最悪の事態
エンドゲームっぽさある。
あいつ言いやがった…!母親が娘に言う台詞ではないっ!…だが、効果はあるだろうな…。美世は母親の為に色んな事をしていた。それを知っているからこそ美世が母親の味方をするのは自然な事で当たり前だと分かってしまう。例えこんな母親であっても助力は惜しまないはずだ。
「…お母さん。」
美世がしゃがみ込む。母親である怪異点の頬を両手で包み顔を近付けた。
「ーーーあり得ない…!美世はあの空間から脱出なんて出来ない筈だ…。例え外部からの助けがあっても…!」
死神がかなり狼狽えた反応を見せるが私にとっては意外性は無い。美世ならやってしまうだろうと納得してしまったからだ。
「…ねえ。本当にパス切ったの?時間操作型因果律系能力が使えないとあそこから抜け出せないよね。」
…パスを切った?アネモネの言っている事が本当なら今の美世は探知能力と異形能力しか行使出来ない。ならこちらに勝機は…あるか?例え死神が本気を出せなくても肉弾戦なら私の方が有利。美世の相手は私が受けられる。
私は考えを少しまとめた後に、美世の後ろに控えている蘇芳とその隣に立つ女性に視線を向ける。…見た感じでは今の所は動く気配は無さそうに見えるが…気の所為か?私を見ている?死神よりも私を見る理由が分からない。
だが今は蘇芳よりも美世とその母親の怪異点の方だ。
死神には蘇芳の相手をしてもらえれば私達の負けはない。蘇芳が死神を警戒するのは能力の相性が最悪だからだ。死神もそれは理解している筈。私が言葉にしなくてもこれからどう動いたら良いのか分かっているだろう。
「あー美世は時間操作型因果律系能力を使える様になったの。死神とパスを繋いで貸し出してもらわなくてもね。」
蘇芳の一言で私達の前提条件が全てひっくり返された。
「貴様…ミヨに何をした!」
死神が蘇芳に吠える。マズい…。この状況はどう考えても完全に蘇芳の掌の上だ。死神も私もしてやられた。怪異点に意識が向きすぎていたッ…!
本当にしてやられたよ。美世がずっと言っていたのにな…。
私達が一番警戒すべきだったのは蘇芳…お前だったんだな。
「…何も。美世が一人であの空間を支配したの。私は美世の手伝いをしたくてここまで連れて来ただけ。私はね…」
蘇芳は瞼を開けてその青い目を晒しながら口を歪めて笑みを浮かべる。その目の青さといったら怪異点とは比べ物にならない。
怪異点が塗料を塗りたくった不透明な青さだったとしたら、蘇芳はサファイアのような正に宝石の輝きを放つ青さだ。思わず魅入ってしまいそうな怪しさを感じる。
「…美世の味方をするって決めてるの。あなた達とは違ってね。」
コイツ…!良くも、いけしゃあしゃあと言えたものだ。お前だって怪異点が居続ければ殺されてしまう事を知っているのに…その事に触れずに美世を誑かしてここに連れて来たのか。
「お母さん。お母さん。」
美世は俯いたまま母親の声を聞いている。
「あぁ…私の愛しい美世…。身体がね、痛いの…。彼女達が私をこんなにも痛みつけて殺そうとしたのよ…?酷いでしょう…?」
…この女は根っからの悪女だ。そう言って罵声を浴びせたかった。しかしここには美世が居て聞いている。母親への罵声なんて聞かせられない。
「ねえ…」
怪異点の声色が変わった。これはさっきまでの同情を誘うような言い方とは違い強請るような浅ましさが感じ取れる言い方だ。
「今の美世なら私の身体を戻せるでしょう?お母さんね…とても痛いの。この身体を戻せるでしょう?お母さんを助けて…ねえ?」
なんて醜い生き物なんだ…。娘にこんなことを頼めるその無神経な性格こそコイツをコイツ足らしめる要因だと感じられた。
「お母さん…。」
「なぁに?言って?私は美世の話ならいくらでも聞くわ。でも最初に私の身体をどうにかして?ね?」
怪異点の身体は普通の人間ならもう死んでいてもおかしくないぐらいの出血をしていた。内蔵を床の上で引きずって青白い肌に赤い血が塗られて2色のコントラストが生まれている。
その姿はあまりに生生しく…見る者を誘惑するような蠱惑さを放っていた。
「ああ…本当に酷い。許されないよ。」
(…来るぞ…本気の美世が来る…。)
美世の纏った雰囲気が物々しいものに変わる。美世と本気で戦うのはこれで2度目になるが、今回は全くといって勝てる気がしない。
「おい、アネモネはどうするんだ。」
死神は大体どう動くかは分かる。でもアネモネの方は分からない。彼女も死神と同じ存在なのだろうけど考え方は違う。彼女達は別人同士だ。身体の動かし方も戦い方も違う。そういうちょっとした差からある程度の彼女達の関係性というものが見えてくる。
「…やっば。」
…それだけか?
