第6話
まだ暑さが残る、十月。
今日は朝から大学祭が開かれている。
うちの大学の学園祭は、見学会も同時に開催されているので、非常に盛り上がる。フリーマーケットにお笑いライブ、カラオケ大会にゼミの研究発表、出店も立ち並び、広い学内だというのに、人が密集しあちらこちらで、怒号が飛んでいる。
「いかがですかー!農学部のじゃがばたでーす!!」
「おいしいよー!チーム東洋史のドデカ餃子!!一個300円!!!」
「お母さーん!!山本星奈ちゃんのお母さんは、どこですかー!」
出店の掛け声の中に、良雪の声が混じる。
良雪は学園祭実行委員をしていて…、午前中は迷子係を任されているのよね。
わたしは実行委員ではないのだけれど、そのお手伝いをしている。今にも泣きそうな子供の手を握って、一生懸命、あたりを見渡す。
「セイ!!」
「おかーさぁーん!」
食育研究会のチヂミの出店の向こうから、若いお母さんが飛び出してきた。
子供がわたしの手をパッと振り払って、お母さんの所へと駆けていく。
「すみませんでした、ありがとうございます!」
「いえいえ、星奈ちゃん、またね!」
ニコニコしながら小さな子供に手を振る良雪。…子供が、とても好きなんだよね。
……でも。
わたしは、良雪に子供を残してあげることは、できず。良雪は自分の子供を持たないまま、一人ぼっちで人生を終えた。
その人生を変えたいと…、わたしは、願っているのだけれど。
「午後からどこまわろうか?充は行きたい場所、ある?」
「そうね…美味しいものを食べて、良雪の歌がききたいかな?」
いつもは、いろいろと記憶がよみがえってきて騒がしくなりがちなわたしの脳内なのだけれど…、少し良雪の記憶が曖昧だったり、する。
自分の歌を聴きたいと思ってくれた充に、何を聞かせようか考えるのに夢中になってるせい?充の記憶が薄くて……。
「じゃあ、僕午後のカラオケ大会のエントリーしてくるよ!ちょっと並んでるから、充はここで待ってて……そうだ、武道館横のベンチが空いてると思うから、そこで待っててくれる?」
「わかった。…楽しみだな、良雪の歌。うまいもの」
良雪はにっこり笑って、体育館で行われるカラオケ大会のエントリーの列に混じるため、駆け出していった。
このあと、優勝、しちゃうのよね…。
充に向けて歌ってただけだったから、優勝して…びっくりしたんだった。
良雪の歌声がどのくらいすごいのか、今日はしっかり確認させてもらうことにしようかな。
日差しの照り付ける中、わたしは一人で武道館に向かう。
武道館は今日、何もイベントを行っていないので、人はほとんどいない。明日はお笑い芸人が来るので、人であふれかえるはずなんだけれども。
汗を拭いながら、歩いていると。
「露木さん、一人?」
少し勝気そうな背の高い女子と、見たことのない金髪の男子が二人…私の進行方向を妨げるように、立ちはだかった。
ウェーブのかかった茶髪、少しきつめの化粧…、気性の荒さを際立たせている印象の拭えない女性は、支倉恵。……良雪を狙って、積極的に動いている人物だ。
良雪だった頃はほとんど気にしていなかったのだけど…、わたしの目から見ると、かなり派手に立ち振る舞っているのがよくわかる。
「ちょうどいいところに!あのね…良雪の事なんだけど。言っておかないといけない事があって」
充になったら、支倉さんの存在が、いやというほど…目に付くようになったというか。これみよがしに良雪に接触して、当然のように良雪の横を陣取る姿は、はた目から見ていてあまり気分の良いものでは、ない。
わたしと良雪は学科が違うから、同じ授業を取ることが少ない。しかし、支倉さんは同じ学科だから…授業はほぼ同じで、いつ見ても一緒にいる。
良雪にとってはただの同学科の人であるだけで、特別な感情は、一切ないのだけれども。
「良雪、私と付き合いたいけど、露木さんが離してくれないって悩んでてね?私、それを聞いて…カッコいい人、紹介してあげたいなって思ったのよ!」
