたいことがあるんだけどいい?それを聞いたら話はやめるから。」
「……良いよ。さあ、何を最後に聞きたい。」
この質問がされた場合、今の関係と均衡を崩すものなのは明らかであった。そんな雰囲気が部屋の中に充満する。誰も口にしなくても同じ能力者同士…しかも父娘だ。お互いに歩み寄る事は出来なくても分かり合える事はある。
「なんでお母さんを殺したの。」
何故そんなことを聞くのか男は分からなかった。本当に不思議そうに娘を見ながら男は答える。
「そんなのは決まっているじゃないか。」
…だからなのか。彼は美世も知らないような彼女の地雷を踏み抜いてしまった。今後誰も踏むことは無いだろう地雷をだ。
「女が男に歯向かったからだ。あの女は私を脅そうとした。だから殺したんだよ。」
それを聞き美世の目は充血し真っ赤に染まっていたが、何故か青い光が瞳の奥に見えた。彼女の中にある何かが壊れブレーキが効かなくなる。
「あの女は本当に…何様のつもりだったんだ。せっかく私の子種を与えて娘を与えてやったのに。恩も知らず、恥も知らず…だから学のない女は嫌いなんだ。」
目の前に居る男を父親として認識出来ない。事実として血の繋がった父親なのだから認めたくなくても父親であるのは変えられない事実。しかし美世の中にある常識や価値観が完全に壊れてしまった。
社会のルールを大事にしてきた美世は本当の殺意をここで知ってしまった。この殺意の為なら今までの価値観を全て捨てられる。仕事でも役割でもない。正義の為でも母親の仇討ちでもない。
ただ純粋に殺したいという衝動に駆られた殺人という最低な犯罪を、彼女は殺意のみで行動を開始してしまった。
「…天狼さんが言ってた。」
「…だからな。あの女は…何?」
自分の言葉を遮られた男が少し不機嫌そうな声を出した。
「…京都は能力者が偉いと考えている風潮があるんだって。…京都は能力者を産めや増やせやの社会だ…男の能力者は複数の女性に子を産ませて女の能力者は強い能力を持つ男を選ぶ…どうだ?時代錯誤も甚だしいだろ?って。」
私は記録していた。天狼さんの言っていた事を閲覧し、その意味を真に理解した。
「本当にそうだ。あなたは京都を象徴する人だ。」
伊藤美世はソファーから腰を浮かせて立ち上がる。その目には覚悟を決めた者にしか出せない“熱”があった。それは斜め前に座っている男“大狩道善”は感じ取り、彼もソファーから立ち上がる。
「おい、何を考えている?母親と同じ過ちを犯すつもりか?」
能力者としての勘が言っている……“戦わず逃げろ”と。しかし彼の自尊心がそれをさせない。女から逃げるなぞ男のすることではないと考え美世と見合ってしまう。
しかし相手は世界中の勢力に恐れられている能力者。死神に一度勝利している完璧な能力者なのだ。例え最前線で働いてきた経験のある能力者であっても、現場を長く離れていた彼に勝ち目はない。
「私はお母さんみたいな事にはならないから心配しないでいいよ。…先ず自分の心配をしたほうが良いんじゃない?」
この建物は侵入しづらい設計になっているが、それは脱出することも困難になっていることを意味している。
「止まれ…止まれっ。わ、私に何かあれば、組織が黙っていない!」
出口であるドアの方へ行きたいのに美世を恐れて道善は部屋の奥へと後退りをしてしまう。ゆらゆらと歩きながら近付いてくる彼女の目を見れば正気ではない事は分かる。
こちらの話を聞く姿勢が感じられないので道善は能力を行使した。ポッケにいつも隠し持っているそれを美世に向けて放り投げる。
「これだから愚かな女はっ!」
小さな何かが飛んでくる事を美世は【探求】で探知した。だがそのまま彼女は歩き続けその飛来したものが胸の中心に衝突する。
その衝撃は空気を震わせて部屋の中に衝突音が鳴り響いたが、美世の胸の辺りにはそれらしき衝突の跡は見えずそのまま歩み続けていた。
「…あ、当たったはずだ。感触はあった。」
彼が飛ばしたのは圧縮されたポリウレタンとポリエチレンの発泡体。道善は圧縮力とそれの反対の力である引張力を操れる。彼は発泡体を圧縮し対象に放つことでその発泡体が持つ圧縮に抗う力である引張力を解放し、その力を利用して相手に攻撃することを得意としている。
道善は物体に備わっている引張力以上の力を付与することが出来るので、圧縮力が反転し引張力に強力な力が加わると発泡体の原子が爆散して飛び散りその周辺の物体をも引張力で爆散させられるのだ。
