風太とヌルヌル
風太が居間でゆっくりしていると母ちゃんに呼ばれた。
「いつまでゴロゴロしてるの。三年生になったんだからしっかりしなさい。・・・・・・
そうだ!お使いに行ってちょうだい。八百屋さんで、じゃがいも、にんじん、玉ねぎを買っておいで」
母から貰った千円札を受け取ると勢いよく玄関から飛び出す風太。子どもは風の子、元気な子。
八百屋の前に着くとおじさんが威勢の良い声で野菜を売っている。
「じゃがいもがいいよ!三つで百円、三つで百円だよー」
ポンと一つ手を打つと、八百屋に入る。
その時、大きな声が鳴り響いた。
「今日はウナギーウナギだよ!一匹九百円のウナギが何と三百円だ!タイムセールス、タイムセールス」魚屋さんだ。
声にひかれて、店から出る風太。
魚にしては長すぎる胴体をゆらゆら揺らしながら、水槽の中を泳いでいる。こっちを見るウナギ。風太は黒い物体を掴みたくなった。
ーこれを買うと、頼まれた品は買えないやー
諦めて、店を出ようとすると水槽の中からウナギが跳ね上がった。ザブーンという音を立てると水しぶきが散らばる。
「すげーや」
頭の中はウナギでいっぱい。
「おじさん、ウナギひとつ」魚屋さんに負けないくらい大きな声を出した。
「おう!坊主えらいな、おつかいか?」
「ウナギ、ちょうだいよ」
「ウナギ、ちょうだいよ」
「ウナギ、ちょうだいよ」
目を輝かせて何度も繰り返す。
「急かすんじゃないないよ。そんなに焦らなくたって、ウナギは逃げねーよ」
店主は、はにかみながらヌルヌルの物体を取って渡す。
風太がお金を渡すとヌルっとした感触が手に伝わる。突然、魚屋さんが素っ頓狂な声を上げた。
「あっ!いけねえ。坊主、袋に入れるの忘れた!」
風太はウナギを掴もうとする。
何度も繰り返す。意地になって少年が力を込めれば込めるほど、ヌルヌル、ヌルヌル。
大道芸人みたいに、掴んでは離し、掴んでは離す。
やがて、ウナギと風太は一緒に走り始めた。
「坊ちゃんー」という魚屋の声は、空遠く。
「おーい、誰かー捕まえてよー」泣きべそをかきながら、進む。
「どうした、少年?」
並走しながら警察が聞いてきた。
「ヌルヌルのウナギが、掴まんないんだよー」
言葉を交わした警察は握り拳に親指を立てるジェスチャー。
「よし見とけよ」
腰から手錠を取り出した。ウナギと風太の間にタイミングよくそれを差し込む。
ガチャリと鈍い音がする。
輪っかの中からヌルヌルと抜けてゆくウナギ。
掴もうとした勢いに負け、警察が尻もちをつくとドスンという大きな声がする。
「おのれー、国家権力に歯向かうとは覚えておけよウナギ」負け惜しみ程度にそう発する。
お構いなしに、ウナギと風太はゆく。
警官の頭に、カラスのフンがゆく。
カァーとカラスが一声。哀愁だけが残る。
走ってゆくと、岩石のようなプロレスラーが話かけて来た。
「どーしたボーズ、トレーニングか?」
「トレーニングじゃないよヌルヌルが掴まらないんだよー」
「ははーん、これだな。多少手荒い真似をするが絶対に捕まえてやる。」
ウナギを操りながら、頷く風太。
プロレスラーも一緒になって、掴もうとする。二人でウナギを胴上げするような格好。
痺れを切らしたプロレスラーは、鼻息あらく両腕で輪っかを作ると、ウナギを抱きしめるように掴みにかかる。パイルドライバー。
丸太のように分厚い岩石男の両腕で、ウナギが圧迫されたようになる。
風太は「やった」と喜びの表情を浮かべる。
プロレスラーもしたり顔。
喜びも束の間、腕からヌルヌルとウナギが上空に上がる。ドスンという鈍い音を立ててプロレスラーが尻もちをつく。
風太とウナギは再び走りだす。
起き上がった、プロレスラーは「ヌオー」と雄叫びをあげて地団駄を踏んでいる。
道を進みながら、「誰か掴まえてくれー」「誰か掴まえてくれー」風太が連呼する。
そこへ通りかかったのは、ちんどん屋の行列一行。
「どおしなすったかえ」とほおかんむりを抱えた小男が尋ねる。
「ウナギがヌルヌルするんです。掴まらないんです。」
小男が「ありゃー、こりゃ大変だ大変だ」と太鼓を叩いて調子に乗る。
「ハハハハ」と笑い声を一つ立てると、一瞬、真顔になる。「合点した」と静かにささやく。
持っていた舞踏傘を広げると器用にウナギを乗せて、くるくるくるくると回転を加えてゆく。ウナギの液体の飛沫が散る。
「よーお」小男が高い声を出すと同時に傘を傾ける。待ってましたと言わんばかりに正面に立っていた鉢巻き姿の男の持つトランペットの先に流し込む。
鉢巻男が吹く。
パッパラパーパッパーパッパーパッパラパー
高い音色が辺りにこだまするとウナギが出てきた。
ウナギはもう、ヌルヌルじゃない。
「ありがとう」満面の笑みで礼を言う風太に
ちんどんや達が、各々変なポーズを決めて
「決まりー」と発した。
風太がうちに帰ると、母ちゃんに小言をいわれた。
晩ご飯のカレーライスの中にはウナギが顔を出している。
風太は、微笑んだ。