「充ちゃんかわいいね、俺たちと遊ぼ!大丈夫、良雪なんかよりもずっと良くしてあげっからさ!!」
金髪男子の一人が、わたしに声をかけてくる。
舐めるように、頭の上から見下ろして…正直気分が、悪い。
見たことがないから、学生じゃなくて、部外者だと思うんだけど…。
「良雪と待ち合わせしてるから」
「良雪は来ないわよ?」
良雪と待ち合わせをしているのは、わたしだけだと…私は知っている。
この支倉という人は、わたしのことが嫌いで嫌いで、仕方がないみたい。どうしても、わたしと良雪を、別れさせたいらしい。良雪は…充の事しか、思っていないというのにね。
わたしと良雪の相思相愛ぶりは、学内でもかなりの認知度を誇っている。
充に夢中な良雪と、どこか冷めているくせに良雪に頼り切っている充。
…頼り切っているという評価はいただけないと思うの。良雪が世話を焼いてくれるから、それを無下にするわけにいかないのはもちろんのこと、良雪の心を知っているからこそ、応えたいし受け止めたいとわたしは願っているだけ、なのだから。
そんなわたし達を、引き裂きたいと願う、支倉恵という人間。
…ああ、アカシックレコードが、開く。
ああ、開く、開いて、しまう。
支倉恵の、人生が開く。
生まれる前の目標から、人生の終焉まで…一瞬で私の意識の中を流れる。
…ああ、こういう人生だった。
そうだ、支倉恵は、支倉恵になる前。
愛する人との仲を引き裂かれて、自らの命を絶った。そして、生まれる時に、引き裂かれるような絆ならば結ばない方が良いのだと考えて、愛し合うもの同士に試練を与える役目を担うと決めたのだった。
支倉恵は…、わたしと良雪の絆を試している。
だから、こんなにも。
嘘で塗り固めて充を翻弄する言葉を吐き続けるし、誤解するような場面を見せつけようとする。
…そんなことをしなくても、良雪は一途に充を思い続けたことを、私は知っているのだけれども。
「待ち合わせ場所は、ここじゃないから、大丈夫」
「いいじゃん、俺たちと…遊ぼ?」
良雪の知らない、充の時間。
充は、こんなにも怖い思いをしていたのかと、今、知った。
知らない男子二人に、手を取られる。
いやだ!!
逃げないと!!
150センチの充に迫る、180センチ越えの、金髪男子が、二人。
「どこで待ち合わせてるの?」
「体育館に行ってて、もうじきあのベンチに良雪が来るの。だから離して」
男子二人が、わたしを囲み込んだ。
「じゃあ私は良雪の所に行ってくるわね。露木さんは帰ったって言っておいてあげる!」
支倉さんは、わたしと金髪の男子二人を置いて、体育館の方に行ってしまった。
……良雪は、いつ来た?
良雪には、もめ事を起こした記憶がない。だとしたら、わたしがこの状況を、一人でどうにか、したはず。
あのとき良雪は、歌のカンペを見ながら武道館まで行って、急いで体育館に戻った。走っていったから少し息が上がってしまったけれど、歌い出しが完璧に決まって…ほっとしたんだもの!
金髪男子は…、二人とも支倉さんの…遊び仲間。
少しガタイのいい方の金髪と、このあと結婚する。
そして、線の細い金髪と浮気をして、DVを受けるようになって…幼い子供とともにシェルターに入る人生を、送る。
その人生に、良雪の姿はほとんどない。あと一年したら、支倉さんはできちゃった婚をして、退学してしまう。…ああ、ゼミに入ることなく退学しちゃうから、良雪の記憶にほとんど残っていないのね。
「充ちゃん?ねえねえ、エッチい事とか、興味あるんだって…?恵から聞いたよ?」
「俺たち二人でかわいがってあげるよ」
武道場のベンチから少し奥に行ったところは、一目の届かない器具庫が並んでいる。
あの空間に連れ込まれたら、逃げることは…できない!!
どうにかして、隙を作って逃げ出さないと…!
両手を取られて…ずるずると奥に引き込まれて、いく!!
