肘川市北の山の冒険
ジャングルのように鬱蒼と繁る木々をぐぐり、葉っぱやツタをかき分けて進む3人の男女。
「……足元に気を付けろ。ここらへんは、蛇がいるから咬まれるぞ」
言いつつ、先頭を行く水色パーカーの少年、微居は長靴でバンバン音を立てて威嚇しながら進む。
「千葉県ってわりと都会で平坦なイメージだったのですが、こんな山林があるとは知らなかったです」
「なあ微居、俺たちはどこに向かってんだ?」
微居のすぐ後を歩く探検服のジュエルと、さらに後方から語りかける赤いシャツの絵井。
「……黙って俺について来い。面白いもんを見せてやる」
表情も変えずに応える微居に、絵井は首をかしげつつ後に続く。
見渡せば、深緑色の世界。
じめっとした空気や、花粉やカビのような粉っぽい匂い。
ホウホウホウホウと鳥の声、ギーッギーッと猿の叫び声が響く。
「……お前ら、マンドリルに会ったら絶対に目を合わせるなよ。糞をぶつけて来るからな」
「本当に、ここは千葉です?」
独特な雰囲気に包まれながら、彼らはどんどん進んで行く。
しばらくすると、開けた高台に出る3人。
「……ここから先は、あの道を進む」
「えっ、これを?」
「これ道か?」
微居が指し示すのは切り立った山肌。そこにはわずか50cm幅の、細長い板を敷かれた『桟道』と呼ばれるものがあった。
一応、人が渡れるような体を成しているが、落下防止の柵は無く、踏み外すと落差100mはあろうかという崖。当然、命綱の類いもない。
はるか下には、先ほどまで石投げをしていた渓谷も見える。
呆然とする2人を尻目に、微居は先へ進もうとする。
「……どうした、来ないのか?」
「いえ、行きます!」
ジュエルは勇気を奮い起こし、細い桟道に足を踏み入れる。
「絵井、怖いならお前はついて来なくてもいいぞ」
「ばか言え。お前が行けるところに、俺が行けない道理は無いだろ」
親友の頼もしい言葉に、薄く笑みを浮かべる微居。
3人は岩壁に手をつきながら、そろりそろりと崖の桟道を進む。
ミシッと鳴る古い床板と、パラッ……と落ちる小石の音。
時折ヒュウと吹きつける風が、否が応でも緊張感をかり立てる。
「ひいぃ、怖いです……」
「微居! これ、何mくらいあるんだ?」
「……さあな、200mから300mってところか?」
「そんなにです……?」
男でも怖気が立つような危険な道に、思わずジュエルは悲鳴を上げる。
「戻るなら今のうちだぞ」
「い、いえ、わたしは平気です!」
ジュエルは小さな肩を震わせながら、必死に食らいついていく。そんな彼女の姿を見て、女の子なのに頑張るなあと絵井は感心する。
照りつける太陽の下、3人はなんとか長い桟道を渡りきり、平場に足を着けるとホッと胸を撫で下ろした。
「……よし、先に進むぞ」
「あっ、ちょっと待ってほしいのです……」
休憩もそこそこに先を急ごうとする微居を、へたりこんだままジュエルは呼び止める。
「どうした、腰でも抜かしたか?」
「い、いえ……その、安心したら、お腹が空いちゃって……」
「……は? さっき食ったばかりだろ?」
照れくさそうに笑いながら、ジュエルはぐうーとお腹を鳴らす。
すると彼女の後ろから、すっとお菓子の袋が差し出された。
「これは『夏でも溶けないチョコレート』ってやつだから、ベタベタしないで食べれると思うよ」
「え? あ、ありがとうございます……」
絵井は微笑みながら、少女にチョコを手渡す。
先ほど冷たい態度を取られた少年に優しくされて、ジュエルは戸惑う。
「あの、絵井さんはわたしの事を疑ってらしたのでは……?」
「うーん、君が何か隠してるのは間違いないと思うけど、なんだか一生懸命な感じだし。それに君からは、『澄んだ綺麗な音』がする」
「音?」
絵井はジュエルの横を追い抜きつつ、背中越しに。
「だから、とりあえず俺も君を信じて付き合う事にするよ」
「絵井さん……」
しかし、絵井はくるっと振り向くと。