しかしそれは通常の能力者には効いても相手は伊藤美世。そんな程度の破壊力では進路を妨害することも叶わない。
「私は父親だぞ…。お前の父親である私に歯向かうなぞっ…!?」
美世に首を捕まれそのまま床に叩きつけられる。肺の中にあった空気は外へ出てしまい呼吸がままらない。しかも首を締める力があまりにも強く首の血流が止まってしまい窒息に陥る。
「かっ……ガッ…!」
美世の腕を振り解こうと両手で彼女の左腕を掴むがビクともしない。見た目は自分よりも細い腕なのにまるで金属で出来ているみたいに動かないのだ。
「あなたに能力は使わない。お前を殺すのは能力じゃない……私自身だ。私のこの腕で殺す…っ!」
更に右手で彼の首を掴んだ美世は己の出せる力を全て振り絞り彼の首を締め上げる。
「っ…!ッ……!!」
馬乗りの体勢を取られたせいで抜け出せない道善は足をジタバタさせるがすればするほど体内の酸素を失ってしまい意識が保てなくなる。だがこのまま首を万力のように締め上げられたら間違いなく死んでしまう。
脳に酸素が行き渡らなければ能力は使えない。能力者を殺すのに絞殺を選ぶのは非常に効率的であり理に適っていると言えよう。それだけ美世がこの男を確実に殺そうとしていることが良く伝わってくる。
「〜〜〜〜っ!!」
部屋に響くのは道善が足掻いて足を床に叩きつけている音だけでそれ以外には何も聴こえない。道善は喋ることも空気を取り込むことも出来ない。声帯の部分は完全に押し潰され気道も閉じてしまっている。
そして母親の仇を殺す事が念願だった美世も終始無言で首を締め上げ続けていた。もう言うことも無いとばかりのその姿勢に彼女の本気の殺意が見て取れる。
そしてその表情は憎悪に歪んだものでも実の父親を殺さなくてはならない悲壮感漂う表情でもない。
彼女は笑っていた。それはそれは楽しそうにこの時間がいつまでも続いて欲しそうな子供のような表情だ。そんな表情を向けながら殺しにかかっている美世に道善は走馬灯に映る美世の母親を重ねる。
(そういえばあの夜もそんな顔を見た…。)
初めてあの女を抱いた時だ。あれは攻めるのが好きでよく上になって腰を振っていた。今の彼女のように馬乗りになりながらだ。ろくでもない女だったが相手を気持ちよくしようとするその姿勢だけは好ましく思っていた。
だが一つだけどうしても引っ掛かっていた。彼女は行為の最中に笑顔を浮かべるんだ。最後に抱いてやった時も同じ様な表情だった…そう、今の彼女のような表情だ。相手を見下ろして必死に行為に及ぶこの親子二人は本当に良く似ている。
(こんなところが似ているなんて……売女の娘はやはり売女だな……)
ゴキッ……男の首の骨が娘の握力に耐えられずに折れ曲がり、彼の頭が首の途中から不自然な位置へと曲がってしまう。口からは首の骨が気道へ突き出てしまったのか血が溢れて床の上に垂れた。
「………」
美世は無言のまま握力を弱めず首を締め上げ続けた。抵抗の出来ない彼の首は更に変形し、美世の親指と人差し指の先端が触れ合ってしまう程に圧縮された。そしてその力に耐えきれなくなった彼の首が爆散し首から上が向こう側の壁にまで吹き飛んで行ってしまう。
美世は道善の能力を無意識の内にコピーし行使していたようだった。だが美世は破裂し飛び散った血で顔面を濡らしてもまだ締め上げていた。もう血管や皮膚、髪の毛の一部しか握られていないのに笑みを浮かべて両手を握りしめ続ける。
口の中に父親の血や肉片などの一部が入ってしまっても表情が固まったままの美世は、突然電池が切れたかのように無表情になり天井を見上げる。
そしてようやくここで口を開き声を発したのだ。
「あ、あはっ………アッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」
普段の彼女から考えられないような声量の笑い声が室内に響き渡る。それはなにかに解放された者にしか出せない笑い声のように感じた。
それからその笑い声を聞きつけて部屋の中に突撃した者が居た。この建物の場所を知る者など限られる。部屋の中に入ってきたのはこの建物を所有している者の身内。つまり…
「美世…。」
部屋の惨状を見た彼女はそう呟きただその場に立ち尽くす。
「ハッハ…ッ…ハッ……ハ……………………………いざ…な、み。」
振り返った彼女の顔は未だかつて見せたことのない能面のような無表情だった。
主人公の目的は達せられました。