気になって横顔を覗いてみると…これは駄目だ…。思考を停止している人の顔を浮かべている。彼女はピンチに弱いタイプなのか…。
もう彼女はあてに出来ないな。私が動かないと。
「駄目だよこんなこと…。」
美世がポツリと呟く。垂れた前髪で顔が伺えないが美代はそれどころではないと気にせずに自分を治すように何度もお願いをする。
「…そうね、駄目よねっ。あのね、それよりも私を…」
そこで頬を包む手の力が強まり美代は声を出せなくなる。これは物理的な意味で声を出せなくさせられたのではなく、美世の目を至近距離で見てしまい恐怖で声が出なくなったからだ。
「お母さん…なにも罪のない人を殺したね?」
「えっ、あ、あ…」
美世の目は蘇芳や美代とは違った迫力があり、あの美代が言葉をつっかえてしまう程の圧力があった。
(こ、ここで、な、何かを、言わないと…っ。)
「ねえ、なんで?なんで殺しちゃったの?」
美世たち親娘の様子を見ていた天狼と死神とアネモネは予想外な展開に唖然とする。美世が母親である怪異点の事を責め出したのだ。
でもそれはその筈、罪のない人が殺される事は美世にとって地雷も地雷、彼女の中で一番と言っていい程の核地雷だ。それを踏み抜いた美代は自分がその地雷を踏んでしまった事に今更気付く。
美世は母親が殺された事がトラウマになっている。これは周りも分かっていることだ。
幼かった彼女はその時に罪のない母親が殺され、何も悪い事をしていない自分が不幸のどん底に落ちるという幼少期を過ごした。そんな経験をした美世は小さい頃から多大なストレス感じ性格や生き方、信念にまで影響を及ぼしている。
美世は一般人や罪もない人が殺されてしまう行為自体をこの世界で一番憎んでいるのだ。
「あ、あのね…それは美世の為で…」
美代は咄嗟に言い訳を口にするが、言った後にすぐに「これは駄目だな」と分かってしまう。こういった言い訳を聞くような子ではないと分かっているからだ。
そして頬を包む手が顎の骨辺りまで移動し徐々に首の方へと移動する。その動きに美代はゴクッと唾を飲み込む。
「私はお母さんが殺された時ね…とても悲しかった。」
美世の手の平が完全に首周りに移動し両手の親指が顎の下に置かれる。残った指は耳や目の周りに置かれて目を閉じれないように力が込められる。
「でもね。最近はなんとか…なんとか乗り越えられたの。色んな人と交流して自分の生き方はこれだけじゃないって、楽しく生きてもいいんだって。」
彼女は自立していた。父との関係も弟との関係も悪くないと思えるようになって、友達や仲間と過ごしている内に彼女は自分の役割というものを見出してきていた。
そこに昔の大切な人が現れて美世の大切だと思えてきた世界が崩された。自分のやって来た事を全て否定されたも同然。
少し意味は違うかもしれないが今の美世は“可愛さ余って憎さが百倍”に近い感情を抱いている。
「こんな私にも救える人達やそこに居るだけで喜んでくれるような人達が居る。みんなみんな大切で私が守りたい人達。」
先程から一切瞬きをしない娘の瞳孔の開ききった目が恐ろしくて美代は目を逸らすことが出来ない。目を逸らせばその瞬間に死が訪れるだろうと容易に想像出来るから尚更だ。
「でもお母さんは殺した。あの人達が何をした?なんの罪があったの?」
美代が殺したという事は美世もそれが分かる。美世のマッピングした地図上で起きた事だからだ。母親の軌道を読み取ればどうやって殺したかも認識出来る。
「の、能力者は、危険なの。た、ただの一般人は、抵抗も、出来ない。わ、わたしも…それで、殺された。み、美世…なら…分かって、くれるよ、ね?」
美世は母親が誰に殺されたのかを聞かされていない。犯人は分からないしどうやって殺されたのかも知らない。だが…母親にも原因があって殺された事をもう知っている。
「…死神、止めろ。」
天狼はこの後の展開、美世をここに連れて来た蘇芳の目的を理解してしまった。
「止めろ死神!考えられる限り最悪の展開だっ!絶対に美世に母親を殺させるな!」
天狼は無意識のうちに駆け出した。そしてそれを待っていたかのように蘇芳と使用人として付き添っていた新垣結貴が動き出す。
新垣は左右の手で人差し指と親指を伸ばしてL字を作り、それを互いに親指と人差し指に指先を合わして長方形の枠のようなポーズを作る。
彼女の視点ではその長方形の枠の中に天狼が綺麗に収まっており、駆け出していた天狼は視界の端に映る彼女の不審な動きに気付き、それを見た瞬間ゾワリと身体中に駆け巡るような嫌な感覚を覚えた。
天狼は咄嗟に進路を変えて新垣に攻撃を仕掛けようとした。この判断は間違っていなかったが、少し遅過ぎだ。もう天狼は彼女の射程圏内にいる。
「うんと遠くに飛ばしてね。」
蘇芳は新垣に指示を出し、彼女はそれに応えようと能力を行使する。彼女は両手で作った枠に収まった天狼に意識を集中させて両手をスライドさせた。
手で作った枠はスライドさせる事によって長方形が狭くなり天狼と重なって見えなくなる。そしてスライドさせ終わって完全に長方形という形が崩れた時には…天狼の姿は跡形もなく消えていた。
これで邪魔者は消え、全て蘇芳の思い通りに事が運ぶ手筈が整った。そしてその彼女はただ目の前の親子をその見えもしない青い瞳で顛末を見届けるのだった。
気が付いたら300話超えてしました。えぐいて。
あ、そういうば新垣さんは多分初登場から200話越しに能力を使う描写が描かれました。良かったね。