「だけど、危険な目に遭いそうだったら、俺は微居を連れて一目散に逃げるからね」
「はいです!」
「……一段落したんなら行くぞ。菓子は食いながらついて来い」
「あ、はいです」
お前もチョロいな、お前に言われたくないよと軽口を交わし、微居と絵井は先に進む。
ジュエルは後を追いつつ、チョコ菓子をもぐもぐと口に入れ、絵井の不思議な台詞を思い出して首を傾げた。
「…………音?」
*
「……着いたぞ。ここだ」
巨石がゴロゴロと横たわる山道を汗を流しながら歩き、赤茶けた岩と岩のトンネルを抜けると、目の前に現れたのは神殿のような巨大な建造物。
「これは……、遺跡です?」
「いや、これは岩に掘ってあるだけの彫像で、実際はただの洞窟だ」
そそり立つ岩壁に削り込まれた、縦横30mほどの柱と屋根。
夏の太陽がくっきりとレリーフを浮かび上がらせる、ローマ風の様式で構築されたその威容は、ヨルダンのペトラ遺跡を彷彿とさせる。
「これを作った奴はよっぽどの岩マニアで、ヒマ人だったんだろうな」
「いやいや、これはそんなレベルを越えてるだろ……」
絵井は壮観な建物を見上げ、首が痛くなりそうになる。
そしてその足元には、ぽっかりと開いた洞窟の入り口。
「この中に、『シャンカラ・ストーン』が?」
「それがこの山中にあるっていうなら、間違いないな」
「確かにいかにもって感じがするけど、お前良くそこまで言い切れるな」
「……岩の声が騒いでるんだよ。ここにお宝が眠ってるってな」
親指で洞窟を指差し、微居はニヤリと得意げに笑う。
「具体的には『寄ってらっしゃい、見てらっしゃい』、『絶対に損はさせません』、『そんじょそこらの洞窟と訳が違う』とか」
「岩がそんな事言ってんの?」
「わたしもそんな気がします」
「するの?」
ジュエルは目をつぶって両手を広げ、洞穴から流れる空気を感じる。
「この洞窟からは何かこうオーラ? といいますか、一味違う『力』のようなものを感じるのです」
ジュエルは瞳を開き、微居と目が合うとニコッとほほえむ。
微居とジュエルのスピリチュアルなやりとりに、絵井は2人の脳ミソは岩で出来てるんじゃないかなあと思う。
「それでは微居さん、ひきつづきご案内をおねがいします」
「ああ。だが、俺も中には入った事が無いからな、ここから先は出たとこ勝負だ」
「えっ、です?」
「何だ? お前が洞窟のロケハンをしてないのは珍しいな」
「そりゃ、この夏休みの思い出作りに、お前と『探検ごっこ』をしようと思って、楽しみを取っといたからな」
「微居……」
「うぐっ!?」
突然、ジュエルが胸を押さえて苦しみ出す。
「どうした、ジュエルちゃん!」
「わ……、わたしはBLにはあまり造詣が深くはないのですが、その良さが少し分かった気がします……」
「どゆこと?」
「……雑談はもういいか? 洞窟の規模が分からん以上、モタモタしてると日が暮れるからな」
「はいです!」
「なんか、どんどんモブキャラっぽくない大冒険になって来たなあ……」
3人はぐびぐび水を飲み、気を引き締めると、ブラックホールに吸い寄せられるかのように、洞窟の奥へと消えていった。
……その、はるか後方の渓谷の高台から、神殿の像が彫りこまれた洞窟を見下ろす男。
「ここまで俺様を案内してくれて、ありがとうなァお嬢ちゃん……」
鈍色のボディを太陽の下に晒し、男は辺りの山々を睥睨する。
「一体どういうルートを辿ったら、こんなチンケな街のクソ山奥に『あの石』が紛れ込むってんだろうなァ、オイ?」
ギイーンギイーンと鳴る歯車の音と、身動ぎするごとにガシャッと響く金属音。
男の腕の先端に備わるのは五本指の掌では無く、肉を裂き、大地をえぐるような掘削ドリル。
「ま、んな事ァどうでもいい。ここの石も俺様の手に入れりゃ、世界征服の野望に大きく近づく。それまでは嬢ちゃんをせいぜい利用させてもらうぜェ……!」
穏やかではない野心を吐き出しながら、男は耳障りな哄笑を上げた。