何か…何かない?!
逃げ出すための!!
隙を作るような、何か!!
……!
「かわいがってくれるの?まだ、傷が痛いんじゃないの?無理すると縫い目が裂けて、2度と使い物にならなくなるかもよ?」
「はあ?何言ってんだ?充ちゃん?」
「!!!!!!!!!!!!」
あきれる線の細い金髪に対して…、顔色の変わったガタイの良い金髪。
「わたし、知ってるのよ。支倉さんが言ってたもの。あなた…、昨日病院で…抜糸、したんでしょ?大事な時期なのに、無理をして不能になったら、困るんじゃない…?」
ガタイの大きい方の金髪が、ひるんだ。
よし、今だ!
わたしは握られていた手を振りほどいて、体育館の方へと走り出した!
少し人が増えてきてしまえば…、もう大丈夫。
襲われることは、ない。
支倉恵の記憶を開いたときに、先月のやりとりが流れたのが幸いした。
―――私を抱くつもりなら、抱ける体になってからいいなよ!!
予約を入れて泌尿器科で大掛かりな手術をして…ガタイのいい方の金髪は、昨日抜糸をしたばかりのはず。まだ痛くて…何もできないはずなのよね。
でも、支倉恵に頼まれて、充を襲わないといけなくなって…線の細い金髪を呼んできた。
ナンパ仲間らしいし、知られたくないんじゃないかなって思ってちょっとつついてみたら、成功したみたいで良かった…。
わたしが体育館に行くと、良雪は…どこにも…見当たらない。
どこかですれ違ったみたい。急いで…武道場に行かないと。
「あ、露木さん!!良雪はもうエントリーし終わって、どこかに行ってしまったよ?もうじき始まるんだけど、まだ来てなくって…」
カラオケの運営委員長が心配そうな顔をしている。
…大丈夫、間に合うから。そして、優勝するのよ!
「すぐ連れてくるね、少しだけ待ってて」
急いで、来た道を戻る。
人気の多い広場を抜けて、武道館の近くまで来ると…良雪がカンペをもって支倉さんと一緒にいるのが見えた。
カンペに夢中になってる良雪は、まだわたしに…気が付かない。
しかし、支倉さんは、わたしに気が付いた。
支倉さんが、良雪の手を取る。
今、誇らしい顔をしているのは、わたしが傷ついたと思っているから。
泣き崩れる顔が見たくて仕方がない、支倉さん。
……けれど。
わたしの足音に気が付いた良雪は、カンペに落としていた目をあげて、まっすぐ充を見つめ、素早く立ち上がって。
「充!遅かったね!待ってたんだよ?さあ、一番前の席に行こう!!参加者は特別席に座れるんだって!あ、支倉さん、またね」
良雪は充に愛の歌を届けることができる喜びでいっぱいで…、支倉さんのしがみついていた手を振り切ったことに気が付いていない。
…ああ、こういう事なんだ。
意識が集中していないと、記憶には残らないものなんだなあと、改めて思う。
夢中になると周りが見えない…、それはこういう事なんだ。
良雪は、わたしの手を取って、体育館に向かって走り始めた。
良雪の目には、支倉さんは一切映っていない。
あんなにも悔しそうにわたしを睨んでいる支倉さんの表情に、まるで気が付いていない。
体育館につくと、カラオケ大会がすでに始まっていて、エントリーナンバー一番の呼び出しがかかっていた。
わたしは一番前の席に滑り込んで、息の荒い良雪が壇上に上がるのを見つめる。
息の上がっている良雪は、深呼吸をしてから…わたしを、見つめて。
ばっちり歌い出しを決めた、良雪の…歌声は。
私が想像していた歌声なんか、鼻歌だったんじゃないかって思うほどに。
心のこもった…会場全体に響き渡る、まさに愛の歌、だった。
…思わず涙がこぼれるほどに。
良雪は、知らなかった。
充が、泣くほど感動していたことを。
良雪の知らなかった、充の涙が、今、流れている。
良雪は確かに…、充に、愛されている。
わたしはこんなにも……、良雪が……、好きだもの……。




